第 4 位 段ボール井上 / ネオ換気扇 2点 (KOREHAHIDOI獲得数: 2)
【コメント】
ボンバー最近元気ないね - Mr.SPERMA
ブラウザバック!!
そうすれば全てなかったことになるってフレーズいい。 - らいむ
初見では本当にブラウザバックして最後の文章を読み損ねたよ - xnu!7
第 3 位 Wake Up / 淫卵 13点 (ACE獲得数: 1)
【コメント】
どうしちゃったの!?いい話じゃん!! - Mr.SPERMA
独り暮らしも三年目になると、ときどき皆で過ごした日々を懐かしむことがあります。何者にもなれた、可能性に溢れた過去の自分は首を絞めたくなる。
ダンボールに詰まった過去と現実との差の見せ方が良かった。結局また寝るんだけど最終的にちゃんと起きる決意をする所もいい - xnu!7
感傷に浸るときにいつも私は何らかのエネルギーを得ます。大概は一瞬で爆発して無くなってしまうような残念なエネルギーばかりです。でもその燃えかすを次の爆発まで少しずつ燃料にして毎日を生きてる気がします。ところでAmazonはヤマトでは?どうでもいいけど。佐川に運ばれたら箱ぶっ壊されて大惨事になりそう(笑) - らいむ
【あとがき】
読み返してみたら何が書きたかったのかよく分かりません。
ただ、この主人公は結局、この件をきっかけに大きく変わることはないんだろうと思います。
6時間後目を覚ましたら何もなかったかの様にネットサーフィンをしてしこってます多分。
これのラストを書いた時の自分は疲れてました。
まぁ群馬から帰ってきてたので肉体的にも疲れてましたが、何かいろいろ上手くいかなくて疲れてました。
それで、過去の自分と今の繋がりを感じて主人公が変わっていくストーリーの後半を削ってこんな形にしました。
メンヘラですね分かります。
それはさておき、久々にシモ要素が少ないものを書いてやっぱり自分には合わないと思ったのでこれからはシモ多めで行きます多分。
【大抵定価よりクソ安いよね】らいむ
今回原稿落ちしたので反省がてらコメンタリー書きます。この物理の授業があと10分しかないので急いで書きます。あっ、らいむです。どうも。作者は予想済みですが外したら恥ずかしいので触れません。この作品を選んだのは書きやすそうだからです。どの四作品も素晴らしかったと思います。
さてさて読んでまず思ったのは細かい挙動一つ一つの描写がとても丁寧。そしてそれが無駄ではなくポイントポイントでいい味を出してる。ところどころにユーモアも織り込まれるようになっててメインのストーリーに加えて緻密なリアリティが生まれてます。
「剥がしにくいガムテープを出来るだけ綺麗に剥がした。」 このリアリティは凄まじい(笑)
内容に入りましょうか。ダンボールというテーマはやはり宅配と連想されるようです。その宅配の使い方は人それぞれなようですが。
ダンボールそのものではなく…あっ授業終わったんで終わります。
う・そです。いや授業は終わっても最後までちゃんと書きますよ、さすがに。
えーっとなんでしたっけ。ああそう。ダンボールそのものではなくダンボールという機能にこの作品は焦点を当ててますね。箱としての機能。作中にも述べられてましたが何が入っているのか分からなくても箱を開けるとき人はワクワクしてしまうものですよね?たとえそれがパンドラの箱だとしても。
この作品では一つ目の箱に入っていたのはなんと本人は絶縁状態だと思っていた母親からの宅配便でした。ここでわざわざ「差出人は見紛うことなく自分の母親だ。 実家とは縁が切れたものだと思っていた。 」と短文で印象に残るように二行使って書いています。縁切れだと思っているのは主人公だけだったのかどうか。結局主人公以外の人物の思いがこの作品中で語られることはありません。冒頭には父と半勘当状態とありますが、半なんですよねえ。喧嘩の程度も不明ですがぼかされています。
そして気になる箱の中身は…アルバムでした。主人公の高校生→中学生→小学生→幼少期と四種のアルバムが入っていました。主人公はアルバムとともに過去に、感傷に浸っていきます。彼女、親友、そして家族。もちろん結末からして主軸は家族でしょうが、比較材料としての彼女、親友が挙げられていて、読むだけで自ずとクライマックスへの感動を盛り立てられていくようになっているのは作者の技量のなす技でしょう。彼女とは約一年、親友ともそこまで長い付き合いとはならずに終わっていたようです。また、アルバムに残された香月の「親友よ、永久に」 が永久とならなかった友情の哀愁を漂わせています。小学生の思い出は運動会(と水泳)が中心。まだ純粋に熱血だった小学生時代に主人公は思いをはせました。たかが運動会の一勝に一喜一憂した自分と、就活に失敗して溜息一つだけの自分、その変貌ぶりに主人公はまたひとつ溜息をつきます。たった一息だけの溜息。それだけなんですよねえ。
冷めた今から少しづつ熱いころの自分へと回想していく中でも、主人公は冷めた心を呟きます。
「所詮はよくある恋と失恋。 ただ、それだけだ。」逆に「日常生活で思い出すことがなく、失ったような気がしていた思い出もまだ心の奥底にはある。 」とプラス思考がたまに見えないこともありません。とにかくいえるのはアルバムによって主人公の心が揺さぶられているように見えるということ。
そして最後は幼少期のアルバム。愛に満ちていた父母の姿とそれを一身に受ける自分の姿。彼がそこに抱いた感情は感謝ではなく謝罪。ひとしきり泣いて彼は眠りに落ちました。
彼女や親友との付き合いは短く終わっていても父母との関係は一生終わらないということを言いたいのでしょうか?どうなんでしょう。考えてみたいです。
次に目が覚めるとき、届いたのはAmazonからの宅配便でした。中身はオナホ。彼は小学生の水泳写真で全く小学生は最高だぜ!……とはさすがにならなかったようですね。彼はすっきりすると共に感傷からも抜け出しました。「一時の感傷に浸って泣いていただけなのかもしれない。 」このセリフ。感傷ってさめると何とも言えない不思議な感じになりますよね。ただ、ここで一つ注目しておきたいのは、彼のある心中描写。
「まさか母さんが、と思ったが佐川の兄さんだった。 」
母さんが来たわけじゃなかったんですよ。
そうして、プラスマイナスに揺さぶりをかけられて主人公が最後に取った行動は「とりあえず寝よう、そうしよう。」
さあこの作品。どう解釈すべきか。その答えは読む人の中にあるんでしょうねと思います。これを愛だの何だので感動したと終わらせていい作品かどうか。ここからは完全に私個人の解釈となります。
注目点は三つ。
一つ目。タイトル。言葉遊びが好きな私はここまでタイトルに触れなかった理由は一つ。ここで今皆さんにも考えてほしいからです。
タイトルはWake Upなのに最後に彼が取った行動は「寝る」です。目覚ましこそセットしてますが、眠りについて終わるんですよ。真逆のタイトルです。久しく目覚まし時計の音を聞いていなかった彼が目を覚ます覚悟を決めたかもしれない。けど、とりあえず今は寝る。この絶妙なWake Upにはどういうメッセージが込められているのでしょう。
二つ目。アルバム。このアルバムはどういう意図で送られてきたものなのでしょうか。結局母の真意は語られないまま終わっています。息子の良心に訴えかけるために送ってきたのでしょうか。もう一つの可能性としては、たとえば、実家で父母が息子の物を撤去するときにさすがにアルバムだけは捨てられなかったから処分代わりに送りつけてきたとか。アルバムは古い順にしまわれます。それを取り出して送るときに上から入れていけば一番上が幼少期となるんですよね。重いアルバムを四冊まとめてダンボールに移し替える、あるいは本当にメッセージの意味も込めて箱に詰めなければあの順番にはならないような気がします。でももし仲直りや改心を息子に望むならもう少し手紙やらなんやらを入れる気もします。逆に入れないのはそれはそれでリアリティがあるのも事実です。
三つ目。ダンボール。このテーマを作者はどう使い切ったのか。何が入ってるかわからない箱は何を主人公にもたらしたのか。主人公は本当に感傷に浸ったのか、浸ったような気がして実際は何も感じていなかったのか。
時のつながりを象徴するかのようなアルバムと一瞬の快楽の象徴のオナホ。ある意味恐ろしい対比です。そこから作者は我々に何を届けてくれるのか。
私がこの作品に対して感じたことは、分からない、です。ある意味鉄板の展開でありながら、核心になるところがあえてぼかされている。そんな印象を受けました。主人公と小さな部屋というこじんまりとした空間にたばこの煙のようなモヤがくすぶっていてぼかされている。その中に時折ダンボールが新しい風を携えて入ってくる。それもすぐに煙に巻かれていく。退廃的空気に哀愁と一筋の過去の煌めき。それは主人公と主人公が狭い部屋の中で吸う煙草の煙と火のよう。
主人公はこの後「目覚める」のか、はたまた光熱費を払うためだけにちょっと働くだけなのか。もしかしたら目覚めないのか。
母親はどういう意図でアルバムを送ってきたのか。そもそも何も考えていなかったのか。
感傷が人に与える影響とは何なのか。感傷とはそもそもなぜ起こるのか。
感情が人にもたらすエネルギーは人それぞれに計り知れません。
(小学生は性の対象になりうるのか。オナホとは何なのか。
とにかく共感を通して痛烈に読者に何かを訴えかけてくるこの作品。だけど何を考えるかはお前次第だよと突き放してくるストーリーのあいまいさと、それに対照的な描写の繊細さとリアリティ。
この作品というダンボールの中から何を見つけるかどうかはあなた次第です。Wake Up!
ご一読ありがとうございました。作者様、すばらしい作品をありがとうございました。私は次の授業に戻ります。あ、もう始まってるやんけ……。
【発表後コメント】
らいむ君の言う通り、結末は読者に投げました。僕なりの答えはあとがき通りですが。こんな緻密なコメンタリー感謝です。 - 淫卵
ちょっと前まで、Amazonは佐川じゃなかったかい?1年前くらいからじわじわヤマトにすげかわってきたけど。わたしのところだけかしら - Mr.SPERMA
第 2 位 段ボールハート / xnu!7 13点 (ACE獲得数: 2)
【コメント】
希望だね
こういう文章ってなかなか書くのが難しい。簡素過ぎない程度に簡素に。うまい。
段ボール使って外で寝たことあるけど意外と暖かいんだよねアレ。なかなか丈夫でひとを守ってくれる段ボール。
ダンボールをそう使ったかと衝撃。ダンボールと宅配を絡めた綺麗な展開もさすがで素晴らしいです。 - らいむ
【あとがき】
やっと新歓終わりました。こんにちはxnu!7です。読んでくれてありがとう。
今回はわりかし難産だった気がします。アイデアはあるにはあったんだけれども、それがまとまらないうちに書き始めたので結局展開が思いつかなくて、最後の最後まで試行錯誤。当初はどんどん時間が過ぎていって主人公が結婚して家庭を築いて子供が巣立っておばあちゃんになって終わるみたいな流れだったはずなんですが時間的に無理でした。
というよりも最近小説の書き方を忘れてしまった感があります。オチの付け方とか話の展開のやり方ってどうするんだっけ、どんな表現がいいんだっけ、とかずっと悩んでました。締め切り直前にうんうん唸ってた時、「あ、大事な事を忘れてた。ダンボールは水に弱いんだ。」って表現がふと頭に浮かんで、そこからはトントン拍子に展開思いついて提出。今回の作品で少しだけ勘を取り戻せた気がします。「あ、自分はこんな作品書いてたな」みたいな。
pinkieのインタビューやクニアキ・らいむとの会話でだいぶモチベーションを取り戻せたので、次こそは旧シリコン初期のような熱い作品が書きたい。ということでちょくちょくなんか作っていこう。小説でも絵でも作曲でもなんでもアウトプットしつづけなきゃ頭が腐るからね。
ではこのへんで終わります。次のテーマは分かりませんが、次回もよろしくお願いします。
【解釈】Mr.SPERMA
のっけから我がごとで恐縮だが、私は過去3回のSILLY LETTERS CONTESTで『拠』という言葉を3度使っている。意図してやったわけではない。それぞれの作品の中で適切な言葉を選ぼうとした結果だ。
われながらいかにも若者くさい発想だと思う。自分が何者なのか、どういう人間なのか。それがわからなくて不安になる。何をあてにして生きていくのかを探る。言わば、『自分探し』だ。
そんな永遠のテーマが、この『段ボールハート』という作品にも込められている。
『愛美』の拠ははじめ、『お金』だった。金持ちの家に生まれ、金づるにされるという状況に嫌忌を覚えながらも、身を任せている。そうでないと、誰にもあてにされない、必要とされないとわかっている。それに、もう片脚をドブに突っ込んでしまっているのだ。
一度迎合してしまった以上、もう突っぱねることはできない。突っぱねれば、失望されるのは目に見えている。理不尽な怒りを向けられ、イジメの矛先になるかもしれない。
誰からも相手にされないばかりか、失望され孤立することを選ぶ勇気は愛美にはなかった。
だから、『私は空っぽなダンボールなのだ』と、自分に言い聞かせる。そうすることで、心に壁を作ったのだ。まるで自分には心などないと言い張るかのように、包み隠してしまった。
それでも、ダンボールそのものを頼るホームレスたちを目の当たりにすると嬉しい気持ちになるのは、奥底にある認められたいという気持ちが消えないからだ。
そんなある日、カラオケの約束の矢先、雨にずぶ濡れにされ、途方に暮れる愛美。
『ダンボールは水に弱いんだ』と彼女は言う。降り注ぐ雨が、流れる涙が、自分への言い訳を、心を押し隠していた壁を、すっかり溶かしてしまったのかもしれない。外面がふやけて、自分の立場を守るために必死で我慢していた気持ちが沁み出してくる。
目をそらしていた、自分自身を見てほしいという本心が。
彼女はお金を投げ捨てて、身一つで歩き出す。この先で、自分は何かを失うだろう。それでも、一歩踏み出した。変わることを決意した。
本当に守るべき拠は、心をさらけ出す勇気だったのだと悟ったから。
というのが、私の解釈。まあ、自分を大事にしろよってことだね。ダンボールとはなにか?というところを突き詰めていく姿勢がいつもながら面白い。ただ、その本質に迫るというのが魅力なだけに、個人的にはシメに『宅配する』という言葉を持ってきたのは狙い過ぎかなと感じた。うまいこと繋げようとしたのはわかるけど、ちょっと突飛に感じた。『届ける』くらいがちょうど良かったと思うけど。
【発表後コメント】
当初は段ボールを心の壁に例えた作品だったからその辺もう少し描写したかったな - xnu!7
第 1 位 フムフムヌクヌクアプアア / Mr.SPERMA 15点 (ACE獲得数: 3)
【コメント】
フムフムヌクヌクアプアプじゃないんだよね
生きてるような顔をして溜め込んだ嘘に潰されそうでなかなかもっと幸せにはなれなさそうです。苦しいけどこれで生きてるんですね。 - らいむ
時の流れの表現が独特で好きだ。最後の「なれねえだろ生きてるんだよ」はもっと好きだ - xnu!7
生きてるんですよね。生きていたいし。生きてかにゃならんのですよね。
【あとがき】
SPERMAです。
果たしてダンボールがテーマなのかこれは?はなはだ怪しい。これでは何がテーマでも同じようなものになりそうだね。
ちょっと最近シュリスペイロフというバンドにドハマりしてまして。どれくらいかというと廃盤になったアルバムを求めて鈴鹿まで旅立つほどです、いやほんとにいいバンドだよ。
音楽として普通に素晴らしいし、歌詞の世界もすごく深遠で心地がいいんだよなァ。まあ、例のごとく惚れ込んでどっぷり浸かってしまった。
そのあこがれの波をモロにうけての本作。意識的に雰囲気を変えてきたな、と皆さん思ったでしょうが、そういう舞台裏があったのです。
素直で、浮遊感が出るような言葉選びを心がけたつもりですが…いややっぱり天才だわ、宮本さん。無理でした。結局、半分くらいはいつものあたしになってしまった。
毎回こういうのやってきていよいよあふれるネタ切れ感がたまらなくなってきたが、まあ今後もがぁんばりま?す。
2014年5月2日脱稿
【タスキモンガラの考察】xnu!7
こんにちはxnu!7です。それではやっていきますか「フムフムヌクヌクアプアア」の解説。これは十中八九クニアキ氏の作品であろうと思うのでそのつもりで行きます。
まずタイトルの「フムフムヌクヌクアプアア」というのは「タスキモンガラ」という魚の別称みたいです。この魚、ハワイの州魚で、Wikipediaによると「ハワイの神話『クムリポ』に登場するオアフ島の半神カマプアアはフムフムヌクヌクアプアアに変身することができるとされている。火山の神ペレとの戦争に敗れたカマプアアはこの魚に変身して熔岩流で煮え滾る川を逃走した」とのこと。要するに戦いに負けて逃げた奴ですね。そう考えるとこの作品の見方も少し変わってくるかもしれません。変わらないかもしれません。
では作品考察に入りましょう。まず印象的なのが最初の三文。
??うず高く積まれた段ボールの山
??干し忘れて濡れたままの洗濯物
??記憶だけが漫然と増え続ける脳ミソ
これら三つは時間の経過と共に、そして自分が何もしない場合にのみ溜まっていくものの例えです。この例え方が独特でいいですよね。身近なものからチョイスしていて、この文を見ただけで何の事を言っているのかすぐに分かる。
こうやって色々な物が溜まっていく中で、唯一消えていくものがあります。
??時だけが澱みなく消えてゆくよ
そうです。時間ですね。時の消え方に「澱みなく」という表現を使うそのセンスに脱帽です。
??気づかぬうちに伸びきった髪を切る
??次に切るまでに僕は何をするだろう?
これまでの表現から考えると、この「切った髪」というのも捨てないで自分の周りに溜まり続けていると思います。本人が捨てた気になっていたのだとしても。その証拠に、次の二文がこれ。
??捨ててゆく 捨てた気になってゆく
??吐き出した言葉はなくなりはしないのにな
切った髪も、吐き出した言葉も、これまた溜まり続ける物の例えです。恐らくこれらがこの詩の軸となるテーマなんでしょう。ただこの軸というのも、本当のテーマの比喩であるのかもしれません。というのも次の四文が最初の四文と比べて異色だからです。
??期待に応えるつもりはもはやない
??つまらないことを誇るのにも飽きた
??面白みってなんだよ
??僕は何にもなりたくないんだ
最初の四文は不思議な世界観を感じさせる比喩のようなものでしたが、この四文はおそらく主人公の現実を表現しているのでしょう。となると真ん中の四文はその橋渡しをしている訳です。この四文が比喩から現実への流れを違和感なくスムーズにしているのです。ここの解説は後でまとめてしましょう。便宜上ここまでを一番とします。
??七月でめくるのをやめたカレンダー
??切れたまま取り替えそびれてる電球
??知らぬ間に間に遠ざかっていく人たち
??易きに流れるのは楽だな
ここでまた比喩の世界に戻ります。曲にして考えると二番の冒頭といった感じですね。何もしない、という無気力感を「易きに流れるのは楽だな」と最後だけ現実世界のセリフを入れてるのが一番との違いをつけてていいですね。
??気づかぬうちに伸びきった髪を切る
??そこにあった時間で僕に何ができたろう?
??潰してゆく 生きているような顔をして
??溜め込んだ嘘に 今度は僕が潰されるのだ
そしてまた髪は伸びました。二番の最初の四文が「溜まっていく物」を表現しているので、「そこにあった時間で僕に何ができたろう?」という言葉通り何もできなかった、何もしなかったのが分かります。「潰していく」というのはきっと時間のことでしょう。そしてその溜まった時間に今度は自分が潰される。「時間潰し」を実際の「潰す」とかける表現が「アヒルと鴨のコインロッカー」にあったような。それはともかく、ここで「生きているような」と言っているのが考えさせられる所。最後まで読んだ人なら分かるように、この人は実際に生きている。それなのに「生きているような」を使っているということは、自分の生を感じていない、死んだような生活を送っているってことでしょう。
??誰かに好かれるつもりはもはやない
??置いてけぼりでひとり眠るのにも馴れた
??価値ってなんだよ
??僕はどこにも属したくないんだ
??自分を是とするつもりはもはやない
??心の拠を探すのもやめた
??人間味ってなんだよ
??人間なんかになった覚えはねえぞ
この八文は同じような韻を踏んでるのでサビが二回来る感じですね。これと一番の最後の四文を併せて現実を表現しています。それぞれ、
一文目は、「周りからの評価を高めるつもりはもはやない」
二文目は、「周りに干渉するのはやめた」
三分目は、「周りが求めるモノなんて知らねえ」
四文目は、「周りとの関係を断っていたいんだ」
というところでしょうか。ここいでいう「周り」というのは「自分以外の全ての人間」と捉えるとよりいいかもしれません。深読みするなら「自分以外の全ての人間の価値観、要するに一般的な考え方」かな。
ここまでをまとめると、
・何もしないからいろんな物が溜まっていく(比喩章)
・捨てたつもりになってたものに潰され、死んだような生活を送っている(橋渡し章)
・周りとの関係を断っていたい(現実章)
という所ですか。これを考慮に入れて最後の章を見てみます。
??うず高く積まれた段ボールの山
??干し忘れて濡れてる洗濯物のように
??すべてに無造作であれたならば
??心を置き去りにできたならば
??僕はもっと幸せになれるのかな
??なれねえだろ
??生きてるんだよ
これ熱いですよね。最初の二文でこれも繰り返しかと思っていたところに「ように」ですからね。自分がこれに曲つけるならこの「ように」で一気に盛り上げて次の三文をラストサビにしますね。
それはいいとして、この章でさっきのまとめがまとめられてますね。ここにくると今まで現実について表現していたと思われた章もある種の比喩でないかと思ってしまいます。
放ったらかしにして溜まっていくモノ達のように無造作であれたなら、自分の心すら放ったらかしに出来たなら、果たして幸せになれるのか。その答えは橋渡し章にあります。現にそうやって自分は今どうなっているのか。潰されて死んだようになっている。
それはなぜか?
生きているから。
生きていく上でやらなければならないことをやっていないから。
……という感じの詩かもなあ、という解説でした。クニアキ氏の詩は回を追うごとに洗練されて言ってるので、ぜひ次回も彼の詩を見てみたいものです。
【発表後コメント】
ありがたいけど複雑!!でもエースいっぱいでうれしい - Mr.SPERMA
コメンタリーおもしろい。自分のなかで明文化されていなかったものが説明されて気づきがあることもあれば、思いもよらぬ解釈が飛び出してくることもある。 - Mr.SPERMA
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