「ただいまー」
一歩足を踏み入れた実家は何も変わっていなかった。
いや、靴の匂いを掻き消すために玄関を包む芳香剤の種類は嗅いだことのないものだった。
それでも、変わっていないと感じたのはそこが実家で、そこに両親がいるからだろう。
自分にとっての両親の思い出は高校を卒業するまでの18年間、共に過ごしていた所までで止まっている。
立て付けの悪い戸を開ける音と俺の声を聞き、家の奥から母親が出てきた。
その母親の姿を認め、俺の隣にいる女性は頭を下げる。
「さぁさぁ入って、お父さんもお待ちですよ。」
母親は初めて会う目の前の女性を値踏みす素振りも見せず、家の中へと誘導する。
そんな気はしていたが俺は一応安堵してそのまま母親に着いていき、居間に入った。
「よぉ父さん、久しぶり。」
緊張を誤魔化す様に他愛のない挨拶を父に投げかけ、テーブルを挟んで父に対する位置に腰かけた。
続いて母は父の隣に、一番最後に居間に入ってきた彼女は俺の横に座った。
まぁそりゃそうだろうな、と思いながら俺は単刀直入に切り出した。
「父さん、母さん、彼女が俺の今の彼女で、そして婚約者の—」

顔合わせは思っていたよりあっさりしたものだった。
母は少し涙ぐみ、父は彼女の自己紹介を聞きながらうんうんと頷き
「うむ」
とだけ言った。
父は口数は少ないが、決して威圧感を与えるような人ではなく、むしろ落ち着いた雰囲気を纏っている。
それから母が夕食を準備し、4人で昔のこと、今のこと、色々話しながら一家団欒のようなことをした。
結婚の許可が貰えない、とは思っていなかったが少し呆気ないようにも感じた。
父は風呂に入り、女性2人は何やら楽しげに話しているようなので、俺は携帯だけ持って自分が暮らしていた部屋に向かった。
母が掃除してくれたのであろう、部屋は俺が上京した時より少しだけ綺麗になっていた。
結婚を機にこの部屋の物も整理しようと思っていた。
俺は机の引き出しを開けた。
筆記用具、おそらく使えない乾電池、大した賞でもない賞状……色々なものが雑多に入っている。
その中に一つの小さい紙切れのようなものがある。
少し色褪せているがプリクラだ。
仲が良かったグループ6人で撮ったものだ。
人数が多いせいで、俺は顔の半分くらいが枠からはみ出ている。
確か高2の時だ。いや、間違いない、こいつと写っているから高2の時だ。

———

彼女と初めて会ったのは高2の時、そして最後に会ったのも高2の時だ。
俺はあの時、決して友達が多い方ではなく、かと言って「輪」からはみ出したくないよくいる高校生だった。
高2になってクラスが変わった時、割と仲が良かった友達が軒並み違うクラスになってしまい、仕方なく去年も同じクラスだった、かと言って親しくもない女子に声をかけた。
何と話しかけたは思い出せない、というか恐らく声をかけた翌日には覚えていない程度の内容だったはずだ。
彼女も別に俺を拒絶することはなく、何となく最初のころは彼女とよく話していた。
しかし、1ヶ月も経つと次第に友達は出来ていくもので、俺にも彼女にも友達が出来た。
そして、誰かが仕組んだ訳でもなく俺と彼女を含んだ6人のグループが自然と出来上がった。
男3人と女3人、思い返せば全員クラスで目立つ訳でもない普通の奴だ。
俺はそこに居場所を見つけ、昼休みも放課後も彼らと過ごした。
そして、俺は恋をした。
恋をしたなどとカッコつけたが、実際は何となく近くにいた女を好きになっただけだ。
相手はそのグループの中でも一番大人しい子、岡山瑞穂だった。
彼女のどこが好きだったかも思い出せないが、とにかく彼女を自分のモノにしたいと考えていた。
まぁ何とかなる、と思ってクリスマスの少し前ぐらいに告白した。
答えはNOだった。
次の日、学校に行きたくなかったが、親に失恋したから休むと言うことも出来ず、学校にゆっくり向かった。
しかし、瑞穂さんも他のグループの4人もいつもと同じ様に俺に接した。
その後も俺と瑞穂さんの関係は変わらず、特にグループが壊れることもなかった。
それに味を占めた俺は、2年生の授業最終日、俺はもう一度瑞穂さんに告白した。
その時瑞穂さんに言われた言葉が忘れられない。
「あなたのことだけを考えるほど私は暇じゃない」

———

3年生になり、その6人グループはクラスも別れ、将来進みたい道も違ったため、疎遠になっていった。
ましてや瑞穂さんとは一度も喋っていない。
「『あなたのことだけを考えるほど私は暇じゃない』……か」
手に持っていたプリクラを引き出しの中に戻し、窓を開けて煙草を取り出した。
当時、その言葉を幾度も反芻した。
ただの拒絶、それ以外の意味は確かにない。
彼女は俺のことを見ていなかった。
後から知った話だが、彼女はそのグループの中の他の男と付き合っていたらしい。
もっとも、3年生になってすぐ別れたらしいが。
彼女からすれば、当時の彼女からすればクラスメイトDくらいだったのだろう。
それが「あなたのことだけを考えるほど私は暇じゃない」ということだ。
俺にしてみれば、エンドロールで俺の次に名前が来る主演女優「岡山瑞穂」であった。
「ま、そんなもんだよな」
まだ半分も吸っていない煙草をポケット灰皿へ押し込み、空を見上げた。
今は昔とは違う。
俺の人生のエンドロールの2番目に来る名前は「妻:和泉つばめ」だ。
そして、俺の妻の人生のエンドロールの2番目に来る名前は「夫:和泉優人」だ。
勿論離婚しなければ、だが。
そうだ、良いことを思いついた。
結婚式に瑞穂さんを呼ぼう。
主演「和泉優人、和泉つばめ」の結婚式に出席者T「岡山瑞穂」を加えてやろう。
俺のことを一生考えてくれるほど暇な女がいることを見せてやろう。
「何してるの?」
窓の外を見ながらニヤニヤしてると、つばめが荷物を持って部屋に入ってきた。
「ただ、昔のことを思い出してただけだよ。」
「ふーん、そっか。実家だもんね。色々思い出すこともあるよね。」
「そうそう。今日はつばめも緊張して疲れただろ?さっさと風呂入ってくるから寝る準備しといて。」
「うん、分かった。待ってるね。」
そう言ってつばめは寝る前の日課のパックを始めた。
俺は宣言通りさっさと風呂に入ったが、戻ってくるとつばめはもう寝ていた。
ちょっとイチャイチャしたかったが、やはり夫の両親への挨拶は気を遣って疲れるだろう。
できるだけ音を立てないように俺もつばめの横に布団を敷いて眠りに就いた。

翌日、朝ごはんを食べてすぐ二人が住むアパートに戻った。
その夜、つばめが寝た後こっそり瑞穂さん宛の結婚式の招待状を書き、翌日の仕事の合間に郵便局へ出しに行った。
恐らく、瑞穂さんは来ないだろう。
あんなやり取りがなかったとしても、俺らは高2以来疎遠なのだ。
あの時ですら俺のことを考える暇がないなら、今は尚更だろう。
ただ、俺は招待状を出して結婚したことを伝えることで「俺のことだけを考えてくれる人がいるんだ」ということを主張したかっただけだ。
よくよく考えてみれば幼稚なことだ。
だが、結婚という一大イベントの時くらい浮かれたことをしても許されるだろう。
そう自分に言い聞かせた。

それからは忙しかった。
結婚が近づいてくるにつれ、準備することは思いのほか多かった。
しかし、結婚式が近いからといって仕事が暇になるわけではない。
子供じみた自分の行動もいつしか忘れていた。
そして、とうとう結婚式当日を迎えた。
誓いのキスでは泣いてしまったが、予定通り式は進んでいった。
一通りケーキ入刀まで終わると、友人達が挨拶にやってきた。
口々に俺への祝福の言葉を述べたり、つばめの前で俺の学生時代の悪行をばらしたりしていった。
一通り、大学時代の友人が騒ぎ終わると、目の前に一人の女性が来た。
瑞穂さんだ。
「や、やぁ」
「……お久しぶり」
彼女は昔通り地味で、思い出ほど可愛くなかったがまぁタイプだった。
そんなことを考えていた。
「来てくれたんだね」
「……結婚式の招待状断るのは失礼だと思って……」
「そ、そっか……」
ぎごちない会話を聞いて、隣のつばめが声をかけてきた。
「優人、この方誰?」
「えっ?えっと……」
「優人さんに二度告白された岡山と申します。」
瑞穂さんがそう答えた。
つばめの顔が歪んだ。
そして
「優人、あとでお話しましょ」
と一瞬で笑顔を取り繕って俺にそう言ってきた。
瑞穂さんは笑って、俺にウインクしてきた。
俺は笑うしかなった。
ちょっと瑞穂さんを見返してやるつもりが、こうなるとは。
あぁ、やべぇ。
瑞穂さんは出席者Tから、花婿の元想い人Aに一気に上り詰めた。


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