現代。
科学技術の発達に伴い、無駄な、無意味な物が社会から排除された時代。
数年前にタイムマシンが実用化されるようになった。人間はついに時間旅行さえも可能にしてしまったのだ。

私は、自分がこんな時代で今までずっと働いて来られたことが不思議でならない。
同世代の人間なら皆そう思っていることだろう。
若いうちは目先のことしか考えている余裕はない。
しかし年老いて定年を迎えてみると、自分が実に仕事にかまけてばかりいたことを痛感するのだ。
妻にこんなことを話す度
「何言ってるの、職に就いていられるだけ幸せじゃない。」
とたしなめられる。もはやなんとなく穴の開いたような、寂寥感の漂う現実を嘆くのが習慣になってしまっている。

ある日、いつものように妻に愚痴をぶつけていると、こんなことを言われた。
「じゃああなた、そんなに言うなら、過去に行っちゃえばいいじゃない。私も興味があったのよ。二人で行きましょう?今は前ほどは危なくないって言うし。私もこんな生活に飽きてきたところなのよ。毎日毎日同じことの繰り返しでさ。もううんざりよ」
「でもあれって物凄く金がかかるらしいじゃないか」「どうせお金なんてあったって使い道ほとんどないじゃない」
「それもそうだな」

ネットで調べてみたら、どうやら時間旅行を扱っている会社は北海道にあるらしい。なんでも広い土地が必要なのだそうだ。
住所と会社名をメモして支度をし、翌日、私は妻と共に北海道へと向かった。
その会社は、物凄い田舎にあった。バスは一週間に二、三本しか通っていなかった。

ようやくその会社までたどり着き、私達は中に入った。
見ると、かなり怪しげな機械がたくさん並んだ、工場のような大きな建物だった。
中年の男性定員が接客してくれた。
「タイムトラベル社にようこそお越しくださいました。さて、今日はどのようなご用件で」
「この会社で過去旅行を取り扱っている、と聞いたんですが」
「はいはい、過去旅行ですね。それではどの時代にご旅行なさいますか」
ここで、私も妻も、とりあえず現代から抜け出すことだけ考えていたから、どの時代に行くのか全く考えていなかったことに気づいた。しかし、その時とっさに出た答えは、私も妻も同じものだった。
「1960年代でお願いします」
「それでは1966年ごろでいいですか」
「はい、いいです」
「それでは1966年の今日から一ヶ月になります。さて料金の方ですが、これくらいになります」
と言って彼は電卓を叩き、私達に見せた。そこに表示されていた金額に私は絶句した。そこには、私が今まで必死に働いてこつこつと貯めてきた金に匹敵する金額が表示されていたのだ。

私は断ろうとしたが、私が口を出すより先に妻が
「お願いします」と口に出していた。
おい、と小声で妻に抗議すると、妻は
「昨日も言ったでしょ、今お金なんか持っていても仕方ないじゃない。年金もあるんだし、ちゃんと暮らせるわよ」
私は黙るほか無かった。妻の言うことは全く正しい。確かに今まで金を稼いできて嬉しく思ったことなど殆ど無かった。あったとしてもそれは働き始めの頃だけで、金を持っている、ということよりも働いていることへの実感、充実感に対する喜びだっただろう。

「わかりました。それでは当社では前払い制になっておりますので、今お支払い下さい」

私は備え付けてあったキャッシュディスペンサーでありったけの貯金をおろし、料金を払った。
その後店員から色々な説明を受けた。
そして最終的に
「それではこちらへお越し下さい」
と言って店員は私達を怪しげな機械のもとにつれてゆき、私達をその中に押し込んだ。
「では、良い旅を」
微かに店員の声が聞こえて、それから私達は二人とも意識を失った。

1966年。
まだ私達が幼い頃だ。
第二次世界大戦が終わり、ようやく一段落ついて、これから発展へと向かおう、という時代。
街にはビートルズやボブディランの曲が流れ、まさに新時代の始まりを子供ながら予感した時代。
何より、街に無意味なものが溢れていた時代。


目が醒めると、私と妻は広い公園の芝生の上に横たわっていた。
起き上がり、とりあえず街に出る。
現代にはもうない、しかし記憶の片隅には微かに残っている街の風景。車、八百屋、魚屋、銭湯、と挙げていけばキリがないが、何よりも人々にあたたかみを感じた。
そうだ。
これが、私達が求めていたものだったのだ。

それから三週間くらい過ごした。その期間は、全く充実したものだった。それまで過ごした時間の中で、最も濃密だった、といっても過言ではないだろう。

ある日、その時参加していたツアーでたまたま一緒になった男性と仲良くなった。
しばらく談笑していたが、三人きりになったとき、彼は声のトーンを変えてこう言った。
「あなたたちは、時間旅行者ですよね」
私はギョッとした。
「雰囲気でわかりますよ。実は私も時間旅行者なんです。ちょっとお願いしたいことがあるんですが」私は最初、彼は冗談を言っているのだと思っていた。
「今、あなたたちは、ずっとこの時代にいてもいいな、と思ってませんか?
この時代には、あなたたちの時代にはない活気が溢れている。私はあなたたちよりずっと先の時代から来たのです。私達の時代ではもうタイムマシンは庶民の手が届くものになっています。しかしそのせいで、未来には今人が殆どいません。あなたたちのように、無駄のない未来に魅力を見出だせず、昔への郷愁から皆この時代に移住して来ているのです。ほら、あそこにも」
彼は他の人を指差して言った。
「このままでは間違いなく人類は滅亡します。あなたたちに、それを食い止めて頂きたいのです」
もう私達には彼をうたがうことが出来なかった。
「何をすればいいのですか」
「あなたたちは、一週間後にあの店員から、こちらに残るかどうか聞かれるでしょう。そこでノーと返事をして、あなたたちの時代に帰って時間旅行を禁止するよう活動して頂きたいのです。このままでは、本当に人類は滅亡してしまいます」
「わかりました」
「本当ですか?ありがとうございます」
彼は何度も何度もお辞儀をして、もとのツアーに戻った。

私も妻も、せっかく大金を払ったのにもとの時代に帰らなければならなくなったことを残念に思った。

そして一週間後、男性の話のとおり店員にこの時代に残らないかと誘われた。もちろん答えはノーだ。
私達を現代に戻し、店員は少し残念そうに、
「旅はいかがだったでしょうか?私はあなたがたがこちらに戻って来るとは思っていませんでしたが。何かご不満な点がございましたでしょうか」
と言った。
「いや、別に良い旅だったよ。ただ、こっちでやるべきことができたのでね。」

こう返して、私はあることに気がついた。
人類を救うということこそが、私達の「生きる意味」ではないか、ということに。

それだけでも、大金を支払った甲斐があった、と私は思った。


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