キースが引き金を引くと、銃口から鉛玉が飛び出した。その弾はそのまま真っすぐ飛んでいき、やがて一人の男の額を貫く。男は呻き声を上げ、血を流しながらゆっくり倒れた。その瞬間会場に歓声や罵声が響き渡った。
「5番か……。外れてしまったな」
キースの後ろから太った男が歩いてきた。その胸には上層階級を示すワッペンがついている。
「残念だったな。サミュエル議員」
キースはサミュエルを見ることもなく、同情の欠片もない声で言った。サミュエルは大きく笑った。
「なに。賭け事など所詮オマケだ。私は恐怖を顔にたたえながら死んでいく人間と、それを見て喜ぶ人間の顔が見たいのだよ」
そう言ってサミュエルは、キースの銃口20メートル程先にあるものを見た。そこには横倒しになった巨大な升が、3×3の形に積み上がっていた。升の奥には1から9の番号がランダムに書かれており、1つの升に一人ずつ入っている。今5番の升の中にいた男が死んだので、残り8人である。
これは俗に「人間ストラックアウト」と呼ばれるものだった。
この国では政府の権力が非常に強く、誰も逆らえない。だから非合法の賭場があっても誰も文句を言うことができない。政府は200メートルもの高さの壁で2キロ四方の地区を作り、それを幾つか用意した。この地区群は「コロセウム」と呼ばれており、人や獣の命を使った見世物が毎日行われていて、上層階級の観客達が金を賭けて楽しんでいる。キースがいるのは6番地区であり、他の8地区同様、彼もその見世物の対象になっている。
「人間ストラックアウト」は今人気の見世物である。9つの升の中に人間を立たせ、執行者が20メートル先からどれかを銃で撃つ。観客は次に誰が殺されるかを賭け、外したら没収、当てたら没収された賭け金が分配される。的になる人間は拉致された民間人であり、撃つ方のキースも同様だった。1回のゲームで3回以上的を外したら殺されるというルールがキースには課されていて、そうなった場合的の人々は開放される。しかしどちらにせよこの地区のことを知ってしまった彼らを政府が逃がすはずはなかった。
『やあ、ちゃんと殺せたかい?』
キースの耳にある無線機から、若い男の声が聞こえた。キースは感情のない声で返事をする。
「ああ、ちゃんと5番を殺った。次は俺が指定する番か」
『そうだね。何番にするかい?』
「……2番だ」
『了解。外さずに撃つよ』
「お前は外さないだろ、ジャック」
キースがそう言うと、ジャックと呼ばれた男は笑った。
『まあね。じゃあまた後で』
そしてジャックは無線を切った。
「いいんでしょうか。あれ」
いつのまにかサミュエルの横にスーツを来た男が立っていた。どうやらサミュエルの秘書らしい。彼はキースの耳にある無線機を指さしていた。サミュエルはすぐに答えた。
「他の場所で同じ見世物をしている奴がいてな、互いにゲームをしているらしい。相手の的を指定していって、3つ直線に並んだら勝ちだそうだ。こっちの方がよりストラックアウトらしいな。いや、ビンゴゲームの方が近いか」
「しかし、壁の外と通信させるのは危険です」
「なに、政府の許可はちゃんとおりている。そうそう、彼らは負けたほうが勝った方の言うことを一つだけ聞く、というルールで勝負しているらしいが……」
サミュエルはキースを一瞥してニヤッと笑った。
「一度『ここ』に来た以上壁の外に出ることは出来ないんだ。哀れなことにな。せいぜい電話口で動物のモノマネをするぐらいしか出来んだろう」
サミュエルの話を聞いて、キースは遠くを眺めた。この地を取り囲む巨大な壁がそびえ立っている。100ゲームこなしたら開放される、などど言われていたが、サミュエルの言葉を聞かなくても、生きて外には出れないことをキースは分かっていた。
突然大きな爆音がして、地面が揺れる。どこかで何かやっているのだろうが、壁で見えない。
「おお、お隣でもやっとるな」サミュエルが楽しそうに言った。「この地区でもそろそろド派手な催しをやるかね」
集金のアナウンスが入り、会場にいる人々が金を賭け始めた。何番を当てろとか、何番にしろとかいう声がキースの方に飛んでくる。
「キース君。好きな所に撃っていいんだぞ」
サミュエルが言うと、キースは首を横に振った。
「決めるのは俺じゃないんで」
その途端無線機にノイズが入り、ジャックの声が聞こえた。
『元気かい? キース』
キースが黙っていると、ジャックは笑った。
『まあ人を殺して元気でいられる人ってそういないよね。じゃ、次2番お願いね』 キースは的の方を見た。9つの升は、
2,1,6
4,3,8
7,5,9
となっている。前回は5番で、これから2番を撃つので、まだリーチはかかっていない。
『外すなよーって、まあ戦場でシモヘイヘ2世と呼ばれた君なら大丈夫だと思うけど』
無線が切れると、キースは拳銃を構えた。それを見た升の中の8人はビクッと震える。老若男女様々だが、誰もが涙を流し、恐怖に顔を歪めている。ある者はうずくまり、ある者は当たらないようジャンプしようと構え、またある者は床に突っ伏して祈っていた。2番の升にいる男はしきりにキースと床をちらちら見ていた。おそらくコイツは撃った瞬間しゃがむな、とキースは推測し、狙いをもう少し下げた。
引き金が引かれ、銃声が鳴った。その音で男は反射的にしゃがんだが、ぴったりその眉間を銃弾が貫いた。男は呻き声を上げたが、ぐらりと前に倒れ、そのまま升から落ちていった。下の方の升にいた人は、目の前に落下した血まみれの男を見て悲鳴を上げる。その様子に会場がどっと沸いた。
「酷いと思うか?」
銃を構えたままのキースを見て、サミュエルは声をかけた。
「まあ確かにここは酷い。だが、政府に比べればまだ生ぬるいほうだ。あいつらが日頃何やってるか知ってるか? 人を何年も地獄に落とす毒ガスや、町を一瞬で滅ぼす光線兵器など、我々すら震えるようなものばかり使っている。ただ数人を銃で殺して喜んでいる我々はまだましだと思うがね」
「だから何だ?」
キースはサミュエルの方を見た。
「罪もない奴らを殺しているのに代わりはない」
「たしかに我々は五十歩百歩といえる。だがね」サミュエルはキースの持つ拳銃を見た。「その罪なき人々を殺しているのは他ならぬその銃だ」
キースは唇を噛み、サミュエルに銃を向けた。途端に壁から幾つもの銃口が現れ、キースに狙いをつけた。
「無駄だよ。君が撃つ前にこいつらが君を肉片にしてしまうし、撃てたとしても特殊な装置を身に着けている私には当たらない」
サミュエルはポケットからキューブ状の機械を取り出した。そこから展開される黄色のシールドがサミュエルを覆っている。
「拳銃程度の威力じゃこれは破れないよ」
キースは仕方なく銃を下ろした。サミュエルはキースに語りかける。
「君はここに来た当初、的を殺しながら、『仕方なく殺しているのだから俺の意志ではない』と言っていたね。自分の撃つ弾は『偽りの弾』であると」
キースは何も言わなかった。
「死にたくないがためにこんなに人を人を殺しておいて、まだ言えるかね」
サミュエルはいやらしい笑みを浮かべた。サミュエルは人の感情を観察するのが好きだった。だからここで怒ろうが悲しもうがサミュエルは喜ぶ。一番いいのは無感情だとキースは学んでいた。
感情を押し殺すキースの耳元で、また無線機からノイズが聞こえた。
『どうだい?』
「きちんと殺った。眉間の真ん中にな」
『頭を狙うのが好きだねえ。でもそれが一番苦しまないのもまた事実。腹なんか撃たれた日にゃたまったもんじゃないし。で、次は何番?』
「……9番だ」
『了解了解』
そこで無線が切れた。
「そうやって、また人が死んでいく」サミュエルが呟いた。「せめて苦しまないように眉間を撃つ、だって? 偽善だな。死ぬことに変わりはないぞ」
「黙れ」
キースは言い、的の方を見た。残り7人。皆絶望に支配され、顔は涙で濡れている。自分があんな涙を流したことがあったかと、キースは自問自答した。今まで様々な戦場で戦ったが、生き延びるために自分は強くなった。どんなに危機的な状況でも、勝ちの目は少なくとも1%くらいはあった。だから彼は涙を流す代わりに銃を取り、戦場を駆け抜けた。だが的となった人々はどうだろうか。彼らは必ず殺される。生存率0%。生き延びる可能性なき絶望に浸されないと、あんな涙は出てこないのだろう。
観客の声が聞こえる。どこかで爆音がする。サミュエルの笑い声が響く。何もかもを捨てて逃げてしまいたいとキースは思った。しかし何を捨てたとしても、ここから逃げることだけは出来ない。
『調子はどうだい』
無線機からジャックの声が聞こえた。
「いいと思うか?」
『だよねえ。てことで、次4番ね』
「分かった」
キースはすぐさま拳銃を構え、的の方に向けた。先程と同じ状況が繰り返される。ある者は泣き、ある者は喜び、ある者は笑い、ある者は怒る。人々は感情に支配され、冷静なものなど誰一人いない。人間というのはもう少し理性的な生き物ではなかったのか。キースは思った。
4番は中央左の升だった。これでリーチがかかる。次7番を選択されたらキースの負けが決定する。
「……だから何だ」
負けたら自殺しろとでも言われるのかもしれない。そしたらこんな世界とはおさらばできる——
その時、キースが今までに殺してきた人々の顔が頭をよぎった。今自分が死んでどうなるのだろうか。自分が何もせずにここで死んだら、彼らはただの無駄死にだったことになる。なら何のために殺してきたというのか。
キースは引き金を引いた。銃弾が飛び、4番にいた人が死ぬ。『死ぬ』というたった二文字が、この世の全てを覆い尽くしそうな無常観を内包していた。キースの頭をよぎる顔の数がまた一つ増える。
「どうしたのかねキース君。さっきから苦しんでいるようだが」
今サミュエルはどれほど喜んでいるのだろうか。キースには簡単に想像がついた。
再び無線から音が聞こえる。
『そろそろ決着が付きそうだね』
ジャックは楽しそうに言った。
『では、僕は次どこを狙えばいい?』
キースが黙っていると、ジャックは呼びかけた。
『おーい。聞いてる?』
「……1番」
『ほーい』
また誰かが死んでいく。キーズはゆっくりと地面に座り込んだ。何が現実で何が夢なのか。キースは考えなかった。考えたら全て現実だと分かってしまうのだ。
「おや、キース君ともあろうものが、もう限界かね」
サミュエルが不満そうに言った。
キーズは的の方を見る。残り6人。その中に、まだ幼い少年がいることにキースは気がついた。そして過去の記憶がまざまざと蘇ってきた。
5年前、キースが敵地への潜入作戦に参加していた時、その地の少年に見つかった。少年が自分のことを周りに伝えたら、作戦が失敗してしまう。だが作戦は間もなく成功する。
少年を気絶させるなりなんなりすれば済む話だった。だがキースはなるだけ不安要素を無くしたいという理由だけでその少年を撃ち殺した。キースが唯一、殺さなくてもよかった人を殺した記憶だ。
その少年と的の少年は全然違う姿だが、何故か重なって見えた。
爆音がなり、地面が揺れて、キースは我に返った。いつの間にか無線からジャックの声がしていた。
『お久しぶり。こっちは今終わったよ』
「……」
『ずいぶん口数が減ったねえ。僕が勝った時は24時間連続で喋らせてみようかな、なーんて』
「……で、次は?」
『3番だ。頑張ってね』
そうして無線は切られた。
例の少年は1番だったので、キースは少しだけほっとした。もう一度少年を見ると、彼はただ泣いているだけだった。
「どうやらあの少年に思い入れがいるようだね」
キースの横にサミュエルが立っていた。そして彼は何度も頷いて、吐き気がするような笑みを浮かべた。
「ぜひ次はキース君にあの少年を撃ち殺してもらいたい」
キースは息を呑んだ。
「それは俺が決めることじゃ…」
「私はどうしても、その時の君の顔が見てみたいのだよ」
サミュエルが合図をすると、秘書がマシンガンを抱えて持ってきた。サミュエルは受け取り、すぐさま的の方に連射する。たちまち少年以外の人々が見るも無残な肉塊となった。会場が騒然となる。アクシデントがあったとのアナウンスが入り、賭け金払い戻しが行われた。
「ということでだキース君。少年以外の的は皆死んだ。もう彼を撃つ他あるまい。あの少年はこの地区最後の民間人だからな。他の的を補充することは出来んぞ」
キースは少年の方を見た。それから自分の手元の銃を見た。確かに偽りの弾だ、とキースは思った。自分が殺した人々は、他の誰かが殺したのではない。自分が死にたくないから、自分の為に、自分が殺したのだ。サミュエルに言われなくても分かっている。
そして自分は今ここで生きている。これから生き延びるとしても、どうせまともなことはしない。運命から逃げまわるだけだろう。
なら自分の為に死んだ奴らはどうなる? もちろん無駄死にはさせない。引き継がせようとキールは決意した。自分よりも先を生きるべき人に。
自分が背負ってきた命を、少年に譲ろうと、自分が生きるはずだった未来を託そうと、彼は思った。
キースは深呼吸をする。そして覚悟を決めた。その途端、足が少し震えてきた。
「……怖いな」
キースらしくない様子に、サミュエルは不思議に思った。
「どうしたんだいキース君。足が震えてるぞ」
「ああ、覚悟を決めたからな。怖いんだ」
「覚悟? あの少年を殺す覚悟かね」
「違う」キースは首を横に振った。「死ぬ覚悟だ、サミュエル議員。自殺というのは逃げだと言われるが、俺は未来を切り開くために自分を殺す。偽物ではなく本物の弾を撃つ。その覚悟が出来たと言ったんだ」
その時無線が入った。
『どうだい。殺せた?』
キースは一呼吸置いて返事をした。
「アクシデントがあった。議員が1人を除いて全員殺った」
『3番はそいつら中に?』
「ああ」
ジャックは『なら良かった』と呟いた。
『じゃあ続行だね。僕が指定した番号の人が死体だったら、それに撃ちこめばいい。最も、3回以上生きている人を外したら君が死んでしまうんだけどね』
「そんな事を心配する必要はない」
ジャックは首を捻ったようだった。
『どういうことかい?』
キースはゆっくりとジャックに伝えた。
「次は6番だ」
『え……』
ジャックが動揺した。キースは一人頷いた。
「どうせビンゴだろ? 音の来た方から考えてな」
『……』
「ということで、約束通り一つだけ言うことを聞いてもらうぞ」
そしてキースは升の中にいる少年を指さした。
「的の1番にいる少年を、助けてやってくれ」
キースの言葉にジャックは驚いた。
『え、君はいいのかい?』
「ああ。俺は十分生きた。ここで果てるさ」
ジャックは暫く黙っていたが、やがて口を動かした。
『……そう。じゃあ、これでさよならだね』
「そうだな」
そして彼らは別れの挨拶をした。
『じゃあね、キース』
「じゃあな、ジャック。いや、『大統領』」
無線が切れた。その会話を聞いていたサミュエルは目をしばたかせた。
「大統領? どういうことだ?」
意味が分からないといった顔をしているサミュエル議員を見て、キースは不敵に笑った。
「真実を教えてやる」
キースは振り返って、周りを見渡す。この地区を囲む高い壁を見る。
「この地区は2キロ四方の正方形だ。それで、その周りを取り囲むように8つの同じ形の地区が並んでいる。気づかないか?」
そしてキースは静かに言った。
「なんだか。ストラックアウトみたいだな」
サミュエルは、はっとした顔になった。
それを見ると、キースは少年の方を向いた。そしてこう呟いた。
「お前は生きろ」
少年の周りに強力なシールドが張られるのと、上空2000メートルに浮かぶ光線兵器からビーム砲が放たれたのは、まったく同時だった。
観客は焼かれた。
建物は溶けた。
地下に貯めてあった爆発物が爆発し、地面を揺らした。
サミュエルのシールドは一瞬で壊れた。
息をする間もなくサミュエルは光に飲み込まれた。
こうして6番地区の全ては焼き尽くされた。
攻撃が終わり、少年のシールドが解除された。
少年が周りを見回すと、何もかもが消えていた。
最期にキースが流した涙さえも、残ってはいなかった。
トップに戻る