「もっと精進しろ」
それが正宗の祖父の口癖だった。
80を過ぎたというのに、祖父は毎日木刀を持っては庭で振り、修行を続けていた。そして時折正宗を道場に押し込んで、痣が残るまで打ちのめした。
「修行が足りん」
次の日筋肉痛と鈍痛で動けない正宗を、そう祖父は叱り飛ばした。そしてまた道場に放り込んだ。上達したかどうかはよく分からないが、昔は2手でつぶされていたのが10手に増えた。あの祖父相手に昔の5倍の時間立っていられるということはそこそこ上達したのだろうが、正宗にはあまり実感がなかった。
ある日、痣だらけの正宗が道場に放り込まれた時、彼はとうとう耐え切れなくなって泣き言を言った。
「何でこんな修行しなきゃならんのさ!」
木刀を渡されても受け取らず、正宗は畳に座り込んで動かなくなった。
「そんなに俺を打ちたきゃ勝手に打てばいい。もう俺は打ち合いやらん!」
祖父は静かな、しかし恐ろしい目つきで座り込む正宗を見た。正宗は怖くなって目を逸らした。しばらく沈黙が道場を支配したが、やがて祖父が口を開いた。
「お前は強くならなきゃならん」
「…なんで?」
正宗が文句を言うと、祖父ははっきり答えた。
「お前の器を大きくする為だ」
そして祖父は道場の奥まで歩いて行き、そこに飾りつけてあった刀を手にとった。そしてゆっくりと刀を抜いた。紛れも無い真剣である。濡れたように光る刃面に正宗は震えた。祖父がそれを構えたかと思うと、一瞬で正宗に詰め寄り、刀を振った。正宗を思わず目を瞑った。
「……!」
特に何事も無かったように思われた。しかしゆっくりと目を開けると、視界が広がっていた。どうやら伸びた前髪を斬られたらしい。畳の上に斬られた髪が散らばっていた。刀にビビって体が大きく震えたというのに、それを見切り、体に傷ひとつ付けずに斬ったのはさすがだと正宗は感心した。そんな正宗に祖父が問いかけた。
「何故儂がこの刀を使いこなせるか、お前は分かるか?」
正宗はしばらく考え、そして答えた。
「…強いから?」
「違う」祖父はすぐにそれを否定した。「『強い』というのは相対的なものだ。絶対的ではない」
「じゃあ何なの?」
そう尋ねると、祖父ははっきりした声で答えた。
「『器』があるからだ。この刀を扱えるだけの器が」
「器…」
「そうだ。この器がないと刀は使いこなせん。小さい器で刀を使おうとすれば、それは必ず身を滅ぼす」
その答えに一応正宗は納得した。しかしまだ文句を言った。
「分かったけど、それと俺に何の関係があんのさ」
祖父はすぐに答えた。
「お前にはいつか、この刀なぞ比較にならん程の刀を扱わねばならん日が来る。その日の為に、お前は修行せねばならんのだ」
「仮にそうだとしても」正宗は反論した。「じいちゃんに手も足も出ないのに、そんなのどうせ使えないよ」
「ふん」
祖父は刀を正宗の目と鼻の先に付きつけた。鋭い切っ先が再び正宗の恐怖を揺り起こす。
「お前は、儂がどれぐらいの武道家だと思うか?」
祖父は低い声で言った。その気迫に、正宗は思わず唾を飲み込んだ。
「…最強、なんじゃないの?」
正宗が震えながらそう言うと、祖父は首を横に振った。
「『最強』などというものはない。修行をし続けている限り、明日の自分には絶対に勝てないのだからな」
祖父は刀を降ろすと、木刀を二本取り、そのうちの一本を正宗にほうった。正宗は思わずそれを受け取る。
「精進しろ正宗」
祖父は木刀を構えた。つられて正宗も木刀を構える。
「武道家たる者は、日々精進し、一生修行をし続けてやっと半人前。大往生を遂げてようやく一人前じゃ」
そして祖父は正宗に斬りかかった。
それから何年たっただろうか。正宗はモンスターがはびこる館の中を走っていた。だが一人ではない。3人の仲間が彼と共に走っていた。そのうちの一人、紅色の刀を持った男、天正が正宗に話しかけた。
「なぜあれほどの力を持ったガイナは滅びたと思う?」
正宗は天正の方を見ようともせず、襲いかかってきたモンスターを斬り捨てながら答えた。
「器が小さかったんでしょう」
「その通り」天正が頷いた。「平行世界というのは交わることがないから『平行世界』と言う。だが奴はこの世の理を無視し、交わりえないものを交わらせる、気狂いめいた『神の力』を持っていた。にも関わらず俺達に負けたのは、その力は奴の器のキャパシティーを超えていたからだな」
天正は刀で2体のモンスターを葬り去った。そんな天正に正宗は恨み言を言う。
「それはそうと、天正さん。事あるごとに俺達を呼び出してタダ働きさせるの、いい加減やめてもらえますか?」
「そうよね」その後ろを走っていた、深海のような青い剣を持つ女性、アキが同意した。「呼び出される方はたまったものじゃないわ。ミッションの途中だったのに」
「せめて何か奢ってくれよな」その横を走る、緑の大剣を振るう勇者が付け加えた。
「仕方ないじゃないか。紅火に力を込めると勝手に四段階目が発動するんだから。それに戦いが終わると勝手に解除されるし。奢りたくても奢れない」
天正が言い訳すると正宗は溜息を付いた。
「まあ、いい修行にはなるんですけどね」
そう言って正宗は彼の刀——腕から生えた光り輝く刀を振った。十体ものモンスターが同時に細切れになる。
「正宗君も成長したわね」アキが感心して言った。「ガイナロスト戦じゃ、逃げまわってばっかりだったのに」
「まったくだな」勇者が頷いた。「今やこの4人の中で一番強いかもしれん」
「俺もそう思うな」天正が言う。「正宗、君はこれから『最強』を名乗ってもいいぞ」
その時、大きな音と共に館が揺れた。あまりの振動に4人は立ち止まる。壁が崩れ落ち、柱が倒れ、館の中央があらわになった。そして彼らは、そこに巨大な怪物を見た。大きさはおよそ10メートル。息をするごとに口から凄まじい炎を吹き出していた。
「こりゃあ手こずりそうだな…」
天正が覚悟を決めて刀を握り直す。その時、隣の正宗が呟いた。
「違いますよ」
「え?」
「最強なんかじゃありません。修行が足りませんし」
そう言うやいなや、正宗は怪物の方に駆け出した。次々に襲い掛かってくるモンスターを斬り、弾き、いなして怪物の前に辿り着く。その瞬間凄まじい熱量のブレスが正宗を襲った。だが炎が床を覆い尽くした時、正宗は宙を跳ねていた。そして飛んでいたモンスターを蹴り、反動で壁の方にジャンプする。それからその場に留まってモンスターを引き付けると、正宗はあっという間に壁を駆け上がり、消えた。縮地、あるいは無足の法と呼ばれる歩法だ。そして次に現れたと思ったら、正宗は怪物の無防備な背中の後ろを跳んでいた。正宗は刀——輝雷正宗を振りかぶる。
一閃。
刀は流星のように怪物を駆け抜けた。世界から音がなくなり、すべてがスローモーションに見える。そして時間が再び動き出したと思った時、怪物がぐらりと揺れた。そしてゆっくりと崩れ落ち、やがて爆散する。
正宗は再び跳ねて、呆気にとられている仲間の前に着地した。彼の脳裏に、死んだ祖父の姿が浮かび上がった。正宗は小さく笑って、こう呟いた。
「俺はまだまだ、半人前ですよ」
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