木で出来た今にも取れてしまいそうなドアをくぐり、私はこの街でそこそこ有名なバー"bird box"に入った。広くも狭くもない店内に点在するテーブル席には目もくれず、真っ直ぐカウンターへと歩く。途中何回か顔見知りから声をかけられたが、適当に返事をするだけにした。時間に口うるさいパートナーが私を待っている。
「よう、アキ!調子はどうだ?」
カウンターに着くなり、この妙に居心地のよい酒場の店長であるダムがそう言いながら大きなビールジョッキを渡してきた。泡がはみ出すほどなみなみと注がれたビールがこぼれないようにそれを受け取り、席に着く。
「ぼちぼち。小さい仕事が多いのが悩みかな」
「そりゃあ贅沢な悩みだな」
「十時三十分二十三秒。二十三秒の遅刻」
挨拶も無しに隣に座る私のパートナーが時計を見ながら言った。いつもの黒のジャケットと灰色のズボンを着ている。
「まずはおはようでしょ」
「奢ってもらう身分のくせに言ってくれるじゃねえか」
「はいはいすいませんでした。以後注意します」
笑いながら私達はジョッキを打ち合わせた。ぐいっと一口でジョッキの三分の一を空にする。冷えたビールが程よく喉を刺激した。
「それにしてもこんな朝っぱらから何で呼び出したの?」
私はひょんなことから知り合ったパートナーであるクルエ・ウォーレスに尋ねた。
「最近簡単な仕事しか回ってこなくてな。ここいらで一発デカい奴をやりたいと思ってお前を呼んだ」
「なっ、酒奢ってくれるって言ったじゃん!」
「奢るとだけな。いいじゃねぇか。どうせ暇だったんだろ?」
図星を指されて黙る私から目を離し、クルエはダムに言った。
「というわけでダム、何か厄介な仕事ないか?」
ダムはバーのマスターでありながら情報屋もやっている。色々な人からの依頼をまとめて、私達のような無法者に紹介するのだ。金を払えば依頼に関する詳しく正確な情報も仕入れてくれるダムは、情報屋の中でも人気がある。
「残念だがお前らが満足出来そうなもんはないんだよな」
ダムが手元にある書類に目を通しながら言った。
「そこを何とか」
食い下がるクルエ。ダメだなこりゃ。私は少し気落ちしながらビールを飲んだ。
「ほら、大人しく酒飲もうよ」
「俺の金でな」
そうして暫く二人で飲んでいると急に声をかけられた。
「あのー、ちょっといいでしょうか?」
驚いて振り返るとフードを被った女が立っていた。話しかけられるまで全く気配を感じ取ることが出来なかった。私は少し警戒しながらクルエの方を見る。どうやらクルエも同じことを考えているらしい。
「何だ?」
「あなた方に仕事を頼みたいと思いまして」
やや疑うそぶりを見せた後クルエが言った。
「・・・詳しく話を聞かせてもらおうか」
私達は部屋の隅にある小さなテーブルに向かった。その歩き方等から女が相当な場数を踏んでいることが分かる。クルエと私が女と向かい合う形で席に着いた。
「それで、どんな仕事を頼みたいんだ?」
「とある組織のアジトを襲撃して欲しいのです」
「襲撃ねぇ」
もっと突飛な依頼を予想していた私は拍子抜けした。落胆するクルエに女が続ける。
「資料も必要なものは全て揃ってるのですが」
「見せてもらっていいか?」
「どうぞ」
クルエが女から書類を受け取りざっと目を通す。私は横からそれを覗き込む。アジトは思っていたよりも広く、女の言う組織はそこそこ名の売れているグループだった。
「報酬はこんなものでどうでしょう?」
女がテーブルの上にアタッシュケースを置き中を見せた。この内容でこの報酬ならかなり満足な部類に入る。歯ごたえもあるし、今の私達にはピッタリの仕事だ。クルエはというと眉間にシワを寄せながら考え込んでいた。確かにこの女は怪しい。依頼内容と天秤にかけられる程に。
「どうでしょう?受けて下さいますか?」
クルエが私をチラリと見た。私はクルエに任せると目で返事をする。クルエが決心したように言った。
「引き受ける。今日中に済ませるから夜にまた来てくれ」
「ありがとうございます。では、お気をつけて」
そう言うと女は酒場から出て行った。私は女が振り返る時私の方を見てニヤリと笑うのを見逃さなかった。
「結局引き受けるのね」
「不満か?」
「いや」
「情報はかなり詳細だったし、何か俺らが危険になるような大きな罠を仕掛けている雰囲気もなかったしな。まぁアクシデント起きても何とかなるだろ。女の素性は気になるが」
クルエ言うとおり女から危険な匂いはしていなかった。むしろ、だからこそ、女の怪しさが増しているのだが。考えていても仕方が無いと私はカウンターに向かうクルエついて行った。
「ダム、この情報の裏を取ってくれ。軽くでいいから出来るだけ早く」
「商談成立したのか。良かったな。すぐに済ませてやる」
クルエから書類を受け取りダムが店の奥の方に入っていくのを見送ってから、私達は再び酒を飲み始めた。
「さてと、作戦会議といくか」
目的地から少し離れた所に車を停め、クルエが言った。占い師から貰った見取り図を広げ、ペンで印をつける。ダムが調べたところでは、どうやら不審なところは無かったらしい。
「目標の周りは高い壁で囲まれていて、出入り口は一つある門だけ。敷地内には三階建ての事務所が二つとその間に倉庫が一つ、コの字型に建っている」
「どう攻めるの?」
「壁を越えられない事もないが面倒だ。馬鹿正直に門から入って、まずは片方の事務所に突っ込む」
クルエが門から見て右手の建物に丸をつけた。
「二人で一階を制圧したら、俺が二三階を制圧しに行くからアキは一階で増援を軽く防いだ後、もう片方の建物に向かってくれ」
見取り図に次々と矢印が足されていく。私は敵の動きをイメージしながらそれを見ていた。
「各々事務所を制圧したら倉庫を潰そう。質問は?」
「無し」
「そんじゃ、行くとしますか」
無線がちゃんと動作するのを確かめ、事務所や倉庫の間取り何かを頭に叩き込んでから、私達は車を降りた。
門に着いた。門番が二人しかいないのを確認し、門の両側に位置取って、クルエと息を合わせる。右手で腰に提げた愛刀"蒼雨"を抜く。コバルトブルーの刀身が日の光を受けて煌く。お互いの呼吸がピッタリと重なったその瞬間、私達は門番に向かって突っ込んだ。門番が驚いて銃を構えるよりも早く、蒼雨がその首を貫く。
足を止めずにそのまま右手にある建物へと走る。蒼雨をしまい、今度は太もものホルスターに収められた"マテバ・オートリボルバーを抜く。ドアを蹴り開け、突入するクルエに続き建物の中へ入ると同時に敵の位置を確認する。手前のソファに二人、奥に二人。
「手前は任せた」
言われた通りにソファに隠れようとする二人の頭をリボルバーで撃ち抜く。シングルアクションオートの回転式拳銃という特殊な機構を備えた銃身の上部が勢いよく後退と前進を繰り返し、右手にその反動が伝わってくる。一階にはもう敵がいない事を確認してクルエが言った。
「後は打ち合わせ通りにいくぞ。とちって死ぬなよ」
「そっちこそ」
階段を駆け上がるクルエを見送った後、私はドアの横に移動した。足音を頼りにタイミングを測る。ドアから中に入ろうとした一人の後頭部を撃ち抜き、入れ替わる様に外に出ながら後続の二人に狙いを定める。片方の額に弾丸をお見舞いした後、もう片方の太ももを撃ち、片膝をついた所を蒼雨で切り抜ける。リボルバーのローダーを横に振り出し空の薬莢を落として、専用に作った散弾を装填しながら、私はもう一つの事務所の方へと急いだ。
ドアから転がり込みながら右の方にいた男へ一発。起き上がりながら左の方にいた女へ一発。破裂音とともに銃口から吐き出される散弾が、敵を吹き飛ばす。空いている左手で蒼雨を抜きながら正面の男に向かって前進する。男の持つハンドガンが打ち出した弾丸を両断し、大きく踏み込みながら私は男の胴を薙いだ。続けて右手にあるドアから出てきた一人をリボルバーで処理し、ドアの向こうの部屋には誰もいないことを確認してその横にある階段へと向かった。
階段を上がる前に敵の気配を探る。人体実験によって強化された五感の全てをフル動員して敵の位置を掴む。二階に五人、三階に四人か。二階だと戦っている最中に下から敵が上がってきて三階の奴らと挟撃される恐れがある。三階から行くか。
二階を無視して三階まで全力疾走し、部屋に入ると同時に二人いる敵の内近い方を吹き飛ばす。そのまま倒れこむ様に目の前あるソファに身を隠して、もう一人の銃撃をやり過ごす。銃撃が止むのを待ち、ソファの影からリボルバーだけを出して発砲。悲鳴が聞こえたのを確認してから、もう一つある部屋に向かう。リボルバーをしまい、蒼雨を抜きながら部屋に入ろうとしたその時、突然ドアが開いた。アサルトライフルの銃口が目の前に現れる。
止まる思考とは裏腹に、身体は最善の選択をしたらしかった。相手の射線を切る様に斜め前に跳び、距離を詰めて腕を切り落す。弾丸がすぐそばを通り抜けた為に左耳が使い物にならなくなったのを感じながら、呻く敵を蹴り飛ばし部屋の中へ入ると、真正面に最後の一人が立っていた。その手にはショットガンが握られている。距離は約5m。間に合うか?
渾身の力で床を蹴りつけて、私は男の方へと突進した。切先が迷うことなく男の額をぶち抜く。刀身についた血を払い蒼雨を鞘におさめ、リボルバーの弾丸を貫通強化弾にかえながら深呼吸をする。後は二階だ。
階段を降りる途中で二人の敵を切り払い、二階に着いた。敵はあと三人。いや、増援が一階から階段を上がる音がする。どうするか。
手榴弾のピンを抜き階下に放り投げ、爆発と同時に私は二階に突撃した。敵は入った部屋に二人と、もう一つある部屋に一人。まず一人をヘッドショットで沈め、銃を構えるもう一人の方へ走り、今まさに私を蜂の巣にしようとしているライフルを蹴り上げた。虚しい音を上げて、天井に穴が空いた。目を見開く男に二発の弾丸を浴びせた後、ドアへとローダーが空になるまで連射する。鈍い音をたてながら銃弾がドアを貫通し、ドア越しに様子を伺っていた最後の一人を仕留めた。
"こっちはもう倉庫の前だ。そっちは?"
「こっちは今終わった所。すぐ行く」
リボルバーに弾を込めながら無線に応え、私は窓から飛び降りた。強化された身体能力にとってはこの程度の高さならギリギリ足に負担がかかるぐらいで済む。左耳が回復しているのを確認しながら、倉庫の方へと走る。クルエは入り口の大きな鉄製の扉の前に陣取っていた。
「負傷はしてないな」
「もちろん。クルエは?」
「問題無し。さてと、どうするか」
目を瞑り、聴覚、嗅覚、触覚の三つに意識を集中させる。足音、銃声、火薬の匂い、空気の流れ。それら全ての情報を統合し、中の状況を把握する。敵は・・・十人。二階に三人、一階に七人。倉庫内は吹き抜けになっている為に、一階で戦っている最中に二階から攻撃を受けると面倒だ。
「私が派手に暴れるからクルエは二階を押さえて」
「了解」
「それと、これ借りるわよ」
そう言いながら私はクルエの腰にさげてある"ベレッタM92FS"とそのマガジン数個を抜き取った。プレスチェックをし、撃鉄を上げて、安全装置を解除する。
「乱暴に扱うなよ。高かったんだからな」
「イエッサー」
マガジンの一つを口に咥え、右手にベレッタ、左手にリボルバーを構えて私は倉庫に入った。ベレッタで二階を牽制しつつ、近くにあった柱の影に隠れる。私に続いて倉庫に入り階段へと一直線に向かうクルエを援護し、無事に上へと上がれたのを確認すると同時に、柱の影から飛び出した。鋭さを増す知覚。加速する思考。さぁ、ショウタイムだ。
四方八方から銃弾が飛んでくる。並ぶコンテナの間を縫う様に倉庫の右の方へと移動する。三人と四人に分かれている敵の内、三人の方を先に潰すのだ。グリップを握る手に力が入る。倉庫の角で移動を止め、物陰に隠れて様子を伺う。敵は向こう側。間に遮蔽物は無い。一人は確実に喰えるか。
物陰から出て敵の方に走りながら私はその内の一人を仕留めた。別の方向から私を狙う敵をベレッタで黙らせながら、移動する残りの二人を追う。何とか遠くまで逃げられる前にリボルバーで二人を撃ち抜いた。すぐさま敵の射線を切る様にコンテナの影に隠れ、リボルバーをしまい、蒼雨を抜きながら、片手でベレッタのマガジンを口に咥えているのと交換。あと四人。
敵はまとまって動くのを止め、私を囲う様に動き始めた。コンテナを上手く使って、私が反撃しにくい様に連携をちゃんと取りながら移動しているのが分かる。敵の移動が完了したのを確認すると、私は大きく息を吸いダッシュして渾身の力で跳び上がり、目の前にあるコンテナの上へと上がった。驚き慌てる一人をベレッタで沈め、コンテナからコンテナへと飛び移りながら移動し、逃げ惑う一人の先回りをして飛び降りながらその首を刎ねた。あと二人。
コンテナの影から突然男が飛び出してきた。突き出されたナイフを間一髪の所で首を傾けることで避け、すかさずベレッタで頭を殴りつける。鈍い音がして男が倒れこんだ。その頭に数発の9mmパラベラム弾をお見舞いし、私は最後の一人の方へと向かった。ベレッタで牽制しつつ距離を詰める。スライドが後退したまま止まり、マガジンが空になったのと同時に、私は大きく一歩を踏み出しながら右から左へと地面と水平に蒼雨を振った。深いブルーの軌跡を描いて、蒼雨が敵を真っ二つにした。終わった。
「こっちは終わったよ、クルエ」
"こっちももうすぐ終わる。車で待っといてくれ"
「了解」
無線を切り、タバコに火をつけたその時、私は何か泣き声が聞こえてくるのに気が付いた。じっと耳を澄ましその声を辿っていくと、隅にあるコンテナの前に行き着いた。扉が半開きになっている。警戒しながら扉を開けて中を覗いてみると、積荷に混じって一人の赤ん坊が泣いていた。わけが分からないままひとまず赤ん坊を抱いてやると、赤ん坊はふっと泣き止んだ。どうするべきか迷ったが、その顔に愛おしさを感じ、私は赤ん坊を連れて帰ることにした。
「うん。似合ってる似合ってる」
私はバーに戻る途中で買った上着を赤子に着せ満足そうに言った。気に入ってくれたのか、赤子がニッコリと笑う。つられてこちらも笑ってしまう。そんな私を見て、ビールを飲みながらクルエが言った。
「すっかり夢中だな」
「何よ」
「いや、ちょっとは可愛らしいところもあるんだなぁと」
「鼻の穴をもう一個増やして欲しいみたいね」
「そりゃ勘弁だ」
顔を赤らめる私を見ながらクルエが茶化すように笑う。クルエの視線から逃れるように私はジョッキの取手を握る。私がビールを飲み干すのを確認すると、クルエが真剣な顔つきになって言った。
「冗談はさておき、本気で育てるつもりじゃないなら名前とかつけたりするなよ。情が移る」
「分かってる」
赤子が不安そうな目で見つめてくる。私は赤子を抱く腕に軽く力を込め、優しく微笑んだ。
「とは言っても、何にも情報が無いのよね」
疲れてしまったのか、赤子がスヤスヤと眠り始めた後、私は言った。それを受けてクルエも腕を組みながら言った。
「ダムに頼んでも一切情報が集まらないってのもおかしい」
二時間前、私達がこのバーに戻ってきた時にダムにこの子について調べてもらったのだが、結局何も分からなかったのだった。私達が二人で考え込んでいると聞き覚えのある声が聞こえた。
「あのー」
ビックリして顔をあげるといつの間に来たのか、フードの女が立っている。朝の時同様、全く気配がなかった。
「仕事はしっかりこなして下さったみたいですね。どうぞ、報酬です」
クルエが女から注意深くアタッシュケースを受け取る。
「その子は?」
私が赤子を抱いてるのに気付き、女が言った。女に説明すべきか迷ったが、別に問題はないだろうと思い、私は事情を話した。
「ふむ。それは不思議ですね。私が占ってみましょうか」
「占う?」
「私は占い師をやっているのです。まぁ信じるか信じないかは別として、ここは一つ任せてみては?勿論サービスですからお金は取りません」
どうせ当てが無いのならと赤子を女に渡す。女が赤子の額に手を当て何かを唱えた。直後、一瞬女の手が淡い光に包まれた。女が赤子から手を離して言う。
「この子は・・・この世界の子ではありませんね」
「はぁ!?」
思わず大声を出す私達。その声に驚いて泣き出す赤子をあやしている間に女は続けて言った。
「この子はあっちの世界、この子が元いた世界に災いをもたらす未来を持っています。おそらく向こうの世界でその未来を見た誰かが、この子をこちらの世界に送り込んだのでしょう」
いきなり話のスケールが大きくなりすぎて思考停止する頭を何とか持ち直し、私は女に尋ねた。
「じゃあ、この子の親は?」
「あちらの世界にいるのではないでしょうか。生きてるかどうかは分かりませんが」
「異世界の子供ねぇ」
信じ難い話を女が平然と言ってのけたので、すんなりと女の言葉を信じてしまいそうになっていた私を嗜めるような調子でクルエが言った。そんなクルエの疑いの眼差しを受けながら女が続ける。
「信じるか否かはあなた方の自由ですよ。ただ、この子をあちらの世界に返そうというのであれば、隣の国で異次元へのゲートの研究をしてるそうですから、そちらへ向かってみては?これはその地図です。それでは、また出会うことがあれば」
女が酒場から出て行くのをしっかりと確認してから私達は顔を合わせた。
「どう思う?」
「普通だったら笑い話で終わらせるところだが、あの女、嘘をついてるようにはみえなかったんだよな。ダムがいくら調べても何の情報も見つけられなかったのも一応納得はいくが・・・まぁどうするかはお前が決めることだ」
そう言うとクルエは新しい酒を貰おうとカウンターへと向かった。女の持つ何か底知れない雰囲気。確かに女が言っていることは本当だろう。すっかり眠り込んでいる赤子を見る。多少胡散臭いところはあるが他に何も情報が無い以上私がするべき事は一つしかない。
「どうするか決めたか?」
カウンターから戻ってきたクルエに答える。
「隣の国に行く」
「こいつを返すのか?災いをもたらすとか言ってたのに?」
「関係ないわ。この子の生き方はこの子が決めないと」
私が研究所から脱走した時、そう誓ったように。
「それと自分には何の被害も無いってのが半分か」
「悔しいけど反論出来ない」
いいのだ。この子をこちらの世界に送り込んだ奴も責任取らなかったのだから。
「さて、そうと決まれば今すぐ出発するぞ。明日の朝には到着出来る」
「クルエも行くの?俺には関係ないとか言って来ないかと思ってたのに」
「俺も人の為に・・・」
「はいはい」
「異次元の世界へのゲートなんて中々お目にかかれないからな。別に邪魔するわけじゃ無いんだ。一緒に行ったっていいだろう?」
本当ちゃっかりしているというかなんというか。これだからこのパートナーとは上手くやっていけているのだろうか。
「ほら、置いてくぞ」
「ちょっと待ってよ!」
そうして私達はダムのバーを後にした。
「そうだった」
後部座席に武器などを積んだクルエの車で女の言った国に向かう途中、クルエがふと思い出したようにそう言いながらハンドルを握っていない方の手を助手席に座る私に出してきた。
「何?」
「『何?』じゃない。お前、ベレッタで何か殴っただろ。グリップが歪んでたぞ。修理代を請求させてもらう」
ばれていたか。気づかない様に返したつもりだったのに。
「小さいことばっかり気にしてると嫌われるよ」
「お前なぁ。大体借りと・・・」
そこでクルエは口を噤んだ。私はキョロキョロと周りを見るクルエの次の言葉を待つ。
「なぁ、今なんか違和感を感じなかったか?景色が一瞬ぼやけたような」
「特に何も感じなかったけど?」
「・・・そうか。気のせいか」
それから暫く荒い道を行くと、目的の国に着いた。何故か誰もいない関所を抜けると、何やら様子がおかしいことに気づいた。円状に広がる城下町全体が騒がしいのだ。ゲートがあるという城へと続く一本道の入り口付近に車を止め、とりあえず住人に話を聞いてみると、どうやら王が何者かに殺さたらしいことが分かった。城は厳重警戒態勢が敷かれているということも。
なんとか城へ入る方法を考えながら街を回っていると不審な男を見つけた。話を聞くとどうやら城にある研究所の研究員らしい。男の話によると城はあと六時間で男の仕掛けた爆弾によって爆破されるらしい。男は何かこの赤子に関することを知っているらしく、私達に赤子の元の世界へ戻すために必要なものを一通り私達に渡して姿を消した。
車に戻りひとまず作戦を立てることにした。男から貰った城の地図を広げる。城は堀によって囲まれており、入り口は正面にある大きな門と左右にある小さな門だけ。どうやら目的のゲートは地下二十九階にあるらしい。
「制限時間が厳しい。出来るだけ時間がかからないルートを通ろう」
クルエが左の門に指を置いた。
「ここから入って庭を敵に見つからない様に移動し、倉庫前の建物から城内へと侵入。停止中のエレベーターのロープをつたって地下二十階まで降下する。他に手段もないからそこからは馬鹿正直に階段を使って目的地まで行こう。エレベーターまでは戦闘を避け、それ以降はゴリ押しだな」
「中々ハードスケジュールね」
「いつかのデスゲームを思い出しそうだ。さて、質問は?」
「無し・・・きゃあ!」
その時、急に車のフロントガラスの前に置いていたリボルバーが暴発した。六発の弾丸を外へ向けて元気良く吐き出して、リボルバーが沈黙したのを確認してから、クルエが私をかばう様に助手席側に倒した身体を起こしながら言った。
「大丈夫か?」
「大丈夫」
驚いて泣き出した赤子をあやしながら答える。前を見ると六つの穴がガラスにでかでかとあいていた。
「一体何だったんだろ?」
マテバの構造上、撃鉄が上がってたりしない限り暴発が起きる様なことは無いはずだ。だとしたらどうして?
「何にせよ怪我がなかったから良かった。騒ぎになる前に出発するぞ」
そう言ってクルエはアクセルを踏んだ。私はそういえばシアンがマテバに触れたことを思い出しながら、ぼんやりと外を眺めていた。
城に着いた。少し離れた所に車を止めて突入の準備をする。マテバは怖くて持って行けない・・・VSSと蒼雨だけで行くか。車を降り、いつもより重装備をしているクルエに赤子を渡す。
「泣かせない様にね」
「それは確約しかねるな」
「はいはい」
クルエに背負われた赤子の頭をそっと撫で、指先が出る黒のレザーグローブをはめ、私は城へと歩き出した。距離をとってクルエがついてくる。
城から100m程離れた所から狙撃銃であるVSSのサイドバーを引き、スコープを覗く。門番が二人並んで立っている。片膝立ちになり、大きく息を吸い、止める。失敗は許されない。引き鉄に指をかけゆっくり絞っていく。手の震えが完全に止まった瞬間、私は引き鉄を引いた。
消音性を追求した特殊なシルエットの銃身から、気の抜けるような掠れた音とともに弾丸が発射された。ソニックウェーブが発生しない様に重量を増やしてある亜音速弾が、緩い放物線を描きながら門番の額を貫通する。銃身から勢いよく飛び出した空の薬莢が地面に落ち、からんと乾いた音を立てた。もう一発。残る一人が頭から血を噴き出して倒れるのを確認して、私はスコープから目を離した。門へと急ぐ。
門の影から中の様子を伺う。目的の入り口までに対処しなければならない見張りは五人。内三人が一組になって庭を巡回しており、二人が入り口の左右に立っている。
「しくじるなよ」
再び片膝立ちでVSSを構える私の後ろに身を屈めながらクルエが言った。
「分かってる」
木製の茶色いストックをしっかりと肩に当て、スコープを覗き込む。まずは入り口の二人を他の三人に気付かれないように仕留め、残りを迅速に処理。頭の中でプランを立てながら照準を合わせる。その重量ゆえに遠くへ飛ぶにつれ深く落ち込む亜音速弾の軌道を意識しながら、標的のやや上方に狙いを定める。息を止め、全神経を指先に集中。ゆっくりと引き鉄を引く。
初弾が吸い込まれるように入り口の右手にいた男の頭に命中した。間髪入れずに次弾を発射する。もう一人の首を弾丸が突き破った。
よし、残るは巡回する三人だけだ。スコープから目を離さないまま、ふっと息を吐き出して呼吸を落ち着けた後、すぐにまた息を止める。三人の移動速度を頭に叩き込み、照準を移動先に置くように微調整する。発砲。後ろの一人が声もなく倒れる。後方の異常に気付かないまま巡回を続ける残りを二人を連続で撃ち抜き、私はマガジンを交換してVSSを背中になおした。後ろにいるクルエに目をやる。
クルエが無言で頷くのを確認すると、私は遮蔽物の影を縫うようにして入り口へと移動を開始した。遅れてクルエもついて来る。誰にも見つからずに城内へ侵入し、エレベーターの元へと辿り着いた。ほっと息をつく。
「中々いいペースだな」
「時間切れで城と一緒に心中なんて絶対嫌」
そう言って緊張をほぐすようにクルエと笑い合う。疲れてしまったのか赤子はクルエの背中で寝息をたてていた。
「そんじゃ、自慢の怪力を見せて貰うとするかな」
「ちょっとはオブラートに包んだらどうなのよ」
エレベーターの方に向き直り、その扉の真ん中の境目に手をかける。ぐっと力を込め、強化された筋力をフルに使い、ドアを左右にこじ開ける。眼前に現れた暗闇の底を覗くと少し目眩がした。
「これを今から降りるのよね?」
「どうした?怖いのか?」
「ゴールが見えないんですけど」
「そんなもん見えても見えなくても一緒だ」
キビキビと降下に必要な道具を準備をするクルエに習い、私も覚悟を決めた。ライトを片手にエレベーターを吊るすロープに金属の輪をかけ、腰に巻いたベルトに繋ぐ。手袋をはめ直し、ロープにぶら下がる。後は降りるだけだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
クルエに見送られながら、ライトを口に咥えて私は降下を開始した。頼りない光とともに風を感じながら暗闇の中を落ちていく。摩擦で手袋がかなりの熱を持ち始めた頃、突然エレベーターが現れた。慌ててブレーキをかけたがもう遅い。
「痛っ」
着地に失敗し、見事に尻餅をついてしまった。口からライトが落ちる。パンパンっとズボンをはたきながら立ち上がると、クルエが降りてきた。暗闇の中でもニヤニヤしているのが分かる。私のライトを拾いながらクルエが言った。
「模範的な落ち方だったな」
「うるさい」
「あうー」
いつの間に起きたのか、赤子も私を見て笑っている。
「うぅ、笑わないで・・・」
気を取り直し、クルエが持つライトの光の元でエレベーターぼ天板を外した。飛び降りるように中に入り、扉に耳を当てて向こう側の状況を探る。どうやら敵はいないようだ。
「開けるわよ」
「了解」
さっきと同じように扉をこじ開ける。入ってきた光に一瞬目が眩んだ。目を擦りながら外へ出る。ここは地下二十階。ゲートまではあと九階降りなければならない。もちろん私達を阻む敵を倒しながら。
「さてと、こっからが本番だ。前衛よろしく頼む」
「任せて」
左手で腰にさげた蒼雨を鞘ごと抜く。あの胡散臭い男の話だと、この刀には単に斬る以上の力が秘められているらしい。蒼雨を握る手に力を込めると、反応が返って来たような気がした。
広い通路を一番近い階段へ向けてクルエと一緒に走る。五分も経たない内に敵と出くわした。敵は二人。
「何者だ!止まれ!」
そう言ってこちらに何やら杖のようなものを向ける一人を抜刀しながら斬り捨て、もう一人の首を鞘で打ち、走り抜ける。クルエがすかさず倒れこむ男に銃弾をお見舞いするのを音で確認しながら、先を急ぐ。鳴り響く警報。無数の足音が聞こえてくる。
通路を塞ぐように敵が三人並んでいる。左右の二人がこちらに杖を向けて何かを唱えた。炎で出来た球体が私を目掛けて真っ直ぐ飛んでくる。これが魔法か。一本じゃ足りないな。
イメージした瞬間、淡いブルーの光を発しながら、左手に持った鞘が二本目の蒼雨に変化した。二つの炎を斬り、そのまま敵の方へと突っ込む。真ん中の敵が振り下ろした剣を右手の蒼雨で横に弾き、左手の蒼雨で突き倒して、呆気にとられる残りの二人の首を撥ねる。
階段を五階程駆け降りると、下から敵の集団が上がってきた。向かいうたなくては。通路へと出て、近くにあった部屋に飛び込む。パソコンやよく分からない機械が乗っている机がたくさん並ぶ長方形の広い部屋の隅に移動し、足音で敵の数を確認。敵は・・・八人。さっきの集団が来る前に片付けないとな。
蒼雨を一本に戻して、背中にあるVSSを右手で持つ。手元にあるセレクタレバーをフルオートにし、物陰から発砲。掠れた音を立てながら弾丸がばら撒かれる。敵を三人撃ち抜いたところでマガジンが空になったVSSを投げ捨て、机の影から飛び出す。
左の奥にいる二人はクルエに任せるか。右奥にいる三人に向けて直進する。飛んでくる光弾を身を捩るようにして避け、距離を詰める。あともう少しというところで敵と私の間に半透明の壁が現れた。どうやら敵が作り出した障壁らしい。
今度は長剣をイメージする。私の思いに応えるかのように蒼雨が2m近くの太刀に変化した。両手でそれを構え、回転するように右から左へと地面と水平に振る。ガラスが割れる様な音とともに壁が消失した。勢いそのままもう一回転。三人の胴をまとめて両断する。蒼雨を元に戻し、顔についた血を
ジャンバーの袖で拭っていると、クルエが近づいて来た。こんな状況だというのに赤子は泣きもせずただ不満そうな顔をしている。
「さっきの奴らは?あとどれくらいで・・・」
クルエが言い終わる前に、先ほど私達がこの部屋に入ったドアから敵がやって来た。すぐさま机の影に隠れる。数は・・・十五人。想定していたよりも多い。まずいぞ。
「アキ!頑丈な遮蔽物が欲しい!何とかならないか?」
慌てる私とは対照的にクルエは冷静だった。そうだ。今必要なのは机のような小さな遮蔽物ではなく、他方向からの攻撃を防ぐための複数の壁だ。でもどうやって?
頭上を炎の塊が通り抜けて行った。心拍数が跳ね上がる。蒼雨はイメージで変化する。魔法もイメージで発生するんだとしたら・・・落ち着け、頭を使うんだ。壁。氷ならどうだろう。物体が凍るのはそれを構成する分子の運動が停止するから。これだ。目を閉じ、頭の中で空気中の無数の分子を固定するイメージを思い描く。数秒後に変化は起きた。私達を囲むように大きく太い三本の氷柱が現れたのだ。
「ナイスだ」
クルエがその内の一本に身を隠しながら言った。私も別の一本に隠れる。蒼雨をちゃんと持ち直し、氷柱にもたれかかると、一瞬視界がぼやけた。どうやらさっきので大分脳に負担がかかったらしい。だが休むのはまだ早い。蒼雨を1m程の太めの片刃の剣に変えて、大きく回り込もうとしていた一人に斬りかかった。
敵を斬り、魔法を避け、氷柱に隠れ、隙を伺い、また斬る。クルエの援護射撃に合わせながら部屋を縦横無尽に駆け回る。思考のギアが上がっていく。加速する知覚。世界が速度を失う。
敵が手に持った大きな槍を突き出して来た。遅い。身体の軸をずらしながらカウンター気味にその胴を薙ぐ。敵はあと五人。距離を取りながら私を囲んでいる。前方からの攻撃を斬り払って近づこうとしたその時、腹の辺りに激痛が走り、3m程吹き飛ばされた。
「つっ!!」
どうやら横にいた一人が放った光弾が直撃したらしい。痛みを堪えながら、立ち上がる。
"大丈夫か?"
"何とかね"
無線に出来るだけ平気そうな声で応える。大きく息を吸い、吐く。敵は全方向から攻めて来る。それに対応できる何かが必要だ。どうすればいい?その時突然、蒼雨が私に呼応するように姿を変えた。
スーツケース程の大きさの紺色のデバイスと、それから伸びる1m程の淡く蒼色に発光する透明な刀身とで成るブレードが六本、私の後ろに翼の様に広がり浮遊している。棒立ちの私に向けて敵が一斉攻撃をしかけてきた。迫る魔法。私は目を閉じる。
六つのブレードが背中から射出され、私の周りを旋回し、飛んできた魔法を全て薙ぎ払った。間髪入れずに、驚く敵の方へ移動を開始する。私の思い通りに自在に宙を舞うブレードが敵に襲いかかる。一人、また一人。全方向から飛んでくる魔法を防ぎながら敵を倒していく。残るは一人だ。
「速い!」
最後の一人はこれまでの敵とは違い、どうやら身体強化をしているみたいだった。目標の動きについてこれずにブレードが虚しく空を斬る。
「ぐっ」
敵の反撃を受けた。先ほど直撃をくらった腹に再び激痛が走る。これ以上はもうもたない。ラストチャンスだ。
ブレードを横一列に配置し、射出。敵の移動経路を一直線に誘導する。最後のブレードを敵がかわそうとした瞬間、敵の進路に氷柱を発生させる。勢いよく氷柱にぶつかった敵をブレードが仕留めた。終わった。
それからは敵との戦闘をあまりこなすことなく、階段を駆け降りて目的の部屋へと辿り着いた。男から教わった空間座標をゲートに付いた機械に打ち込む。クルエから赤子を受け取り、二本の支柱で成るゲートの前に立つ。お別れだ。
「これをあげる」
私はいつも首にさげている小さなメタルプレートを赤子の手に握らせた。私が実験体だった時に、識別コードとして持たされていたやつだ。赤子が不思議そうな顔をする。
「じゃあ、頑張るんだよ」
最後にもう一度赤子を強く抱きしめ、私は赤子を元の世界へと送り返した。
「結局なんだったんだろうな」
クルエが手に持ったジョッキを空にしてから言った。ここはダムのバー。あの一件からもう二日が経っている。
「本当、何だったんだろ」
二日前、赤子を送り返しこの街戻ってきた後、ダムに私達が行った国はそもそも存在しないと言われ、そんなはずはないと再び街を出て確かめると、果てしなく荒野が広がるだけだったのだ。
「一銭も儲けにならなかったし、フロントガラスに穴は空くしで散々だった」
「いいじゃない、風通しが良くなって」
「全然良くない。修理代も結構するんだぜ・・・ん?修理代?」
クルエが急に黙った。まずい。私が何とか気をそらす方法を考えつくよりも先に、クルエが再び口を開く。
「そうだ!アキ、お前まだベレッタの修理代払ってないだろ!」
「チッ、ばれたか」
私は席を立ち、出口へと走る。
「あっ!ちょっと待て!」
そう叫ぶクルエの方を見向きもせずに私はバーを飛び出した。ほんの少しの間だったけれども私が確かに面倒をみた赤子は自分のいるべき世界で無事でいるだろうかと、頭の片隅で考えながら。
トップに戻る