大晦日。午後8時。静岡の山奥。ボロアパートの一室。小さなブラウン管テレビ。こたつ。これだけ聞くと俺は親族といっしょにすら年を越せないただのボッチである。だが待って欲しい。話は最後まで聴くものだ。これだけ意味ありげな前置きをしているんだから何かあると思わないか・・・よし、聴いてくれるようだね。では残りを発表しよう。豪華な鏡餅。美味そうな年越しそば。その他料理の数々。そして、その料理を作ってくれた彼女。ああもう最後の一個だけで十分だな。そう俺は、彼女と二人っきりでこの年末を過ごすのである。
 さて、俺の彼女、由有子は顔立ちも性格も良く、俺には勿体無いぐらいの女の子だ。しかも小学校の時のクラスメートで、つまりは幼馴染。1年前に俺の部屋の隣に引っ越すという偶然がおこり再会。そして5日くらい前に俺から告白し、OKを貰って今に至る。そんな理想の彼女だ。
 そしてお金の点でも良い年末を過ごす条件をクリアしている。ここに越してきたのは3日前だが、引っ越す前もやっぱりボロアパートだった。彼女が引っ越したのもそこだ。だいたいその辺りからコツコツとバイト代を貯め、だいたい1年頑張って100万弱。きょうの料理も材料費は全部俺が払った。今日ここにこうしいられるのはそのお金合ってこそだ。そして残ったお金で年明けに由有子と旅行することになっている。
 由有子と二人きり。料理もたくさん。お金はたくさん。俺が考える限り最強の年末だ。これ以上望みようもない。けれど、何故だろうか。何だかしっくりこない。何だか物足りない。そんなよく分からないモヤモヤとした気持ちを、今、俺は抱えている。

 「ジュン君おかわりいる?」
 由有子が俺の空っぽになった茶碗を見て聞いてきた。
 「あ、ああ。頼むよ」
 「お米はたくさん買ったから、まだまだ食べていいからねー」
 由有子が長い髪を揺らしながら、にこっと笑うのを見ると、いつも癒される。だがしかし、同じ分俺の心も締め付けられる。買い物から帰って一息ついてから、こんな調子だ。由有子が話しかけてくる。俺が返事する。由有子が笑って返す。で、お終い。例のモヤモヤした気分のせいでなかなか俺から話しかけられない。だから由有子の気を使ってくれている顔を見ると、嬉しい反面心苦しいのだ。
 俺はチャンネルをとってテレビを付け、番組を変えていく。いくら静岡の山奥のボロアパートでも、そこそこチャンネル数はある。聞いた所によると、どっかにガキ使すらみれない哀れな土地もあるという。でも正直チャンネル数など今はどうでもいい。せっかく由有子と二人なのにテレビで時間を潰すのは最もやってはいけないことだろう。俺はテレビの電源を切った。最後の一瞬ちらっと歌手の顔が映る。えーと今のは誰だったっけか。
 「今の人の曲とってもいいよね!」
 由有子はまたにこっと笑う。
 「うーん、ごめん、誰だっけ?」
 その言葉に少し驚いた顔をしたが、由有子は微笑む。
 「アンジェラさんだよ。かなり有名なんだけどな」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 辛い。
 なんでだ。俺は今世界一の幸せ者のはずなのに。一体何が足りないというんだ。ああ料理が美味すぎて涙が出る。俺は心の中で溜息をついた。
 しばらく落ち込んだ後、気を取り直して食事を続行する。実際、由有子はとても料理が上手い。彼女の作った味噌汁を飲むと、これが本当に美味かった。
 「美味い」
 つい声が出てしまった。自分から声を出すのは久しぶりな気がする。顔を上げると由有子が顔を輝かせていた。
 「良かった。料理頑張ったかいがあった!」
 「これはナスかな?」
 俺が味噌汁の具を指すと由有子は頷く。
 「うん。私の特製味噌汁なの」
 「本当に美味いな」
 少し会話がほぐれた感じがしたが、まだ心なしか一言一言が慎重になっているような気がする。俺は何にビビってるんだろう。駄目だ俺は。対照的に由有子の何と健気なことか。本当は家族と過ごしたかっただろうに、俺なんかのために今日はここにいてくれるのだ。本当に俺には勿体無い。一生懸命口を動かす由有子を眺めながら、そんな事を考える。その内に、俺がじっと見ていることに気がついた由有子は少しはにかんだ。
 「どうしたの? ちょっと恥ずかしいな」
 「あー、いや。何でもない。ただ、もう一年が終わるなーと思って」
 すると由有子はしみじみとした顔をした。
 「そうだね。もう終わっちゃうのね。一年」
 そう言って由有子は壁にかかった時計を見る。年明けまであと3時間。ぐずぐずしていたらもう1時間たってしまったようだ。
 「時が流れるのは早いな」
 「本当に早いね。でもジュン君と付き合ってからは、長く感じる」
 それを聞くと自然と口元が緩くなった。
 「それなら俺も嬉しい」
 そして俺は卵焼きに箸を伸ばした。皿が空になったのを見た由有子は別の皿と入れ替える。もうちょっとでかいこたつを買っとけばよかったかな、と今更後悔する。そんな俺を今度は由有子がじいっと見ている。
 黙々と食べる俺を由有子はどう思ってるんだろうか。あのにこやかな顔の下で、自分が何かやっちゃったんじゃないか、とか思っていないだろうか。もしそうなら申し訳ない。俺が悪いのに。
 それから時間が過ぎ、俺はこたつの料理をあらかた食べた時に危機感に襲われる。食事中は黙っていれば「食事中だから」で済ませられないこともないが、食事後はどうしようか。何を話せばいいだろうか。というか何このコミュ障の思考回路。由有子に告白した時のおしゃべりな俺はどこ行ったんだ。あーもう本当に俺は駄目になったな。ちきしょう。
 どっと押し寄せた感情に疲れて、俺は伸びをし、畳に倒れこんだ。足を伸ばすと、こたつの中で由有子の膝に当たる。小さい足だな。そう思った途端に、今までよりずっと由有子の存在が意識されるようになる。俺の部屋にか弱い女の子が一人いる、という実感だ。どうすればいいだろうか。ああ、もどかしい。俺は起き上がってその辺にあった缶を開けて口の中に流し込んだ。すぐに口内に独特な味が広がり、少しむせる。ラベルを見ると酒だった。二十歳になったばかりで酒にはまだ慣れていない。しかし、やけになって全部飲んでしまった。
 「ジュン君それお酒! 一気飲みは危ないよ!」
 由有子がそう注意したがもう遅い。返事は空っぽになった缶を俺が机の上に置く音だ。だんだん体が火照ってくる。もしかして俺はもう酔ってるのか。そういや酔ってないと言う奴は皆酔ってるという言葉がある。という事は酔っているといえば俺は酔ってないんじゃなかろうか。素晴らしい発見だ。俺は酔ってる。つまり酔ってない。俺はもう一個缶を取り、開けてから由有子の目の前に置いた。俺ばっかり飲んでいたら由有子が可哀想だ。
 「どうもありがと。私もいただきます」
 丁寧にお礼を言うと由有子はちびちびと飲み始めた。由有子の唇や喉の動きが何だかエロく見える。そんな所にエロチシズムを感じるなんて、もしかして、俺酔ってる? そういやこういう時は酔い止めを飲むのがいいと聞いたことがある。俺は立ち上がって押入れに行き、救急箱を引っ張り出す。蓋を開けるとタカのマークの大正製薬があった。あれ、ワシだったっけ。そういえばワシとタカってどう違うんだろ。タカ派とワシ派ぐらい違うのかな。あれそしたらハト派がいる意味ないな。
 「ジュン君、調子悪いの?」
 俺の様子を見た由有子が心配そうに話しかけてくる。
 「いや、酔い止めはどこかなって」
 「酔い止めって乗り物酔いに使うものなんじゃないかな」
 「でも酔い止めっていうぐらいだから酔いにも効くんだろ?」
 「うーん。そうだったっけ」
 由有子は頭の上にはてなマークがあるような仕草をした。とても可愛い。ああもう押し倒してやりたい。もうヤってしまおうかな・・・って何を考えてんだ俺は。でもこのモヤモヤを振り払うためにも年が明けるまでに超えなかればならないものがある気がする。例えば最後の一線とか。他には最後の一線とか。あと最後の一線とか。おい俺。しっかりしろ。クリスマスならともかく年明け寸前に誰もそんなことやらんよ・・・そういえば高村なんとかって詩人が「どーてー」という詩で「俺の前に道はない。俺後ろに出きる」とか言ってたような気がする。そういうプレイを開拓するのも手なのかもしれない。俺はもう一回伸びをするとゆっくり立ち上がった。そんな俺に由有子は声をかける。
 「どうしたのジュン君?」
 「ちょっと外で頭冷やしてくる」
 これ以上この部屋にいると多分由有子に手を出してしまう。そして酒のせいか頭も痛い。二重の意味で頭を冷やす必要がある。
 「え? 外かなり寒いよ?」
 「へーきへーき」
 俺はジャンパーを引き寄せて着ると、のそのそとドアから出た。

 深々と雪が降っていた。アパートの外は雪が降り積もり、一面が真っ白だった。絵が書き放題だ。なら何の絵を書こうか。じゃあタカのマークにしよう。あれワシだったっけ。まあタカでいいか。
 そんな発想の為に、俺の目の前には超ヘタクソなタカの絵がある。俺はいったい何がしたかったんだろ。雪の上に座りながら俺は考える。俺は一番の幸せ者のはずだった。この年末年始は最強の時間になるはずだったのに・・・。
 「なんでだよ」
 もちろん誰も答えない。ただ雪が吹雪になっただけだった。顔が冷たい。頭も冷えただろうか。そしてとても眠い。どんどん意識が薄れていく。もうこのままでいいかな、と思った時、意識が切れた。

 温かい感触で目が覚めた。こんな寒い中でも体が温かいのは酒のお陰だろうか。しかし酒なんかよりももっと俺を暖かくしてくれるものがいた。由有子が俺を後ろから抱きしめてくれているのだ。
 「ここは寒いよ」
 由有子が静かに言った。
 「うん。寒いね」
 嘘。由有子のお陰で暖かい。由有子のぬくもりが、俺を落ち着かせてくれた。そのおかげで、今俺は彼女に自分の気持ちをぶつける覚悟ができた。
 「俺は幸せだな」
 「そう?」
 「本当だ。でも胸のなかのモヤモヤが取れないんだ。なんか物足りないというのか。どうしてなんだろうな」
 そう言うと、由有子が息を呑むのが分かった。そりゃそうだろう。自分がいても満足できないなんて言葉、失礼にも程がある。しばらく由有子は黙っていた。それから由有子は一回深呼吸をしてから、話し始めた。
 「私もね、ジュン君といっしょにいられて、とても幸せだよ」
 「・・・」
 「でもその幸せがちょっと怖いの」
 今度は俺が息を呑む番だった。それが今の俺を表す一番ぴったりの表現だったからだ。
 「もしこの幸せがいつか無くなってしまうのかな、って考えるだけでも怖い。ジュン君が外へ行って帰って来なかった時ほんとに怖かった。考え過ぎだって他の人には思われるかもしれないけどね。だからずっと空元気を出してて、それがジュン君に伝わっちゃったから今日元気がないのかなって思ったら・・・」
 「俺も同じだったわけだな」
 「変な所がおそろいね」
 そして二人で笑いあった。俺も、多分由有子も人と付き合うということが初めてだったから、上手くやっていけるか心配だったのだ。つまり俺が物足りないと思ったのは、ちゃんとやっていけるという証が欲しかったからのだ。それは俺が由有子にあげるべきものだというのに。
 遠くで鐘の音が聞こえる。除夜の鐘だろう。もう年が終わってしまうのだ。年が明ける前に、壁を乗り越え、自分の心に決着を付けなければならない。
 「由有子」
 「なあに?」
 「本当は明日の朝にきちんと見せてやりたかったんだけど。今ネタバレする」
 その言葉に由有子が苦笑した。
 「だったら明日ちゃんと見せてよ」
 「いや、年明けまでに決着を付けたかったから」
 超えなければならない壁へに行くために、俺は立ち上がった。由有子が慌てて俺の体から手を離す。俺はその手を取ってアパートの裏手へと引っ張った。

 アパートの裏の森の中を歩いて行くと、湖があった。そしてその湖の向こうに黒い大きなものが悠然とそびえ立っていた。
 「あれは、もしかして・・・」
 「ああ。富士山だ」
 そして俺は由有子の右腕を両手で包んだ。
 「明日の朝。ちょうどこの場所でダイヤモンド富士が見られる」
 だからわざわざこんな場所のアパートをとった。富士山の頂上に朝日が登るというダイヤモンド富士が見られそうなアパートは軒並み開いていなかったからここが開いていたのは奇跡的だった。
 「大学生の身じゃ指輪なんて買えないからなまだ見えもしないあれで我慢してくれ。で、俺の指を指輪の輪だと思ってくれればいい」
 俺は由有子の方を向き、人差し指で彼女の薬指を握り、目を見て、はっきりと宣言した。
 「由有子を絶対に幸せにする」
 そして、その後に宣言。
 「指切った!」
 それからようやく由有子の指を離す。
 「指切りげんまんって本当は小指でするもんだけどな」
 そう言ってあっけに取られている由有子に笑いかけた。こうして俺は年明けまでに「証」を由有子に渡すことができた。ああ、これからいろんな事を由有子としていく。まずは俺の溜めたお金で旅行させてあげたい。それから一緒に暮らしていきたい。俺の出来る限りのことをして、幸せにさせてあげたい。そんな思いを込めたつもりだ。
 しかし、それから沈黙。
 沈黙。
 ずっと沈黙。
 あれおかしい。もしかして俺、呆れられてるのか。今までの酒に酔った行動を思い出してみる。あれ、よく考えたら、俺はただの痛い人じゃないか。うわあああ!
 そうやって心の中で悶えていると、俺の手がぎゅっと握り返された。
 「ありがとう」
 そう言って由有子は手で目の当たりをごしごしと拭き、顔を上げた。
 「ありがとう。ジュン君!」
 目は赤くなり、髪には雪が付いているが、それは今までに見たことのないくらい綺麗な微笑みで、俺はそれについ魅入ってしまった。
 「私も、絶対に幸せにするっていう証を、あげないとね」
 そう言うと、由有子は目をつむって顔を真っ赤にし、俺に近づけて来た。俺も目をつむって、口元を由有子の唇に近づける。そして・・・。

 そしてそこで目が覚めた。

 最初はボケていたが、だんだん意識がはっきりしてくる。そして今までの事が全部夢だったことを知る。
 「まさか、夢オチ?」
 夢オチ。それはどんな物語でも決着を付けることが出きるという最強のオチ。え、ちょっと、そりゃないぜ。俺は部屋を見回して現状を確認する。
 正月過ぎ。午前8時。静岡のどっかの街。ボロアパートの一室。小さなブラウン管テレビ。こたつ。以上。おいちょっと待て、俺は親族といっしょにすら年を越せないただのボッチじゃねえか。
 だがしかし、それが気にならないぐらい結構凄い夢をみた気がする。断片だけだが一応覚えている。挙げていこう。
 「理想の彼女といちゃいちゃ」
 「富士山」
 「タカ」
 「なすび」
 ・・・これは。時計を見てみると1月2日。年末はガキ使見てたから寝てない。要するに初夢だ。俺が考えられる限り最強の初夢だ。
 俺はこたつから抜け出し、窓を開けた。外は雪が積もっている。冷たいが気持ちいい空気が部屋に入ってきた。それを体に浴びながら、思いっきり伸びをする。うん。気分爽快。実にいい朝だ。あんないい初夢が見れたんだから、今年は最強の年になるかも知れん。よーし、頑張るか。
 そこまで考えた時に、扉をノックする音がした。
 「あのー。昨日引っ越してきたんですけど、挨拶に来ました」
 どこかで聞いたことのあるような女の子の声。いやまさかね。いやいやまさかね。
 まあとりあえず何から頑張るかといえば。

 「よし、今日からバイトするか!」