「また唐揚げか」とお父さんがお味噌汁を飲む。
 「そうなのよ。今日もなのよ」としゃもじを持ったお母さんが溜息。
 「いい加減太るよ?」とテレビを見ながら言うお姉ちゃん。
 「やっぱり唐揚げは美味しいのです」と私。
 今日もまた、いつも通りの食卓の風景です。

 今口に入れたばかりの唐揚げをよく噛み締めると、唐揚げの香ばしい香りが口の中に広がります。今日はにんにく唐揚げなので、いつも以上に美味しい気がします。この美味しさが私を飽きさせないのでしょう。いつだって唐揚げ日和なのです。
 「本当に、メグは毎日よく食べるな」
 そんな呆れとも関心ともつかないような事を私に言うと、お父さんはお味噌汁を飲み干しました。もちろん私は軽く受け流します。そんな言葉も毎日と言っていいぐらい聞いてきたのですから。3年前からずっとです。なぜ3年前なのかと言えば、その時に私が決めたルールがあるからなのです。
 『私は、毎日唐揚げをきっかり3個食べなくてはならない』
 それが私が作った宗教である、フライド・チキン・モンスター教の大原則なのです。

 私はずっと前から、唐揚げが大好きでした。いつからだったかは忘れてしまいましたが、小学校の頃に「女の子なのに油っこいものばかり云々かんぬん」と怒られていたことは覚えています。それぐらい昔から唐揚げを愛しているのでした。そして三つ子の魂百までと言いますから、きっと百歳になっても唐揚げをモグモグしているのでしょう。
 小さい時からこんな感じだったので、今から3年前、私が中学1年生の時に、冗談半分に宗教を作ってしまったのでした。それがフライド・チキン・モンスター教、略してフラモン教の始まりだったのです。当時、フライング・スパゲティ・モンスター教なる宗教の存在を知った私は、「あんな不味いものが神様になれるのだったら唐揚げだってなれるのです!」と言うやいなや、その日のうちにルーズリーフ5枚を経典とする新宗教フラモン教を立ち上げてしまったのでした。信仰対象はスパゲッティならぬ唐揚げモンスター。唐揚げモンスターこそがこの世を作ったのだと、自分一人で考え、自分一人で信じたのでした。
 そんなフラモン教にももちろん守るべきルールがあるのですが、それは3つだけです。「毎日唐揚げを3個は食べること」「そしてそれ以上食べないこと」「他に規則を設けないこと」。これらを破ったら即破門ですが、逆に言えば毎日3つだけ唐揚げを食べていれば万事OKという事なのです。なんという私得。
 他にも細かい決まりがあります。例えば、家の唐揚げの分の代金は全部私持ちで、その唐揚げも作るのも私です。自分の変な宗教のせいで家に迷惑を掛けたくないなと幼心に思ったのでしょう。昔の私は結構偉いのです。そして毎日唐揚げも食べても飽きないように新メニューを考えるのが今の日課なのです。

 いつの間にか3個目の唐揚げに手をつけていました。考えながら物を食べるとダメですね。食べている物の存在をすぐに忘れちゃって、食べた気がしません。だから食事中はテレビを見たり、ワイワイガヤガヤとおしゃべりするのは頂けないことだと思うのです。やっぱり一生懸命食べるのが一番です。
 「いいなあメグは」
 唐揚げのジューシーな肉汁を味わっていると、いつの間にかこっちに顔を向けたお姉ちゃんがぼそっと呟きました。
 「いくら食べても太らないしさ。お腹どうなってんの?」
 「それは仕様なので仕方が無いのです。それにちょっとくらい太ったってどこに問題があるのですか」
 「はは、太らない奴にしか言えないセリフだなそりゃ」
 「・・・」
 口では笑っていますが、お姉ちゃんは何だか悲しそうな、それでいて疲れたような顔をしていました。私は何も言えずに唐揚げをただ噛むばかりです。私にはどうすればいいか分からないのです。
 お姉ちゃんが元気が無いのは今に始まったことではありません。原因は分かりませんが、半年位前から時折こんな風に沈み込むのでした。だけど今日はいつも以上に落ち込んでいる気がします。
 「いいねえメグは幸せそうで」
 再度のお姉ちゃんの言葉に、口の動きを止めてしまいました。
 「そんなに美味しそうに食べれて、それに毎日食べても飽きないしさ」
 そして一言ごちそうさまと言うと、お姉ちゃんはゆっくり立ち上がり、そのまま自分の部屋へ戻って行きました。後には私と両親だけが残されます。私はお姉ちゃんの後ろ姿すら見ることができませんでした。急に味のしなくなった唐揚げを無理やり飲み込みます。そんな私にお母さんが声を掛けました。
 「まーたあの子は妹に八つ当たりしちゃって。ああいうのはもっと別なので晴らせばいいのに」
 お母さんが困ったねえとぼやきます。今こそお姉ちゃんのことを聞くべきでしょう。
 「前から聞こうと思っていたけれど、何でお姉ちゃんは元気ないのでしょう?」
 私の質問に、お母さんは苦笑いをしました。
 「うーん、なんていうのかしらね。『似非5月病』かしら」
 「お母さん、もう9月なのですよ。あ、そういう意味で『似非』なんですね」
 「いやいや、そうじゃないのよ。もう大学卒業して社会人になっていいのに、なんか5月病みたいにやる気がないの」
 「それはモラトリアムとかいうのではないですか?」
 「あら、そうなの。難しい言葉知っているわね」
 そう言うとお母さんは立ち上がってお姉ちゃんの食器の片付けを始めました。お皿を運びながら「自分で片付けて欲しいわねえ」と呟きます。それらを運び終えると、お母さんはこっちも向きました。
 「ま、お姉ちゃんの言葉を気にしちゃダメよ」
 そしてもう一言。
 「さっきから暗い顔しているけど」
 「・・・!」
 思わず両手で顔に触れました。なんで、私は暗い顔をしなければならないのでしょう。毎日唐揚げを食べれて、幸せなはずです。それ以上の幸福はないはずなのです。でも、お姉ちゃんの「いいねえ幸せそうで」という言葉を皮肉に捉えてしまうぐらいには、今の自分に納得できていないということなのでしょうか。自分で自分が分かりません。
 私は思わず席をたって、そのまま黙って部屋に戻りました。挨拶にうるさいお母さんも、この時は何も言いませんでした。

 「私はどうしちゃったのでしょう?」
 お風呂から上がった私は、そのままベッドに倒れ込みます。毎日唐揚げを食べている割には、スプリングはあんまり反発しませんでした。本当に私は太らない仕様なのでしょうか。こんな事を考えられるぐらいの余裕はあっても、やっぱり気が晴れないままでした。お風呂に入ってもこれでは、結構重症みたいです。いつもならスッキリして悪いことは忘れてしまえるのですが。
 「こういう時は、あれに頼るしかないですね」
 人が救いを求めるのは昔から宗教と相場が決まっています。しかもお誂え向きに私はフラモン教に入信しているのです。ここはもう唐揚げモンスターに頼るしか無いのではないでしょうか。でも今悩んでいるのはそのフラモン教のせいな気がするのですが。ああもうよく分かりません。とりあえずお祈りしましょう。
 だるい体を引きずって窓のところまで来ると、街の光が目に飛び込んできます。それから窓を開けて夜空を見上げます。まだ西の方は薄っすらと明るいですが、それでもまばらに星が見えます。でも本当にまばらです。この街は都会の中心部なので、星がほとんど見えないのです。
 ところで、昔の私はそれを街の光のせいだとは考えなかったようです。街の光と星の見えなさの因果関係はバッチリあるのですが、まだまだ夢のあった3年前の私は、星が見えないのは唐揚げモンスターのせいだと考えました。星を隠してエネルギーを独り占めしているから星が見えないのだ、と。夜空に唐揚げモンスターが君臨している限り、私は北極星すら見ることは叶わないのです。でも逆に考えると、そのエネルギーを独り占めしている夜が一番願い事を叶えてもらいやすいのではないでしょうか。だから今、こうして窓辺で手を合わせているのです。
 1分くらい手を合わせたのでもう大丈夫でしょう、と目を開けると、何か違和感を感じました。そういえば月が見当たりません。まさか唐揚げモンスターが食べちゃったのでしょうか。暫くキョロキョロ探していると探しものは西の山の端にありました。とっても細い月ですが、きちんと輝いていました。きっと明日あたり新月なのでしょう。
 「このモヤモヤした悩みがスッキリしますように」というお願いが終わったので、後は寝るだけです。さっさとベッドに戻って布団を被ります。しかしネガティブな思考で頭がいっぱいだったのでなかなか寝付けません。それでも無理矢理眠れば、明日にはなんとかなっているでしょう。じゃないと明日唐揚げを美味しく食べられません。
 結局私の意識が途切れたのは、ベッドに横たわってから1時間くらい後のことだったと思います。

 朝になりました。目覚めた時はまだ頭がぼんやりしていましたが、昨日のことを思い出すとまたあのモヤモヤした気分が戻って来ました。いつもは朝に弱いはずなのに、今日は嫌な意味で意識がはっきりしています。窓をあけると秋の涼しい風が流れこんできますが、あんまり気持よく感じません。その場にいても仕方が無いので、洗面台に行って顔を洗い、すぐに制服に着替えました。あとは朝ごはんを食べるだけです。
 台所に降りると、すでにお姉ちゃんが眠そうにトーストを作っていました。お姉ちゃんは眠気まなこをこっちに向けると「んー」とも「むー」ともつかない声を発しながら焼きたてのトーストをお皿に乗せました。お先にどうぞという意味でしょう。ありがたくいただくことにします。
 ピーナッツバターを塗って食べていると、お姉ちゃんがトーストを咥えながら席に座りました。そしてその1枚を食べ終えると急に口を開きました。
 「メグは今を満喫してる?」
 昨日のお姉ちゃんの言葉が思い出されます。ですがどういう意味なのでしょう。
 「どういうことなのですか?」
 「いや・・・折角学生生活を楽しんでいるんだったら、自由に生きた方がいいってことさ」
 お姉ちゃんはコーヒーを一口すすります。
 「メグはお姉ちゃんみたいにやるべき事もやりたい事もできないような、そんなつまらない大人にはなるなよ」
 そういうとお姉ちゃんはお皿と飲み物を持って自分の部屋に戻って行きました。
 「・・・『自由』ですか」
 自由とは何なのでしょう。私は今自由なのでしょうか。幸せなのでしょうか。そんな抽象的な問いかけに中々答えが見つかりません。自由があるのだったら自由という味もあるのでしょうか。『自由味』の唐揚げがあったらぜひ食べてみたいものです。『自由味』って一体なんでしょうね。
 時間があまり無いので、あとは登校中に考えることにしました。

 右手に鞄を持って家を出ると、とたんに頭の中が今日の唐揚げメニューで埋め尽くされそうになるます。朝の登校時間はいつもメニューのことを考えているのでその習慣が抜けないようです。今はお姉ちゃんの言ったことを考えなければならないのに。唐揚げ唐揚げ。頭の中が唐揚げで埋め尽くされていきます。

 唐揚げは素晴らしいものです。
 私を幸せにしてくれます。
 私の生活を豊かにしてくれます。
 私に色々な経験をくれます。
 私が新しいものを作る土台になります。
 それで?
 だから私の日常は唐揚げ三昧。嬉しいことです。
 本当に?
 本当なのです。だって私が好きなのは・・・

 「やるべき事もやりたい事もできないような、そんなつまらない大人にはなるなよ」
 思わずお姉ちゃんの言葉が口から飛び出しました。ずっと気にしていた言葉です。私はつまらない大人になりたくありません。
 「じゃあ、私のやりたい事とはなんなのですか?」
 唐揚げを作ること? いや、違います。フラモン教を作る前、私は何をやっていましたっけ。自分の好きな絵を描き、自分の好きな文章を書き、自分の好きな所へ行って汗を掻く。そんな小学校生活を送っていた気がします。もちろんその時も唐揚げは好きでしたが、だからこそ頑張った時のご褒美だった気がします。良かったですね、あの頃は。あの時が一番幸せな気がします。
 「だったら、その時に戻るには何をすればいいのでしょう?」
 ご褒美が毎日手に入る、そんな生活に逃げている今のことを、やるべき事もやりたい事も出来ないというのでしょう。なら私がやるべきことは何なのでしょう。
 学校に着いても私は考えした。朝のHR。授業中。休み時間。昼休み。放課後。私はずっと考え続けましたが、結局何も分かりませんでした。

 学校から帰ると誰もいませんでした。お父さんお母さんはともかく、お姉ちゃんまで居ないのは珍しいことです。でもそんなのを気にしている余裕はありません。私には考えることがあるのです。そしてベッドに飛び込んで目をつむりました。
 ベッドに横たわってから2時間弱。こんなの一つのことを考えたのは久しぶりです。時計を見るともう6時。唐揚げを作る時間です。また私は唐揚げに逃げるのでしょうか。いえいえ、これはフラモン教の教えなので仕方が無いのです。・・・という考えがもう逃げだということは分かっています。それでも安きに流される自分がもう情けなくて堪らないのです。
 台所につくと、いつの間に帰ってきていたのか、お母さんがすでに夕ご飯の調理をしていました。お母さんは私の姿を見ると、横にずれて私のスペースを作ってくれました。
 「あらメグ、いつものやつね」
 「はい。ありがとうです。そういえば晩御飯は何なのですか?」
 「今日は鳥の照り焼きよ」
 「そうですか。ということは!」
 私が急いで冷蔵庫の扉を開けると、鶏もも肉が全部使われていました。私が固まっているの見たお母さんが今更気づきます。
 「あ、ごめんメグ。もも肉全部使っちゃった」
 そして慌てて自分のバッグから財布を取り出しました。
 「ほら、これで買ってきたら? お釣りはお小遣いにしていいから」
 そうして千円札を一枚渡されました。もう秋ですし、外も暗いのであんまり行きたくありませんが、フラモン教の為です。私は部屋に戻ってセーターを着、街に飛び出しました。

 行きつけのスーパーに行くと鶏もも肉は売り切れていました。落胆しましたが、ここは都会です。鶏もも肉なんてどこにでもあるはずです。そしてまた夜の明るい街を歩きます。
 ですが、すぐに見つかると思った鶏もも肉はどこにも売っていませんでした。他のスーパーでも売り切れ、肉屋は定休日。いつのまに鶏ももショックが起きたのでしょうか。でも何としても鶏もも肉を手に入れなければなりません。私は普段行かない所まで足を伸ばすことにしました。
 明るい街から外れた結構暗い道。こういう所に隠れ肉屋でもあればいいのですが、中々そういうものはありません。そもそも店自体いが少ないのです。どこをみても家ばかり。私の住む住宅地はいろんな所に光があるのでそれこそ星が見えないくらい明るいのですが、ここはぽつんと街灯があるばかりで妙に暗いのでした。今日が新月というせいもあるのでしょうけど。
 「あれ、ここ何処でしたっけ?」
 あまり知らない道を行き続けたせいか、どっちがどっちだか分からなくなってしまったようです。ですがこのまま進めばいつかは大通りに出るはずです。私はどんどん進みました。

 どれだけ進んでも大通りに着かず、ちょっとまずいんじゃないかな、と思っていた時でした。ある交差点に差し掛かった所で強烈な光が私を襲いました。思わず目をつむります。そして目が慣れた所でその光が差す方向を見ると、そこには一軒の屋台がありました。
 それはとても大きく、そして古臭い移動式屋台でした。屋根も机も椅子も車輪も全部木でできていて、江戸時代にあっても不自然ではないと思われるほどです。あと、屋台の構造も少し変でした。普通屋台はカウンターだけついていたと思うのですが、その屋台は調理場も椅子を置くところも土台に乗っていて、まるでラーメン屋の一画をそのまま持ち出したかのようでした。そして一番目立っていたのは、屋台の軒先でこれでもかとばかりに光っている、大きく「唐揚げ」と書かれた提灯でした。かなり大きい提灯で、高さはきっとひとの腕の長さぐらいはあるかと思います。その提灯に照らされて、屋台の看板が煌々と輝いていました。
 『からあげ屋・満月亭』
 それがその屋台の名前のようです。

 屋台に近づくと、唐揚げの美味しそうな匂いが漂って来ました。看板に偽りなしの正真正銘の唐揚げ屋のようです。焼き鳥の屋台というのは知っていますが、唐揚げの屋台は見たことがありません。でも私はまったくラッキーです。今日もちゃんと唐揚げが食べられそうなのですから。
 暖簾を潜ると、ごつい身体つきのおじさんが腕を組んで座っていました。おじちゃんは私を見るとにかっと笑って立ち上がりました。
 「こんな夜更けに危ないよ。嬢ちゃん」
 怖い人ではなさそうなのでほっとしました。私も負けじと笑い返します。
 「おじさんが守ってくれれば安心ですね」
 「俺が襲うかもしれんぞ」
 「そんなことはしないと信じています」
 おじさんは、がっはっはと豪快に笑うと手をポキっと鳴らしました。
 「で、ご注文は?」
 「唐揚げの他に何かあるのですか?」
 メニューの板に「唐揚げ」の項目しか無いのを見ながら聞きます。
 「はっは、確かにな。ここではただの塩の唐揚げしか売ってねえ」
 「でも美味しいんでしょう?」
 「もちろんだ。絶品だぞ」
 「じゃあ、唐揚げ3つお願いします」
 「了解」
 おじさんは冷蔵庫から、鶏もも肉を調味料に漬けたポリ袋を冷蔵庫から取り出しました。きっと6時間くらいは漬けているのでしょう。調味料をじっくり染み込ませたほうが味もいいし、表面に醤油が溜まって唐揚げが焦げ付けることがないのです。ところで、何で移動式屋台に電気冷蔵庫があるのでしょうか。
 「おじさん、ここの屋台はどこから電気を取ってるのですか?」
 「今日は発電所からのエネルギィさ」
 「電線がないようですけど」
 「そこは気合で何とかしてるのさ」
 「そうですか。そして『今日は』てことはいつもは何処から貰っているのでしょう?」
 おじさんは、ふふふ、と笑うと空を指さしました。
 「そりゃ太陽からに決まっとるわ」
 「満月亭なだけにですか」
 「そう満月亭なだけに。今日は新月だから、仕方なく電気で動かしてんだ」
 片栗粉とコーンスターチで衣を作りながら、おじさんは答えました。私はなるほど、と首を縦に振ります。
 「つまりいつもはこの提灯は太陽の光で光っている、と」
 「あたぼうよ、嬢ちゃん。そしてその提灯、死ぬほど電気食うんだ。普段は太陽のエネルギィで動く代物だからな。だからめちゃくちゃ明るいだろ?」
 「うふふ、そういうのは大好きなのです」
 こんな夜中に面白いおじさんと出会えるとは、実に良いことなのです。
 「唐揚げモンスターのお陰ですね」
 「唐揚げモンスター?」
 「はい、この世の作ったお化けなのです」
 そして、私はおじさんにフラモン教の話をしました。夜のお化け、唐揚げモンスターを崇める宗教におじさんは興味を持ったようでした。
 「へーえ、おもしれーな」
 「でしょう? おじさんも入信してみませんか」
 おじさんは、うーんと唸りながらフライパンに揚げ油を注ぐと、やっぱいいや、と言いました。
 「その唐揚げモンスターってのは夜を支配しているんだろう?」
 「はい、そうです」
 「なら、同じく夜に輝く月としちゃあ黙ってられねーな」
 「それは残念ですね」
 おじさんはポリ袋からもも肉の欠片をとり出します。そしてやっと気付いたという感じで指を鳴らしました。
 「ああなるほど、だから嬢ちゃんは3つしか頼まなかったのか」
 「はい、それがフラモン教の掟なのです」
 「ふーん。でも3つとは言え毎日食うってのは頂けねえな」
 「太るからですか?」
 おじさんは首を横に振ります。
 「嬢ちゃんは、唐揚げの一番旨い食べ方を知ってるか?」
 「それは美味しくなるよう研究して、素晴らしい唐揚げを作ればいいのです」
 「違えな」
 おじさんはダイヤルをひねってコンロに点火します。パチパチパチという音がやけに耳に残ります。
 「ぶっちゃけて言うと、唐揚げなんて大したことねーのよ。一口で食べて、はいお終い。そんなもんさ」
 「でも、唐揚げは・・・」
 「ああ、旨いさ唐揚げは、だから何だよ。それだけさ。だから俺も塩の唐揚げしか作らねえのさ。その程度のもんの新しいメニュー作る暇があったら釣りでもするわ」
 私は頭を殴られた気分でした。おじさんは続けます。
 「だからその程度のもんをなるべく素晴らしいもんに見せるには、忘れた頃に食べるのが一番味わえるのさ。毎日食べるなんて論外だ。だから益々新メニューの意味がなくなる。偶に食べるものに沢山メニューは要らん。唐揚げなんて所詮人生を彩るもののほんの一部だ。そんな物のために毎日新メニュー考えるなんて時間が勿体なさすぎる」
 「じゃあ何でおじさんは唐揚げ屋やってるのですか?」
 おじさんはもも肉に衣をまぶして、私の方を振り向きました。
 「この屋台は俺の趣味だ。しかも月一。だからいいのよ。嬢ちゃんも、本当にやりたい事をやんな。唐揚げは好きなだけなんだろ? だったら唐揚げは日常のおまけだ」
 そう言うと、おじさんは熱せられたフライパンの油の中に鶏もも肉を放り込みました。私はそれを黙って見ていました。頭が上手く回りません。でも、自分の弱いところを言い当てられて、逃げたということをいいあてられて、みっともないという感情だけがそこにはありました。
 「よし、終わったぞ」
 おじさんは熱々の唐揚げを油から引き上げて、塩をまぶしてお皿に乗せました。全然食べたくなくなっていましたが、注文したのは自分です。仕方なく口につけました。そんな放心気味な私におじさんは呼びかけました。
 「どうだ、美味しくないだろ」
 私は黙って頷きます。
 「でもお代は取るぜ。五百円也」
 握りしめてクシャクシャになった千円札を渡すとおじさんはお釣りの五百円玉をくれました。
 「あとは俺からのサービスだ。お土産持っていきな」
 そういうと、おじさんは小さい紙袋をテーブルに置きました。持ち上げてみると何も入っていないかのように軽いのでした。
 「代は要らんよ。家に帰ってから開けてくれ」
 「ありがとう・・・なのです」
 「元気ねえなあ。無理も無いか」
 そしておじさんは屋台から降りると、屋台の取っ手の所に行って、それを握りました。
 「まあ、ああ言っといて何だが、俺の初めての新メニューだ。帰ってからのお楽しみ、とくと味わえよ」
 おじさんは、うんしょっ、と叫んで取っ手を押すと、屋台が動き始めました。一度動き出すとぐんぐん進んでいきます。このまま何処へ行ってしまうのでしょうか。でも何故か私はあまり怖くありませんでした。おじさんは私の行くべき所に連れていってくれるような気がしたからです。私は唐揚げを飲み込みました。お皿を見るともう残りはありません。いつの間にか全部食べてしまったようです。考えこんでいたので全然食べた気がしませんでした。
 最初は何も気が付きませんでした。車輪の立てるゴロゴロという音と振動をただ体で感じていただけでした。ところが、どんどん屋台が進んでいくうちに、少しずつテーブルが明るくなっているような気がするのです。最初は気のせいだと思っていたのですが、またさらに進むに連れて明るくなり、気のせいなんかでは無いことが分かります。はっと後ろを向くと、暖簾の挟んでもなお目が開けられないぐらいに提灯が輝いていました。そしてそれは時が立つに連れてどんどん明るくなっていくのです。私はとうとう目をつぶりました。それでも眩しい。またどんどん更に屋台が進む。明るくなる。光は、屋台を占領し、私は凄まじい量の光に包まれます。それでもまだ明るくなります。さらに。さらに。さらに。
 そしてもう耐えられないと思ったその時、私は道路の真ん中で一人ぽつんと立っていたのでした。

 ここはどこでしょう。私はまだ目を瞑っています。最初は目に焼き付いていた光が、徐々に薄れていきます。そして完全に無くなったとき、目を開きました。そして私は信じられないものを見ました。
 満天の星空でした。街の光も月の明かりもまったくないのに自分に影ができるほど輝かしい星々でした。本当に星だけしか無い世界です。天の川なんて初めて見ました。アルファベットと数字の名前しかないであろう暗い星も、これでもかとばかりに光っていました。唐揚げモンスターの影なんてそこにはありません。夜空に君臨していた唐揚げモンスターを追い出し、解放された星々の喜びの光が私を包みました。
 しばらくそんな瞬く星々を見ていると、ふと私の中に1つの疑問が浮かび上がりました。追い出された唐揚げモンスターはいったい何処へ言ったのでしょうか。
 「あら?」
 そんな疑問を持った途端、腕に負荷を感じました。右腕に提げていた例の紙袋に重さを感じます。中には何が入っているのでしょうか。私が紙袋を持ち上げると、突然私の顔に人工の光が当たりました。見ると、お母さんが懐中電灯で私を照らしています。どうやらここは私の家の玄関先だったようです。
 「メグ! 心配したわよ。良かった帰って来て」
 「ごめんなさいお母さん。ところで何でこんなに暗いのですか?」
 「そうそうそれよ。ここら一体大停電なのよ。この節電時にどっかのお馬鹿な会社が電気を使いすぎたに違いないわ。とにかく、こんなに暗い道をよく帰ってこれたわね」
 「うーん。自分でもよく分からないのです」
 「とにかく良かった。とにかく中に入って。あと、そうそう」
 お母さんは私を見てにっこり笑いました。
 「いいニュースがあるよ」

 玄関を上がり、お母さんと別れて廊下を歩くと、また懐中電灯の光を浴びせられました。
 「お帰り、メグ」
 お姉ちゃんが、今まで見たこと無いぐらいの笑顔で私を迎えてくれました。良いニュースというのはお姉ちゃんに関することなのでしょう。お姉ちゃんは早く話したいとばかりに口を開きました。
 「聞いてよメグ、なんとお姉ちゃん来週から働くことになったよ」
 「本当ですか!」
 「うん。今日思い切ってここらへんの小さな会社回ってみたら、なんと採用してくれる所があったのさ」
 「それは本当によかったのです」
 「ふふふ。やってみれば意外と簡単だったんだ。昨日今日でメグに八つ当たりしてさ、なんてダメなお姉ちゃんなんだろ、と思った。だから今日メグが学校行った後にこのままじゃだめだって決心したんだよ」
 お姉ちゃんは何か重い物から解放されたかのよに晴れやかな、幸せそうな顔をしていました。やりたい事の為に、やるべき事をやった人というのは、こんなにも幸せなのでしょうか。ひとしきり喋った後、お姉ちゃんは私に懐中電灯を渡しました。その目は、次はメグの番だ、と言っていました。私は頷いてそれを受け取り、自分の部屋に入りました。

 部屋はもちろん真っ暗でした。窓の外の星々が輝いているのとは嫌に対照的です。星々に追い出されたものが、ここにはいるという予感がしました。ベッドに座り、横に紙袋を置きます。そして懐中電灯でその紙袋を照らしました。紙袋のテープを丁寧に剥がし、中を照らします。
 そこには真っ黒焦げの唐揚げが一つ入っていました。紙袋に手を突っ込んでそれをつまみ上げます。見れば見るほど美味しくなさそうでした。しかも所々揚げ損ないの突起があり、まさにモンスターといった感じでした。
 「これが・・・」
 これこそが夜空に君臨した物の末路です。完全に冷え切っていて、明らかに不味そうです。ふと時計を見ると、9時を示していました。要するに、本日4つめの唐揚げです。いや、明日に持ち越すこともやろうと思えば出来ます。でも。
 「今度は私の番なのです」
 私は口の中にその黒焦げの唐揚げを、唐揚げモンスターを突っ込み、咀嚼しました。なんとも言えない苦味が口の中に広がりますが、思ったより不味くはありません。食べてみれば意外と普通に食べれるものなのですね。そしてよく噛みながら、自分のやりたい事、やってみたい事に思いを馳せます。あれもやりたい。これもやりたい。出来るかな? もちろん出来ますとも。

 そして私は唐揚げモンスターを飲み込んだ。

 「だって私は、フラモン教を破門されちゃった身なのですから」
 飲み込んだ後、口の中に苦味は全く残らず、食べたことすら本当かどうか怪しいぐらいでした。でも私は確かに食べたのです。あのお化けを。私を縛り付けていた心底どうでもいい宗教を。『解放』という名の唐揚げの残り香が、今そこら中に漂っています。
 「これが『自由味』なのですね」
 おじさんの新メニューは結構苦かったのでした。そして最初の3個はあまりおいしくなく、食べた気がしません。ロクな唐揚げを売っていませんねあの店は。なんかもう唐揚げ自体食べる気なくてしまいます。


 ・・・だから当分唐揚げは食べなくてもいいかなあなんて、そう思ったのでした。


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