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 「気狂いの子」と呼ばれた私がこの町に帰ってきたのは、実に6年ぶりの事だった。
 海に面する崖が凹んで出来たようなこの町は名を落窪町といい、こぢんまりとした港がある小さい町だ。私は6年前にここの小学校を卒業した後、大都市の中高一貫女子校に進学し、逃げるようにこの町を出た。以来一度も帰省せず、父親にも会っていない。まだ幼い頃に母親を無くした私を、漁師の父は男手一つで育ててきた。奨学金で進学できても、学校との往復6万円というお金は漁師には大きすぎた。この6年間、私と父との繋がりは半年に一回の手紙だけだった。
 港のバス停で降りた私を、懐かしい潮の香りが出迎えた。ずっと私の中で希薄だったこの町の存在感が急激に増してくるのを感じる。今まで思い出すことのなかった過去の記憶が湧き出してくる。これが郷愁というものなのだろうと、私は思った。この時間、父は漁に出ているはずであるから、家にはいない。少し懐かしみながら帰ろうと、私はゆっくりと足を踏み出した。
 まだまだうろ覚えの記憶をまさぐりながら、手提げかばんを揺らし、人通りの少ない商店街を歩いて行く。門の駄菓子屋から丁度百歩進んだ所に本屋があるとか、道の真ん中のベンチに座ると光が当たって気持ちよく寝れるとか、そんな些細な事ばかりが思い出される。出ていく時はあんなにこの町が嫌いだったのに、長く離れるとそういう気持ちは薄れるものらしい。
 そう感じながらふと左を見ると、八百屋があった。そして野菜が並ぶカウンターの奥にいたおばさんと目が合った。
 「あ」
 それを発したのは果たして誰の口だったのだろうか。踏み出そうとしていた次の一歩がたじろんだ。おばさんの開いたままの口を見て、私の中で一番思い出したくない記憶が蘇る。
 『あの子は気狂いの子だからね。近づくんじゃないよ』
 あの時あの口はこう言い放った。以来八百屋の子は私に話しかけてこなくなった。おばさんの蔑んだ目がはっきり思い出される。八百屋だけの話ではない。当時町中の人がその『目』を私に向けていたのだ。しかしそれも過去の話。6年経った今には関係のない話だ。そう割りきろうとしたのに、私の体は動けなかった。
 「あ、あら、マユミちゃん。大きくなったねえ」
 何も言わない私に、おばさんは愛想笑いをしてくる。それが限界だった。気付いたら私は全速力で走っていた。通行人が不思議そうにこっちを見てくる。私は手提げかばんで顔を隠しながら、ひたすら走った。


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 6年前、小学6年生の2学期も終わりの方、冬休みに入る直前に父の船が壊れた。港にいた父の船に他の大型漁船が突っ込んだのだ。父は軽いけがで住んだが、父の持っていた唯一の船は大きな穴が開いて浸水した。貧しいうちの家で、立派な服を来ていた人がひたすら父に頭を提げていたのが印象に残っている。弁償の話は特に揉めることもなく、すぐに船の修理代と修理が終わるまでの生活費が支払われることになった。
 船がないと漁師は何も出来ない。船が修理されるまでの2週間、父にはすることがなかった。これといった趣味もない。私に関わってくることもない。庭先でぼんやりしている父も見ていると、父にはこの世の何者にも興味が無いのではないかと思えたほどだった。父に怒られたとか、褒められたとか、そういう記憶はなく、私にすら関心を持っていないようだった。父はいつも何を考えているのだろうと、よく小さい頭で考えたものだ。
 そんな何事にも無関心な父が動き出したのは冬休みに入って3日程たった時だった。私が卓袱台でいそいそと宿題をしていると、後ろの方の縁側にいた父が急に立ち上がった。そして縁側の下でひっくり返っていたスリッパを履き、物置の方へ歩き出した。気になってこっそりと部屋から顔を出すと、父はしゃがんで物置を漁っていた。そしてようやく探しものを見つけて取り出すと、立ち上がってそのまま庭先から出ていってしまった。ついていこうかと思ったが、宿題がまだだったので仕方なく卓袱台に戻った。
 1時間ほど経って、縁側でどさっという音がしたので振り返ると、スーパーのレジ袋が置いてあった。その横で父が、どこから取ってきたのか、竹の筒を犬走りの上に横にしていた。鉛筆を置いて、近寄ってよく見ると鉈で切ったような跡がある。ははあ、さっき持ち出したのは鉈だったかと一人合点している間に、父はノコギリを持ってきていた。父はチラとこっちを見ると、竹を踏んづけ、ギゴギコと音を立てながら切っていった。流石漁師をしているだけあると言うべきか、父は結構な腕力を持っていた。一回ノコギリを往復するたびに、どんどん刃が切り進んでいく。そしてそう時間が立たない内に、空き缶ぐらいの大きさの竹の筒が切り離された。
 次に父はレジ袋をひっくり返し、中身を縁側にぶち撒けた。糸と油紙、テープと割り箸、そして変な瓶が転がり出る。瓶の中にはネバネバしてそうなものが入っていた。表示を見ると『松ヤニ』なるものが入っているようだ。油紙の真ん中に小さな穴を開け、そこに糸をを通してテープでくっつける。糸のついた油紙を筒の穴の片方に膜のように貼り付け、糸電話のようにする。そして割り箸の先端に『松ヤニ』を塗って、その上に油紙から伸びた糸の先端を輪にして取り付けた。
 「何それ?」
 ずっと無言の父に耐えかねて尋ねると、父は割り箸を持ってその完成した何かを釣り上げた。
 「蝉笛とかぶんぶんゼミとか、確かそんな名前の奴だ」
 そう言って父は割り箸を振った。糸に引っ張られて竹の筒が振り回される。すると竹の筒から蝉のようなカエルのような、よく分からない音がした。暫く振り回していると、父が口を開いた。
 「マユミ、蝉の声に聞こえないか?」
 「言われてみればそんな気がするなあ」
 正直カエルの鳴き声の方が近かったのだが、正直に答えるのもどうかと思い、そう答えておいた。私の言葉に父は満足したようで、うんうん頷いて散らばったゴミを片付け始めた。縁側が綺麗になると父は蝉笛を振り回しながら物置へと歩いて行った。全然冬に似合わない音だな、と私はぼんやり思った。
 それから父がよく出かけるようになった。朝ふらふらといなくなって昼頃にまた戻り、昼食を食べ終わったらまた出かけて夕方に戻る。何をしているのだろうと思ったけれど、宿題があるので私はずっと家にいた。父が何をやっていたのか分かったのは友達の家でのことだった。
 父が蝉笛を作ってから数日たった時、私が友達の家に遊びに行った。そこで二人でトランプを遊んでいたのだが、唐突に「そういえば」と友達が言った。
 「マユミちゃんの父さんって何であんな変なことしてるの?」
 私はトランプをシャッフルしていた手を止めた。
 「父さんが? 何を?」
 「何って、マユちゃん知らないの? 毎日岬で変な音のするもの振り回してるじゃない」
 その時私は蝉笛のことをすっかり忘れていた。聞く所によるとあの日からずっと朝から晩まで岬で蝉笛を鳴らしていたそうだ。岬は町の端っこの崖の上にあり、町中が見渡せる場所だ。逆に言うと町中どこからでも見える場所だとも言える。
 「お母さんに言ったら『危ないから近づいちゃだめよ』って」
 友達がよく分からないような顔でそう付け加えた。そのあどけない顔を見ながら、その言葉の意味を考えた。それはただ単に岬が危ない場所だから近づいてはいけないのか。それとも・・・。私は嫌な予感がした。
 父が『気狂い』という称号を与えられたのは程なくしてだった。もともと父の近所付き合いは良い方ではなかった。それに娘である私ですら何を考えているのか分からないのに、この町の人に父の考えることが分かるはずがない。だから町の人は簡単に父を異端扱いした。何を言われたのか知らないが、町の子供は皆父を『不審者』と呼ぶようになった。
 そしてその影響は私にも及んだ。始まりは新学期だった。冬休みが終わり、私が学校に登校した時、皆が私から逃げた。
 「気狂いの子だ! 逃げろ!」
 今思えば、それには嫉妬も入っていたのかもしれない。父と同様趣味を持たなかった私はずっと勉強ばかりしかしていなかったから、学校では異常に成績が良かった。なんであいつばかり成績がいいのかと思う子はたくさんいたはずだし、彼らの親達も決していい思いはしなかっただろう。そこに『気狂い』の話が入れば無意識に繋げるはずだろう。「自分たちとは違う」と。
 いうまでも無いがいじめが起きた。詳細は思い出したくもない。ほとんどいなかった私の友達は皆無になった。この町は小さいから、私の変な噂がすぐに広まり、商店街で歩けば変な目で見られるようになった。これを数週間続けられれば生きるのが嫌になってくる。結局私立中学の出願書類の封筒をまったく未練なくポストに投函するぐらいには心にダメージを受けた。私は一人で働く父のために絶対ここの中学に進むと思っていたのだから相当である。そして船が直り、父が蝉笛を物置に仕舞った後もまったく状況が変わらないのを見た私は家にこもった。学校にも行かなかったし、友達の家にも行かなくなった。卒業式にも出なかった。何度か私の家に来た担任も卒業証書を渡すと二度と来なかった。
 「父さん」
 「何だ、マユミ?」
 「・・・何でもない」
 友達から父の奇行を聞いた時点で父に止めてと言うべきだったのかもしれない。けれどいつも私は言いかけて途中で止めてしまった。それは父が何かに熱心になるのが嬉しかったからだ。毎日父が漁以外することもなくぼんやりしているのが私には何だか悲しかった。だからせっかく何かやり始めたのに、私のせいでそれを止めさせてしまうのが嫌だった。だから言わなかった。それは男一人で育ててくれてることへの感謝であり、父のために自分を犠牲にできるという優越感にも似た思いやりだった。
 合格通知が来た時は嬉しくともなんともなかった。なんと成績優秀につき優待制度が利用できます。学費全額無料、寮は半額で利用できます。そう書いてあったが、そうじゃないとこちらが困る。私立進学を決めた時も、受かった時も、都会に出発する時も、父はただ一言「頑張れよ」と言った。そんな父を置いて私一人だけ逃げるのだ。
 私も一言「ごめんね」と言った。


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 商店街を抜けた所には神社への石段がある。何十段もあるからあんまり人が来ない。私はそれを二段飛ばしで駆け上ったが、途中で息切れした。中学高校で運動部だったがそれでもキツかった。後ろを見ると町中が見渡せる。自分の家も見えるし、小学校も、友達だった子の家も、岬も見える。もっと登ればさらに景色が良かったはずだ。岬は父のような運動神経のいい人しか行けない場所だから、町を見渡すには神社に来るしか無い。町を囲む崖の上に登るルートはここにしかないからだ・・・
 そこで記憶が頭をよぎった。小学校の低学年の頃の記憶。一回だけ、父が私を連れ出してくれた記憶だ。
 しばらく目を瞑ったあと、私はゆっくりと階段を降り始めた。


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 小学2年生の夏のある日、急に父は私を連れ出した。
 「マユコ。今日は何の日か分かるか?」
 「わかんない」
 「マユコの母さんが死んだ日だ」
 その時私は何と答えたか覚えていない。まだ死を死と捉えてなかった子供だったから、父の言ったことが何を意味するのか分からなかった。そんな私を否応なく家の外へと連れ出した。家にいたいと文句を言う私を父は黙って引きずった。
 父が引っ張っていった先は港だった。大きな漁船に混じって父の小さな船があった。
 「船に乗るぞ」
 それだけ言って父は私を船にのせた。船になんて乗ったことはなかったから、私は少しわくわくして、言われるままに運転室の助手席のような所に座らされた。そして父が色々と操作すると、大きな音を立てて船が動き出した。揺れながら大海原へと進んでいく。キラキラ光る水面がやけに美しかったのを憶えている。しかしこの時ほど父を恨んだ時はない。外海に出た途端そこは地獄になった。前へ後ろへ右へ左へ上へ下へもう揺れに揺れた。吐き気を訴えても、父はビニール袋を渡してくるだけだった。悪夢は2時間ほど続き、また港に帰ってきた時は朝食を全部吐き出してしまっていた。陸に上がってふらふらする私を父は肩車して、一言謝った。
 「悪かったな」
 「おとうさんひどい!」
 「辛かったか?」
 「あたりまえでしょ!」
 そして父は一言だけ言った。
 「これが俺の仕事なんだ」
 その日、船を乗り回しただけで魚は一匹も釣らなかった。後で知った話によると、魚も釣れないのに漁を続けることはとっても阿呆らしいことだという。それは価格の高い燃料の無駄遣いだからだ。それでも私を載せたのは、父は『漁師』である以前に『父親』という立派な職業だったからだろう。父の言葉を聞いた時、お父さんの仕事は大変だな、と感じた。その時点で、父は自分の『仕事』をやり遂げたのだ。


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 神社の石段を降り右折すると、小学校までの細い道がある。私のことを知らないであろうちびっ子達が楽しそうに遊んでいた。昔も私はあんなふうに子供時代を楽しんでいた。友達だろうと友達じゃなかろうと、男子だろうと女子だろうと、群れればそこで遊びが始まる。カーブミラーからカーブミラーまでかけっこしたり、町中で警ドロしたり。そしてお約束の肝試し。
 小学校までの道の途中、林の中に続く細道。その奥に共同墓地がある。


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 あの日、漁船を降りた後、父は肩車をしながらスーパーに入ってアイスを三本買った。そしてそのまま共同墓地に向かった。林の中に入って、暑苦しい夏が一転涼しくなる。その代わりに蝉が一生懸命鳴いていた。
 母の墓は墓地の隅にある。父は私を下ろすと、最後の1本のアイスを供えた。
 「なんでアイスをおくの?」
 「マユコの母さんはアイスが大好きだったんだよ」
 「ふーん」
 それから父は、お墓の横に置いてあったビニール袋から線香を2本取り出し、ポケットに入っていたライターで火をつけた。それから1本を私に渡して、一緒に線香立てに刺し、手を合わせた。なぜかうるさいだけの蝉の鳴き声が心地良く思えた。


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 6年ぶりに母の墓に来たが、いつも通りお墓は綺麗にしてあった。供えてある花も新鮮で、つい最近替えたばかりだと分かる。そして線香立ての前に、まだ中身が固まっているアイスの袋が置いてあった。私は静かに手をあわせて、一礼した。それから墓地の奥のさらに奥、誰も行かないような草むらの中を進んだ。


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 手を合わせた後、父は再び私を肩車して、墓地の奥の草むらを、草をかき分けながら進んだ。
 「ここは蛇やらおるし、草で被れるから夏は来ちゃいかんぞ」
 「わかったけど、どこ行くの?」
 「父さんしか知らない場所だ」
 しばらく進むと、急に開けた場所があった。


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 草むらの中の道なき道を登っていった場所は、見晴らしのいい崖の上だった。町を見渡せる最後の場所であるここは、父と私以外誰も知らない。ここは一部見えない場所があるものの、町のほどんどが見えるし、そして海も遠くまできれいに見える。この景色を見ながら、父は私にああ言ったのだ。


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 「ここの蝉は、みんな元は死んだ人間なんだ」
 肩車をしながら父は私に言った。よく分からないまま私は訊く。
 「お母さんも?」
 「もちろんいるとも。そして皆ここからこの町を見守ってんだな」
 「そーなんだ」
 「おう。だからよく聞いて、覚えておけよ」
 父は遠くを見ながら、私もつられて遠くも見ながら。けれども耳は近くの蝉の声を聴いたまま、父はこう教えてくれた。


 ◯

 『蝉の声は、ちゃんとお前を見守っているという証なんだからな』
 はっきりとその言葉を思い出した時、すでに私は走り出していた。草むらを駆け抜け、墓地を走り抜き、道を横切って商店街へと飛び出し、気付けば家の前にいた。感慨に耽る間もなく庭へと走り込み、物置を漁る。探しものはすぐに見つかった。引き出しの中から割り箸を持ってそれを吊り上げ、そのまま家を飛び出した。
 港と町の外を結ぶ大きな県道の所で一旦止まり、轢かれないように隙を見て道を横切る。そこから岩をよじ登れば岬である。手提げかばんを岩陰に置くと、すぐに岩に飛びつく。少しでも手が滑れば県道へと真っ逆さまだが、蝉笛を離すことなく慎重に登っていく。大岩を5つほど登り、服を泥だらけにしながらとうとう頂上に辿り着いた。
 町中が見渡せた。さっき私がいた崖も見える。ここから見て丁度うちの家の反対側だった。木が生い茂っていてよく見ないと分からない。
 それから私は海を見る。崖の上で見た時よりも近くに見え、水平線まではっきり見える。美しいな、と感じる。
 そして私はゆっくりと、蝉笛を回した。純粋な感謝の気持ちを持ちながら。
 ゆっくりと・・・。
 

 ● ◯

 ぷつん、という音がして、急に手が軽くなった。
 竹の筒がゆっくりと海へと飛んでいく。
 目がどんどん湿っていくのを感じる。ついさっきまで繋がっていた父の優しさの記憶が引きちぎられたような気がしたからだ。つい崖から飛び出そうとする。
 その時、声が聴こえた。


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 音もなく竹の筒が海に落ちた。しかし私の視線はそのさらに遠くに向いていた。涙でぼやける視界の向こうに、懐かしい、吐きたくなるほど懐かしい船が見えた。
 太陽の光が少しずつ私の体を温めていく。
 涼しい海風が私の髪を撫でて通りすぎていく。
 涙が頬を流れていくのを感じる。

 冬だというのに、蝉が2匹も優しく鳴いていた。


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