目が覚めるとそこは、火の海だった。
一面に燃え盛る炎。今にも私を捉えて焼き尽くさんとするほどの灼熱。
こんな非常事態を前にして意外と私は冷静だった。
いつか、こうなると思っていたから。

逃走ルートを頭の中に描き、必要最低限の物を携さえる。
一刻の猶予もない最中、ある考えが頭によぎった。
もう、このまま死んでしまおうか。
これ以上自分が生きる意味なんてないだろ。
今まで幾度と無く運命に裏切られてきた。
この手につかんだ幸せなどあっただろうか。
真面目こそが唯一の取り得であったにも関わらず、試験には落第。
何度挑戦しても落第。
周りからの嘲笑、哀れみ、蔑みに何年も耐えながら半年前に漸く成功。
安住の生活への切符を手に入れた・・・
と思いきやまた運命様によってぶち壊しだ。

反芻した結果ここで死のう、という結論に落ち着いた。
神様の与えた唯一の施しではなかろうか。
こうして孤独死を迎えるのも悪くない。
だが、身体は精神の下した結論に反逆を起こし、窓際へと向かっている。
(…ははっ)
自然と笑みがこぼれでる。
人間の矮小さ。貪欲さ。醜さ。
そして何よりもこの私自身に対して。


半年間住んだ大して思い入れの無いこの部屋にお別れを告げる前にもう一度自分に問うてみる。

「おまえは何のために生きるのか?」

(…知らねぇよ)
今の私にはそれが精一杯だ。だけど確信を持って言える事はただ一つ。
「んなもん、生きて見なきゃわかんねぇだろ!」

泥に何度顔をうずめたとしても懸命に足掻いて生きて見せる、
その決意を天に伝えるがごとく私は窓の縁を強く蹴り空を



———飛んだ







意識が戻った時私は街を一望できる山の上にいた。
私の意識は窓から飛び出したところでフェードアウトしているから誰かが助けてくれたのだろう。
まぁ、自身の命も危ない非常時に私のような人間を助ける人物など心当たりは一人しかいないのだが。

「おぉ、気がついたか。」
「…いつもすまんな、ハルキ。」
背後から聞こえて来た声はやはり想像通りの人物で。
底知れないお人好しに感謝の言葉を告げる。
「なぁに、これっぽちの事を気にするな。それより【異能】は大丈夫か?」
力なく肯定し、ちっぽけな袋を袂から取り出す。


そう、私とハルキが有している【異能】。
異能、というと仰々しく聞こえるかもしれないが、私の異能と言えば、天帝との交信及び貧困、飢え、悲しみに嘆く人に対する効果的なセラピーを行う程度である。
しかし、この時代に私とハルキを含め3人しか選ばれていない現状をみると、意外と大きな役割を果たしているのかもしれない。
当然街一つが焼け落ちた今は私の【異能】を発揮するにふさわしいタイミングであった。


「ハルキはもうレクイエムは捧げたのか?」
「あぁ、俺は負の感情専門ではないから上手くはいかなかったけどな。これほどの悲しみを癒せるのはお前しかいない。」
私とは対照的に人々に幸福を伝える能力を持つハルキは未だ燃え盛る街を苦々しげに見つめる。
私とて今すぐにでも救済してやりたい。
それが私の使命であるし、何より街には何千もの魂の救いを求める叫びで溢れているから。
だが、今発動したところで誰も救われないだろう。体力、精神面が万全の時に改めて鎮魂歌を歌い上げることを決意する。

その決意を感じ取ったのかハルキは何も言わず、次に口から零れた言葉は「今後どう生きるか」であった。
(家族の待つ村に帰ろう。)
私の頭に浮かんだ選択肢は帰郷の2文字しかなかった。
どうせ職場を失ったんだ、疎開させていた家族の元に帰っても罰は当たらないだろう。
その旨をハルキに伝える。
すると、意外な返答が聞こえて来た。
「俺も同行していいか?」
「えっ?」
「お前を一人にしておけない…というか、心配なんだ。」
何を言っているんだこいつは。常時なら憎まれ口を叩く所だがどうやら身体は言う事を聞かないらしい。
「あぁ。それじゃあお世話になるよ。」
崩れ落ちるように、いや、まさに崩れ落ちた私は再び眠りに就いた。




何事も無かったかのように照りつける日差しと嘔吐を催させる硝煙の臭いに否応なく起こされる。
最悪な朝の目覚めだ、ちくしょう。
眼前には焼け焦げた街が広がっている。
ふっ、皮肉なことだ。
山や河は依然として泰然自若と構えているじゃないか。
いや、それどころか荒廃した街を背景としてより一層美しさを増しているように思える。
人間を含む全ての生命体なんて所詮…
「早いな、よし。出発するか。」
私の考え事はハルキの声によってかき消された。まぁ、一朝一夕に結論が出る命題でもないか。
私はいつも通りのポーカーフェイスで頷き、街を背にして歩み始めた。



男の二人旅、といったら特に会話もなく、黙々と歩を進める二人…
そのような情景を一般的に思い描くのではなかろうか。
だが、私達の旅はその想像とはかけ離れていた。
というのも、【快楽】のメモリーを持つハルキと一緒であるからである。
「あの鳥見て見ろよ、楽しくってしょうがないって様子で歌ってるぞっ」
「ほらっ!今日は月が綺麗だぞ!」
「酒ってのは素晴らしいもんだなぁ、まったく。」

常時この調子だ。
別に私の感受性が貧困さから彼を面倒だと思うわけではない。
ただ、彼のように全てを曝け出せる姿を少し羨ましいと思うだけだ。
【悲愴】のメモリー保有者の私は「えぇ。」「はい、そうですね。」「その通りです。」
といったコメントしか返せない。
ここまで対照的な性格なのにどうして仲良くなったんだけな




『唯一無二の親友との出会いを思い出してみる。私達は生まれも身分も何もかもが異なっていた。
私は貧しい小作農の三男坊、彼は名の知れた貴族の長男。
本来なら顔を合わせる事すらせずに生涯を終えるはずであった。
しかし、ちょっとした天のイタズラが起こったのだ。
そう、それが「選抜」
天帝が3人に特別な才能を授け、神の代理人として生きる定めを与えたのであった。
もうお分かりであろう。私に【悲愴のメモリー】ハルキに【快楽のメモリー】もう一人に【慈愛のメモリー】が与えられたのだ。
選抜が行われて一月と経たない間に、私の噂を聞きつけたハルキが我が故郷に訪れたのであった。』




「どうした、さっきから上の空だぞ、らしくない。」
「…あぁ、私達の出会いを思い出していたんですよ。」
ハルキはふっと遠い眼をしたかと思うと、しばし咳こんだ。
子供が言い訳をするかの如く手を大げさに振って頼んでもいないのに解説を始めた。
「いやぁ、初めて会った時はこうして二人でいることになるだろうとは思わなかったからさ。」
お互い様だよ。ペシミストとオプシミストの頂点が仲良くなれるはずがない。
しかし、そんな至極当然と言える論理さえ霧消させたのはやはり「異能」であった。
異能によって二人から紡ぎだされた言葉の羅列が、両者の有する蟠り———内に蠢くやり場の無い感情———を
氷解し、涙という形状で吐き出させた。
そうして私達は今ここにいるのだ。

「故郷で会ったあの頃からお前は変わってないよな。特に笑わないところとか。」
「笑顔って苦手なんですよ。素の自分をさらけ出すのが怖くて。」
「笑うとどんな辛いことでも忘れられるぞ。」
屈託なさそうに笑うハルキの顔を見て幸せじゃないと思う奴は皆無だろう。
刹那、心に生まれる妬み。彼みたいに笑えるようになったら幸せになれるんだろうか…
ほら、また底なし沼に足を踏み入れてしまったようだ。ははは。乾いた笑い声。
『待てばいい』ふと。頭上から。声が聞こえた…




それから二日ほど歩き続けただろうか。故郷は目前である。
「覚悟は…出来たか?」
言われるまでもない。無言で肯いて足を踏み入れる。

何の事は無い。これは王道中の王道。別れていた家族との再開なんて一番ありがちで美味しいシチュ。
都にいるはずの私を見て妻が瞠目する。一瞬口元に手を当てるものの、ほっとしたようで安堵のため息をつき、
家族を呼びに行く。私をめがけて抱きついてくる3人の愛し子。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら私の名前らしき音を発する長女、男は涙を見せるなと躾けたにも関わらずあっさりと破るバカ息子、
預けた時はまだ2歳に満たなかったがすっかり成長して可愛らしくなって微笑む末娘。
隣で幸せそうに見守る親友。
そう、全てがよくある話。けれど一筋の涙が私の頬に痕跡を残した。つまりはそういうことなんだろう。





家族との再会を無事果たした私は深夜、ハルキと町の北部にあるちょっとした丘に腰かけていた。
「いよいよ…か。」
「あぁ。」

肌身離さず持っていた小さな袋から筆と紙を取り出す。

この夜に、救われぬ悲しみを癒して見せよう、高らかに歌い上げよレクイエム!























春望



国破山河在 

城春草木深 

感時花潅涙 

恨別鳥驚心 

烽火連三月 

家書抵萬金 

白頭掻更短 

渾欲不勝簪 











長安の都は戦に破壊されたが、山と河に変わるところは何もない

その都に春が巡り来て、草も木もみずみずしく生い茂っている

騒乱の時世に心が痛み、美しく咲く花を見れば涙があふれて

親しい人との死別を嘆くたび、鳥の声にも胸騒ぎを覚えてしまう

戦いののろし火は、三ヶ月を経た今も止まず

家族からの手紙は、万金に値するほど懐かしい

白くなった頭を掻くと、髪はすっかり短くなっており

役人時代に冠を留めたかんざしの留め針さえ刺せなくなろうとしている












「最高だ。杜甫よ、お主はまた大きく成長したように思える。」
「あら、誰のおかげでしょうか。ハルキ…いえ…、李白。」
「ふっ、その名で呼ぶなとは言ってるであろう。とは言え、この歌には単にレクイエムではなく、
郷愁の意も込められていると思ったんだが、どうだ?」

やはり詩仙の目は欺けぬな。
郷愁、それは私の心の中に蔓延していた毒ガスを払いのけたものだった。

「李白、私、最近になってようやく分かったんです。
生きる意味、ってのが。
今まで私は形ある物を求めていました。
自分の中で決めつけたかったんでしょう。
これがあるから私は生きる。
そうやって自分を安心させたかった。
心が弱いから。不安になってしまうから。

幸せなあなたを見ると妬ましく思っていました。
でも、あなたのおかげでわかったんです。

生きていたい、明日を生きたい、と強く思う心の中に生きる意味はあるんだと。
こうしていつまでも故郷で家族と共に生活し、親友がいて、好きな時に漢詩を詠む。
これ以上の幸せなんてないんですよ。」


そうだ。
今日生きている私には明日がある。だから明日も生きて見よう。
それが私の答えだ。




私は振りかえり………

星の輝く夜空を見て……



笑った。


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