目覚まし時計の音を最後に聞いたのはいつだろうか。
最近は目覚まし時計をかけてから寝ることはなくなった。
好きな時に起きて、好きな時に寝る。
好きな時に飯を食い、好きな時に本を読む。
でも満たされることはない。
他にすることがないだけだ。
もう当分職場には行ってない。
最近は上司からの電話も来なくなった。
通帳には引き出しの履歴だけが積み重なっていく。
父親と喧嘩して半勘当状態だ。
預金残高はとうとう4桁に突入した。
「どうすっかなぁ」
煙草をふかしながら部屋でぽつりと呟く。
来週光熱費が引き落とされるまで時間がない。
\ピンポーン/
ネットサーフィンしながらうつらうつらしているとインターホンが鳴った。
どうせAmazonで注文したオナホか何かだろう。
友人が来ることはまずあり得ない。
外を覗くと案の定佐川の兄さんだ。
ドアを開け、印鑑を押してダンボールを受け取る。
手にずっしりとした重量感が伝わる。
そういえば最近まともに体を動かしていない。
ダンボールの側面には「鹿児島県産 さつまいも」と書いてある。
脳裏にふっと高校までの18年間過ごした実家の情景が浮かび上がる。
差出人は見紛うことなく自分の母親だ。
実家とは縁が切れたものだと思っていた。
実際、もう1年以上連絡は取ってないし、荷物が届くのも大学時代以来だから3年近くは経っている。
とりあえず佐川の兄さんに会釈し、吸いかけの煙草を灰皿に押し付けてダンボールに向き合う。
剥がしにくいガムテープを出来るだけ綺麗に剥がした。
軽く深呼吸をして、覚悟を決めてから俺はダンボールを開いた。
中は思ったより整っていた。
やはり重量感を感じたのは運動不足なのだろうか。
しかし、よく見ると重量感の原因の一つであろうものはすぐ分かった。
一番上にある高校の卒業アルバムだ。
まだまだ下には何か入っているようだが、とりあえずそれを取り出して開く。
まずは誰もがするのと同じように自分の写真を探す。
確か3-Bだ。
懐かしいクラスメイトの顔写真の中に自分のそれもあった。
緊張して目つきが悪くなっている昔の自分と目が合う。
思い出が心の中に濁流のように流れ込んでくる。
しばし感傷に浸り、今度は3-Aのページを開く。
目的の人物は50音順の最後だからすぐ見つかる。
いわゆる元カノ、人生初の彼女だ。
もう10年近くも前の出来事になってしまった。
冴えない中学時代の後も、大して高校デビューをすることもなく人並みの高校生活を送っていた。
何の劇的なこともない、俺はたまたま仲良くなったクラスメイトの美春という女の子を徐々に好きになっていった。
布団の中で悶々と彼女のことを考え、夢の中では彼女との妄想デートを繰り返していた。
その時は、それだけが自分の生きてる目的にさえ思えた。
ある日、友人に背中を押されて彼女にその思いを告げた。
答えはイエス。
俺は跳ねて喜び、大人しい彼女は顔を紅くしていた。
俺達は周りに囃し立てながらも関係を深めていった。
学校の帰り道でキスもした。
受け売りの知識しかなかったが、情動に身を任せて体も重ねた。
しかし、付き合ってから1年くらい経ったある日、彼女は別れようと告げた。
今度は布団の中で泣きじゃくる日々だった。
その頃は辛さに到底耐えられないと思っていたが、所詮はよくある恋と失恋。
ただ、それだけだ。
しばらくぎこちなく笑う美春の写真を見つめてからアルバムを閉じる。
日常生活で思い出すことがなく、失ったような気がしていた思い出もまだ心の奥底にはある。
そんな気がして少し嬉しかった。
ダンボールに目をやると、今度は中学の卒業アルバムが入っている。
母さんは何がしたいんだろうか。
とりあえずこれも開き、中3の自分を探す。
髪の毛が目にかかり、面倒くさそうな顔をした自分はすぐ見つかった。
昔はこれがカッコいいと思っていたのだから苦笑するしかない。
パラパラとアルバムをめくると、最後のページに寄せ書きがあった。
懐かしい友人たちのメッセージが並んでいる。
友達は多くはないが、少なくはなかったはずだ。
寄せ書きを一つ一つ読んでいると、端の方に小さく
「親友よ、永久に」
と書かれたこっぱずかしいメッセージを見つけた。
間違いなく香月の字だ。
親友とは最も親しい友人のことだ。
絵が好きだった俺は、美術部という正直パッとしない部活に所属していた。
同級生の男子は俺と香月だけだった。
当然の流れで、俺と香月は仲良くなった。
放課後はずっとこいつと一緒にいた。
人生について語り合うこともあった。
俺は大学行って何となくサラリーマンになると思っていたが香月は違った。
あいつは美大に行って、絵描きになると宣言していた。
夢物語だ、という冷めた思いと共に尊敬もしていた。
俺と香月は、違う高校に進んだ。
最初こそよく会っていたが、俺に彼女が出来ると距離は離れていった。
しばらくして、あいつが美大に進んだとは聞いたが、絵描きになったかは知らない。
正直、俺は香月が絵描きになってないような気がする。
美術館の学芸員くらいにはなっているかもしれない。
卒業アルバムに奴の電話番号がメモしてあったが、掛けようとまでは思えなかった。
俺は、中学の卒業アルバムを閉じて高校のアルバムの上に重ねる。
ダンボールには予想通り、小学校の卒業アルバムが入っている。
いつもなら電気を消して眠りたい気分だが、気になるのでアルバムを開く。
6年生の時のクラスが思い出せないので、1組からしらみつぶしにめくろうとした。
だが、1組ですぐに見つかった。俺だ。
さっきまでの2枚の写真とは違って満面の笑みで、しかもピースすらしている。
こんな時代もあったんだなぁと感慨に耽りながらページをめくる。
様々な行事ごとの写真が載っている。
水泳大会のページをじっくり見入ってしまったのは悲しい性だ。
水泳大会の次のページは運動会の写真が並んでいた。
この頃は運動が嫌いじゃなかったし、負けず嫌いで常に1番を取りたがっていた。
運動会の写真の中に、先生と並んでピースしている自分の写真があった。
確か、6年の担任だった大山先生だ。
運動会と言えばほとんどの小学生が遠足と同じくらい楽しみにしているイベントだ。
俺もその一人で、運動会の前の日はドキドキで眠れなかった。
小6、小学生最後の運動会、俺は絶対かけっこで1位になりたかった。
去年もその前も2位だった。
当日、俺は入念に準備運動をして自分の順番を待った。
レーンは1番。
運も良かった。
とうとう順番が回ってくる。
ピストルの音が鳴り響いて走り出した。
一心不乱に走るが、視界には誰の背中も映らない。
そのまま俺はゴールして、見事1位になった。
観客席の大山先生に向けてガッツポーズをすると、先生は俺の元まで走ってきて
「おめでとう!これがお前の力で勝ち取った勝利だ!」と言いながら俺を強く抱きしめた。
俺もそれが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
この写真はその直後の1枚だ。
今思えばたかが運動会だ。
しかし、この勝ち負けに本気になってこれだけ一喜一憂したのだ。
就活に失敗した時ですら、溜息一つついただけだ。
今もとりあえず一つ溜息をついて、アルバムを置く。
とうとうダンボールの底が見えそうだ。
最後は何かと思ったら、俺の0才〜6才までの成長期アルバムだった。
「母さん、こんなもん作ってたんだ……」と独り言を呟きながら開く。
出産直後から保育園卒園まで様々な写真がある。
ここまでくると記憶もほとんど残っていない。
ただ、自然と涙が零れる。
父さんが俺を風呂に入れている。
母さんが俺と実家で遊んでいる。
父さんが俺の頬にキスをしている。
母さんが俺にご飯を食べさせている。
父さんが俺とキャッチボールをしている。
母さんが俺とジェットコースターに乗っている。
写真の一枚一枚がのしかかってくる。
俺はどこで間違ってしまったのだろうか。
父母に愛情を捧げられ、平凡な生活を送ってきたはずだ。
そして、今親がこうして俺を励まそうとアルバムを送ってきた。
申し訳ない、その感情が溢れてくる。
俺は泣きじゃくった。
布団の中で泣きじゃくった。
そして、いつの間にか眠りについていた。
だが、またピンポーンという音に起こされた。
時計を見るとあれからまだ数時間しか経っていない。
まさか母さんが、と思ったが佐川の兄さんだった。
俺はドアを開けて手際よく荷物を受け取る。
今度は軽くて小さい荷物だ。
側面にはAmazonと書いてある。
中を開くと、先日注文したオナホールが入っている。
俺は何だか馬鹿らしくなって、一人部屋で笑った。
とりあえず封を開け、それを使った。
水泳大会の写真でも見ようかと思ったが流石にやめた。
普通に動かしただけだが、あまりの気持ちよさにすぐさま絶頂を迎えてしまった。
スッキリした俺を睡魔が襲ってきた。
そういえば泣き疲れたのにあまり眠れてない。
ただ、少し眠って落ち着き、オナホを使ったら割とどうでも良くなった気がする。
一時の感傷に浸って泣いていただけなのかもしれない。
とりあえず寝よう、そうしよう。
俺は6時間後にアラームを仕掛けて眠りについた。
トップに戻る