ルイスは社宅へと歩いて帰る途中、ため息をついて会社から支給された小型デバイスに入っているラジオソフトを起動した。彼は毎週水曜日の夜にうんざりする自分にうんざりしていた。今夜もうんざりするほどの水曜日の夜だった。週の折り返しなんて聞こえはいいが、それだけでは乗り越えられない何かが水曜日にはある。見上げれば、反重力装置によって宙に浮かぶエアカー群がビルの合間を縫うようにして走っていた。この光景をメビウスの輪なんて形容した記事を書いた先週の自分を思い出し、彼はうんざりした。
『ヘイ!全宇宙の暇人共!調子はどうだい?ちゃんと毎日鏡を見て冴えない自分と向きあうことなく暇を持て余しているか?』
 イヤホンから、銀河中で流行っているとまでいかないまでもそこそこファンは多いラジオ番組“銀河の些事”が聞こえてきた。なんのひねり気もないタイトル通り、この番組は銀河中で起こる出来事を適当に募集し適当にピックアップし適当な情報を銀河中に垂れ流す適当な放送だ。ただ、水曜日の夜にうんざりしているルイスのような人間にとってはそこまで耳障りなものでもなく、それがこの番組が100年以上も続いている理由だった。司会はジェームズ星出身のジェームズ星人のジェームズ=ジェームズ=ジェームズ、通称DJ(どこまでもジェームズ)から代わったことはないものの、番組が始まった当初は三つ頭だったDJも今では右の頭部だけになっている。番組が始まってから74年目の放送で(一部のファンの間では“あっちホイの悲劇”と呼ばれている回である)、あるリスナーが“DJはあっち向いてホイが弱いのではないか?”と質問し、それを確かめるためにDJがあっち向いてホイをした際、真ん中と左の頭がぶつかって死んでしまったからである。この時偶然よそ見をしていたおかげで助かった右の頭は、これまで真ん中と左にいじめられていたストレスの反動からか、頭が変わったように適当なことを適当に喋るようになった。番組最期の決め台詞も“よそ見をせよ、さらば与えられん”に変わった。
『……そしてお次は惑星N-57に関する耳寄りでもなんでもない情報だ。お前らはN-57についてもちろん知ってるよな?あの惑星は……』
 ルイスはN-57という単語に反応した。彼が今いるのはN-53星であり、N-57は同じ恒星系の星、なんなら日帰り旅行が出来る距離だ。それにN-57の大事件のことも彼は知っていた。N-57は人間とロボットが共存してきたが、ある日ロボットが暴走を起こし惑星は壊滅状態になり、人間もロボットもみな死んでしまったのだ。ルイスはいくらか神経を耳に集中させた。
『……そんで長いこと手つかずになってたN-57だが、何か面白いことがないか一日中探す下らない毎日を過ごしているウチのスタッフが先日偶然にもN-57からの音声メールを検知してな、これがどうやらN-57に残る一体のロボットからのメッセージらしい。まぁ前置きはこんくらいにしておいて、聴いてみてくれよな。流すぞ』
 スピーカーから雑音の混じった音声メッセージが流れてくる。
『……part……has……done……part……has……done……』
 その昔、銀河規模で見れば遅れすぎている科学技術を持っていた惑星the earthの公用語であり、そんな銀河規模で見れば脅威になることはあり得ない星の公用語だったからという理由で、銀河公用語の一つに選ばれた英語が、ルイスの耳に入ってきた。
『ま、これはそれだけの話なんだけどな。次行くぞ。H星系ではばきかせてる電子レンジ通信が……』
「part has done……か」
 ルイスは少し悩んでから、来週の水曜日は有給を取ることにした。そうすれば、少なくとも来週の水曜日まではうんざりすることはなさそうだった。

 カレナは、先日意を決して買ったルイボトン社の二人掛けソファーの気持ちよさを確かめるように、背もたれに寄りかかって伸びをした。人間健康工学なんて胡散臭い学問の全てを注ぎこんだソファーは、その胡散臭い値段の割には、満足のいく出来のようだった。ただ一つ問題があるとすれば、隣に座る夫がソファーとは別の理由で難しい顔をしてうなっていることだった。
「だからさ、エビチリと野菜炒めなんだよ」
 そう妻に問いかけるターナーの顔は真剣だった。若くして経済学のトップに上り詰めた天才学者は、この会話による妻の効用関数までは計算できていない様子だった。
「何かしら」
 カレンはこの手の夫の突飛な言動には慣れっこになっていて、経験から導き出された最良の返答をしつつ、今日の晩御飯はエビチリにしようかしらなんて考えていた。
「今まさに僕を、経済学を悩ませるものさ。エビチリと野菜炒めの黄金比って知ってる?」
「知らないわ」
 知っていると答えてもどうせ彼は説明を始めるに違いないので、カレンは素直に答えることにした
「エビチリと野菜炒めの消費比率が、たとえどの惑星でもどの人種でもどの時間軸でも、いかなるカテゴライズによる範囲区分において全て等しくなるって話」
「へぇ」
 そっけない返答とは裏腹に、カレンは少しその黄金比に興味が湧いた。確かに先々月と先月に食べたエビチリと野菜炒めの回数の比率は同じだったように思えたからだ。
「何故こんなバカげたものが成り立つのか説明がつかない。他の食品はすべからく成り立たないし、なんでエビチリと野菜炒めなんだ。僕にとってはウィスキーとチーズの方がまだ納得できる」
「成り立つならいいじゃない」
「違うんだよカレン。それじゃダメなんだよ。そもそも……」
 そこから先のターナーの言葉はカレンの耳には入ってこなかった。こういう時、カレンが彼の話を聞いていようがいまいが、あまり関係ないことを彼女は知っているからだ。勿論、別に彼女はそういった夫のいかにもな経済学者的側面が嫌いなわけではなく、ただ単に自分に要求されるのが相槌だけだと分かっているだけだった。実際、ターナーによる統計によって導かれた恋愛、または結婚は、金銭面からセックスの回数までこれといって問題ない、むしろ満足のいくものであったし、彼女にとってはたとえ手段がただのデータであってもターナーが自分の為に考えていることが重要だった。今晩のエビチリに必要なものを頭でまとめ上げたところで、彼女は言った。
「まぁ、ラジオでも聴いたら?今ならやってるんじゃないかしら、貴方の好きな……えっとなんだっけ」
「“銀河の些事”。別に好きなわけじゃないけど……それもいいかもしれないな」
 思考が袋小路に入ってしまった時ラジオを聴くのはターナーのよくやっていることだ。カレンは部屋の隅にあるラジオのスイッチを入れた。今のご時世、ラジオなんてどの端末でも聴けるのだが、この古臭いラジオ受信機を二人は気に入っていた。ラジオから司会者の声が聞こえてくる。とりとめのない話ばかりを垂れ流すこの番組は、時と場合をひどく選ぶものの、カレンもそれなりに気に入っていた。五分ほどぼんやりと聞き流していると、急にターナーが立ち上がった。
「これだ!」
「えっと、何が?」
「part has doneだよ!違いはなくなったんだ!盲点だった!」
 興奮する夫にカレンは困惑しつつ、訊ねた。
「その、結局解決したの?」
「ああ!ありがとうカレン、君はやっぱり素晴らしいね。今日の夕飯なのだけど、エビチリなんてどうかな?」
「奇遇ね、そうしようと思っていたところよ」
 銀河中に大ヒットしたエビ野菜炒めチリ風味という料理がデビューするのはこの翌日のことである。そして皮肉なことに、その一か月後にエビチリと野菜炒めとエビ野菜炒めチリ風味の黄金比を発見したのは他でもないターナーだった。

「休講の時間に飲むコーヒーはおいしいわねぇ」
 そうこぼした女性はナターシャといい、とある学園星の学生である。今は数人の友人と休講の清清しさを共有しているところだ。
「クソッタレな木曜日もやっと半分くらい終わったか」
 チャップと呼ばれる男がそう返したのを聞き、ナターシャは気持ちの共有など幻想に過ぎないのではとの気付きを得た。ナターシャもチャップも同じ惑星の出身である。人口100万にも満たない小さな学園星として誕生したこの星は、新たな試みとして種族の制限をせず、全宇宙でも最高の水準の教育と研究が行われる場としてN-57星の余っていた小さな衛星を元に開発された。この衛星は、現在大まかな価値観を共有できる3つの区間に分かれ、更にそれぞれ十数の区域に分かれ、ナターシャにとっては細かすぎて数え切れないほどの纏まりに分かれている。
 人が集まれば群れを作るのは全宇宙で共通であり、群れが細かくなる毎に無意味で閉鎖的な空間となるという事も全宇宙で共通であったとの論文が、この衛星の種々の学会から数多く発表されていたのをナターシャは覚えている。
 種族が異なれば学ぶべきとされる年齢層に大きな差異がある事を、この衛星を計画した者たちは失念していたとしか考えられず、彼らが企図した若さに任せた相互理解という施策は全くもって失敗しているが、1%にも満たない『学問の前には相互理解など些細な問題となる真の学徒』のために、種族のるつぼと化したこの衛星に発生している多くの問題は棚上げされている。
 ナターシャとその仲間達はN星系に属する群れの一つであり、学生特有のくだらない話と娯楽をこよなく愛する、幸せで愚かな時期を過ごしているありふれた集団であり、ナターシャもその事を気に入っていた。
「そう言えば前回の銀河の些事聞いたか?電子レンジ通信がH星系で他所様の家の卵をあんまりにも爆発させるってんで、反電子レンジ協会がデモ活動してるんだとさ」
「いやいやいや、ちょっと待てチャップ、そんな事より謎の音声メールだろ!滅亡した星!謎の通信!冒険の予感!えっと…なんていったっけか?ぱあとずだん?」
「…part has doneだろ、ルーカス。興味を持ったならちゃんと覚えとけよ。そもそもN-57星に冒険する価値のある資源も環境もないぞ、だからこそロボットにも居住権を寄越してやった星だからな」
「かぁ~っ!つまらないこと言いなさんなよチャップ、暇つぶしなんだからもっとこう、夢のある話をさぁ!」
「part has doneかぁ…英語なんて授業外で久しぶりに聞いたよ、partってどの意味で使ってるんだろうね、仕事かな、役割…仕分けとか?」
「気になるんなら、レンタルシップでも借りて行ってみるか?発信源も電波辿ればおおよその位置わかるだろ?」
「あはは、暇だったら行ってみたいけど明日から実習始まるよ、例の7日間のやつ」
「失礼、ちょっといいかな?その音声メールの発信源はどこで、なんて発信されてるんだい?」
 不意に会話の横から、話しかけてきた声があった。
「えっと、あなたは…」
 学園星にいる若い男性だから、学生であろうし、そう言われればナターシャにも見覚えはあったが、普段あまりにも話す機会がないのですぐには思い出せない。
「ああ、タジムと言います、それで、どこからの通信なんですか?」
 名前を覚えられていないことをまったく気にも留めずに、タジムとやらは質問の答えを急かした。
「あ、ああ。N-57星からpart has doneって音声が繰り返された音声メールが発信されているんだとよ」
 タジムの勢いに押され、少し引き気味になりながらもチャップが答えた。
「そうか、ありがとう、なるほど、そうかではアレは思ったよりも…」
 答えを聞くと、タジムはそのまま考え込み踵を返そうとする。
「ちょっと待って!何を言ってるの?送り主がわかるの?」
「いや、我々は少し過小評価をしすぎたのではないかと言う話さ。僕の考えている通りなら、存外にいい仕事をするということだ」
 ナターシャの呼びかけにも胡乱な言葉で返しながらタジムは去っていった。
「なんだったんだろうな、今の」
「さぁ?わからねぇや。そんなことよりデモ活動がいつ終わるか賭けねぇ?俺3日!」
「あはは…じゃあ僕は1週間で」
 この星では珍しくもない異文化交流のことをすぐに忘れたのか、仲間たちは既に別なことに興味の対象を移していて、ナターシャもそれ以上考えることをやめ、仲間たちとの生産性のない怠惰な時間にひたる事にした。
 疑問を棚に上げることこそ学生の特権なのだ。

 その女性は、レスタギア鉱石でできた窓の方へと向かい、錠前についているスイッチで透過度を最も透明にした。研究室の窓に映し出されていた真っ暗な闇がゆっくりと晴れて行き、穏やかな森の朝が浮かび上がってくる。今日の外の天気を確認できたところで女性は窓を開けた。冷やりとした空気が頬を撫でる。
「はいはい、おはようおはよう。私は元気よ」
 ベランダに出てそう言うと、彼女は白衣の右ポケットからくたびれた煙草を取り出して口に咥え、左のポッケにあるこれまたくたびれた金属製のオイルライターを取り出した。蓋を開け、火をつける。いつもより大きな火が、煙草の先端を炙った。
「ふ~ん、今日は調子がいいのね。どうして?」
 火を消さずにそう訊ねる女性。蓋の裏に彫ってある“リリィ=ストーナー”の文字が目に入った。
「秘密って何よ。ご先祖様は秘密がお好き……か」
 誰に問いかけるわけでもなく呟いて彼女は蓋を閉めライターをポッケに落とし、今度は胸ポケットから爪切りを取り出した。ベランダに置いた小さな丸椅子に腰掛け、紫煙を吐きながら指の爪の描く緩やかな曲線と戦っていると、研究室の扉のスライドする音がした。
「やぁ、おはようセラトナ。ふむ、どこにいるのだね?」
 この小さな研究室には二人しか住んでいない。自分に問いかける声が聞き慣れたものであることにセラトナは少し安心して、火の消えないように煙草を灰皿に置き、答えた。
「おはよう博士。ベランダにいるわ。この部屋が禁煙じゃなければ、今すぐにでも顔を見せてあげられるのだけど」
「それは無理な相談だな」
「博士は鼻がいいから誤魔化せないのが難点ね」
「そこはメーカーのお墨付きなのでね。どれ、私も久しぶりに煙を飲もうかな。一本頂けないかね?」
「今日の風呂掃除代わってくださいね」
 沈黙。この、博士が時折作り出す正直な沈黙が、セラトナは好きだった。
「いいだろう。今日の風呂掃除は私がやろう」
 そう言ってベランダにやってきた一台のロボットに、セラトナは煙草のケースを差し出した。博士は全長は約160cm程度の比較的小さなロボットだ。ベースとなるスラスターのついた直径40cm、高さ15cmの円盤形の台座の中心からは細い支柱が伸び、その頂点には直方体の簡素な作りの頭部が乗っかっている。頭部と台座の間を自由に上下できる、台座と同じ形の、人間でいえば胴にあたるパーツについた腕を伸ばし、その先についた金属製の五本指の手で、博士は煙草を器用に一本だけ抜き出した。続けてライターを取り出そうとするセラトナを、博士は制止した。
「火は要らない。自前のがある」
 博士は煙草を口に咥え(口と言っても両目の下にある、上下に開閉するシャッターのような簡素なものだ)、その先に親指を添えた。親指の第一関節が折れ曲がり、小さなガスの火が灯った。
「驚いた。そんな機能あったなんて」
「私の開発者曰く、喫煙所でのネタに一つ、らしい」
「博士の開発者って妙なところあるわよね。人間と遜色ない思考はもちろん、感覚器官まで備えてるのに、見た目は人間に近づけなかったとことか。正直、こうして博士が煙草を吸ってるのはかなりシュールな光景なのだけど」
「私はこれでも自分のボディに関しては気に入ってるのだがね。ただまぁ、煙草や料理の味が分かるのは嬉しいことだが、活動において充電ではなく食事が必要な仕様に関しては不満はある」
 博士が吐く煙が、煙草の先から上がるものよりちゃんと薄くなっているのを見て、セラトナは苦笑しつつ言った。
「私は好きよ?食事は一人よりも二人の方が楽しいもの」
「確かに人間の君に強いて合わせようとせずとも、こうして共に生活できるのは喜ばしいことだな」
「寝言を呟きながら立って寝てる博士を初めて見た時は、驚くというよりも飽きれたけれど」
「仕方がないじゃないか!睡眠が必要なのにもかかわらず、倒れると起き上がるのに難儀するボディなのだから!」
 憤慨するロボットを笑顔でなだめ、セラトナは作業を再開した。安物の爪切りが鳴らす乾いた音が、朝の静けさにこだまする。
「ところでセラトナ、君は一昨日のラジオを覚えているかね?」
「あ~、博士えらく気になってましたね。あのN-57のメッセージのことでしょう?」
「そうだ。君はあのメッセージの意味を読み取ることは出来ないのか?その……預言者の能力を使って」
 預言者とはかつて惑星ディザスターに存在していた、無生物の言葉を聞き取ることの出来る人間のことである。今では、ディザスターが滅びる少し前に故郷を捨て宇宙へと飛び出した預言者達の末裔がひっそりと銀河中に散らばっているのみである。偶然にも預言者の研究をしていたロボットと出会ったセラトナは、その研究対象として研究を手伝うことを引き換えに、ここ、田舎惑星グリンワルドでの穏やかな暮らしを手に入れたのだった。研究室と、風呂にトイレ、そして自分とロボットの自室にあたる部屋の計5部屋しかない簡素で小さい研究所での生活は、予想していたよりも窮屈ではなかった。研究所から出て少し山を下りれば集落がありずっと二人っきりというわけでもないし、実験も人体にメスを入れるような大掛かりなものは行われたことがない。博士と呼ばれるロボットによれば、預言者の能力は当人の精神性により発揮されるもので、セラトナの意思を尊重できない実験は行えないとのことだが、当の預言者たるセラトナ自身は、そんなことあるはずがないけれどまぁ解くほどの誤解でもないか、なんて考えていた。それでも彼女は、この妙に人間臭いロボットへの感謝の意味を込めて、実験には出来るだけ協力的であるように努めているが。
「出来ないわ。預言者が聞けるのは無生物の声だけ。その、生物と無生物の区別がどれほど曖昧で適当なものか博士なら分かってるでしょう?」
「だからこそ訊いてみただけだ。もしかしたら、とね」
「音声メールを送ることの出来る時点で無生物とは思えないわ。パーツだけ、とかならまだしも、少なくとも音声で意思疎通は図れるわけなのだし。わざわざ私に言葉を預ける意味がないじゃない」
「君は電気炊飯ジャーの声が聞けるって言ってたじゃないか。あれはどうなんだ?炊飯器だって音で知らせる機能があるじゃないか」
「私にとって炊飯器は無生物らしいのよ……その話いつしたっけ」
 セラトナは身に覚えのない会話に眉を寄せた。この手のどうでもいい出来事を、博士は持ち前の電子部品で出来た脳みそでしっかりと記憶する。水道代の納付日についてはすぐ忘れるくせに。
「ここで暮らし始めてからすぐことだから、三年前だな。君が十五の時だ。何か預言者としてのエピソードを聞かせてくれと頼んだ私に、君は“もう炊きたくないもう炊きたくない俺は限界だってうるさい炊飯器をリサイクルショップに持って行ったの”と話した」
「ああ、あの時か。私だって炊飯器の声が聞こえてきた時は自分でも耳を疑ったわ。でも、私自身にとっても生物と無生物の区別はよく分かってないのよ。そもそも先生の研究分野においても、声を聞くことが出来る対象の条件が本当に無生物であると決まったわけじゃないんでしょう?それと私の喋った内容を私の声で再生するのはやめて頂けないかしら」
「ジョークのつもりだったんだが……まぁいいさ。無生物説は確証は無いにしろ今一番有力な説だから否定できんし、この説をベースに話を進める。少なくともあのロボットは君にとっては生きているみたいだな」
 そう言って博士は顎に指をあてて考え込むような仕草を見せた。駆動音が、まるで知恵熱で漏らす唸り声のようで、セラトナは苦笑した。
「ロボットはまぁ一般的に生物として捉えちゃうのかもしれないわね。ほら、あのなんだっけ……ロボットにも人権があるってやつ」
「銀河法893条機械雇用均等法、別名ロボット人権法」
 博士は苦虫をかみつぶしたような顔で言った。顔の作りがシンプルすぎて一見すると表情もへったくれないのだが、少なくともセラトナにはそう見えた。
「そうそれ。それのせいで、表現規制なんかも設けられているくらいなのだから、世間的にも充分生物と捉えるに足る資質はあると思うけれど」
「あんな法律を声高に叫んで、ロボット差別だなんだと細かいことに難癖つけて悦に浸ってるような馬鹿はロボットとは言えん」
「ロボットも大変なのね……もう一本どう?博士。明日の風呂掃除もね、なんて言わないから」
 すっかり短くなってしまった煙草を灰皿に押し付け、博士はセラトナから差し出された新しい一本を受け取った。
「お言葉に甘えるとするよ。あんな下らない法律は置いといて、次に移ろうか。では植物はどうだ?リンゴの声を聞いたそうじゃないか」
「ああ、庭に植えてある木になってるリンゴのことね。あのリンゴ、重力加速度は9.8ぴったりなはずだって四六時中喚いているわ。腐りきって落ちた時にその身を持って証明するみたいよ」
「植物は無生物なのか」
「まちまちよ。聞こうと思っても聞けない時もあるし。昨日食べた野菜炒めの具材はうんともすんとも言わなかったし……なんでこんな話になっているんだっけ?」
「君がロボットを無生物と認識するよう説得するつもりだったんだが、どうやら不可能なようだな」
「博士が言うと説得力がまるでないのが問題だと思うのだけれど……」
 セラトナは隣に立つロボットを見てやれやれと首を振った。ロボットの皮を被った人間にしか見えない。
「だいたい、私は言葉を預かるだけなのだし。仮にあのメッセージを飛ばしてるロボットの声が聞けたとしても、メッセージの意味を読み取れるとは限らない。聞き取った言葉が、“今日はエビチリが食べたい”なんてこともあるかもしれないの」
「今晩はエビチリがいい。丁度、昨日魚屋の親父さんから貰ったエビがある」
「もう……そんなんだから私を説得できないんですよ?」
 飽きれるセラトナを気にも留めず、博士は口笛を吹き始めた。セラトナは半音違いのその口笛に顔をしかめた。おしゃべりな小鳥たちの、なんのオチもない話を聞く方がまだましだった。
「言葉を預かるだけと言うが、君は意思疎通を図る節があるじゃないか」
 自分の口笛に満足したのか、博士は唐突にセラトナに質問をした。
「意思疎通を望む相手もいるのよ。そういう相手は大概私の声も聞いてくれる。私は声を聞けるってだけで、心を読めるわけじゃない。博士があのメッセージの意味を知りたいように、私も声の意図するところを知りたくなる時があるの。そんな時に対話が出来るのならしたくなるのも分かるでしょう?」
 博士はそこでふと考えこむ様子を見せ、それから笑い声を漏らした。
「どうしたんです?ついに故障ですか?」
「いやすまない。ここに引っ越してきてから間もない頃に、君が実験器具から脅迫を受けてるって泣きついてきたことを思い出した」
「故障してしまえ……」
 ロボット風情が思い出し笑いなど、と言えば博士は怒るだろうか。そんなことを考えてセラトナは朝日に目を細めた。
「まぁ、今では君も聞こえてくるものを大分制限できるようになったじゃないか」
「それは博士のおかげでもありますね。“何とでも波長の合ってしまうオープンチャンネルのラジオってイメージだな”って博士の言葉にピンと来て、コツをつかみましたから。未だに意図せず聞いてしまう声もありますけど。結局、預言者としての私に出来るのは受け取ることだけですし」
「それは嬉しいな。朝から研究に付き合わせるような真似をしてすまなかった。珈琲でも飲まないかい?淹れてくれるかな?君の淹れる珈琲は美味しいんだ」
「コツがあるんですよ。私だけのね」
 二人はベランダから研究室へと戻った。セラトナは三台あるエスプレッソマシンのところへ行き、一番元気な一つのスイッチを入れた。

「ヘイ、ライアン。浮かねぇ顔だな。どうした?また出の悪いシャワーに頭を悩ませてんのか?ええ?」
 ギーテンベルン星の中で一番大きな国の一番小さな街にある一番古い食堂の一番明かりの当たらない席で、一人ため息を漏らすライオンに、一人のネズミが話しかけた。二人とも会社から支給された同じ黒のスーツを着ている。勿論、サイズはライオンとネズミほどの差があるが。
「そんなことでため息なんざ出るもんか、チューキー」
「おめえこの前それで吼えてたじゃねぇか。隣にいたウサギのラビーの鼓膜を破ったのはどこのどいつだ?」
「あいつの耳が良すぎるのが悪いんだ」
 ライアンは足を組み替えて、食べ終わったばかり定食の盆を脇にのけた。床に二本足で立つネズミを掴みあげ、空いたスペースに乗っける。
「なにすんだ!」
「愚痴に付き合ってくれるんだろ?この方が話しやすいだろうが」
「こんな扱いは屈辱的なんだ!」
「チューチューうるせぇな。俺はお前を見下ろさなくて済むし、お前は俺を見上げなくて済む。何が悪い?」
「テーブルは土足厳禁だ!」
「なら座ればいいだろ。お前朝からずっと外回りで立ちっぱなしだったろ」
「へいへい分かったよ。ほんじゃ、注意されてもお前のせいな」
 チューキーは胡坐をかいてライアンと向き合った。立派なたてがみにカレーのルーが付いてるのを見つけて少しイラついた。肉食出身はこれだから営業部門に配属されて欲しくないのだ。ちなみに、“肉食出身はその図体を肉体労働に使えばいいのに”、と漏らした彼の元上司は、それを偶然耳にした部下のトラが仕掛けたネズミ捕りに引っかかって一週間前に死んだ。死因は言うまでもないが餓死だ。
「そんで、お前どうしたんだよ」
「part has doneだ。part has done」
「俺達の星歌がどうした?」
 ここ、動物達の惑星では千年くらい前に肉食獣と草食獣の間で戦争が起こっていた。肉食獣の圧勝に思えた戦争だったが、草食獣達は数と逃げ足と知恵で肉食獣を翻弄し、結果両者が両者を認め合うという形で戦争は終結した。その際誕生した星歌が“part has done『食う者食われる者、役割の消失』”である。因みに、戦時中雑食獣は中立を保っていた……というわけでもなく、ただ単に食の趣向に興味がなかったために無視を決め込んでいた。星歌を作ったタヌキのデポン氏の記述によれば、副題は『食事の役割とその帰結』と付いていたはずなのだが、どうやら歴史の闇に消えてしまったらしい。
「ちげぇよ。諺の方だ。お前も営業なら英語分かるだろ?分け前が来ねぇんだよ」
「やたら英語を使いたくなるのはアホっぽいからやめとけって言っただろ。これだから……なんでもない。それで?」
 この星で英語が広く浸透しているのは、主にthe earthから食料を輸入しているからである。理由は単純、喋らない動物は同胞とは呼べないからだ。
「昨日振り込まれるはずの給料が振り込まれてない」
「ただの手違いじゃねぇのか?」
「いんや、どうやら肉食だけ入ってないらしい」
「お前の上司は……ああ、ノーファンだったな。確信犯だ」
「あのくそったれゾウめ。足元見てやがんだ。耳と鼻をちょん切ってやりたいぜ」
 がたいの良い草食出身者は度々肉食出身者と衝突する。“草食出身はその謙虚さを胃袋で消化しきっちまったんじゃねぇのか”、と漏らしたチューキーの同僚は、先月オフィスで出されたお茶を飲んだ直後に死んだ。お茶には毒性の強い植物性エキスが入っていた。
「まぁまぁ落ち着けって。ようは給料を振り込ませればいいんだ」
「お前ならどうする?」
「飯でも誘って、干し草でも一緒に食べて、ついでに自慢の鼻でも褒めれば充分さ」
「干し草なんて食えないことはないが、勘弁してもらいたいね」
「あっちもそう思ってるさ。いいかライアン。お互いの飯の好みを認め合うだけで給料が来るんだぞ?安いもんだ」
「分かったよ。雑食のお前の言うことだ。信じるよ」
 ライアンはチューキーを摘みあげ、床に降ろした。食器の返却を係員に任せて、二人は食堂の出口へと向かった。
「ありがとなチューキー。何とかしてみる」
「礼は給料が振り込まれてからだな。それと、仕事に戻る前に鏡見とけよ。たてがみにカレーついてるぞ」
「あっぶねぇ、また怒られるところだった。じゃあな」
 手を振り去っていくライアンを見送りつつ、チューキーは呟いた。
「part has doneねぇ……役割が増えてるじゃねぇか」

 友人から借りた短距離飛行宇宙船の窓の外に見える惑星N-57を見て、ルイスは満足げに口笛を吹いた。あと十分もしないうちに地表に降りることが出来る。彼を退屈から一週間も解放してくれた些事の顛末に会うことが出来る。
 先週のラジオ放送で流れたメッセージは分析済みだった。これまた物好きな友人から借りた逆探知機でメッセージの発信源を特定する。今時の通信の逆探知は出来ないが、今時使う者のいない古臭い音声メールを解析し逆探知するのには十分な代物だった。目の前のモニターに映し出された赤点に目的地を設定し、船のオート操縦に任せる。
 ふとルイスは惑星の戦闘ロボットがまだ健在だったとしたらと身震いしたが、すぐに考え直した。今の彼にとってはどんなことであれ、結果が大事なのだ。それが彼の命では受け止めきれないものであっても、だ。どうしようもないうんざりするほどの退屈からの解放にはその程度の覚悟は必要なのかもしれないな、とぼんやりと考えながら彼は窓の外で徐々に大きくなっていく惑星のシルエットを眺めた。
「着陸シークエンス、すべて完了しました」
 待ちに待ったその宇宙船制御システムの音声を聞くやいなや、ルイスは宇宙船を飛び出した。生身の状態でも外に出て大丈夫なことは、大気圏内に入ってからの検査結果で分かっている。地表に降ろされたタラップを二段飛ばしで駆け下りて、彼はN-57に降り立った。
 ぐるりと視線を一周させると、見渡す限り砂漠と廃墟が広がっているだけだった。ところどころ機械の残骸なんかが大きな山を作っている。どうやら危険な目にあうことはなさそうだった。彼はメッセージの送り主を探すことにした。
 すぐにそれは見つかった。宇宙船から五分ほど歩いた先のゴミの山の傍に、そのロボットはいた。ルイスは注意深くロボットに近寄った。高さは150cm程度、円柱形の胴の上部には四本のアーム、下部にはキャタピラ、上面には直方体の武骨な頭がついている。老朽化が見受けられるボディをじっくりと観察し、戦闘用ロボットではないと判断したルイスはロボットに近づいた。
「part……has……done……」
 そう繰り返し喋り続けるロボットは、隣に立つルイスのことなど気づかないようだった。どうやら音声を発すると同時に同じ内容を通信の為に音声メールで発信していたようで、それをラジオスタッフが捉えたらしい。ルイスはひとしきりロボットに向かって何か反応がないか喋りかけてみたが、ロボットは無関心を決め込んでいた。壊れたように不規則に光る頭部のライトが腹立たしい。
「おいおい、せっかくここまで来たんだから何か教えてくれよ」
 期待はずれなロボットの様子に気落ちしたルイスは、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。荒廃した惑星。物好きな学者が今のN-57に危険がないことを知れば、この星で何が起こったか好きなだけ解明してくれるのだろうが、彼が知りたいのはただの短いメッセージの意味なのだ。吹き付ける風ですぐに短くなってしまった煙草を、彼はため息交じりに投げ捨てた。
「うおっどうした!?」
 ルイスは思わず飛び上がった。というのもロボットが突然動き出し、煙草を拾い上げゴミの山に投げ込んだからだ。一連の動作を終えるとロボットは最初の位置に戻り、何食わぬ顔でまたメッセージを繰り返した。
「part……has……done……」
「何がしたいんだか……まてよ」
 ルイスはふと上着の右ポケットに手を突っ込んだ。そして味のしなくなったガムを包んだ紙を探り当てると、力いっぱい放り投げた。ロボットはさっきと同じようにガムを拾いに走り、ゴミの山へと投げ込んだ。ルイスはあきれたような寂しいような顔をして、宇宙船へと帰った。

『……ヘイ!次はリスナーから投稿されたメッセージをこの俺DJが適当に垂れ流すコーナーだ。え~ラジオネーム“水曜の夜はうんざりする”からの投稿。俺も水曜の夜はうんざりするね。こいつはイカしたセンスだ。さて内容といこうか。“役目は終わった。繰り返す、役目は終わった。一つ文句があるとすりゃ、後始末は自分でつけろ”か。意味分かんねぇな。ハイ、次だ次。ラジオネーム……』


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