私は女。何を言われようと。たとえ足の毛がすごくても。見た目がおっさんでも。今まで彼女ができたことがあっても。男が嫌いでも。中性ってよく言われるけどそんなんじゃないんだよね。トイレは看板の地味な方にはいるけどね。
小学校の頃とかは純粋な羞恥心からなのか、自然と女が好きだったけど。僕は佐々木さんが好きだったけど。私はどこか不安を感じていたんだね。
目覚めたのは、高校卒業から十年後だね。ぼくは家庭があり(奥さんの名は佐々木さん)お前からみれば順風満帆だったけどね。抑え込んでたものが全部怒りとなって。佐々木さんいなくなって。自由になった。テレビにでた。中性のブームに乗り私はすぐに「売れた」。親は狂った。其処はもう激動期で断片でしか。とにかく私になったの。でも私は男は大嫌いなのわかる?
あなた聞いてる?そして十年後父親が死んだの。こんな私は帰るべきなのかな。我が家の恥になっていやしないかななんて。結局いけなかったの。だって無理じゃない。こんな私じゃ。そして考えたんです。母親が死んだら。喪主は確実に長男の私。一人っ子だし・・・。バイヤーね。
そうこうして十年は電話にビビりながら生きる。電話が鳴り実家に二十数年ぶりに帰った。懐かしい・・・。気づかれないように私は頭を丸めた。そして私は葬式をとりおこなったの。そこには300人もの人が来たの。人は棺桶を被された時に全てを評価されるって言うけど。母は偉大だったのね。そこには私のものは一つもなかったの。悲しくもなくて帰ったの。
私は没入する。私はくるべきじゃなかったの。郷愁?そんなものはないの。だって故郷なんてあってないようなものだから・・・。

そして気づく。これが偽り。故郷が欲しい。昔に戻りたい。それと同時に僕になった。人の心理は論理的じゃない。お前はわからないだろう。これは一人目の自分じゃない三人目。同性愛者大嫌い。だから僕はお前が嫌いなんだ。だから僕が女であることはない。
でも私は同性愛者じゃない。あなたが嫌い。だから私は女である必要はない。
私は人が愛せない。僕には愛がない。自分らしいってなんだ?どれも自分ではないの。「私」は。「僕」は。正しくない。故郷を失えば。
そうか。だから女なんだね。
私は女。何を言われようと。帰りには気をつけて。


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