このちっぽけな情熱がどこから来たのかをたどれば、あの古びた建物に行き着く。
人が行き交う駅前の商店街の路地裏には、きらびやかな店店とは対照的にアングラな気配を醸し出す建物があり、その中にその建物はあった。確か名前はノクターン。二階建てのおんぼろビルで、階段が異様に狭かったのを覚えている。その二階の物置のように狭い部屋で、10年前に劇の公演があった。
県内の売れないフリーの役者達5人が集まってやった一夜限りの公演。母親がそのうち一人の知り合いの知り合いということで観に行くことになって、ついでに自分も連れられて行った。観客は自分を含めて5人。劇の内容は「演劇」をテーマにした演劇で、メタでチープな短い劇だった。
印象深かったのはその劇の一シーン。役者の一人が目の前に立った。劇の演出に客を使うというよくある手法だ。ポケットから小さい紙袋を取り出して自分に手渡す。開けてみると黒い種がいくつか入ってた。
「君もいつかどこかで咲かせてくれないかな? この演劇の種を」
劇の結末は忘れてしまった。あれ以来役者の人達には会ってない。まだ活動しているかどうか知らない。家に帰って植えた種からタマネギが生えてきてなんだかがっかりしたものの、本当の意味での演劇の種は未だ自分の心奥深くに眠り続けている。
もしかしたらそれは今日にでも芽吹くかもしれない。花が咲くかどうかは別にして。
・・・
「演劇団員募集中」
そんな張り紙をしたのは一週間前のことだ。あんまり暇だったから面白い事をしたい。だからといって何をしようか思いつかない。だから劇をやろうなんて、その時オニオンシチューを食べていなければ思わなかっただろう。
「劇団苺蜻蛉。本番未定。興味のある人は12月7日夕方6時、中央通りソアシルビル3階東急明林堂書店のトイレ前集合」
そんな張り紙を刷って街中に貼り付けた。あとで知った話だが街中の掲示板にポスターを貼るときは市役所の許可がいるらしい。だから今日トイレの前に来るのは市役所のおっさんかもしれない。それだったらそれでいい。そのおっさんを団員に誘えばいいだけの話なのだから。
集合場所にあんまり深い意味はなかった。本屋なら5時まで時間をつぶせるし、トイレの前とかいう不可解な集合場所にすれば「まとも」な奴は除外できるかもしれない。その程度の理由。時刻は17時半。トイレの中に入っていく人はいるが、待つ人はいない。なぜだか自分は、結局誰も来ないかもしれないとは思わなかった。
・・・
これまで演劇に触れたことはあんまりない。たまにテレビでやってるドラマをちらっと見るくらいだ。
「あのドラマの役者、うちの出身高校の演劇部なんだって!」
という話を前の席の女子がしていた。ドラマは演劇に似ているかもしれないが、全然別物だ。ドラマは役者の生の声を聞けないし、直接見れない。だって同じ空間にいないから。そしてなにより、ドラマだったら演劇の種を手渡されることはなかっただろう。
いつかの劇は有名なドラマに比べれば面白くもないし、安っぽいものだろう。それでも自分が紙袋を手渡されたときの感触と、その時の役者の笑顔は、絶対ドラマでは得られない。
だから自分は、今書いている台本に種を観客に渡すシーンを入れる。よく言えばリスペクト、悪く言えばパクリだ。それでも自分が咲かせた演劇の花からまた種が出来、他の人へと渡っていくのなら、割と素敵な事ではないだろうか。
続く
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