「からはげ」なるものいとをかし

 読者のみなさーん!こんにちわー♪私が作者の清少納言☆みんなにもっと私の事知って欲しいから、とりま、自己紹介するわね☆

 歳は君達と一緒で18歳 。ラストJKって奴かな(爆)好きなものは「をかし」嫌いなものは「すざまじ」それと風流を解さない無骨な男とかマジさげぽよ〜〜
でさでさ、私この年で働いてるんだ(泣)この間髪上げしたばっかりなのにっ!・・・でもね、思ったより宮仕えって楽しいの!なんてったって仕える方が今をときめく道隆さまの娘の中宮定子様!マジあげぽよ〜〜中宮さまったら私よりずっと年下なのに、それなりに和歌や漢詩に詳しい(まぁ、実際結構凄いけど)私よりもずっと聡明で、絶世の美女で初心だった私にも優しくして頂いて・・・/// あぁ、もう中宮様の事を思うだけで胸がドキドキしちゃう…って、別にそんなんじゃないんだからねっ!

 まっ、自己紹介はこんなところかしら。んじゃぁ、唐揚げ草子をお読みくださいませ☆



 唐揚げ草子 弥生一日

「はぁ…」うら若き乙女の私は悩んでいたの。肘をついて傾げた首を支えてる。結構様になってると思うわ。美少女の黄昏っていい題材だものね。そんなことを考えていると心配した定子様がこっちにいざりたちなさったわ。「せーーねーっちゃん!どーしたのぉ?」相変わらず可愛らしいこの幼女。抱きかかえてほっぺをプニプニの刑に処す。上手い返しを考えなきゃ、とか思いながらプニプニプニプニ。。。あ、もう返答とかどうでもよくなってきた、気持ちいい。っと、定子様が困惑のあまり泣きそうなので止めよ。「恋煩い…って奴ですね」「恋…わじゅらい?」「えぇ。人間は誰かを愛するものなの。でも、相手が私を愛してくれるかなんて分からない。こんな時代だもの、男の約束なんて薄っぺらい言葉でしかないのよ。悲しみ、嘆き、湧きおこる負の感情。でもやっぱりあの方を思わずにはいられないのよ。」一気に胸の思いをぶつける。ちょっと困った表情を浮かべた定子様。と思うと途端にしたり顔になって「をかし!」と言いなさる。うん、意味は分かってないだろうけど、まぁいっか。「でもでも、せーねーちゃんは誰に恋してるの?」噂好きの小侍従や女房がこんな問いを投げかけたらミステリアスに応えるのだけれど(笑)応えるってのがミソよ←はぁ、目の前にある吸い込まれそうな瞳に負けちゃった。素直に話しちゃおう、まったく。「・・・在原田さん、ってご存知です?」「えっとー、歌詠みとしても有名で今めかしい御姿…って皆が称賛してる人?」「えぇ、少し前の事ですが・・・」

そう、忘れもしないあの日。簾を上げて白居易さながら白雪を眺めていたわ。そんないつものをかしき日々。でも1つだけいつもと違った。それは私たちの出会い。それは「垣間見」どうやら私に在原田殿は一目ぼれしたらしいの。それで従者に和歌を届けなさったのよ。内容は既出でしょうけど、以下の通り。「しのぶれど むべむべしかな たまさかに らうらうじさの 移ろはざれば」…悔しかった。実を言うと私はあまり和歌を読むのが得意じゃない。でも元輔が娘としてのプライドを打ち砕くような素晴らしさ。認めたくない、でも認めざるを得ない。恋い慕う思いは強くなるにつれ、裏腹に募る絶望、嫉妬、畏怖。腰折れを返歌として送れるわけないじゃない。好きなのに!好きなのに!私は在原田殿の事が好きなのに!どうして、ねぇ、私はどうすればいいの!


 あはは。冷静な才女キャラも形無しね。私ったらほんとn」「せーねーちゃん。何で悩んでるの?」「どういうことかしら?」「好きだったら和歌を送る!それが常識でしょ。せーねーちゃんが一生懸命詠んだ歌に文句をつける人なんていないよ!」ふぅ。こういうところかしら、中宮定子様の素晴らしさって。「一緒に考えよ。在原田さんに振り向いてもらおうよ。」「…はぃ。」浮かんだ涙を隠すように後ろを向いて返事をする。仕方ないじゃない、恥ずかしいんだから。


弥生三日

 今日は上巳の節句。でももう一つ重大なイベントがあるのよね、みんなは知っているかしら?闘鶏といって雄鶏を闘わせるの。この機に乗じて彼に告白しようと思います。
 さぁ、二頭が戦場に連れてこられたわ。一頭は私達定子側のもの。もう一頭は彰子様つまりは紫式部の方ね。道長様には負けたくない!お願い、勝って!!

・・・戦闘シーンは割愛するが、結果として私達の鶏の勝利となった。そして何より驚いたことと言えば、その結果を一番喜んだのは在原田殿であった。嬉々として私の方へ近寄り長い髪を撫でて下さった。…今しかない。

「 恋すてふ 思ひゆる身は 鶏合わせ 我が亡骸は げに迷ふらむ 」

解釈なんて無粋なものは後書きで書くわ。今はただ感じてほしいの。

 驚いたように見つめなさる。そこから私達に言葉は必要なかったわ。
ようやく私も幸せになれたみたい。惚気ちゃってごめんね。…

 せーーねーーちゃん!おめでとうっ! ありがとう、貴方のおかげです。お礼として夕食は私が作ります。 何を作るの? いかでか思ひ寄らざらむ、からはげぞかし。



どうも、清少納言の夫の在原田です。
今回は惚気話を読ませちゃってすいません(汗
これほどまでに自己満足に徹した作品も珍しいのではないかと。
折角の機会ですので、歌に込めた思いでも語っときます。

 恋すてふ 思ひゆる身は 鶏合わせ 我が亡骸は げに迷ふらむ 

思ひが「思ひ」と「火」の掛け言葉
「亡骸はげに」←物名「からはげ」
「火」・「鶏」・「唐揚げ」が縁語
「恋すてふ」が本歌取り

全体の解釈としては「恋をしてしまったこの私は鶏合わせの時にでも返歌をしようと思います、
でもきっと鶏は負ける(つまりあなたに愛して貰えない)でしょう。そうなったら私の亡骸が
迷うのも当然でしょうね、(どうか、私を愛して貰えないでしょうか?)」

どうして負ける、という文脈になるのでしょうか?
それは「恋すてふ」です。
この本歌はですね、「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか」
という壬生忠見の和歌です。
当時のブーム、歌合せ。壬生忠見はこの歌を詠んで勝利を確信しました。
しかし、平兼盛の詠んだ歌「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで」
に敗れ、ショックのあまり亡くなってしまいます。
もうお分かりでしょう。

古来より日本人に受け継がれる幽玄微妙の精神を穢しかねないので細かい解釈は好きではありませんが、
今回は和歌の奥深さ、文化としての美しさを知ってもらいたくて敢えて記します。

読者様が少しでも「をかし」の世界を堪能できたのなら風流を解する一個人として冥利に尽きます。
お読み下さってありがとうございました。


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