とある変哲もない学校に、一人の少年がいた。少年と言っても高1である。
彼は基本的に放課後は暇だった。普通の学生なら、終礼が終わると、掃除がないなら我先にと部活へと走りだし、掃除があっても一目散に走りだすものである。少年は後者のような不届きなクラスメートを見ながら「元気だねぇ」と箒を動かすのが常であった。
その日、少年は終礼が終わると、大きく伸びをして次何をしようかと考えた。彼は暇人であるので、やることと言ったら本を読むかパソコンをするかであるが、彼の家にはどちらもないので、行き先は図書室か情報教室のどちらかになる。暫く考えていると、後ろの人が机で少年をつつきながら机の移動を強いてきたので、彼は急いで机を持つ。この学校では教室掃除の際は机を教室の前に詰めてからするのが慣習であった。机を運びながら、少年は放課後を情報教室で過ごすことを決めた。図書館で読んでいる本の区切りがついたので、久しぶりに行こうと思ったのだ。
外は気持ちがいいくらいの晴天だった。そんなに天気の良い日に部屋にこもる非リア充は少なく、情報教室の利用者は少年の予想通りまばらだった。彼は適当な席に座って電源ボタンを押した。ハードディスクの回る音が、またここに来てしまったか、という苦い気持ちを起こさせる。パソコンを使うことは楽しいが、楽しんだ後は決まって空虚な気持ちになる。それでもなぜ彼がパソコンを使うかといえば、やはりパソコンは飽きないのだった。一種の中毒である。本当だったら少年も気持ちの良い青春にあふれた学校生活を送りたいと思っていたが、思っていただけで実行に移さないので、このザマである。
少年は自分に割り振られたIDとパスワードを入力し、さっさとログインする。そして完全に起動し終わるのを待って、ブラウザのアイコンをダブルクリックした。今日もたくさんのニュースが流れ、情報が飛び交っている。少年はそれらを眺めながら、溜息をついた。
「俺、何やってんだろ…」
無論パソコンをやっているのであるが、もちろん彼が言いたいことはそういう事ではない。誰かと何かしたい、という人と関わらないと生きていけない人間の本能が疼いたのである。友達のいない少年は無性に誰かと話がしたくなった。だからだろうか、彼が『コミュニケーションしませんか』という学校行事の目的みたいなキャッチフレーズに惹かれたのは。
『PadChat』。それがそのサービスの名前であった。ネット上の見ず知らずの人と一対一でチャットができるという点を特徴としているようで、入室しておいて、次の人がやってきたらチャットが始まるのだそうだった。ページの中央にでかでかと緑の入室ボタンが置いてある。少年はカーソルをそのボタンに持っていったが、苦い顔をし、クリックまではしなかった。
正直なところ、少年はビビっていたのだ。他人とのコミュニケーションに飢えていながら、実はそれを苦手としているのである。なんとも矛盾した感情に思われるが、この2つは「ヘタレ」を構成する為の大事なエッセンスである。彼はしばし逡巡していたが、やがて「目指せ脱非リア充」と呟き、思い切って入室することにした。適当にアイコンとニックネームを決めて、入室ボタンをクリックする。ニックネームは「リア充」だった。
暫くの間、誰もやってこなかった。少年にはよくあることである。活発な掲示板で、自分が発言した瞬間誰も書き込まなくなることがよくあった。別におかしな発言をしている訳ではなく、タイミングが悪かっただけなのだが、何か自分に非があるのではと彼はやきもきした。こういう所があるから少年は人付き合いが上手くないのであった。
待つこと20分。ようやく次の人が入ってきた。性別は女性だったので、少年は小さくガッツポーズをしたが、彼女のニックネームを見た瞬間、彼は首を捻った。
——『理想のヒロイン』が入室しました——
明らかに変な名前のおかげで少年は現実に引き戻された。そしてネットにありがちな「ネカマ」とか「出会い厨」という存在を思い出す。匿名チャットサービスだと特にそういうのが出やすいものだ。少年が警戒していると、向こうの方から挨拶してきた。
『こんにちは』
『こんにちは』
『……』
『……』
お互いに挨拶しあい、その後しばし無言。どうすればいいか少年は迷い、こう書き込む。
『あの、ニックネームがアレなんですけど、もしかしてネカマさんとか出会い厨さんだったりします?』
街中だったらまず確実に殴られるような言葉で会話が始まった。しかし相手はそれを意に介す風もなくすぐに返事をした。
『理想のヒロインがネカマさんとか出会い厨さんだと思う?』
『……なるほどそうですね』
少年は妙に納得してそう頷いた。その言葉を信用する根拠は特にないのだが、知らない人と会話をするということに対する得体のしれない高揚感に、彼の感覚が麻痺させられたのかもしれない。彼の緊張は次第に収まり、次第に彼は抵抗なく会話ができるようになってくる。
『それに、こんな昼からパソコンする人のニックネームが「リア充」なのもどうかと思うわ』
『えーと、まあノリで決めましたから。そちらも、どうしてそんなニックネームを?』
『うーんとね。私があなたの理想のヒロインになりきる、っていうそんな企画を急にやってみたくなったの』
何が彼女をそう駆り立てたのは少年には知る由もないが、どうやら活発な人のようであった。しかし、相手はこんな昼間からパソコンの前に座っているのである。それを考えた少年は、もしかしてただの暇人かもと思い直した。その暇人らしき人は彼に年齢を聞いてくる。
『ところで、年いくつなの?』
『16ですけど』
すると彼女は『おー!』と言って嬉しそうに返してきた。
『同い年じゃない。よかったーおっさんとかじゃなくて』
『そうですか』
『そうですよ。っていうか、同い年って分かったんだからそんな固くならなくてもいいのに』
『…君は最初っからタメ口だったろうに』
口調を徐々に砕けたものにしながら、女の子とこんな風に話すのは小学生以来かな、と少年は感慨深くなる。男友達すらできないのに女友達ができないのは当然であるから、わざわざ感じ入ることもないのだが。
『まあね。私PadChat使うの初めてだし』
『あ、僕も』
『そうなの? 偶然ねえ。じゃあ会話がほぐれたところで、本題に入るわね』
相手が何だかテンションが高いので、少年の気持ちも高ぶってくる。今ならどんな問題でも答えられる気がした。
『では発表! 本題は、「あなたの理想のヒロインとは何?」です』
『僕の理想のヒロインか』
『そうよ。頑張ってなりきってみるから、ぜひ教えて』
『うーん…』
少年は目をつぶる。理想のヒロイン、それは簡単そうに見えて実は表現するのが難しいものだった。少年はまず自分の理想を考える。まず思いつくのは自分の今まで読んできた本の中の気に入ったヒロインたちだった。彼は彼女らの共通点を挙げれば出てくるのではないかと思ったが、案外共通点は見つからない。
『かなり難しいな』
『やっぱり? でも頑張って考えてみて!』
『うーむ』
少年はしばらく考えこんだが、まったく浮かばなかった。そう簡単に思いつかないとは薄々気付いていたが、それにしても思い浮かばなさ過ぎると思った。彼はディスプレイの前で軽く唸る。その内に、書き込みが無いのを見た彼女は別の提案をしてきた。
『だったらさ、質問形式はどう? それなら答えやすいでしょ』
『それはいい考えだ』
確かにそれならば答えられるかもしれないと少年は思った。ただ聞かれたことを答えるだけなのだから。彼は彼女の質問を待つ。彼女も『じゃあ始めるよ』と質問を開始した。
『まず第一問。リア君の好きな髪はなに?』
『リア君?』
『名前がリア充だから。それでは答えをどうぞ!』
『え、ちょっと待って。それに今思ったけど、別にネット上で成り切るのに髪型は関係ないんじゃない?』
『いやいや、これは大事。リア君には見えないかもしれないけど、成り切る私には重要なの』
『成り切るって、演劇部かなにかなの。練習がてらにこんな企画とか』
『いや、別に暇なだけよ』
『……』
本当にただの暇人だと判明した。しかし少年も人をとやかく言えるような午後の過ごし方をしていないので、何も言わずに頭を切り替える。議題は少年の好きな髪についてだ。
まず少年の好みは黒髪である。日本人なら黒髪というのが彼の今考えた持論である。
『日本人なら黒髪。これは間違いない』
『別に金髪でもいいと思うけどなあ』
それを見た少年は首を横に振る。
『いや、あれはちょっと・・・。茶髪ならまだいいけど』
『ふーん。まあ好みは人それぞれね。じゃあ、好きな髪型は?』
『好きな髪型か』彼は少し考えて答える。『ショートかな。セミロングでもいいけど。まあ派手じゃないアクセサリならついていてもいいかな』
少年がそう返すと、彼女は嬉しそうになった。
『なんと! 実は私も黒髪ショートなの。しかも小さいヘアピン付きの』
『それは偶然の一致とやらですね』
『うん。これで成り切るのが簡単になるわね』
『じゃあ髪の話は終わり。次の問題は?』
『次の問題はね…』
そこで少年は次に答えられる項目がないことに気づいた。彼女はまず何事も形から、という性格のようだから外見の質問をしているが、少年には外見については髪型以外にあまり語れることがないのだった。次に話題になるとしたら顔だろうが、どんな顔が好きと聞かれたら彼には答えようがなかった。猫目とかジト目とか、目ぐらいしか言うことがない。体にしても、胸と身長ぐらいである。服装などの話題は全くついていけない。ライトノベルでよく三行ぐらいヒロインの服装の説明があるが、あんなのどっから調べてくるのだ、というほど疎いのである。それにヒロインはキャラが立っている、即ち個性が大事だと思っていたので、そっちに話題を移すことにした。彼は必死にヒロインの個性の重要さを熱弁する。それを聞いた彼女は『うーん』と呟く。
『確かにそうだと私も思うけど、外見も個性の一つじゃないの?』
少年は首を振る。そして、分かってないな、と言うように書き込む。
『そうだけどさ。外見はあんまり大切じゃないと思う。大事なのは個性だ』
『ただ髪以外の話ができないだけじゃなくて?』
『……いやそんなことは』
『じゃあリア君は顔とか服装とかそういう話はできるの?』
『すみません無理です』
少年は素直に話せないことを認める。つまり話題は内面の話しか残らない。
『うーん。なら仕方ないわね。個性の話をしましょう』
『うん』
どっちにしろ個性の話に移ってしまうのは少年の思惑通りであったが、なんだか負けたような気がした。それを忘れるために彼は個性について考える。
『個性かー』
『どうしたの? 個性なら語れるぜ、みたいな言い方だったけど』
『やっぱり難しい』
『ならリア君は何なら語れるの…』
愛想を尽かしたような三点リーダだったので少年は申し訳ない気分になった。なんとか答えようと必死に頭を回転させる。
まず原点に戻って、好きなヒロインの共通点を考え直してみたが、まるで見つからなかった。あるとしても、人間である、とか10〜20代である、とかその程度である。あとは、主人公に好意的とか。そこで彼は、はっ、とした。
(主人公に好意的、は重要かもしれない)
少年はそう思って、思考を進める。「主人公に好意的」は最低条件。好きなヒロインに共通点があるとしたら、その共通点は最低条件なのだ。別に彼はヒロインにこれといった制限を求めていないので、これといった共通点は存在しないことになる。なら少年は何を持って好きなヒロインを決めているのか。ここまで来たら答えは簡単である。
(…点数制か。当たり前だけど)
すなわち自分の琴線に触れるようなものをヒロインが持っていたら加算され、合計点数が高ければそれは好きなヒロインとなる。ヒロインポイントとでも呼ぶべきだろうか。そして、髪がセミロングなら1点、ショートなら2点、黒髪なら5点というように、より少年の好みに近くなるほど点数が高くなる。だから外見では加点に限度があるが、個性ならばイベントなどでいくらでもポイントが稼げるので、個性のほうが重要となってくる。彼が先程「個性が大事」と信じていたのは別に間違いでもないのだった。
『なるほどねー』
少年の長い説明を受けた彼女は画面の前できっと頷いたことだろう。
『じゃあいくらそのヒロインポイントが最高点でも、組み合わせ次第で何通りも理想のヒロインが作れちゃうということね。そしていくら私が最高スペックのヒロインになりきっても、イベントでポイントを積み上げたそこらのラノベのサブキャラにすら負けてしまうと』
『サブキャラはイベントを積み上げないと思うけど』
『とにかく、出会って1時間も立ってない私がリア君の理想のヒロインになるには、並大抵のことじゃ無理ってことよ』
『そうなの』
『そう! だからどうしたらいいか考えて』
『うーん。でもまずは外見と性格をトップレベルにしないとダメだと思う』
『それもそうね』
少年はまずは外見の配点を考えてみた。これに関してはさっき色々と考えたので簡単に想像できる』
『第1に黒髪だね。黒髪だと5点。茶髪は2点ぐらいかな。他は加点なし。あ、金髪は減点1』
『リア君は金髪に何か恨みが?』
『あるラノベの一番お気に入りの金髪ヒロインが20巻目にして男の娘と判明しまして』
『それはショックね』
『うん。あと、髪型はショートなら2点。セミロング1点。アクセサリ付きで追加1点』
『それは変わらない、と』
『次は目だね。これは特に加点はない。目と目との間が狭すぎなければOK』
『今度からエンターキーは優しく打つようにするわ』
『顔についてはこれでお終い。ラノベとか漫画はヒロインをどうせ可愛く描いてくれるから、顔についてはあんまりこだわりないんだよね』
『リア君はゆとりなのね。それで、外見は終わり?』
『うーん。身長も気にしないし、服もよく知らないからなあ』
『女の子の髪しか見ない人は初めて見たわ。リア君はクラスの女の子をどんな目で見てるのよ』
『ぶっちゃけあんまり見てない。あ、でも見るときは髪以外もちゃんと見るよ』
『それは当たり前よ』
結局外見についての採点対象は髪しか出なかった。しかし特に書かなかっただけで他にもたくさん加点事項はあると少年は思うのだが、今のところ意識できるのはそれぐらいしかないのだった。
『ということで、私は黒髪ショートの萌え絵でーす! あ、髪留め付きのね』
『絵に描いたような女の子に近づいたね』
『近づくどころか絵そのものだけどね。よし、次は個性に関するお話よ』
『おー』
『よし、ノリノリのようね。では配点の発表をお願いします』
『……』
ノリノリの振りで誤魔化していたが、この少年、個性に関する話は先に書いたとおり得意でない。個性の得点の付け方はややこしいのである。例えば「ギャップ萌えシステム」というものがあり、シチュエーションによってヒロインポイントが加算されることがある。例えば笑い上戸のヒロインが少し笑ってもまったく加点対象にならないが、普段全く笑わない笑わないヒロインがクスリと笑ったらヒロインポイントはかなりプラスされる。そのページの絵師の絵は全国の青少年に萌えを供給してくれる。
このように色々と点数が変わっていくため非常に面倒くさい。仕方なく少年は、時と場所に関係なさそうな性格を書きだしていった。
『のっけから純愛の子は2点。ツンデレも2点。クーデレは3点』
『クーデレはちょっと高めね』
『ツンデレは時代遅れだかね。鮮度がないからちょっと低め』
要するにツンである時点でデレることが予見できてしまうため結果ギャップが小さくなってしまうということだ。無口キャラの場合は全部が出れるわけではないので、ギャップはそこまで大きいとか大きくないとか。
『ヤンデレは好きじゃないの? 死ぬほど愛されて眠れないCDとか持ってないの?』
『ヤンデレってホラーじゃん。別にホラーとかスプラッタとか好きじゃないし』
『あら残念。1回やってみたかったのに』
『じゃあ今まで何を演じてきたのさ』
『ん? これが初めてだけど』
確かに彼女は、PadChatを使ったのは初めてだと言ったが、それでも見ず知らずの人と抵抗なく話せるというのは不思議だった。その考えを見透かしたのか、彼女は『それにしてはお喋りと思ったでしょ』と言った。
『私は日ごろあんまり喋らないから、その憂さ晴らしをネットですることに決めたの』
『あ、本当に初めてだったんだ』
『そうよ。PadChatのボタン押すとき滅茶苦茶緊張したんだから』
『それにしては普通に喋ってるような』
『うーん。似た者同士の気配がするからかな?』
『悪かったね暇人で』
『しかも皮肉なことにリア君は非リア充と』
『……それは言わないお約束』
なんでリア充なんてニックネームを入れたのかと少年は今頃後悔した。いまや黒歴史である。
『さて、話を戻すわ。他にリア君の琴線に触れる性格はないのかしら』
『えーっと。恥ずかしがり屋、とか』
『恥ずかしがり屋、ねえ』
恥ずかしがり屋も一種のギャップ萌えシステムだというのが少年の信念である。
『まあいいわ。そういう人も世の中にはいるのよね。そうよそうだわ』
『そんな変態みたいな扱い方は結構傷つくんだけど』
『それは……ごめんなさい』
彼女は結構素直であった。だが彼女が素直だから事が進む訳ではない。また少年のアウトプットは止まってしまった。
『ごめんもう他にない』
『え? 今のところ最高でも11点よ。本当に本読んでるの?』
『いや、読んでるからこそ要素が増えすぎて訳が分からくなっているような感じかな。僕の感覚だとヒロインポイントが30点を超えると好きなヒロインに認定。二次元での最高ヒロインは40点半ばぐらい』
『うーん。4倍しても勝てるか分からないわね』
それから暫く書き込みがなかったが、腹を決めたかのように彼女は書き込んだ。
『とりあえず、現段階でどれぐらい成りきれるか実験よ』
『それは……楽しみだな』
『じゃあ、いくわよ』
『どうぞ』
少年は腕組みして彼女を待つ。別にチャット相手が別の人格に成り切るだけなのに、なぜか彼は緊張していた。やはり人と接していないと、こういう所でいらぬ神経を使ってしまうようだ。いや、もしかしたらこれが「青春」とか言うのでは、と少年は考えてみる。そして無駄に恥ずかしい思いをする。
そんな風にドキドキしながら待っていたが、なかなか彼女は書き込まない。5分間無言である。何かあったのだろうか、と少年がキーボードにてを伸ばそうとすると、返事が来た。
『あの。黒髪ショート髪留め付きのクーデレ女の子だたよね?」
『うん。そうだけど』
『あ、、ありがとう』
「っ」がなくなったり読点が増えたり、やけに不安定さを感じる書き込みを見て、少年は、相手もかなり緊張していることに気付いた。初めて成り切りなんてするのだから仕方が無いといえば仕方がない。彼は少しばかりからかおうと『おーい』と呼びかけてみる。
『どうしたの?』
『いや、あの』
『?』
『やっぱり恥ずかしい』
その恥じらう様子に少年のボルテージが上がり、口元がニヤついてくる。さらに少年は彼女を追い込む。
『ほら、君が言い出したんじゃないか』
それに耐えかねたように、彼女は言った。
「あーもう無理! 恥ずかし過ぎるわよ!」
「………!?」
少年は固まった。
彼は再び画面を見る。
何度も見返す。見返してみる。
しかしどう見ても、彼女の最後の発言はディスプレイに表示されていない。
いや、そもそも今の言葉は少年の左側から聞こえてきたもののだったのだ。
彼は視線を左の席に向ける。そこにはいつの間にか女子が座っていた。よく見るとクラスメートである。顔は悪くないが、まったく喋らないという印象を持っていた子で、少年は今までに一度も話した事がない。彼女の黒いショートの髪は1つの黄色い髪留めで留めていた。彼女は赤い顔をしながらディスプレイの前で可愛く唸っていた。もちろん画面の色調は少年のと全く変わらない。同じサイトを見ているのだから当たり前ではあるが。
暫く見ていると、彼女は少年の視線に気付いたようで、何なのよ、という顔で少年の方に顔を向けた。そして同時に少年のパソコンの画面が自分のもとの同じであることを発見する。彼女は目をぱちぱちと瞬かせ、ぽかんと口を開けた。少年はキーボードで文を打ち込む。
『あのー、もしもし?』
そしてそれと寸分違わない文が彼女のディスプレイに表示される。少年はそっと文の続きを言った。
「画面がアレなんですけど、もしかして理想のヒロインさんだったりします?」
それが限界のようだった。彼女は前よりもっと顔に朱を注ぎ、「あ、あ、あ、」と暫くどもっていたが、突然席を立ち、「ご、ごめんなさい!」と呟くと、電源ボタンを長押しし、パソコンを強制終了させて走りだした。そしてあっという間に情報教室からいなくなる。他の利用者が何事か、とばかりに少年の方をチラチラと見てくる。
少年がディスプレイに視線を戻すと、PadChatが彼女の不在をわざわざ知らせてくれた。
——『理想のヒロイン』が退室しました——
少年が自分の額に手を当てると、凄まじい熱を感じた。これが青春熱か、などと痛い思考を繰り広げる痛い頭をフル回転させる。さて計算だ。
黒髪。5点。
ショート。2点。
黄色い髪留め。1点。
クーデレ? 判定不能。
今のシチュエーション。彼女が日頃喋らない為にギャップ萌えシステム発動。恥じらいによりさらに得点追加。結果、
「100点」
よって彼女のヒロインポイント計108点。今までの最高のヒロインにダブルスコアで勝利。
「……って何馬鹿なこと考えてんだろ」
理想のヒロインとかヒロインポイントとか、なんて馬鹿らしいことを考えていたのだろう、と少年は小さく笑った。こんな事は生きていくのに全く不必要である。しかし少年は最高の気分だった。人と触れ合い、馬鹿なことを言い合えることがこんなにも心を潤してくれくことを少年はずっと忘れていた。
少年は考える。今彼女を追えばまた話が出来るだろうかと。彼女の向かう先はだいたい見えた。今走りだせば、ぎりぎり見失わない。逡巡している暇など1フレームもない。
大丈夫、と彼は自分に言い聞かせる。今まで、こんなに話した仲じゃないか。また話せる。また馬鹿な会話をできる。なぜなら彼女は。
「理想のヒロインだから」
こんな発言、後で考えなおしたら赤面するのだろうが、どうでもいいと少年は思った。それでこそ青春である。
少年は不敵に笑い、席を立つ。彼が情報教室にいる必要はもうない。彼はもうリア充なのだから。
そして少年は、彼女がそうしたように、電源ボタンを長押しし、パソコンを強制終了させて走りだした。
彼は理想のヒロインを追いかけるために、周りを見回す。そして遠くに彼女の後ろ姿を見つける。
そうして、少年は情報教室の扉を走り抜けた。
——『リア充』が退室しました——
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