口癖ってなんだろうね?
 思考の癖は言葉に出る。それはいつも決まったことを言うわけではないから厳密に言えば口癖とは意味は異なるのかもしれない。でも言葉の癖であることには変わりがないのだから広い意味では口癖といっても差し支えないと思う。だからそういうことにしておいて欲しいな。
 俺はワガママで自分勝手で自己中心だと思う。思っている。多分実際そうなんだと思う。
 そして俺は臆病で怖がりで寂しがりだ。つまらない人間だ。自分が嫌いで嫌いでしょうがない。嫌いだ。大っ嫌いだ。でもどこかでそんな自分が好きな自分もいる。それも間違いない。
 自己矛盾してて、どっちつかずの優柔不断で、中途半端で、変な所で執着、拘泥しちゃってて。基本的にひねくれてる。
 どれが、何が、自分なのだかよく分からなくなる。だから色々考えるんだ。それも自分なんだよって別の自分に言い聞かせながら。
 みんなも色々考えてるのかな?わかんないよ。こわいよ。
 
 こんな僕にも友達はいる。何人いたら多くいると言えるのか分からないし、何人いなかったら少ないと言えるのかも分からないけど、自分では満足できるぐらいには多い。十分すぎるほどだ。
 けど、本当に友達なんだろうか?時々、……いや、もっと、結構な頻度で不安になる。この友人達はどうして自分の友人でいてくれるのだろうかって。心の中ではもしかしたら僕を嘲笑してたり、見下してたりしてないかなって。本当は嫌いなんだけど付き合いで仲良くしてくれるだけなのかもって。
 僕は小さい時からずっとずっとそうなんだ。恥ずかしがりやとか人見知りとか言われてきたけど、結局その奥にあるのは「怖い」という感情だ。自分が傷つくのが怖い。何かを失うのが怖い。
 でも独りはもっと嫌いなんだ。確かに独りの時は楽なんだけど、独りが続くと息苦しくなって独りの恐怖に埋め尽くされる。それは傷つく怖さや失う怖さよりももっと辛い。
 だから少しづつ話してみて、喋ってみて、笑ってみた。ありがたいことに横にいてくれる人達は増えてきた。一緒に怖さも増えたけど。
 最初は分からなくて自分勝手に強がって、俺について来いみたいな感じで友人を増やそうとしてた。新しい環境でたまたま自分に話しかけてくれた人ばっかりに。強がりはしても自分から友人を作らなかった。作れなかった。消極的出会いに積極的対応。今でも新しい人に話しかけられたりすると心臓がとってもバクバクする。どれもこれも自己中ビビリの典型だ。それでも友人になってくれる人は少なからずいたんだ。その人達の僕に対する印象はどうだったのか分からない。ただ、なんかいっつもうるさいやつって言われることは多かった。他人の邪魔をすることも多かった。偶然手に入れたつながりに舞い上がってたんだと思う。子供っぽいやつって言われることも多かった。ぽいんじゃなくって実際子供なんだろうなって思う。
 なんだっていい。自分を評価してくれる人がいるだけで嬉しいんだ。もっと分かりやすく言えば、かまってくれる人がいるだけで嬉しいってこと。けど恥ずかしくてそれを表に出せない。間違った形で表現してしまう。今までに何人に裏返してお返ししちゃったか分からない。とにかくひねくれてるもんだから、しょっちゅうぶつかって、けんかして、傷つけて、傷ついて。どんなに、ごめんねって思ってても顔を見ると正直に言えない。ありがとうとかも全部全部そう。いつも思ってることと反対のことを言ってしまってきた。それどころじゃなくて他人には自分に都合のいいようにさせるのに、自分は他人のためになんか全く動こうとしない。最低だった。
 それでもね、まだ友人達は友人のままでいてくれたことが大半だった。それが不思議だった。僕ならこんな僕とは付き合いたくないのにって思ってた。面倒くさいし、ウザいし、良いことほぼないし。それを思い始めてから少しずつ怖さが大きくなってきた。いつか飽きられるかもしれない。心の底から嫌がられるかもしれない。
 急にだったか、だんだんだったかは思い出せない。
 他人に押し付けてた自分の殻を縮めて隠れるようになった。
 他人の話を聞くばっかりになった。なるべく自分の思い、考えを言わない。言えない。本当は聞いて欲しいのに。
 なるべくお人好しみたいに振る舞おう。そう決めてたわけじゃないけどなんかそんな方向で物事を考えるようになってた。お人好しとかって無意識にそうできるからこそのものなのにね。僕のまがいものはまがいものに過ぎなかった。僕の中にいつもあるのは僕のためにって思いなんだと思う。僕が傷つかないために。偽善とかというレベルじゃない。クズだなって思った。
 話してる時は常に何を返事するか考えて、どう言えば当たり障りがないだろうかって自分のために考えて聞いてるだけで実際には心は通ってない。どうしたら不快感を与えないで済むだろうか。要するに僕が嫌われないようにって。
 そこで初めて分かったけど、僕は空気を読めない。読まないで生きてきて、俺が必要とする人だけに一方的に話して生きてきたんだから当たり前のこと。もしかしたら今、僕は的外れなことを言ってるかもしれない。怖い恐いどうしようどうしよう。逃げたい帰りたい。そんな思いでいっぱいになってた。
 ……なんで帰りたいの?俺が昔のまま自分勝手に振る舞えるのが家の中だけになってたから。
 イライラが溜まった。自分が嫌いで嫌いでしょうがなくなった。他人のいるところにいるのが嫌になる。その時の自分が嫌だから。
 誰か他人と二人でいる時はまだ自分の話を聞いてもらえるからいい。三人以上の時は僕は怖いから聞くだけでなるべく空気に合ってそうな相槌を打つばかりになった。それでもやっぱり僕が発言すると空気が凍ったり、ん?って顔をされることもあった。
 どんどんどんどん怖くなっていった。いつだったか昔からの付き合いだった友人に、「昔のお前はなんとなく言ってることなんでもやりとげそうな雰囲気あったのに、最近勢いないよな」って言われたことがあった。その時僕は悲しかった。自分が情けなかった。
 僕は間違ったかもしれない。僕は俺らしくそのままでいた方が案外良かったのかもしれない。だけど自分の保身のために他人を意識せざるを得なくなったあの時から僕にそれは無理になったんだよ。
 僕が俺に戻ることはもちろんないけど、少しは耳を傾けてもらえるように、自分は人と接してるんだよねって実感が欲しくて、僕は他人の願いや要求をまず優先するようになった。何する?どこ行く?もうやめる?みたいな。昔だったら絶対自分が譲らなかったところも簡単に譲ることが増えた。全身で顔色、声色をうかがって、少しでも嫌そう面倒そうにされる気配を感じたら全力で違う方向に逸らす。こんなやりかたは絶対間違ってると思ったけど、そうするしか思いつかなかった。
 そしてこの頃から疑問形が僕の口癖になった。それは恐怖の表れ。
 自分の心の安定のために、尋ねて、聞いて、人のためになってるようなことをしよう、人の役に立ってるような風になろうとした。全然人のためになんかならないのに。
 僕は本当に本当に実に大馬鹿だ。
 でもさあ結局全部ひっくるめて、みんなにその魂胆が何らかの形で見えてるんだろうね。
 なぜかって?
 それは、友人達は僕が疑問形を使うといつも言ってくれるんだよ。
 「じゃあ、お前は?」ってさ。
 昔の俺の声も、今の僕の声も、いつだって聞いてくれる人達なんだから。向こうもそう変わったりなんかしない。
 いつだって、みんなは僕に心を開いて接してくれていたんだ。
 そんな簡単だけど大切なことに、今の今までずっと気づいてなかったんだな、って気づいた。逆に俺は、僕は、人といてもずっと心を閉ざしてたんだなってことも。
 心からありがとう、って思った。
 僕には少なくとも運だけはあったらしい。こんな素晴らしい友人達に巡りあえたっていうね。
 一度怖くなってしまって、もう昔みたいな俺にはもう戻れないけど、というか戻っちゃいけないのも分かったけど、やっぱり少しずつでもいいからある程度本当の心を話せるようにならなきゃダメなんだって思う。
 もちろん今も怖いよ?怯えて、ひねくれてることもまだまだ言っちゃうだろうさ。
 でも今度はちゃんと考えて前に進む。進もう。歩もう。自分がそうするのが好きだから、人と一緒にいるんだ。
 だから今は少しだけワガママも言う。ちょっと自分勝手になっちゃうかもしれない。
 色んなことを考えてそれは口癖になっていく。自分のためが人のためにもなるように考えていこうかなって最近は考えてみたり。
 これがいいとは思わない?よくないことですか?ゆがんでるかな?
 これは俺と僕の戦い。どんな風に生き方を決めていくかの戦い。
 どっちも勝てないし負けられない変な戦い。
 君たちはその経過を僕の口癖の中に見つけられるよ。
 僕も君たちの戦いを見るつもりで君たちの口癖を気にしてみようかな。
 僕の心、君たちの心、それぞれの戦いをお互いに口癖で確認する。
 そして口癖は移るよね。それは心が通ってるってことでもないのかな?
 違うかな。思い違いかな?やっぱり怖いよ。でも前に進まなきゃ始まらない。俺も僕も殻の中のままになっちゃう。
 疑問形の多い口癖、当たり障りのないことしか言わないようにしようとする口癖はまだなかなか直りそうにないけれど、一歩ずつ歩みよる。歩みよろう。
 少しは嫌な顔をして、面倒くさそうな顔をして、あきれた顔をするかもしれないどさ、君たちはやっぱり耳を傾けてくれるんだ。僕の言葉に。
 
 ほらね。今もでしょ?
 
 だからさ、ありがとう!
 


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