雨が窓に当たるまばらな音で目が覚める。
大学から帰るやいなや、うたた寝をしてしまったらしい。
彩夏は起き上がり、干しっぱなしだった洗濯物の救出作業に入った。
ベランダの窓を開け、物干し竿を部屋に押し込むと、夏の夕立に独特の湿気と匂いが広がる。
微かな冷気が、肌を撫ぜる。
この感覚が、彩夏はどこか好きだった。
彩夏は、お気に入りの傘を携えて家を出た。
ひどくいい気分だ。
通りの喧噪。濡れた靴音。傘に当たる雨の音。何もかもが心地よい。
雨はすべてを洗い流すように降り続けた。
ふと公園にさしかかり、足が止まる。
「ちょっと遠回りしていくかな」
ひとりそうつぶやくと、彩夏はテンポよく足を鳴らして公園へと入っていった。
不意にベンチが目に入る。人影が見えた。
近づいてみるとそれは長身の痩せた若い男で、降りしきる雨を防ぐこともせずただ力なくベンチに身を預けていた。
「どうかしたの?」
彩夏が尋ねるが男は答えず、どこ吹く風だ。
「ねえ、何かあったの?」
「…さあな」
男はやっとこちらに向き直り、つぶやくように言い放った。
「こんなところで寝てたら風邪引くよ」
「あんたには関係ない。考え事をしてるだけさ」
突き放すように言う男の腕を、彩夏の手が掴む。
「関係ないからといって、放っておくのは気分が悪いからさ。雨のしのげるところに行かないかい?」
「どこだい、それは」
「私の家。わりとすぐ近くにあるんだ。ご飯くらい作ってやるよ」
「男をからかうもんじゃないよ」
「別に誘ってるわけじゃないさ。キミから下心は感じない」
彩夏はまっすぐに男を見る。
「というより、何かを夢中になって探してるように見える。違う?」
「…」
「こんなところに座り込んで物思いに耽るところを見ると、探しものはなんらかの抽象的存在だね」
「鋭いな、アンタ」
「勘には自信があってね。男は隠すことを知らないから、心のなかはすぐに知れるさ」
男は鼻を鳴らす。雨でよくわからなかったが、小さく笑ったように見えた。
「おしゃべりな姉ちゃんだ」
「話は聞かせてもらったぞ、青年たち!」
突然の声に彩夏と男が同時に振り返ると、金髪を後ろで結った長身の女性が立っていた。
歳は30手前ほどであろうか。
傘を肩にかけ、缶ビールを片手に持っている。
呆気にとられた二人の前でビールを一口飲むと、女性は言った。
「キミたち、なかなか面白そうじゃない。ちょっと話聞かせてくれない?」
「どういうつもりだ、アンタ」
「ほら行きましょう。行きつけの喫茶店がそこにあるから」
女性は笑いながら二人を引きずるようにして歩く。
「わわっ、待った、自分で歩くって」
「何なんだよ、アンタ!」
「私?私のことはどうだっていいでしょう。でも名前だけ名乗っておこうか」
女性は親指で自分を指して言う。
「私は歯牙ない民間人、吉永良子!以後よろしく!」
「ノリノリだなぁ」
「リョウコさん、いらっしゃい」
喫茶店に入った三人を迎えたのは、店主と思しき若い女性だった。
「久しぶり!奥の席いいかな?」
「先客がいるけど」
店主が指さした先には、両腕をイスの背もたれにかけてタバコを吹かす男。
「ゲ…あいつかぁ」
「知り合いなの?」
「とんでもない。仕方ない、カウンターで話そう」
吉永は急に小声になると、カウンターに腰掛ける。ずぶ濡れの男は、店主に借りたタオルで顔を拭いている。
「ん?良子じゃねーか!奇遇だな」
「バレた…」
「なんだよつれねえな!そっちの二人は誰だい」
「そういえば、誰だっけ?」
「何だ知らねえのかよ。よーし、じゃあまずはこっち来て自己紹介しようぜ!」
(ほらきた)
(うわあうぜえ…)
(うわあうぜえ…)
「じゃあ俺から行くな!俺は在原田と云う者だ。貴族をやってる」
「私は吉永良子。デザイナー兼何でも屋です」
「西崎彩夏です。学生してます」
「伊藤だ」
全員が順々に自己紹介をする。
「彩夏に伊藤だな。アヤカ…紋…」
「なに、人の名前反芻して?」
「放っといていいよ。どうせ和歌を考えてるだけだから。それじゃあ早速議題に移りましょ」
一同(在原田を除く)が唾を飲む。
「この中で一体誰が、このお話の主人公か決定戦〜!!」
「俺の探しものはああああああああああああああああ!!?」
「だって構ってほしくなさそうだったし」
「っていうか、そういうメタなアレだったんだね、この話…」
「キャラの濃さで言えば、俺が一番主人公に向いてるよな」
「登場のエキセントリックさを見れば私じゃない?」
「馬鹿言え、こんなかで主人公っていったらどう考えても俺だろ。謎多き男こそ主題となりうるんだ」
「何を言ってるんだい。『ド●えもん』の主人公はの●太。つまりは中心となる視点だ。初めからこの小説の描写は私を中心に進んでいる」
「アンタ、のび●でいいのか…」
「●び太は偉大だよ。優しい心を備えた、やるときはやる男、理想のヒーロー像じゃないか」
在原田が口火を切ると、途端に自己主張の波が行き交う。
「というか、その謎とやらを早く言ってよ。それがわからないと、検討のしようがないじゃないか」
「そうそう。何を探してたの?」
「その質問を待っていた。俺が探しているのは、ユリアヌスだ!」
「「「え?」」」
「ユリアヌスだ」
全員が呆然とする。
「…悪いけど、電波系の主人公なんてもう流行んねーぜ」
「俺は真剣だ!」
「だから問題なんでしょうが」
「まったく、期待はずれもいいところだね。私の勘も相当鈍っているのかな」
「待て、よく聞け!ユリアヌスは俺の」バキッ
「私の淹れたコーヒーを唾まみれにするんじゃない」
伊藤を沈めたのは店主の強烈な裏拳であった。
「ちょっとアキちゃん、キャラ崩壊は程々にしとかないと」
「ごめん。他のテコ入れが思いつかなかった」
言うと店長は伊藤を抱え、奥の部屋に寝かせに行った。
伊藤、脱落 残り主人公候補 3名
「まあ彼は『最愛の者からの手紙』でも主人公だったからね。出番があっただけでも優遇でしょ」
「だよなー!だいたいあいつイケメンだったし!マジリア充氏ねよ!」
「(うわあうぜえ〜)ところでさっき言ってた貴族って、一体なんのことなんだい」
「貴族は貴族だよ。知らねーの?」
「いや、今の日本に貴族制はないと思うから聞いたのだけど…」
「俺タイムシフトしてるからな〜!そのへんも主人公的じゃない?」
「(うわああ〜もう限界が近いぞ)よくもまあユリアヌスに電波などと言えたものだね」
「まあまあ。それじゃここからは主人公としての資質を競っていこう!」
吉永はさらに続ける。
「主人公としての必須条件は、さっきののび●太の話で出たように、『ここぞという時に力を発揮できること』!それ即ちアドリブ力!」
(たしかにそのとおりだ…!)
(なるほど!当意即妙なら得意分野だぜ)
「そこで、私が一発ギャグを言うので、二人には即座にリアクションを取ってもらいたい。そのリアクションの優劣で主人公を決めよう」
「え?吉永さんはいいのかい?」
「私は主人公の器じゃないよ。じゃ、在原田からいくよ」
「こい!」
「——ふとんが、吹っ飛んだ——!!」
「ウボァー!!なんて強烈なジョークだ!まさしく俺が吹っ飛びそうだ!いいの!?吹っ飛んじゃうよ!」
大袈裟に叫ぶと同時に、在原田は大の字で飛び跳ねた。
「うおおおああ!!ちゅどーーーー」バキッ「店で暴れてんじゃねえええ!!!」「いぎぁっ!?」
在原田の股間に店主の跳び膝蹴りが直撃する。
「あの…アキさん…?」
「ごめん。ちょっとウザすぎた」
在原田は轟沈し、そのまま運ばれていった。
「よし、これであと1人、と」
(吉永良子…恐ろしい子…!)
在原田、脱落 残り主人公候補 2名
「やはり激動の時代である今時の主人公に欠かせないのは平常心!そして狡猾さ!ということで、最後は囲碁で決着をつけましょう」
「いいんだろうか、そんなことで決めて…(グフフ抜かったな。私はプロに3子置きの実力なんだよーん)」
(良子さんも人が悪いな、プロといつも定先で打ってるくせに)
「いいわけないであろうがあああああああああああ!!!!」
怒声とともに巻き起こる竜巻。喫茶店の窓ガラスが割れ、二つの人影が飛び込んでくる。
「貴様ら、恥を知れ!主人公を舐めると痛い目にあうぞ」
「キ、キミたちは…?」
「我か?我の名はガイナ。魔の一団『忌まわしき迷子(ガイナ・ロスト)』の長だ」
「私はフライド・チキン・モンスター教の教祖、河野めぐみなのです」
「主人公の座は、ちまちまと争うものなどではない!力でもぎ取るものなのだ。故に我はこの小娘と組んだ」
ガイナは一呼吸置くと、口の端を歪め、ニヤリと笑って言い放つ。
「我には『世界一の暴力』がある。ならば『世界一の魅力』を持つ者と組んで完全なる主人公コンビとなるのが道理よ」
「実際のところ私は攫われたのです。さっさと家に帰りたいのです」
「娘、余計なことを言うんじゃない!さ、さあ貴様ら、さっさと主人公の座を我に譲るのだ」
「フン、後ろを見てみなよ」
ガイナは、彩夏に促されてゆっくりと後ろを見る。そこには、信じられない光景が広がっていた。
         か
 ら
      あ
                   げ
    か
              ら
 あ
「こ、これは…!」
「『流星群からあげ』!天はキミの主人公化を祝福してはいないみたいだね!」
         げ
     か
      ら
       あ
                   げ
「ユリアヌスはどこだあああああ!!!!」
        から
        あげ
       かあ
        らげ
「し…忍ぶれど…色に出でたり…我が痛み…」
        げか
        あら
「馬鹿な…こんなただの文字の羅列が…我を凌駕するなど…馬鹿なああああ!!!!」
       か
            ら
  あ
                    げ
                 か
                 か
                 か
          ら
          ら
          ら
               あ
               あ
               あ
     げ
     げ
     げ
 か
 か
 か
 か
               ら
               ら
               ら
               ら
                  あ
                  あ
                  あ
                  あ
       げ
       げ
       げ
       げ
                   か
                   か
                   か
                   か
                   か
                ら
                ら
                ら
                ら
                ら
          あ
          あ
          あ
          あ
          あ
  げ
  げ
  げ
  げ
  げ
   か
   か
   か
   か
   か
   か      ら
           ら
           ら
           ら
           ら
           ら     あ
                  あ
                  あ
                  あ
                  あ
        げ        あ
        げ
        げ
        げ
        げ
        げ
杏奈は本を勢いよく閉じると、全力で壁にたたきつけた。
本がベッドに着地するのも待たず、そのまま素足で何度も踏みつけにする。
「冗談じゃなか」
息は切れ切れだ。
「なんが『決して死なん男』ね!タイトル詐欺やっか!」
これほどの『壁本』との出会いは何年ぶりか。杏奈は悔しげに髪をかきむしる。
その様子を影の中から見守る、一人のピエロの姿があった。
—ハーハハハ。どーだ、くだらねえだろ?
—まあー、まあー、こんなもんだよな。
—誰かの話に割り込んで主人公になろうとしたって、碌なことなんかありゃあしねえんだ。
—皆自分だけの、なんていうか、物語を持ってる。
—そん中で自分だけのヒーローになれりゃあ、それで十分だろ。
—そのかわり、まーアレっすよ。そのただひとつの物語の中じゃあ、誰にも邪魔はさせちゃあならねえ。
—自分が満足するまで、誰にもこの命を絶たせたりはしねえ。
—俺は好きなよーに生きて、自分のやり方で散ってやるよ。
—そこで指くわえてみているがいいさ。俺は絶対に屈しないぜ。それが俺の『ヒロイズム』だ。
それだけ言うと、『決して死なない男』は渇いた嗤い声を上げ、満足したように闇に飲まれて消えていった。
CAST
吉永良子【コーヒー】
小林秋【コーヒー】
在原田業平【からはげ】
河野めぐみ【フライド・チキン・モンスター教】
伊藤【最愛の者からの手紙】
西崎彩夏【ぼくのかんがえたさいきょうのヒロイン】
ガイナ【十一月党シリーズ】
流星群からあげ【流星群『からあげ』】
杏奈【なぁ、一体俺は何を書いてしまったんだ】
決して死なない男【もっくりしね】
トップに戻る