近所の土手では桜が満開だった。
 その日は青い空と白い雲がちょうど半分ずつ見えていて、日差しが当たると暖かく、風が吹くと涼しい、そんな天気だった。
 近所の人たちも結構花見にきていて、でもそこまで人数が多い訳でもなく、少なくとも地面にビニールシートがびっちりなんて事は無かった事を覚えている。
 ちょっとばかりの喧噪と川の流れる音を聞きながら、澄み渡る空と咲き誇る桜を見ながらの素敵な花見だった。
 ゆっくりと何かを話したり、話さなかったり、桜を見たり、桜以外を見たり。皆が皆各々の楽しみ方をしていた。

 ・・・という夢を見たんだ。
 といってもそれは夢オチじゃなく今から七年ほど前にあった本当のことで、父さんが生きていた頃の最後の思い出だった。
 設定していた目覚まし時計のアラームの時刻より四十分も早く目が覚めてしまった。
 春になったばかりなので暑くもなく、寒くもなく、布団から出るのにそうそう苦労はしなかった。
 奥の座敷で寝ている母さんを起こさないように布団は畳むだけ。
 一応窓からの日光が当たるところに移動させる。
 玄関のドアを開けて今日の新聞を取る。
 外から入ってくる風が涼しくて気持ちよかった。
 着替えて窓を開けて顔を洗って朝食にする。
 冷蔵庫から出したヨーグルトを食べつつ、新聞を読む。
 昨日も世界は平和だったらしい。
 どうでもいいことばかりが書かれていた。
 若干早く起きたので時間は十分にあったのだが、特にすることもないので早めに家を出る事にした。
 こんな天気がいい日はゆっくりと歩きたいものである。
 早起きは三文の得とはよく言ったものだ。
 それにしてもいい天気である。
 本当にあの日にそっくりな天気だ。
 今日あの日の夢を見たのは偶然ではあるまい。
 そんなことを考えつつ、ゆっくり、ゆっくりと見慣れた町を歩いて学校へ向かう。

 当然の事ながら教室には誰一人いなかった。
 自分の机に鞄をおいて校内一周の旅に出る。
 うちの学校にも中庭にそれなりの桜がある。
 というわけで見に行く。
 見事に咲き誇っていた。
 バックに校舎があると桜のイメージががらっと変わる気がする。
 いつも見慣れている校舎も人がいないだけでこれまた印象が違う。
 そんな新鮮さを感じながら校内を一周して、教室に帰ってきてもまだ誰もいない。早すぎたか。
 ホームルームまで一時間もある。
 寝ることにした。おやすみ。
 きっと誰かが起こしてくれるだろう。


 てれてれてれってっててれってー♪
 れててれってってー♪

 携帯の着信音で起きる。
 電源を切るのを忘れていた。しまった。
 が、教室内には誰もいない。
 時刻を確認する。
 AM11:34だった。終わった。
 メールを確認する。

 from : なにしてんの
 title : 今日学校休みだよ。
 subject: 

 名西天野さんからのメールだった。ずれてるずれてる。
 ・・・いやこの間違い方はできないだろと思っていたらアドレス帳の方が変更されていた。
 手の込んだボケだった。ツッコミのしようがない。
 とりあえず返信。
 「普通に間違えた。休みだったっけ」

 五秒後。
 でーっでーでーれでーっでーでー
 でーっでーでーれでーっでーでー
 別の着信音が廊下で鳴り響いた。

 どうやら名西(仮)さんは廊下にいるようだ。
 っていうか僕に対する着信音が「イナクナリナサイ」とかこれは新手のイジメですかそうですか。
 ダッシュで廊下に向かうと名西さんは逃げていなかった。
 いい度胸だ。
 ついでに制服だった。
 お前も間違えてんじゃねーか。
 おまけに遅刻だよ。
 お前の方が二枚も三枚も上手だよ。
 「おはよう。ミステイ君」
 誰だそいつは。
 そしてもう昼だよ。
 「もしかして、今日学校あると思ってた?うっわー、だっさー」
 お前もな。
 「え?私?やだなあ私は最初から花見の予定でしたよ花見」
 うそつけ。
 「その証拠に私の鞄の中は空だよ。君はどうなのかなぁ?」
 お前は全教科後ろのロッカーに放り込んでるだけだろうが。
 ドヤ顔するんじゃねぇ。
 しかし今回だけは本当らしく彼女が持っていたのはいつもの弁当箱ではなく重箱だった。
 「元々は一人で楽しむ予定だったけど、君もどう?」
 誘われてしまった。


 花見をどこでやったのかというと、これがなんと屋上だった。
 上から桜を見下ろす花見なんて聞いたこと無かったが、名西さん(仮)らしいといえばこれ以上無く名西さん(笑)らしかった。
 本当に何やってんだこいつは。
 そんな彼女はというと、
 「みすてい はじゅうばこをあけた」
 「じゅうばこのなかみは からあげ だった」
 「みすてい は からあげ をてにいれた」
 一人RPGごっこに興じていた。
 本当に本当に何やってんだこいつは。
 彼女の持っていた重箱はやたらと分量があったので、ありがたく頂くことにした。
 二人でも花見は花見。
 そこに花と料理と酒があるだけでいつもと違う特別な雰囲気が醸し出される。
 ・・・ん?酒?
 いや、あの徳利の中身は水だろう。多分。
 第一もう自分も飲んでしまったからどうしようもない。


 ・・・あれは普通に日本酒だった。
 花見の記憶がすごく曖昧だから間違いない。
 その場のテンションと酒のせいで何を言ったのかも覚えていない。
 気がついたらもう夕方になっていた。
 酔いもそれなりに覚めていて、最初の方の騒がしいノリからは想像もつかないくらい落ち着いていた。
 言葉が減るにつれ、感覚が共有されていくような感じがした。
 無言がもうずっと長いこと続いていた。
 「さて、今日はもうお開きだ。楽しかったよ」
 彼女は言った。
 「これ、重箱の残り。あげる。好きに使いな」
 彼女はそれ以上は言わずに帰っていった。



 家に帰ると、母さんが唐揚げを作っていた。隣に重箱もあった。
 なんて事はない。母さんも今日、あの日の事を思い出していたのだ。
 母さんが作った重箱と、彼女がくれた重箱の二つを持って、僕と母さんはあの土手に向かった。
 やっぱり風は涼しかった。
 夜道はやたらと明るかった。
 空には綺麗な満月が浮かんでいた。
 夜桜見物をしながら、僕と母さんはいろんな事を話した。
 ずいぶんと久しぶりにまともに話をしたような気がする。
 思うに、酒が入っていたあの時、ついうっかり昔のことと、今のことを彼女に話してしまっていたんだろう。
 だから、この重箱は彼女の、僕と母親の会話の機会を持たせようとかそういった類の、気配りというか、お節介というか、とにかくそういう事だろう。
 彼奴にそんな他人の事を思いやる精神があるとは思ってなかった。
 あったのか。びっくりだ。
 なんて言ったら後日普通に殴られたが。
 今感じている感傷的だったり、感慨深いアレやコレは、全部酒や桜のせいだろう。
 明日になったら跡形も残っていないに違いない。
 まあ、それでもいい。
 そんな素敵な一日だった。


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