「おい御形、お前毎日ちゃんと寝てるのか」
その御形と呼ばれた少年は、自分の担任の先生の話など、全く聞いていない様子である。
実際、12月になって寒くなってきたなー、と暢気に彼は考えていた。
その全く懲りてない様子に諦めを覚えたのか、
「ああ、もういい。今度から寝ないように。」
「はーい。」
後ろで、返事だけはいいな、とつぶやかれているのを無視しながら、彼は帰路についた。
(・・・はぁ、退屈だ。)
いつも同じようなことしか言わない教師の話を誰が聞くのだろうか。
少なくとも彼はそれを聞くつもりはなかった。
彼は町のはずれに一人で住んでいる。彼の家は少し変わっていて、敷地の半分が道場である。
そのおかげで、割と広い敷地に対し、家自体はそんなに大きなものではない。
1年前までは、祖父との二人暮しであったが、その祖父も1年前に他界した。
死ぬ前は、道場でほぼ毎日祖父に叩きのめされた。
昨年までの10年間での成長は、2手でつぶされていたのが10手に増えたくらいで、祖父には歯が立たないままだった。
その祖父の遺産相続やらなんやらは、弁護士を頼んであったようで、彼自身は何もしなくてすんだ。
関わらなくてすんだ、という思いと共に、そうやっていつの間にか死ぬ準備をしていた祖父に寂しさも感じたことだった。
さて、彼に残された遺言は二つ。
「葬式はするな。」と、
「蔵を整理しろ。」であった。
そんなこんなで、そろそろ大掃除の季節だからと、彼は今日は蔵の整理をすることにした。
『蔵には近付くなよ。』
と、死ぬ前までは彼の祖父は口癖のように言っていた。
おかげで、彼は物心つく前から住んでいたこの家のなかで、倉庫にだけは1度たりとも入ったことはなかった。
(意外とあっさりと入ってしまったな。)
今まで禁忌とすら感じていたのにと、拍子抜けしたような心持になる。
倉庫の中は、一言で言ってしまえばわけが分からなかった。
祖父が集めていたらしい、怪しげな骨董品で辺りは埋まっている。
(鉄扇とか何に使うんだよ・・・)
と、疑問に思いつつも整理を始める。
そういったカオスとでも言うべき空間の中で、一際彼の眼を引くものがあった。
「何だ・・・これ。」
思わずそう呟いてしまった彼の視線の先には、箱に入った一振りの刀が有る。
なるほど、祖父が倉庫に自分を近づけなかったのは、こういった類の武器のせいかもしれないと考えている傍ら、彼はこの刀に違和感を感じていた。
手にとって見ると違和感は強くなる。おかしい。この刀は納まっていない。不釣合いなのだ。紙で出来た簡素な箱も、貧相な鞘も。ふさわしくないと、刀の知識もないのに直感していた。
だから、なのだろうか。普段ならするはずもない行為をしてしまったのは。武器など、大嫌いであったはずなのに。
・・・その刀を、抜いてしまった。
突如、彼は右腕に熱を覚える。
そこに、目を向けると———
(え・・・?)
かれの、うでが、
(うそ、だろ・・・?)
きれいさっぱり、跡形もなく無くなっていた。
その代わりに、
さっきまで、 持っていたはずの刀が、
その、 きれいな、 切断面から、
はえて、 いて、
「あ・・・」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
声にならない悲鳴を上げながら、ああ、痛みってのは度を越えると熱いんだな、などと場違いな考えが、彼の頭の中をぐるぐると回っていた———。
彼が寒さに震えて目を覚ました時、大した時間は経ってなかった。
(そうだ、腕・・・)
慌てて右肩から先を見ると、
・・・そこには、確かに彼の腕がついていた。
刀がはえてなくて良かった、と安堵する。
が、その安堵もすぐに掻き消された。
なぜなら、
(刀が・・・!)
箱の中の刀がなくなっている。
箱も、鞘も残っているのに、刀そのものだけが見当たらない。
(待て・・落ち着け・・・)
(とりあえず、今の状況を整理しよう・・・)
(倉庫の整理を頼まれて、刀を見つけて、何を血迷ったかそれを抜いて・・・)
それから、自分はどうしたのだろうか。腕がついてる以上、あれは白昼夢とするのが良いのだろうか。
しかし、彼が感じた痛みは夢にしては克明に過ぎた。
(気の、せいだろう・・・)
結局、それ以外の結論は出ず、彼は刀が入ってた箱を置くに仕舞いこみ、倉庫の整理も適当にすませてその出来事を忘れるように勤めることにした。
前日の白昼夢だか幻覚だか分からないような出来事を忘れるため、彼はいつもより早めに家を出た。
寒さで腕が軋む。朝から腕に違和感がある。
おそらくは昨日の夢だか何だか分からない体験に無意識に引きずられているのだろう。
結局その日の放課後まで、たいしたことは何も起きなかった。
いつものように終礼までの殆どの時間を寝て過ごしただけであった。退屈としか言いようがない。
もとより勉強も出来なければ友達もいない彼にとって、学校などただ寝るだけの場だ。
・・・それを虚しいと感じていても、どうにもならないくらいに彼は一人ぼっちだった。
「ねえ、ちょっといいかい?」
そう声をかけてきたのは、クラスメイトの芹沢 伊吹だった。
「うん、まあ、いいけど」
芹沢というクラスメイトは、一言で言えば優等生である。
成績優秀で、クラスメイトや先生からの信頼も厚い。
少し体が弱いのか、体育は見学しているし、月に数度ほど休んでいる。
体つきは細く、顔も中性的で整った顔をしている。男だと分かるのは制服からだ。
・・・そして、彼に話しかけてくる数少ないクラスメイトの一人でもあった。
「今日何か予定ある?」
「いいや。」
「なら、連いてきてほしい場所があるんだ。ついてきてくれない?」
比較的彼に親しい者だからといっても、彼が芹沢からこのように誘われるのは初めてのことだった。
「まあ、いいよ。今日はたいした用事もないし」
・・・今日“も”だけど、と考えてしまう自分に嫌気がさした。
芹沢についていって歩くこと数十分。
思ったより遠く、会話も殆どない。
「なあ、芹沢。どこに向かってるんだ?もう町はずれなんだが。」
「あとちょっとでつくよ。」
(質問に対する答えになってないぞそれ)
「よし、ついた」
と、芹沢が言いながら入っていった先は、小さな神社だった。
彼も後に続く。
(こんな所に神社があったんだな)
鳥居と、小さな神殿くらいしかないものだ。
「テンコさーん。おーい。」
芹沢は誰かを呼んでいるようだ。
待ち合わせでもしていたのだろうか。
不意に、後ろからボワッという音が聞こえた。
振り返ると、真っ赤な何かが飛んできている。
炎だなぁ、と認識するのに時間がかかった。
「御形君っ」
横から芹沢が突き飛ばしてきた。
そのまま炎が向かってきたが、芹沢にぶつかる瞬間、光のようなものが炎を受け止めた。
「逃げてっ!」
言いながら、芹沢は倒れた。
(・・・は?)
さっきバリアーみたいなものが見えたのは気のせいか。
ならば芹沢が彼をかばったように見えたのも気のせいなのだろうか。
飛んできたのは一面の炎だったように見えた。
(・・・非現実的過ぎる。)
現実から逃避したくなるが、それが出来ないのは目の前に化け物がいるからだ。
さっき炎を飛ばしてきたように見える、2,3メートルの巨人が、目の、前に。
(あ・・・)
ソイツは芹沢のことしか見ていない。
自分の方を向いていない。
今なら、逃げれる・・・
わざわざ殺されるために残っている意味がどこにある?
生きたい。ああ、生きたいんだよ。
なら、早く、アイツがこっちに注意を向けないうちに。
(なら、よし)
(やろう)
・・・だから、走った。
「御形君!そんな・・・!」
「どうして・・・」
「どうしてボクを助けてるんだよ!」
そんなことは彼にだって判ってなかった。
体が勝手に、とは言わないが、彼の理性とは正反対の行動をとったことは事実だ。
あの化け物が隙をさらしてる間に自分がしたのは、苦しそうな芹沢を拾って、逃げ出すという、誰も助からないような最悪の行動だった。
化け物がなぜこちらを見逃したのかも、それが意図的なものかもわからない。
ただ、必死になって走った。死に物狂いに。
異常な速さで走った気がするが、これが火事場の馬鹿力というものか。
「まあ、俺には何も判らないけど、さ」
「・・・とりあえず撒けたみたいだぜ?」
腕の中の は、まだ苦しそうだった。
仕方なくそのまま歩き出す。
「御形、もういい。歩けるよ。」
「嘘つけ。息あがってんぞ」
芹沢がなんとなく居心地悪そうにしながら、そうなんだけどさ、と不満げに呟いているのを無視しながら、彼は行き先を考えていた。
「このまま俺の家まで連れてくがいいか?」
「出来るだけ大通りを歩いて」
「え、恥ずかしくないのか?」
「大通りならアイツは来ないから。」
恥ずかしいから、降ろしてって言っているんだ、とその目で訴えかけながら答えてきた。
「りょーかい」
・・・でも、言葉にしてない台詞は無視してもかまわないだろう。
彼の家までは10分ほどで着いた。
「それで、いくつか質問いいか。」
彼の家に着き芹沢を布団に寝かせて、一息ついたところで
「うん。い、いよ・・・」
芹沢は先程よりも幾分苦しそうにしている。息も絶え絶えで、本当は彼は会話だってさせたくは無かった。
「ひとつ。お前が苦しそうにしているのは、さっき俺をかばったのが原因か?」
「かばった、わけじゃ・・・」
「 。はぐらかさないでくれ」
「うん、そう、だよ・・・」
「それはさっきのアイツを倒せば治るものか?」
「直接の、原因は、アイツじゃない、けど。」
それは、間接的には奴が原因だ、と遠まわしに言っているようなもので。
「それは、アイツを殺せば何とかなることか?」
自分で言った言葉なのに、殺す、というフレーズはひどく重かった。
「何言ってる、のさ・・・出来も、しない、のに・・・」
「芹沢。質問に答えてくれ」
「それは、うん。アイツを、倒すのが、一番、だけど。」
「なら、行ってくる。」
だから、彼が考えることは一つだった。
「え、ちょっと、待って。行くって、何処に?」
「アイツ・・・あの、化け物の所にだよ。」
「だから、待ってよ・・・。死にに、行くような、ものじゃないか・・・」
なおも苦しそうに言葉を重ねる に対して、彼は無言のまま立ち上がった。
「どうしても、行くの?」
無言のまま、頷く。
「なら、ひとつ言っておくけど・・・。ああいう連中と、相対する、時、はね・・・」
「祈るんだ。祈らなきゃ。自分の願いを、渇望を、それこそわき目も振らずに一心不乱に。」
「そうしたら、神様にだって届く、はずだよ・・・」
芹沢は何とか言い切った、という様子で、そのまま目を閉じてしまった。
かなり衰弱しているのは誰の目にも明らかだった。
急がなければならない。
(しかし・・・祈るってどういうことだ・・・?)
敵の前で十字架でも切ればいいのだろうか。
もしかしたらキリスト教じゃなくて神道で、十字架でなく拝礼かもしれないが。
(結局、この身ひとつで行くしかない、よな)
彼は別に、自身の力だけでどうにかなると思い上がっているわけではなかった。
むしろ、自分から死にに行くようなものだとも理解している。
相手は数メートルの巨人。しかも腕から火の玉を出せるようだ。
(本当に、どんな化け物だよ・・・)
ああ、でも。本当に。
(恩は返さなきゃな・・・)
は自分をかばってああなったのだ。あの火の玉をまともに受けていたら死んでいただろう。
ならば、恩を返さねばならない。
命を救われたなら、命を懸けてでも救わねばならない。
(死なせたくない)
そう思った時、右腕が大きく一度だけ痙攣した。
(はは、足も笑ってやがる。)
ああ怖い。怖くて泣きそうだ。
(死にたくない)
また、右腕がピクリと動く。
体が震えている。
それでも、足は止まることはなかった。
彼が向かった先は近くの小さな山だった。
その山の中腹は開けており、何度か昼寝をしに行った記憶がある。
なぜ山に向かったかといえば、そこにあの化け物がいるという確信めいたものがあったのだ。
彼自身釈然としないものを感じてはいたが、何故か他の場所を探す気にはなれなかった。
・・・果たして、探していた相手は、彼の予感どおりのところに立っていた。
そいつは山から町を見下ろしている。
まだ彼らを探しているようだった。
なるほど、山にいると感じた根拠はここが高所だということにあるのかもしれない。
(隙だらけだな。)
あるいは、それは自分に敵はないという自負の表れか。
(なんにせよ、チャンスだ。)
蔵から持ってきた一振りの刀。
あの夢に出てきたものとは別物で、刃渡り40cm程の小刀だ。
彼我の距離は目算5m。
(祖父さんなら一足で近づくな)
あの歩法は縮地といったか。別の日には無足の法だとも言ってたので名称はあてにならないが。
とはいえ、あの老人は数十メートルを瞬時に詰めていたので規格外といっていいだろう。
(5m程度なら・・・)
一足では無理だが気づかれる前に距離を詰められるだろう。
刀を右手に構える。
一息、深呼吸。
走り出す。
まず一歩。二歩目で敵がこちらに気付く。三歩で間合いに入った。
そのまま、斬る。
だが、その斬撃は、急に振り向くことでバランスを崩した標的の腹を掠めるに留まった。
(しまった、浅いっ!)
そのまま倒れこんだ相手に刀を振り下ろそうとした、その時。
「ひぃぃぃ」
と、情けなく叫ぶその声に。
暴力に怯えるその目に。
・・・彼は、その腕を振り下ろせなかった。
呆然としている彼に、体勢を立て直した相手が蹴りを放つ。
とっさに刀で受け止めたが、刀は折れ、彼は弾き飛ばされた。
(ああ、畜生)
刀が折れた?どうでもいい。
そんなことが問題ではなく。
(あいつ、人間じゃねぇか・・・)
2,3メートルの巨人であっても、異能を持っていても。
あの振る舞いは、言葉は、間違いなく人間のもので。
今まで化け物だのあいつだのと濁してきていたが、敵は人間なのだ。
いや、人間ではないにせよ、心を持って、生きている。
(・・・殺せねぇよ。)
だから、今は殺される側だというのに、彼はそんなことを考えていた。
敵はこちらが動かないのを見て口の端をゆがめている。
「お前、さっき邪魔した小僧だな?なら話は早い。あの小僧は何処だ?」
「小僧って誰のことだ?あいつは・・・」
「さっきお前と一緒に居た小僧のことだ!早く居場所を吐け!」
激昂しても仕方が無いと思い直したのか、次の言葉は猫なで声だった。
「そうだ。言えば、お前の命は助けてやる。悪い取引じゃないだろ?」
自分が優位に立っているのが嬉しいのか、醜悪な笑みを浮かべている。
「なんとまあ三下な台詞だことで・・・」
だから、できるだけ皮肉な言葉で返した。
「なんだと!」
またも激昂した三下は、彼を持ち上げて木に押さえつけた。そのまま彼の首を絞めてくる。
苦しい。
薄れていく意識の中で、
(死にたく、ないなぁ)
と、彼はただ、それだけを思った。
強く。強く。ひたすらに、生きたい、と。
不意に、彼を締め付ける力がなくなった。
同時に、右腕に熱を感じる。熱いというより暖かい熱。心地よい。
見ると、
(え・・・)
彼の、腕に、
光り輝く、刀が。
(・・・ナニ、コレ?)
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
耳を劈くような叫び声で我に返る。
見ると、巨人の腕がきれいさっぱり切り落とされていた。
(まて、状況を整理しよう。)
(あいつに首絞められてた。死に掛けた。刀が出てきた。)
(しかもあいつの腕は切り落とされている)
そして、よくよく見ると、刀は自分の手と同化している。
(・・・グロッ!)
見た目のあまりの痛々しさに目をそむける。
指が刀の鞘みたいな部分と一体化している。
そして何故か刀身は光っている。淡い金の光だった。
「俺にこんなびっくりギミックなんてついてないはずだがなぁ」
現実逃避気味にひとりごちる。
「痛ぇ!いてぇよ畜生!殺してやる!」
敵の叫びでまた正気に返る。
見ると、目の前に芹沢が受けたのと同じ火が迫ってきていた。
横っ飛びでよけながら、火が渦を巻いているのを見る。
腕をかざすことで火を出しているようだ。当然、切り落とされた右腕を左腕でかざす格好となっている。
しかし、彼の目を引いたのはその不恰好さでは無かった。
(あいつの腕・・・石化してやがる)
さっきまで切断面を合わせたらきれいにくっつきそうなくらいだったのに、右腕はどんどん硬化していた。
(炎を出したことに関係があるのか・・・?)
だとすれば、最初に逃げ切れたことにも説明がつく。
一番初めに見た炎は今よけているものより数倍は大きかった。
その反動で数秒間固まっていたと考えられる。
(しかし、避けれないことはない。)
逃げるだけなら多少の余裕もある。
速度自体はたいしたことがないからだ。
(武器はある。)
右腕にはえているのは、今度こそ夢で出てきた刀だ。
刃渡り70〜80cmの太刀。刀身のみで鞘は見えない。
手との融合部分は少々グロテスクだ。指で刀を掴んではいるのだが、指がそのまま金属に食い込んでいるように見える
しかし、刀自身を美しいという感想は今でも変わっていない。
むしろ、淡い光のおかげで美しさが増していた。
(勝ち目はある。)
そして、時間だけがない。
彼我の戦力差はかなり大きい。
腕が切り落とされ警戒したのか、50m程はなれた場所に敵は居る。
先ほどからが見ているが、炎の渦を腕を振ることである程度操作できるようだ。
(敵の武器は飛び道具だ。)
正確には道具ではないかもしれないが。
こちらの武器は刀一振りだけだ。
身一つで近づくには多少の無茶をしなければならないだろう。
(仕方ないな)
のたうつように動く炎が、大きく左へ逸れた。
わずかな勝算を信じて走り出す。
急に逃げるのをやめて向かってきた彼を見て、敵は顔をゆがめる。
それは恐怖か、それとも愉悦によるものか。
標的まで30メートル程の所で“右”から炎の渦が迫ってきた。
渦を背後から回りこませ、彼を炎で包囲したようだ。
(罠か!)
なおも走る。もとより下がる気もなかった。そして、退路が立たれた以上、
(活路は、前だ。)
さらに距離を詰めたところで、敵は己が右腕を大きく振った。
渦が鞭のようにしなりのたうちまわる。
(なん、だと・・・?)
予想外の攻撃に戸惑う彼に、今まで以上の速度で炎が迫る。
回避はぎりぎり間に合うはずだ。
だが、とっさに彼がとった行動は、速度を落とさずに炎に向けて刀を振るというものだった。
前へ、前へと進もうとしていたのは彼だが、刀を振ったのは意図的な行動ではない。
むしろ刀が勝手に動いた気すらする。
そして、その結果として。
(・・・おいおい、マジかよ)
・・・炎の渦は一刀両断されていた。
驚きながらもそのまま距離を詰める。5mまで近づいた。
(最初と同じか)
今度は1歩で間合いまで届いた。やはりそのまま斬りつける。
首には届かないから、足を狙う。
とっさに腹をかばった敵にとって、この行動は予想外だったようだ。
前に出てた左足を深く切りつける。
立てなくなったのか膝をついた敵を、そのまま返しの刀で斬った。
キィィィンという金属音が鳴り響く。
続いて、言いようのないおぞましい音がした。
見ると、そこには中肉中背の一人の男と、砕けた大きな石のかけらがごろごろとある。その男には右腕がなかった。
(・・・どういうことだ?)
ひぃぃと情けない声を出しながら逃げ出す男を見ながら、彼はしばらく考え込んでいた———
いつの間にか腕の刀も消えていて、(指はちゃんと戻ってきていた。)
なんとなく徒労感を感じながら帰路につく。もしかしたら今日の一切は夢だったのじゃないかと考えながら。
・・・そうして、家に着いた彼が最初に見たものは。
(・・・尻尾?)
尻尾のついている女性の後姿だった。
その脇には、芹沢の姿もあった。元気になったようで、その女性と談笑していた。
「・・・どちらさまです?」
「あ、この人はね、テンコさんといって、なんと言うか、ボクの恩人なんだ。」
やや警戒したような響きを持つ彼の声に、反応したのはその女性ではなく芹沢の方だった。
「力が戻ってからすぐに助けに来てくれたの。自分もふらついてるのにさ」
と、芹沢は興奮気味な声で続けた。
「ちょっと待て芹沢、話が見えない。」
「ふむ。まあ今日はお主も疲れておるじゃろうて。説明は明日にするとしよう。」
その女性の言葉を聞きながら、彼の意識は薄れていった。
(しまった、当身・・・)
彼がその日最後に見たのは、いつの間にか隣に立っていた女性の、人のものとは思えない大きな獣耳だった。
———そうして、彼が強引に眠らされる少し前のことである。彼の居る町の隣町で、一人の男が走っていた。
「ハァッ、ハァッ」
疲れたのか、男は立ち止まった。肩で息をしている。その顔には恐怖が刻まれていた。
「話が違うじゃねぇか・・・」
“ ”
「だって、土地神の力を奪って俺にくれたはずだろ?」
“ ”
「違う!変な餓鬼が邪魔しやがったんだ!もう少しだった!」
会話をしているのに、その相手は見当たらず、声も聞こえない。ただ、情けない男の言い訳が響くのみだ。
“ ”
「え、おい、なんだよさよならって!」
「その通りの意味だ」
その男の現れ方は、突然、というより他はなかった。
さっきまで誰も居なかったはずなのに、気がついたら現れていたという状況だ。
「ったく。何で俺がこんなゴミの処分をしなきゃならないんだ。」
“ ”
「てめぇの始末はてめぇでつけろよ !」
“ ”
「ああもういい。てめえの悪趣味さにはうんざりだ。」
「あらごめんなさいね、ヴィルヘルム。」
響いたのは女の声。と同時に、ヴィルヘルムと呼ばれた男と同じように、突然女が姿を現した。
「でも、あなたにしか出来ないからお願いしてるんじゃない。こうやって姿まで現してんだから勘弁してよ。」
「誰もてめぇの顔なんか見たくねーよ」
なおも吐き捨てるという男に、彼女は肩をすくめる。
そんな芝居がかった仕草が似あう程、彼女の容姿は非凡である。
・・・二人とも、戦慄を覚えるほど美しく、そしてどことなく異様であった。
「そんで?お前は燃えるごみか?燃えないごみか?」
目の前で起きている出来事に驚いて、動けなくなった男に対して、ヴィルヘルムという男は訊ねた。
男は口をパクパクとさせている。男は何とか彼の気に召すような答えを探しだそうとしていた。
「あーいい。答えるな空気が腐る。それに、」
「すぐに、わかるさ」
声と同時に、男は、消し炭となった。
後には、コロン、という音を立て、石が落ちたのみである。
それをかがんで拾い上げながら女が呟く。
「やっぱりおかしいわね。埋め込んだガーゴイルそのものが砕かれてる。」
「あ?どういうことだ?」
「そもそも巨人化が解かれてるだけでおかしいってこと。それにガーゴイルなら燃えないはずよ。」
「はぁ?つまりあれか、聖遺物が壊されたってことか?」
「そうなるわね」
「おい・・・マジかよそりゃあ。ハハハハ」
男は笑い出した。こみ上げてくる愉悦を隠そうともしない。
愉しいと、その声が弾んでいた。
可笑しいと、その目は告げていた。
ああ愉しみでしょうがない。
そいつはどんな渇望を秘めているのだろうか。
何にせよ、ろくでもないものに違いない。
「クククク・・・ハァーハッハッハ」
いつの間にか女はまた姿を消しており、町にはただ狂ったように笑い続ける男の声が響き続けるだけだった。
「さて、それでは説明してやるゆえ、聞きたい事を存分に聞くがよい。」
「人の家を不法に占拠し、さらに家主である俺を呼びつけて言う台詞がそれですか。」
しかも、自分は布団に寝転がったままだ。
芹沢はまだその隣で寝ていた。昨日のように苦しそうではないので安心する。
(もしかして二人とも家に泊まったのか?)
不機嫌な様子を隠そうとしない彼に、
「そんなことが言いたかったのか?みみっちい男じゃのう。」
「もういいです。とりあえず、あんた誰ですか。」
「この地の土地神じゃよ。天狐さんと気軽に呼ぶがよい。」
「へえぇ。土地神ですか。」
「驚かんのか?」
「昨日いろいろありすぎて常識ってもんが消えてなくなってしまいましたからね。半信半疑って所ですが、突飛なことを聞く覚悟はしているつもりですよ。」
「・・・まあそんなことはどうでもいいんです。昨日何があったか教えてください。あの敵はなんだったんですか。芹沢は何で死に掛けたんですか。後、俺の腕はどうなってしまったんですか。」
「どうでも良いという事はないんだがのう。・・・まあよい。わらわは名乗ったのじゃ、お主も名乗るのが礼儀じゃろう?」
「御形 正宗です。」
「くく・・・アハハハハハ」
「何で笑うんですか。」
「いや、昨日のことで、わらわが唯一わからなかったことが今分かってな。ふふ・・・なるほど、正宗か。」
「さて、ならばお主の質問に答えてゆくとしよう。
その前に、まずは神という存在がこの日ノ本でどういうものか、ということから話さねばならんようじゃの。
知ってのとおりこの日ノ本は多神教、神道がベースとなっておる。
仏教も力を持っているがの、土地の伝承や伝説の類は、すべてこの神道の考えが元となっておるのじゃ。
すなわち、“八百万の神”という考えじゃの。
“神”という枠が非常にゆるいのじゃ。妖怪と神にほとんど差はないしのう。
神なんて安いものじゃよ。特に日ノ本の場合はのう。
そして、神の強さ、これは武力としての強さではなく存在の強さじゃがな、そういった強さは人々の信仰心によって変わるのじゃ。
広く信じられている神は奇跡をたやすく起こせるほどに強く、全く知られていない神は吹けば飛ぶほどに弱くなるのよ。
これはなんと異国の神々にも当てはまるようでのう。
たとえばキリストとその神は世界の多くで進行されておるからその分力も強いのじゃ。
つまり、宗教は信仰者を集めることで力を得ることができるというわけじゃ。
そして、神の世界で信仰者の勢力図を手っ取り早くひっくり返す方法はなんじゃと思う?
そう、戦争によりぶんどってしまえばいいのじゃ。
勝った神はその神を自分に習合するか、あるいは逃げられた場合も信仰者を奪い取れる。
勝者総取りじゃな。
今日ノ本は信仰心が薄れておってな、信仰者を取り合うように神々が戦争を始めたのじゃ。
神の戦争といっても、別に神通力でお互いを攻撃しあうものではない。
むしろ、相手の“名”をどうにかして知ることで相手の存在そのものを掌握しようとするものじゃ。
“名”とはそれほど重要なのじゃよ。その者の本質を表すのだから、本質そのものであるともいえよう。
それで、この前見事にわらわも負けそうになってな、我が“名”を、後一文字というところまでつかまれてしまうたのじゃ。
もう殆ど力も残ってなくての、できることといったら祠で隠れておくことだけじゃった。
そこにあの化け物が来おったから、弱っていたわらわは姿を隠したのよ。
そして、お主と伊吹が来て、という流れじゃ。
あの化け物はのう、あれは異国のものじゃ。
確か“があごいる“という石造があるそうじゃが、奇妙なことにあの男、それを身に宿しておった。
今のお主などと殆ど同じ状態じゃな。
神ではなく化け物の類じゃが、化け物かつ人であるという奇妙な存在になっておった。
その上、わらわから奪った力を、何者かがあの男に与えていたのじゃろうな。
昨日あの化け物は火を放ったのじゃろう?
それはおそらくわらわの狐火という力を流用したのだろうと伊吹は言っておった。
“があごいる”に火を放つ伝承はないから、とな。
そうそう、おぬしの状態についてじゃが、その右腕はすでに人のものではないぞ。
刀の鞘となっておる。刀が人に取り付くなど聞いたこともないがの。」
「一言いいですか?」
「申せ。」
「・・・まったく分からないんですけど。」
「ふむ。いささか冗長に過ぎたか。
正宗は馬鹿のようだしのう。」
「・・・うるさいですよ。」
「端的に言えば、神様は知名度で強くなるから、手っ取り早く名を上げようとわらわにもけんかが売られてきての、
負けそうになったところにお主が相手を倒したということじゃ。」
「まだ神様についてしか聞いてないんですが。
俺の右腕についての話をもっと詳しく教えてください。」
「ふむ、お主、蔵にて刀を抜きでもしたのじゃろう?
今右腕に宿っておるものじゃ。
出して見せ。」
「え、どうやればいいんですか。昨日は無我夢中なうちに突然出てきたんですけど。」
「刀の造形を強く明確に心に描くのじゃ。」
言われた通りにやってみる。
明確な刀の像をイメージすると、なんとなく掴めるような感覚がしてきた。
「そのまま掴み取れ。」
右腕にが電気が走ったような感覚を覚える。
気がつけば、刀が昨日のように手にはえていた。
「・・・ふむ、やはりな。茎の部分が手と融合しておるじゃろう。」
また、聞き覚えがない単語が出てきた。
「なかごってなんですか?」
「刀の柄におさまっているはずの部分じゃ。ここに銘を切る。
これは仮定の話になるのじゃがな。
この刀、おそらく正宗が作なのじゃろう。」
「正宗って、あの刀工として有名な?」
「左様。さらに仮定を重ねることになるが、銘が消えてしまったのではないじゃろうか。
先に言うた通り、“名”というのはそのものの本質となる。刀においてもそれは同じじゃ。
じゃから、おぬしが抜いた時に、銘を取り戻そうとしておぬしに宿ったのじゃろ。」
「刀が勝手に俺に宿ったってことですか?」
「ものが意思を持つことはそう珍しい話ではない。
九十九神と呼ばれるものもおるしの。
ただ、お主にも刀を宿す素質というものが有ったのじゃろう。」
「切り離すことって出来ますか?刀と俺とを、ですが。」
「無理じゃし、それをやるとお主右腕をなくすぞ?」
寝たままであくびをしながらとんでもない発言をする。
(さっきから要所要所でイラってさせられるなぁ)
そこで、昨日最後に逃げ出した男のことを思い出した。
あれが自分と似たような状態だと言ってなかったか。
そういえば、と話を切り出してみる。
「昨日化け物を斬ったら、石と男の人が残ったんですが。
あんな風に分離できないんですか。」
「・・・なんと、あれを殺さずに分離したのか。
まあ可能性としてはありえん話でもなかったがのう、そうか、お主・・・」
「?」
「もう武神になっておったのじゃな!」
「・・・冗談でしょう?」
「いや、神を物理的に斬るのなら、正宗の名を持つ刀が有れば可能じゃろうが、神格のみを斬る、などという芸当ができるのは武神しか居らぬ。」
「何言ってるんですか、人が神になれるわけないじゃないですか。」
「いや、現人神という考えがあっての、何度か天皇などが神格化されたことがあったじゃろ?
力を持ったものはすべからく神たりえるのじゃよこの日ノ本では。
そして、お主の御形という姓はな、本来神体や仏像などを示す語じゃ。
その身に神をう宿すにはうってつけの名じゃな。」
「さて、もうよいか、話しつかれたのじゃが。」
「ちょっと待ってください、芹沢については?」
「それは、伊吹が話したくなったら話すじゃろ。わらわが話すことでは無かろ。」
「あいつが男装してるのにみんなが気づかないのは、テンコさんのおかげですか?」
「・・・気づいておったのか?」
「昨日抱き上げた時に。なぜ今まで疑わなかったのかと不思議に思いまして。」
「お主、馬鹿だが頭は回るな。その通り、狐の本質は化かすことにあるでな、人に疑わせない程度ならたやすいことよ。」
「何故、と聞いてもいいですか。」
「それは伊吹が決めることじゃな。わらわからは話せんよ。」
「いいですよ。こうして助けてもらいましたし。」
突如、横から声が飛んできた。
見ると、芹沢が布団に包まりながらこちらを見ていた。
「起きていたのか、芹沢。」
「あれだけ隣で話してれば嫌でも起きるさ。」
「そうか、すまん。」
「いいよ、気にしてない。」
「また、少し長い話になるけどいいかな?」
「かまわない。このまま何も知らない方が中途半端で気持ちが悪い。」
「まずね、ボクは、本当ならもうとっくの昔に死んでいるはずなんだ。」
「え?」
「八尺瓊勾玉って知ってる?」
「えっと、三種の神器の一つだっけ?」
「そう。現在天皇家が持っている唯一の神器。
ボクの体にはね、その八尺瓊勾玉の贋作が宿ってるんだ。」
「・・・どういうことだ?」
「八尺瓊勾玉ってのは三種の神器だから勿論強い力を持つんだよ。
使う人が使えば奇跡も起こせるくらいの。
そして、この贋作は、生命を守るという使い方をする時だけ八尺瓊勾玉と同じくらいの力を持つんだって。
ボク、元から体が弱かったらしくてさ、2歳のころに肺炎を患ってそのまま死にそうになったらしいんだ。
それを、ボクのお父さんが八尺瓊勾玉を埋め込んだらしいんだ。」
「埋め込んだってどういうことだ?」
「やり方もそうなった経緯も分からないけど。ほら、こんな感じだよ」
そう言いながら服の胸元を開いた芹沢の、胸と首の真ん中ほどに、大きな勾玉があった。
「醜いでしょ。普段はテンコさんの力で隠してもらってるけどね。」
そうやって笑う彼女の笑顔が、何より、痛々しかった。
「それでさ、埋め込めば延命できる勾玉なんて、欲しがる人はいくらでもいるでしょ?
しかも、それはひとつしかないらしいときたら、みんな死に物狂いで探すんだ。
それで、勾玉を持っているのは女の子らしいって情報がなぜか流れてしまって、お父さんはボクに男になるように教育したってわけさ。
それだけじゃ安心できなくて、頻繁に引越しもしてたよ。
中学校くらいの時にこっちに来たとき、テンコさんが力を貸してくれることになってさ。
お父さんは今もボクを置いて逃げ回ってる。少しでもカモフラージュになるようにって。」
「昨日、倒れたのは何故だ。」
「・・・勾玉の力でもぎりぎりなんだよ、死に掛けてる人を生かすのって。だから、昨日テンコさんに力を分けてもらわなきゃならなかったんだ。」
その言葉が、炎を防ぐ余裕などなかった、と暗に示していた。
申し訳なさと情けなさでいっぱいになる。
本来、あの程度ならよけれたはずで、彼が避ければ芹沢も彼をかばう必要などなかったのだから。
「・・・昨日のあれは、お前を狙ってたのか。」
それは、何者かが芹沢の正体をしていることを示すし、最悪、その情報が出回っていかねないということを示す。
「・・・わかんない。」
そのまま、言葉が途切れた。
なんて声をかけたらいいか分からず、戸惑ってしまう。
「さて、大体話も終わったじゃろ、正宗、朝餉を準備するのじゃ。」
思わぬところから救いの手が伸びてきた。
「はいはい。あまりたいしたものは有りませんよ?」
「かまわぬ。お主のできる精一杯のもてなしをするがよい。」
偉そうだなぁとため息をつきながら、部屋を出る。
その日、二人が帰るまで彼と芹沢の間には会話はなかった。
帰る直前、天狐が褒美をやろうと言い出した。
「いらないですよ褒美なんて」
「ならば号をやろう。名を手に入れればその分刀が強くなるからのう。今からその刀は“輝雷”じゃ。」
「どんな意味を持つんですか?」
「そのくらい自分で考えるのじゃ。」
そうして、テンコは言いたいことだけ言って帰っていった。
その、次の日。
いつものように寝て過ごし、帰路についた彼に、芹沢が話しかけてきた。
「ん、どうした芹沢」
忘れ物でもしたのか、と聞く彼に、
「伊吹でいいよ。恩人だし、そう呼んで欲しい。」
「分かった。ならこっちも正宗でいい。・・・それでどうしたんだ、・・・伊吹。」
「まだいってなかったって思ってさ。」
どもった彼を笑いながら、伊吹が言う。
「何を?」
「感謝の言葉。ありがとう、正宗君。二度も命を助けてくれて。」
一度目はお互い様だとか、二度目はテンコさんのおかげだとか言いそうになる自分を必死にこらえる。
なんにせよ、向けられた感謝には応えねばならない。
「どういたしまして。」
「あと、これからよろしくね。」
「ああ、よろしく」
これから先、大変そうだと思う。だがそれを嫌がるつもりはない。
・・・何にせよ、退屈はしなさそうだろうから。