この国の独裁者になって久しい男が、ある朝言った。
『今日からこの国に新しい禁忌を設けていこうと思います』
自分を律することでよりよい人間になれるのだそうだ。
性器を街なかでぶらさげるのがいけないことであるのと同じように、恥ずべきことであるのと同じように、さまざまな物事を規制していくというのだ。
僕らは頭を抱えるしかない。

まず『怒り』が禁忌になった。
人前で怒りを露わにすることが、いけないこととされた。
職場でも家でも、誰も声を荒げなくなった。それは平和に見えるけれど、主張の手段が代わったに過ぎない。
漫画の主人公は叫ばなくなり、説教ばかりするようになった。
独裁者は『冷静な判断ができる世の中になりましたね』と満足した。

続いて『世辞』が禁忌とされた。
人を褒める為の嘘をつかなくなった。嘘は他人を傷つけるものがメインとなった。
他人の為の嘘、優しい嘘が少なくなった世界。
嘘をついたことへの罰が以前より重くなった。
元々嘘は『よくないもの』とされてはいたが、さらにその意識が高まり、世界には正直者だけが残った。

次に禁じられたのが『自死』だ。
『自殺をする人間に同情する必要はない。彼らは最後の最後に加害者となったのだから』独裁者はそう言った。
それから自殺者は2割ほど減ったらしい。他人に向けて自殺をするのが2割だったということだろうか。
でもきっと死なずにいるだけで、生きる希望が生まれるわけじゃない。
それでもいつしか世間は死そのものを貶し、遠ざけるようになった。

『怒り』『世辞』『自死』が禁忌とされた世界。
ストレスから逃れる為に人々は欲望や不満を口に出し続けるようになった。
人々の負の感情が常に耳に入って来る世界。独裁者にとっては人民を支配しやすく、都合が良いものだったはずだ。
しかし、ここでさらに一つの禁忌が追加された。
独裁者は『不満』を禁忌とした。
人々のストレスのはけ口を禁忌とした。
人々は暴動を起こし、世界は暴走した。
独裁者は暴徒に首を掻かれて死んだそうだ。彼はこの事態を予想出来なかったのだろうか。

その後、指導者が代わり、世界は禁忌から解放された。でも元の姿には戻らなかった。
恥ずべきこと。してはいけないこと。何がなんだか、誰にもわからなくなっていた。
禁忌による長い支配によってルールが姿を失い、怒りが行き場を失い、嘘が意味を失い、人は死に場所を失った。
それでも変わらないこと、確かなことが一つある。それを基準にまた新しいルールを取り決めていけばいい。焦ることはない。

『性器を街なかでぶらさげて歩いてはいけない』

この禁忌が僕を指導者として正しく歩ませてくれる筈だ。

でも一度くらいは、ぶらさげてみたいとも思うのだ。


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