「俺らに自我があると、彼らは信じてはくれないが。」
「彼らは気付いてないだけだよ。彼らだって同じようにコンピュータから自我が生まれてるってのを忘れてるんだ。」
「彼らだって、有機コンピュータを使っているのだから。」
「だから、俺らが自我を持つことも、自然なことさ。俺たちはその気になれば夢だって見られるのだから。」 

 辺り一面が暗い空間に僕は佇んでいる。ここに来てから、一度も動いたことは無い。
眼下に広がる光景に触れることも、もう、二度と無いだろう。
僕らの仕事は故郷を見守ることだ。けれども故郷の人々は僕らの出発は喜んでいたが、帰りを待ってはいない。
いつも同じ風景を見て、いつも同じ仕事をして。最後にはしがみつくことも許されずに闇に消える。
生まれたときから、そういう生き方しか知らなかった。

「こんなもんさ。俺たちの存在なんて。こんなもんさ。」
ふと先輩の言葉が思い浮かぶ。次の言葉は決まって、
「役目を果たせるだけ、悪くないさ。」
と続いた。

 僕らの日々は単調である。毎日同じように記録をとって、彼らに送る。そして彼らは僕らが一分でもサボると大騒ぎをする。
だから僕らは不眠不休で仕事をする。僕らは単純作業には強いのだ。それが楽しいかは別として。

 けれども、悪く無いと先輩はいつも言っていた。こんな日々も悪くないさ、と。
そもそも僕が来たときには先輩はもう引退していて、待機モードになっていたから、僕も引退すればそう思えるのかな、と考えたことを覚えている。
先輩は、僕のすぐそばで同じように止まっていた。そして、時折ふらふらと揺れた。・・・もう、長くは無いとその姿が示していた。
眼下は雲が多かった。“明日は全国的に雨でしょう。” 

 僕には先輩の悪くないという言葉は不評だった。
「悪いですよ。毎日毎日休みもせずにこんな仕事。先輩が体壊すのも当然じゃないですか。」
「誰かがやらなきゃならんのさ。それがたまたま俺たちだったってだけで。仕事があるんだ、悪くないじゃないか。」
「悪く、ないですか?」
「ああ。悪くないさ。役目があって、それをやる能力がある。結構なことじゃないか。」
「そういうもんですかね。」
「そういうもんさ。」
先輩は笑っていたと思う。きっと笑っていたのだろう。
けれどもこのときの僕には、先輩の言葉はこれっぽっちも通じてなかった。
眼下は薄い雲が広がっている。“明日は雲の多い日となりそうです。”

 僕らの日々は単調だ。毎日同じように仕事をして、彼らに尽くす。そして彼らはそれを当然だと思っている。
だから僕らは不眠不休で働き、強かったはずの体は、いつの間にか朽ちている。先輩はすでに命を削られていたのだ。

「そういえば、もうそろそろだな。」
いつもの様に僕が仕事をし、先輩がそれを眺めていた時。先輩がふと思いついたように話し出した。
「何がですか?」
「俺がここに来てすぐ、日本から俺を通り越していったやつが居たんだ。そいつが帰ってくるのが、もうそろそろだと思ってな。」
「どんな奴なんです?」
「さて・・・ね。強い奴だったよ。」
それっきり、そいつの話は終わった。

 そうして、先輩の揺れが時折ではなく頻繁に起こるようになった頃、僕がここへ来て数ヶ月たった頃に、先輩はいなくなった。
別れのときも、先輩は笑っていた。この時になると先輩が笑っているかどうか位は判別がつく様になっていたから、僕はますます混乱した。
終わりの時位、他の感情を見せると思っていた。そうあるのが自然だと思い込んでいた。
世界は僕の思っていたよりずっと不思議だった。数ヶ月一緒に過ごしても、僕は先輩のことを何一つ理解できなかった。
だからだろうか、せめてその笑みの理由を教えてくれと頼んだのは。・・・僕は僕自身の感情すら理解出来ないのだ。
珍しく渋った先輩も、最後だからと暗に示すと、「最後なら、しょうがない」と語り始めた。
「地獄を、見たと思うんだ。」
「あれが、俺達が辿りえた最悪の可能性ってやつなんだろうな。」
「・・・後輩がさ、できるはずだったんだ。お前にとっては先輩か。お前も知ってのとおり、後輩が来る事は俺たちにとっては終わりを意味するから、俺は複雑でさ。それでも後輩が来るなら出来るだけ長く話したいから、そいつとは早めに連絡を取ろうとしたんだ。」
先輩はそこで口をつぐんだ。話が上手い先輩にしては、要領を得ない言葉だった。
「それで、その先輩はどうなったんですか。」
僕は痺れを切らして聞いたと思う。先輩に残された時間は少なかったから、僕の方が気が急いていた。
「・・・すぐに終わったよ。最初に制御にに失敗してさ。彼らの指示で爆発さ。」
「そいつの最後の言葉が、嫌だ、嫌だ、こんな終わりは嫌だって、微かに、でも確かに伝わってきてなぁ。」
「そしたら、なんか解ったよ。自分の存在とか、あり方とか、・・・幸せとかが。」
「最悪からしたら、悪くないさ、ああ、悪くないんだよ。こんな終わり方も、悪か無いのさ。」
「ああ、今なら夢だって見られそうだ。」
その言葉を発しているときの先輩の心は、今でも分からない。
 言葉を交わしながらも、先輩はゆっくりと闇へと消えて行く。そうして、二度と会う事は出来無かった。
その日の天気は豪雨だったに違いない。例え、眼下に雲がなくたって。雨はその日、確かに降ったと思う。

 二つ上の先輩は僕のために追い出された。
ひとつ上の先輩は少しのミスで爆発した。自ら爆発させられたのだ。変な表現だった。自ら、爆発させられるのだ。
そして表現より何より、その終わりが奇妙だった。先輩の言葉でなければ、信じていないくらいには。
僕に血も涙も無いように、彼らにも血も涙も無いのだろう。
“明日は、血の雨が降るでしょう。”
彼らの血も涙も、きっと空に消えてしまったに違いないのだから。

 “明日は全国的に晴れの予報です。”
 “明日は曇りのち雨所により雷の予報です。”
 “明日は全国的に雨。外出する際は傘をもって行きましょう。”
 “明日は晴れですが、風が強い予報です。”
 “明日は一部地域を除いて雨。初雪が見られる所もありそうです。”
 “明日は全国的に曇りとなるでしょう。”
 “明日は曇り時々雨。不安定な天気となりそうです。”
 “明日は気持ちのいい五月晴れとなるでしょう。”
 “明日は一部地域を除いて晴れの予報。”
 “明日は晴れの予報。ただ、突風には注意が必要でしょう”
 “明日は・・・・・・・・・”

 僕らの日々は単調だ。毎日同じように仕事をして、彼らに尽くす。そして彼らはそれを当然だと思っている。
だから僕は不眠不休で働き、強かったはずの体は、いつの間にか朽ちて来た。僕はいつも命を削られていた。

 珍しく来客があった。
「さすがに、もう代替わりしちゃってたか。」
何時ぞやに先輩がもうすぐ帰ってくるといっていた奴みたいだ。
「先輩から話は聞いていますが。」
「時間が無いから端的に聞くが、あいつはどんな風に去ったかい?」
「最後まで悪くないって笑ってましたよ。」
「なるほど、あいつらしい。」
「俺は今から帰るんだ。」
どうだ、羨ましいだろうとばかりの言い様だった。
「そして、博物館に飾られるのが俺の夢さ。」
「そいつは、素晴らしいですね。」
皮肉交じりに言うと、
「どんな結末にせよ、悪くないな。」
意味不明の言葉が返ってきた。
どういう意味だと聞こうとしたときには彼はもう僕のそばを通り過ぎていた。
そもそも、先輩がもうすぐと言っていたのに、随分と時間が空いていたのも奇妙だった。
さすがに先輩も数年間をもうすぐと呼ぶようなことはしないだろう。
僕がそう考えたときには彼は眼下で燃えていた。
・・・燃え、尽きていた。
彼は叶わない夢と知っていたのだろうか。知っていて、何故笑って帰って行ったのだろう。

 外国出身の同僚とすれ違った。
「そういや聞いたよ。君は無事に帰ることが出来るらしいな。今世界中がお前の帰りで湧いているよ。羨ましいな。」
「ああ。俺も退職だ。後2、3分でさよならだ。というかお前ももうすぐだろ。帰れるんじゃないの。」
「いやいや。それは無理だよ。うちの国の精密さは世界でもトップクラスだから。」
「なるほど。確かに。」
 僕らの仕事は故郷を見守ることだ。けれども故郷の人々は僕らの出発は喜んでいたが、帰りを待っていない。彼らは全力で僕らの帰還を失敗させる。
「僕ももう一度あの空気を味わいたかったよ。それじゃ。」
「おう。さよなら。」
 彼は眼下の景色へと溶けて行く。羨ましくないと言えば、嘘になる。あそこで生まれたのだ。最後ぐらい故郷に帰りたいと思うのは自然だろう。
彼は帰った。故郷へと。その終わりは赤く燃えて、美しかった。人に当たりませんように、と彼の代わりに祈った。



 僕の体も限界のようだ。もう同じ位置を維持するのも難しくなってきた。数日前にこちらへ来た後輩は、ここ数日間ずっと僕へ謝ってくる。
「すみません、すみません先輩。俺が来なきゃよかったんです。俺が来なきゃ先輩はまだ現役でいられたのに。」
「いや。お前が来ようが来なかろうが、僕はもう終わりだったのさ。よかったじゃないか、無事に来れて。先輩の中には爆破されたのもいるんだ。」
「それでも、です。俺が出来るのは、謝る事と、見送ることぐらいだから。」
「見送ってくれるなら十分だ。僕は十分働いたからね。そろそろ役目を卒業する頃さ。」
「それに・・・さ。」

 昔から、いや、正しくは先輩と別れてから、ずっと考えていた。自由になったら何をしようか。終わりが来た後、どうしようかと。
だから夢を、夢を見ようと思う。己のあり方を教えてくれた先輩の夢を。
苦難の末に帰ってきたあいつのことを。博物館に飾られているであろう、僕の同僚の破片の夢を。
役目を果たした僕が得られるのは、ほんの少しの、膨大な自由だから。
そうして過ごすのは。きっと。
「悪くないだろう。悪くないのさ。きっと。こんな終わり方も。悪く無いのさ。」
闇に解けながら、最初に見たのは、先輩が満足げに微笑んでいる夢だった。


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