赤。血の海。腹部に鈍い痛みを感じて目をやると、大量の生温かい血が噴き出しているのが見えて、ノエルは呻き声をあげそうになった。地面に這いつくばるような形で倒れている身体を、何とか上半身だけでも起こして周りを見渡すと、ぼやけた視界の中で家族が、村の皆が、自分同様に血溜まりの中で倒れているのが分かった。重い瞼をなおも開き続けていると、ノエルは惨劇の中心に立つ少女と目が合った。漆黒の長い艶やかな髪を持つ少女。ノエルは迷わずその名を呼んだ。
「メリア!」
兄の渾身の叫びに、少女は何も言わずに確かな足取りで去っていった。
がばっと飛び上がるようにして目を覚ましたノエルは、呼吸を落ち着けた後、汗でびしょ濡れになったシーツに手をやった。シーツにまだ残っている湿っぽい熱で、血の感触を思い出し、身震いする。この夢はここ最近はずっと見ていなかったのに・・・。何か気になることでもあるのだろうかと考えながら着替える。黒のシャツに、師匠からもらった、とある国の軍隊の制服を改造した濃い灰色に赤の線が入ったロングジャケットをはおり、薄い灰色のズボンと底のしっかりした皮製の黒いブーツをはく。指の出る黒のレザーグローブをはめ、膝に軽さと可動性重視のやや強度の低いアーマーをつけ、腰の後ろのベルトに愛剣”サイゼットオーネリア”を鞘ごと提げる。最後に左手の薬指にラグナイト銀で出来た魔力容量増強の指輪をはめ、ノエルは寝室を出た。
「おはよう・・・何か変な夢でも見たのか?顔色悪いぞ」
ドアをくぐるとすぐに、窓際に置いてある木の椅子にゆったりと腰掛けて新聞を読みながら、ウァロ=カーライルが声をかけてきた。現在一緒に旅を続けているこの狼人は同行者の些細な変化に聡く、ノエルはその観察眼に度々驚かされていた。
「ああ、ちょっと昔の夢を見てな」
「大分前に言ってた、生まれ故郷のことか」
「・・・どうだろうね」
ノエルはそう言って流し場で顔を洗った。寝室と今いる部屋から成るこの宿屋の一室は、思っていたよりも広く余裕があって、代金のわりに快適で、ここ数日間、山間にあるこのコルライト村で過ごし、目的地であるイスカデルデ国に行く準備をしようと思っていた彼らは、中々満足していた。狼の血の方を濃く引いているためか、かろうじで人の姿をしていながらも見た目はほとんど狼そのものであるウァロは、しばらくそのブルーの瞳でノエルの顔をうかがっていたが、すぐにまた手元の新聞に目を落とした。イスカデルデに近いせいか、新聞はもっぱらそこで今起きている戦争に関する記事で埋まっている。
「飯は?」
「まだだ。昨日、誰か使いをよこすとか言ってたが、誰も来ていない」
「俺を待ってたとかじゃなく?」
「ご冗談を」
そう言って二人は笑った。それまでは何度か顔を合わせていただけだったのだが、ノエルの師匠が失踪して以来、ひょんなことから一緒に仕事をするようになった二人は、お互いにかなりの気を許せるほどの仲になっていた。ウァロが読み終えた新聞をテーブルに放り投げ、言った。
「下の食堂から飯の匂いはするんだがなぁ」
「本当か?」
「ああ。狼の鼻が言ってんだ。間違いない」
「何かあるのかもな」
ノエルがテーブルについて新聞を開きながら言った。目だけは新聞の文字をなぞり、昨日村を少し回った時に感じた、この村が魔族嫌いであるということとは別の、微妙な違和感を思い出す。いつものように真剣な顔をして考えているノエルの短めのクセのある黒髪を、ウァロは大きくあくびをしながらぼんやりと眺めた。きっとまた何か厄介ごとが起きるのではないかと思いながら。
「失礼します」
三十分ほど経って、ノックとともに一人の男が部屋に入ってきた。身なりがよく、貴族の下で働いていると二人はすぐに分かった。そのまま二人が男に連れて行かれたのは、村で一番大きな建物である、村長エドモンドの屋敷だった。何も言われないままに通された広い客間の中心にある、大きな細長いテーブルには、朝食というには多すぎる食料が並んでいた。
「どうぞおかけになって下さい」
後から客間に入ってきたエドモンドの言葉通りに、二人は席についた。
「さぁ、まずは食事を」
「じゃ、遠慮なく」
ノエルの言った通りに、二人はマナーも何も気にせず、テーブルの上の食べ物をあっという間に全て食べつくした。あまりの荒々しさに、口が開いたままになっているエドモンドに、思わぬ豪華な朝食を綺麗すっぱり平らげたノエルが訊いた。
「それで?何か用があるんだろ?」
我に返り、神妙な顔つきでエドモンドが答える。
「実は・・・お二人に魔物退治をお願いしたいのです」
「魔物退治ねぇ」
今度はウァロが口を開いた。その顔にはわざとらしく疑いの表情が浮かべられている。ノエルは、鋭い眼光を放つウァロに少しひるんだ様子のエドモンドを、改めて観察した。茶色の艶のある長い髪。口とあご周りには綺麗に手入れされた髭。人目で高価だと分かるブランド物の服。手には数個の宝石の入った指輪。腰には懐中時計。物腰は柔らかいが、上品さの中に絶対的な自信が垣間見える。大国に近いとはいえ、この小さな村の村長そぐわないかなりの財力を持っているのが、ノエルは少し気になった。
「この村から少し離れたところにある屋敷に住む、吸血鬼を退治して欲しいのです。これまでここを訪れた幾人ものハンターなどが挑戦してきましたが、全て返り討ちにあい、全員殺されてしまいました。ですが、私達自身ではどうにもならず・・・。もちろん謝礼はたくさんいたします」
そう言って、エドモンドは身に着けた指輪が良く見えるように、指を組み替えた。
「村長さん、アンタは大事なことを言ってないぞ。どうして退治して欲しい?村から離れているなら別に吸血鬼がいようが関係ないだろ?」
言いながらノエルはエドモンドの顔を注意深く見つめた。エドモンドはノエルの目を気にすることなく続けた。
「・・・私の前の村長がその吸血鬼にやられたのです。彼は村人達からの信頼も厚かった。それだけに吸血鬼への憎しみも大きい。吸血鬼の死は私達全員の願いなのです」
うつむくエドモンドの表情から何も読み取れなかったため、ふと窓の方に目を向けたノエルは、一瞬何者かの視線を感じた。不審に思われない程度に周りをさりげなく見回すノエルに、エドモンドは続けた。
「無理強いはしません。一介の傭兵であるあなた方には関係の無い話だと思われたら、それで結構。ただ、もしやって下さるのならば、謝礼は絶対にいたします」
言い終えるとエドモンドは部屋を出て、ノエル達は来た時と同じ男に連れられて、わざとらしく宝石や貴金属の武具などが陳列された部屋の前を通されてから、屋敷を出た。
「どう思う?」
部屋に戻り、背中に提げた剣をはずし、部屋の隅に立てかけようとしているウァロに、ノエルは訊ねた。
「どうもこうも、俺は乗り気じゃないんでね。やるならお前一人で行ってくれ」
いかにも面倒ごとはごめんだというような顔をして、ウァロは言った。身長180cmと、自分よりも一回り大きな亜人が、狼の顔で自分よりも表情豊かに感情を表現するのを見て、少し笑いそうになりながらノエルは言った。
「ちょっと胡散臭いが、中々おもしろそうなんだよな。吸血鬼にはまだ会ったことないし。ウァロはあるのか?」
「無いな。あいつら見た目はほとんど人間と変わらないから自分から探してもそうそう見つからないし、魔族の血はおいしくないらしいから襲われたことも無い」
「ま、どうせ暇だし引き受けてみるかな」
「お好きにどうぞ。そんじゃ、俺は村の仕事手伝ってくる」
ウァロは行く先々で、そこでの生活に加わることが好きだった。そして出発する時にはいつも、すっかりそこの人々に馴染んでしまっているのだった。
「気をつけろよ。この村の奴ら、結構な魔族嫌いだったぞ」
「分かってる。いつも通り上手くやるさ」
そう言って、鋭い爪の生えた手をひらひらと振りながら部屋を出るウァロを見送った後、ノエルは自分達の持ち物の整理をし、買わなければならないもののリストを作った。作業を終えるとちょうど昼前になっていたので、昼食がてらノエルは村を回ることにした。
「あのー」
昼食と買い物を済ませ、村人達から一通り訊きたいことを訊いて回った後、広場のベンチで休んでいたノエルに、一人の少年が話しかけてきた。茶色の髪が日の光を受けて赤みがかっている。年は十五位か。
「どうしたんだ?」
「僕、リシエ=イェルガンと言います」
「ああ、君があの」
「僕を知っているんですか?」
「前の村長の息子だって村人達から聞いててね。どうしたの?」
ノエルが優しく訊ねると、リシエはしばらく俯いた後、言いにくそうに口を開いた。
「あなたは今日吸血鬼の元に行くんですよね?・・・実は・・・」
リシエがどもりながらも続きを言おうとしたその時、二人から少し離れたところにいた男が声をかけてきた。
「おーい、リシエ!何してんだ。時間だぞー」
「すぐ行く!・・・すみません、さっきのは忘れてください。それじゃ」
そう言ってリシエはぺこりとお辞儀した後、男の方へと駆けて行った。ノエルはそんなリシエの後姿を見送り、のんびりベンチで昼寝を始めた。
時刻は夜九時。雲の少ない夜空には、大きな満月がぽっかりと浮かんでいる。宿屋の部屋で、武装の確認をするノエルに、ウァロが不思議そうに訊ねた。
「別に夜まで待つ必要は無かったんじゃないのか?」
「昼に行っても雰囲気出ないだろ」
「そういう問題か」
「そういう問題だよ」
いつも通りお気楽な同行者に呆れ顔のウァロを気にも留めず、ノエルは口笛を吹き始めた。ベルトはちゃんと締まってる。ブーツの紐もしっかり結んだ。てきぱきと準備を終え、最後に愛剣を鞘から抜いて、軽く振って感覚を確かめながら、ノエルは言った。
「そういや、昼間に色々面白い話を聞いたぞ」
「何だ?」
「これまでに吸血鬼退治に行って死んだ奴の名前に、結構な大物の名前があったり、前の村長の息子を差し置いて、エドモンドが今村長をやってたりな。相手は中々のやり手らしい」
「・・・お前、またしょうもないこと考えてるだろ」
ため息混じりのウァロの言葉に、ノエルはにやっと笑うだけで、それ以上何も言わなかった。それから十分ほどじっくりと準備運動をした後、大きく伸びをしてノエルは言った。
「よーし、そろそろ行ってきますか。本当にウァロは行かないのか?せっかくの吸血鬼を見るチャンスだぞ?」
「行きたいのは山々だが、あいにく俺は村人に飲み会に誘われているんでね」
「・・・お前、ほんとに馴染むの早いな。そんじゃ」
「行ってらっしゃい」
ウァロに見送られながら、ノエルは村を出た。
屋敷までの山道は月の光で明るく、ノエルは少しごつごつとした道を軽い足取りで進んだ。十分ほど歩くと、突然道の脇から純魔族であるサイクロプスが出てきた。自分が逃げられないように隙間無く円形に広がるサイクロプスの数を、腰に提げた直剣”サイゼットオーネリア”を右手で抜きながらノエルは数えた。ひい、ふう、みい・・・八匹。ぼそぼそとよく聞き取れない声で会話をしているところを見ると、サイクロプスの中でも知能は割と高い方らしい。
”確か、師匠に習うより慣れろとか言われて初めて実戦に連れて行かれた時もこんな感じだったな。村はずれの森で、サイクロプスの群れと戦ったっけ”
一番近いサイクロプスの、顔の半分を占める大きな一つ眼を睨みつけながら、ノエルはそんなことを考えた。身長はほとんどノエルと同じくらいで、人型だが身長に関しては150cmから200cm以上まで幅広い個体差を持つサイクロプスにしてはインパクトがやや小さい。緑色の肌に、茶色を基調としたアーマー、手には恐らく旅人から強奪してきたのであろう、少し値の張りそうな盾と剣が握られている。ノエルは全身を薄い魔力で覆った。紺色の刀身に切っ先だけ一部両刃になるように接がれた、ノエルと同じ位相の魔力を持つ魔石から成るコバルトブルーの刃が、ノエルの魔力と共鳴し淡い紫の光を帯びる。こちらの様子を伺い続けるサイクロプス達の一瞬の隙を突いて、ノエルは正面の一匹に向けて走り出した。足が地面を蹴ると同時に、足に纏わせた魔力で力を加え加速する。慌てて構えられたサイクロプスの盾を、左下から思いっきり切り上げる。轟音とともに体勢を崩されたサイクロプスの胴を、すかさず右横からの水平斬りで薙いだ。まず一匹。
”いいか、ノエル。魔力ってのは簡単に言えば物質に力を加える能力のことだ。魔力はそれぞれの位相を持ち、共鳴などの様々な特質があるが、とりあえず使用者からの距離が遠いほど加えられる力は小さくなるってのを覚えておけ。魔力を使用するにはイメージすればいい。加える力が大きい、言い換えれば、実現が難しいほど魔力消費量は大きくなり、一日に使える魔力は使用者の魔力容量分に限る。魔力は、休めば体力なんかと同じように回復するが、自分の持つ魔力容量の最大までしか回復しない。そしてもう一つ、魔法ってのは大きく一次魔法、二次魔法、三次魔法の三つに分けられる。魔力を駆使して腕の力を強化して重い荷物を運ぶといった、力を加えるという魔力の性質をただ単に発生させるのが一次魔法。魔力によって空気中の分子の運動を止め、氷を発生させるといった、自分がイメージしたある特定の事象を発生させるのが二次魔法。そして二次魔法をさらに応用した、空間移動なんかの魔法が三次魔法。基本的に一次、二次、三次の順に魔力消費量、必要なイメージ力が大きくなる。二次、三次はイメージだけで発生させるのが難しく、ここでは深くは説明しないがイメージの代替わりをする言葉、俗に呪文と呼ばれているものを詠唱することで発生させることが多い。戦闘の基本は魔力消費の少ない一次魔法で自分の身体ないし武器の運動をアシストしてでの攻防だ。これからみっちり叩き込んでやるから覚悟しとけ”
仲間が殺され、我を忘れて飛び掛ってきた二匹目の斬撃をいなし、カウンターを決めながらノエルは”荒野の女狐”と呼ばれていた師匠の言葉を思い出していた。五年前自分を拾ってくれた狐人の師匠は、自分を息子のように・・・ではなく半ば奴隷のようにパシリとしてこき使いながらも、自分が生きるのに必要なもの全てを教えてくれた。そして”もう面倒見る必要は無くなった。後は好きにしろ。もし、お前の力が必要になったら再会することがあるかもしれん”と書いた手紙とわずかなお金を残して師匠が失踪してから早一年が経った今、果たして自分が師匠にどの程度近づけているのかノエルはふと気になったが、二人縦に並んでこちらに向かってくるサイクロプスを見て、そちらの方に意識を集中させた。
手前の一匹の攻撃をバックステップでかわし、追撃しようと前に出てきたもう片方に大振りの一撃をお見舞いする。続けて、片割れがやられ、ひとまず下がろうとする残りの一匹に、思いっきり地面を蹴って突進突き。あと四匹。
今度は二メートルを軽く越えている大きなサイクロプスが前に出てきた。手にはノランの身長より少し短い両刃の大剣が握られている。ノエルは大きく深呼吸して剣を両手で構えた。相手の一挙一動に全神経を集中させる。数秒間互いに互いの様子をうかがった後、サイクロプスが先に動いた。
斜め上から撃ち下ろされた大剣が、風を切りながら猛然と向かってくるのに合わせ、ノエルは斜め下からサイゼットオーネリアを振り上げた。足に踏ん張りを利かせ、やや剣先の方にある剣の重心を意識しつつ魔力で身体をアシストし、遠心力に動きを乗せるように斬り上げる。
「はっ!!」
甲高い音をあげて両者の剣が衝突した。火花とともに、剣に込められたノエルの魔力が薄紫色の細かな光の粒となって散る。体格差はあるものの、ノエルが魔力でパワーを補っているために、力は互角のようだった。
今度はさっきとは逆の斜め上からサイクロプスが大剣を撃ち下ろした。ノエルも同様に逆の斜め下から斬り上げる。腰の回転を利用し、体重をしっかり乗せて、インパクトの瞬間に最大限の魔力を込める。
「がぁっ!!」
先ほどよりも一段と激しい閃光が上がった。魔力の淡い光が闇に拡散し、消える。振りぬいた大剣を、サイクロプスが上段から真下へ撃ち下ろそうとするのを見て、ノエルは左手を柄から離し、右手だけで腰の右横に剣を構えた。
大剣が動き始めるのと同時に、ノエルはサイクロプスの方へ一歩踏み出した。そのままの勢いで右手の剣をこれまでとは違い、威力を捨ててスピードに重点を置いて振る。剣先にだけ魔力によるアシストをかけられたサイゼットオーネリアが、小さな弧を描いて大剣の根元にぶつかった。威力は無いが、運動に対して垂直に当てられたために、大剣は大きく軌道をずらされノエルの横を降りていった。慌てて大剣を構えなおそうとするサイクロプスの首をノエルが薙いだ。
「まだやるか?」
残りの三匹の方に向き直り、ノエルがそう言うと、サイクロプス達はしばらく悩む素振りを見せた後、森の中に帰って行った。
程なくして、特に道に迷うこともなくノエルは屋敷にたどり着いた。半開きのままになっている大きな鉄の門をくぐり、屋敷の玄関の扉を開けると、ぎぃっと軋んだ音がした。月明かりが入ってこない中は暗く、埃っぽい。
「イア・レスネ」
そう詠唱し、ノエルは簡単な二次魔法を発生させた。魔力で振動させた空気中の粒子が発火し、開いた手の上に小さな火球が現れる。この程度の魔法なら、詠唱無しでイメージのみで発生させるのは、ノエルにとって造作も無いことなのだが、師匠の”魔力を無駄にするな”という教えが染み付いてしまっているため、ノエルはどんな基本魔法でも可能な限り、無唱発生よりも魔力消費が少ない詠唱発生を選んでいた。火球のおぼろげな光を頼りに屋敷を探索する。
”まるでお化け屋敷だな”
行く部屋行く部屋の床には物が散乱し、窓は派手に割れ、、天井には蜘蛛の巣が張っているを見て、ノエルは呟いた。まるで何者かに荒らされたような一階を隅々まで探索し終えると玄関に戻り、二階へと続く階段を上がった。玄関は一部二階と吹き抜けになっており、物音一つしない闇の中に足音が響く。暗い足元に気をつけながら慎重に階段を上り切り、一番手前にあった部屋に入ったその時、ノエルは誰かの気配を感じて天井を見た。視線の先に、小さなシャンデリアにぶら下がった一匹の蝙蝠しかいないのを確認して、剣の柄にかけた手を離す。
「おどろかすなよ・・・」
わざと声を出して気持ちを落ち着けた後、ノエルは部屋を見回した。窓からは月明かりが入ってきていて少し明るい。この部屋だけやけに綺麗に整頓されている。まるで誰かがここで生活しているような・・・そんな風に考えていると、さっきの蝙蝠がこちらへと飛んできた。特に気にすることなく、もっと部屋を探るためにノエルが足を踏み出そうとした瞬間、蝙蝠が突然少女の姿になってノエルを床に押し倒した。
「うおっ」
仰向けに倒されたノエルは、イメージが途切れたために手にあった火球が消え去り、薄暗くなった部屋の中で、自分に覆いかぶさるように身体を押さえつける少女の顔を見た。耳が隠れるくらいの真っ赤な短めの髪に、刃のような鋭さを宿した深紅の瞳。相手が魔力を上手く使って拘束しているのか、思うように抵抗できない。
「狼の方が来たらめんどくさかったけど、まさか人間の方だけ来るとはね。そんじゃ、いただきます」
「やめ・・・」
少女がノエルの首筋に噛み付いた。針で刺されたような痛みが走った後、ノエルは自分の血が勝手に体から出て行くような気持ち悪さを感じた。何とかして状況を打開しなければと焦るノエルを尻目に、悠々と血を吸い上げていた少女は、不意に首から顔を離し上半身を起こした。
「まっずい!」
少女がノエルに馬乗りになったまま言った。訳が分からず倒れたままのノエルの顔を見ながら、少女が続ける。
「お前ほんとに人間か?血がとんでもなく不味い」
まだ身体に上手く力が入らないが、落ち着きを取り戻してきたノエルは笑って答えた。
「俺は俺が人間だと思ってたんだけどな」
「お前の血、これまで吸った中で一番不味いぞ。あ?あ、せっかく久しぶりにおいしい血が吸えると思ってたのに」
そう言って少女はノエルから離れた。少女の意外な対応に、ノエルは抜こうとしていた剣を元に戻し起き上がった。傷口が気になり首に手をやったが、何故かもう血が固まっていて出血の心配はなさそうだった。少女が床に転がっていた椅子に座り、言った。
「帰り道分かるだろ?今日はお互い何もなかったことにしよう。ちょっと吸っちゃったけど、そっちもあたしを殺すつもりだったんだから、おあいこということで」
部屋のドアを指差す少女に、きょとんとしたノエルが訊ねる。
「俺を殺さなくていいのか?それでエドモンドは何も言わないのか?」
「エドモンド?なんでアイツが関係するんだよ?大体、血を吸ったとしてもお前を殺すわけじゃない。意識を失うだろうけど、死ぬほどの量の血を吸うまでにはお腹いっぱいになっちゃうからな」
少女の言葉を聞いて、ノエルは顎に手を置き思考を重ねた。村人達から聞いた話から推測していたのは、吸血鬼とエドモンドがグルだということ。これまで吸血鬼にやられた奴らは、自分達と同じように、公の場で活動こそ出来るものの下手をすれば公的機関に追われる身になりかねないグレーゾーンの連中だった。そういう連中は、然るべきところに死体であれ引き渡せば大金になる。だから、エドモンドがそそのかした奴らを、吸血鬼が始末して金を儲けていると予想していたのだが・・・どうやら間違っていたらしい。
「それじゃ、これまでは血を吸ってた相手はどうしてたんだ?」
「別に、屋敷の門の前に放り出すだけ。あたしが欲しいのは血なんだし。いつも、あたしが知らない間に目を覚まして居なくなってたみたいだけど。それにしてもアンタ、面白いこと訊くな」
ノエルは昼間に集めた情報を再び整理しなおしながら、続けて訊いた。
「じゃあ、この屋敷の主、前の村長を殺したってのは?」
少女はノエルの質問にすぐには答えず、二人の間にはしばらく沈黙が流れた。闇に慣れてきた目でノエルは改めて少女を観察した。フリルのついたノースリーブの黒の上着に、同じく黒のショートパンツを穿いている。さっき組み伏せられた時の感じだと、身長は自分よりやや低い165cmくらいか。ややあどけなさが残る風貌だが、落ち着いた雰囲気がある。少女は落としていた視線を上げて、意を決したように口を開いた。
「ほんとに物好きなやつだなぁ。いいよ、どうせ暇だし、少し昔話をしてやる」
ノエルが床に胡坐をかいて耳を傾けるのを待ってから、少女は続けた。
「一年前、あたしが十六の時・・・」
「ん?ちょっと待て。今、十六って言ったか?」
「そうだけど」
ノエルは椅子に座ったままの吸血鬼をもう一度見直した。どうみても十二、三の子供にしか見えない。
「これで俺と同じ年なんて・・・」
「なんか言った?」
「何でもない。続けてくれ」
「ある日、魔族との戦闘で深手を負っていたあたしは、ここの近くの森で倒れていた。そしたら偶然この屋敷の当主があたしを見つけて、屋敷まで運んでくれた。そして怪我が治るまでの間、あたしの面倒を見てくれたんだ。この屋敷の人達は皆良い人だったよ。見ず知らずのあたしを優しく世話してくれて—」
少女が懐かしむように目を細めた。その先には壁に掛けられた麦わら帽子があった。
「—でも、あたしが運ばれて二週間ほど経った時、事件は起こった。あたしが吸血鬼だってことをエドモンドが知り、当時当主のことが気に食わず、村長の座を狙っていたあいつは、この屋敷を襲撃し、ことの全てをあたしのせいにしたんだ。襲撃の現場を見た人は居なかったし、この村の住民は皆魔物嫌いだったから、エドモンドの言葉を疑わなかった。当主の息子が、たまたま村に用事があって不在だったから生き残ったのが、ただひとつの誤算だったけど、あたしを犯人に仕立て上げ、エドモンドは見事村長となり、村を支配することに成功したってわけ。あたしはあいつにとって、まさに理想の悪役だったのさ」
「ふーん」
「なっ、もうちょっと反応してくれてもいいんじゃないの」
話に無関心な様子のノエルを、少女は心外そうな目で見た。
「あんまりそういうのは興味がないからな」
「・・・年についてはあんなに食いついてきたくせに」
「ごほんっ。なら一つ質問。何故この屋敷から出て行かない?お前が別に屋敷に留まる理由は無いはずだ」
急に真剣な顔になったノエルに、少女はわずかに逡巡した後答えた。
「わざわざ周りに吸血鬼だとばれる危険を冒さなくても、堂々と血を吸えるから。ここにいれば定期的にエドモンドが人を送り込んでくるからね」
「違うな」
驚いて自分の方に目を向ける少女に、ノエルは続けた。
「リシエが心配なんだろ?生き残った元村長の息子が。エドモンドが村を支配するには、リシエはとても邪魔な存在なはずだ。順当にいけばリシエが村長になるところを無理やり自分が村長にならないといけないし、何かと不都合も多いだろう。そんなリシエを守るために、お前は屋敷に残ってるって訳だ」
「・・・」
「大方、朝エドモンドの家で俺達を見張っていた時のように、蝙蝠に化けてリシエの様子をうかがってたんだろ?」
「お前、気付いてたのか」
「お前だと分かったのはついさっきだけどな。狼の方がどうたらこうたらって、お前が俺達のことを知ってなきゃ出てこない言葉だ。それに、お前とエドモンドが無関係なら、お前は自分でその情報を得たことになる。だったら、あの時感じた気配はお前だと納得がいく」
説明をするノエルの様子を見ながら、少女は自分の目の前にいる青年の鋭い洞察力に感心していた。適当そうに見えて、その実色々なところをよく見ているらしい。
「それで?話は終わっただろ。興味が無いならさっさと帰ったら?」
「知らないやつの不幸話に興味が無いことは無いんだが、お前にはさっき不意打ちでやられた借りを返したいんだよな」
「再戦したいのか?」
「いいや。その代わり、エドモンドに復讐させてやる」
「はぁ!?」
驚いて目を見開く少女。少女の訝しげな視線を楽しむように、ノエルは含みのある笑い方をしながら言った。
「そうだなぁ・・・とりあえず明日、リシエに会わせてやるよ」
「・・・」
リシエに会わせるだって?しかも明日?呆れて言葉が出ない少女は、それでもこの不思議な、というより変な青年が、何を考えているのか気になった。エドモンドを嵌める・・・でもどうやって?
「ま、やるかやらないかはお前次第だけどな」
「・・・やるよ。アンタは信用出来ないけどね」
「そうこなくっちゃ」
そう言ってノエルは立ち上がり尻を軽くはたいた後、少女の方に歩み寄って手を出した。
「ノエル=ラーグナーだ。よろしく」
「ルナ=ヴァンクライ」
ルナは差し出された手を握り返した。そういえば人と握手するなんて久しぶりだなと思いながらルナが手を離すと、ノエルが言った。
「さてと、まずは今日ここで寝ることを許して欲しいんだが」
「アンタ、村に泊まるお金無いの?」
「色々あって今日村に帰ったらめんどくさいんだよ。金欠なのは事実だけどな」
「はぁー。ま、好きにしろよ。あたしの家でもないんだし」
「よし、後は下準備か」
それから二時間ほどした後、二人は床についた。
開け放たれた長方形の窓から入ってくる、やわらかい風に頬を撫でられ、ルナは目を覚ました。まだ重たい瞼を擦りながら、ベットから起き上がり、時間を確認する。七時。いつもより早い起床で、まだ眠ったままの脳を起こすように、ルナは昨日あったことを整理した。魔族以上に血の不味い不思議な訪問者。久しぶりの会話。床を見ると、ノエルが被っていたタオルケットが置きっぱなしになっていた。どうやら既に起きているらしい。ベットに座ってぼんやりしていると、ノエルが器用に両腕に皿を載せ、両手でカップを持って部屋に入ってきた。
「おっ、起きたのか」
「おはよう。それ何?」
「朝飯。起こすのも悪いんで勝手に台所と食料使わせてもらった。はい、ルナの分」
「アンタねぇ・・・まあいいや。ありがと」
受け取った皿にはこんがりと焼けたガーリックトーストが、カップには温かい紅茶が注がれていた。トーストの香ばしい匂いが、空っぽの胃を刺激する。
「いただきます」
さっそく焼きたてのトーストにかぶりつく。固い歯ごたえと、しっとりとした食感。ガーリックが程よくきいていて、しつこすぎない味。この青年は料理もそこそこ出来るようだ。満足そうにトーストを頬張っている自分を、興味深そうに観察するノエルに気付いたルナは言った。
「何だよ」
「いやぁ、吸血鬼って普通にニンニク食べるんだなって」
「それでガーリックトーストか。残念だったね、あれはただの迷信。十字架も効かないよ」
「十字架もか。つまらないな」
悔しがるノエルを見て、ルナは思わず笑ってしまった。これまで色々なところを回ってきて、亜人と人間が共存している村や国も少なからず見てきたが、ここまで亜人と自然に付き合える人間は初めてだった。
「何だよ」
「いや、別に」
「おいおい、そりゃないぜ」
朝食を食べ終わるとノエルは言った。
「さて、リシエを迎えに行きますか」
大きく伸びをするノエルに訊ねる。
「ほんとに連れてくるのか?」
「何なら一緒に行くか?蝙蝠に化けて」
「遠慮しとく」
「ま、ルナはここでゆっくりしとけって」
そう言って屋敷を出るノエルの後姿を、ルナは期待と好奇心を抱きながら、疑わしそうな目で見送った。
昨日通った道をゆっくりと下る。日が既に昇っているせいか、魔族が出てくる雰囲気は無さそうだった。自分のとは別の、昨日は無かった人が通った跡があるのを確認しながら、ノエルは歩き続けた。
”やっぱりな。ルナが血を吸った相手をこっそり回収して小遣い稼ぎをしてたってわけだ”
エドモンドのずる賢そうな顔が思い浮かぶ。こんな簡単な方法であんなに稼ぎやがって。俺は戦場に出向いても大して稼げないのに・・・。そんなことを考えているうちに村にたどり着いた。門番に見つからないように、少し離れたところにある木の影に隠れる。
”俺を回収できなかったから、今のところエドモンドは俺がどうなったか知らないはず。死んだか逃げたって考えるのが妥当か。なら、今見つかるのは少々めんどくさいんだよな”
木々の間を移動しながら、村の外周を回る。昨日村を回った時に、村の構成は誰がどこに住んでいるのかまで大体把握していた。リシエの家は外周沿いにあったはず。村を囲う木製の二メートル程の柵から、リシエの家の屋根がひょっこり顔を出しているのが目に入り、ノエルは足を止めた。そっと柵に近寄り、サイゼットオーネリアを抜く。
”ちょっとぐらい許してくれよ”
自分に言い訳しながら、ノエルは愛剣を振った。少しもぶれることなく切っ先が直線を描き、固い柵を切り裂いた。人一人が屈んで通れるくらいの大きさの長方形に切り抜かれた柵をくぐり、愛剣を鞘に納めて家の中の様子を探ると、一階の窓からリシエが本を読んでいるのが見えた。迷わず窓から部屋の中へ飛び込む。
「よっ」
そう言って自分に手を上げる突然の侵入者に、リシエは驚いて本を落とした。慌てて本を拾い上げ、リシエは言った。
「ノエルさん!!」
「しー。ちょっと秘密の話がある。窓閉めていいか?」
「どっどうぞ」
窓とカーテンを閉め、何が何だか分からないまま混乱するリシエに、ノエルは言った。
「さて、単刀直入にいこうか。君は吸血鬼に会いたいんじゃないのかい?」
「・・・どうしてそう思うんです?」
「昨日君が俺に言いかけたことが気になってね。違うかな?」
昨日、広場で話しかけてきた時のリシエの様子。何か皆に知られてはまずいことを頼むような。そしてルナから聞いた真実。ノエルは、リシエが本当にルナが両親を殺したのか疑問に思っているのではないかと踏んでいたのだった。
「・・・そうですけど・・・でも、どうすることも・・・」
「会わせてやるよ」
「はい?」
きょとんとするリシエに、自分の読みどおりに事が進み満足げな笑みを浮かべながらノエルがもう一度言った。
「ルナに会わせてやる」
窓から見える、はるか遠くに写る、バベルと呼ばれている塔をぼんやりと眺めながら、ルナはため息をついた。かつて人界と魔界の間に起こった戦争を終結させる際に、両世界の王がその頂上で世界を二つに分断するための魔法を発生させたと言われているが、真偽は定かではない。しかし、世界が分断されたのは事実で、その時に人界に取り残された魔族が長い時をかけて人間と交わって生まれたのが自分達亜人であることはルナも知っていた。
”人恋しいか・・・”
ノエルと会い、自分が気付かないふりをしてきた感情に否応なく向き合うこととなり、ルナは複雑な気分だった。リシエを守る。それは目的だったのかそれとも理由だったのか、はたまたただの罪悪感からだったのか。自分が自分を知らない歯がゆさが、心をくすぐる。亜人と人。窓枠に頬杖をついて、そんな風にとりとめのないことを考えていると、遠くから人影がこちらに歩いてくるのが見えた。人間二人と狼人一人。その内の一人がリシエだと気付いた時、ルナは少しためらったが部屋から出て階段を下りた。門に寄りかかりながら一行を待っていると、リシエが走ってきた。
「ルナ!!」
そのままの勢いで飛びついてきた自分より少し身長の高いリシエを、バランスを崩しながらも何とか抱きとめ、ルナは言った。
「久しぶりだな、リシエ」
「ノエルさんから全部聞いた。ごめん、君を疑って」
「いいんだ。あたしもアンタの両親を守れなかった」
「いや、本当にすまなかった」
そこまで言うとリシエはやっと腕を放し、ルナと向き合った。
「僕は君を傷つけておいて、自分だけのうのうと生きていたんだ。許されないことをしたって分かってる。それでも許して欲しいと願う自分の卑怯さも。僕に出来ることは謝ることだけだ。ごめん」
そう言って深く頭を下げるリシエを見つめるルナの眼には、慈しみと戸惑いが混ざり合って浮かんでいた。自分がここまで人に思われるとは。だが・・・。リシエの顔を上げ、ルナは言った。
「アンタが謝ることない。あたしだって選択をしたんだ。おあいこさ」
「ルナ・・・」
「あたしはアンタとまた会えて嬉しいよ」
にっと笑うルナにリシエも笑い返した。そのまましばらく笑い続けている二人に、ぱんぱんっと手を叩いてからノエルが言った。
「さてと、お二人さん。せっかくの再会に水を差すようで悪いんだが、ゴールを忘れてないかい?」
「ゴール?」
不思議そうな顔をする二人。
「エドモンドを嵌めるんだよ」
ルナの居た部屋に輪になって座る四人。隣に座る狼人に少々戸惑い気味のルナがノエルに言った。
「それで、どうするつもりなんだ?」
「んじゃ、一つ質問だ。エドモンドはこの屋敷を襲った時、何か金になりそうな物を盗まなかったか?アクセサリーとか」
「あ〜、コソコソそんなことをやってたな。だけどそれでアイツを脅すのは無理だ。屋敷から帰るときアイツ自身が、誰の物か分からないような物だけを選んだって私に向かって言ってたからな」
「そりゃそうだろう。アイツがそこまでアホだとは思えない。ちょこちょこ手を出して稼ぐことは忘れないけどな」
ルナの興味深げな目に気付いたウァロが、ルナに向けてにっと笑った。鋭い犬歯が笑顔に似合っていない、というかむしろ怖い。
「だったらどうするんです?」
リシエが身を乗り出して訊ねた。
「用は、誰のものか特定できるもんをアイツがもってりゃいいんだろ?リシエ、両親の身に着けてた指輪なんかで、名前が入ってるのを知らないか?」
「えーと、あると思います。父さんと母さんの結婚指輪に二人の名前が入っていたはず。でも、どこにあるかは・・・」
「二人の遺品ならちゃんとあたしがまとめてあるよ。亡骸は・・・焼いた」
ルナがきっぱりとした口調で言った。
「・・・ありがとう、ルナ。君はそこまでしてくれてたのに、僕は・・・」
「そういうのはもう無しにするってさっき決めただろ。持ってくるからちょっと待っててくれ」
「僕も一緒に行く。持ってくるのは面倒だろ?それに、久しぶりに帰ってきたからこの家の空気を確かめたいんだ」
二人が部屋を出て行くのを見送った後、ウァロが口を開いた。
「お前がアイツを助けようとしている理由はなんだ?」
「さっき説明しただろ?やられた借りは返さないと気がすまないんだ。不意打ちとはいえ、あのままだったら完全に意識を失って、エドモンドに売り飛ばされてたからな」
「本当にそれだけか?」
ウァロの鋭い視線を見つめ返しながら、ノエルは言った。
「何が言いたい?」
「・・・重ねてるんだろ?」
「・・・俺にも分からない。でも、ルナはメリアとは違う。今、アイツには少なくとも理解者がいる」
「その理解者を連れてきたのはお前だけどな」
黙りこむノエルにウァロが続ける。
「別にそれでどうこうってわけじゃない。ただ確認しておきたかっただけだ。お前がどういうつもりなのかをな」
「贖罪のつもりだなんて思ってないさ。俺はそんなに殊勝な人間じゃない。それに、少しばかり小遣いを稼がせてもらおうっていう下心もある」
「また悪い顔してるぞ、ノエル」
にやにやと笑うノエルを見て、笑いながらウァロが言った。しばらくして、部屋のドアが開いた。
「ありました!指輪です」
そう言って隣に座るリシエから指輪を受け取り、ノエルは丁寧に観察した。かなり高級な貴金属で出来たシンプルな指輪で、内側に名前が彫ってあるのが確認できる。
「ようし、それじゃ作戦会議といきますかね」
指輪をリシエに返し、手を打ち合わせ、ノエルが話を進めようとしたその時、ウァロが待ったをかけた。
「ちょっと待て、その前に確認しとかなきゃいけないことがあるだろう?」
首をひねるノエルを尻目に、ウァロはリシエの方を向いて言った。
「リシエ、その指輪はお前の両親の大事な形見だ。それを人を騙す餌に使うことにお前が同意できているのかをききたい」
ウァロの問いにリシエは少しうつむいた後、答えた。
「父さんも母さんも、エドモンドに殺されたのに、ルナに殺されたことになっていることを悔やんでいると思います。だから、真実を暴くためなら、たとえこの指輪をそんな風に扱っても本望だと思います」
ウァロが納得したように頷くのを見て、ノエルが言った。
「じゃ、説明を始めるぞ。といっても、そんなにたいした作戦じゃない。リシエ、ルナ、ウァロの三人が村に帰ってエドモンドのやったことを村人達に言いふらし、騒ぎを起こしている間に、こっそり俺がエドモンドの屋敷に入ってこの指輪を残す。用が済んだら俺とウァロは村人の人達に気付かれないようにそそくさと村を出る。後はリシエとルナが村の皆でエドモンドの屋敷に押しかけて、指輪を証拠に問い詰めればいい。俺達二人は行方をくらまして、一件落着というわけだ」
「そんなに簡単にいくでしょうか?」
リシエが不安そうな顔をして言った。リシエと同じような顔をしてルナもノエルに向かって訊ねた。
「あたしが村に突然現れても、混乱するだけで信じてもらえないんじゃないか?」
「大丈夫だ。ウァロがいる。半日ですっかり村に馴染んじまった狼人がな。後は俺が指輪を残せるかどうかだが、まぁ任せとけって。じゃ、さっそく始めようか」
そう言って立ち上がるノエルについて、一向は屋敷を出た。
エドモンドは驚きを隠せなかった。部屋の中をいったりきたりしては、ごちゃ混ぜの思考をまとめようとしていた。テーブルの上に置かれたカップを手にとり珈琲をあおる。
”何でこんなことに?”
二十分前、狼人とリシエとが村に連れてきたのはなんと吸血鬼の娘だった。そして、リシエは俺がやったことを全て知っているようで、村中に話を広めている。魔族嫌いのここの村人達は、吸血鬼のことなど相手にしないと踏んでいたが、あの妙に人間に馴染んでいる狼人の影響なのか半信半疑のようだ。昨日の男も今だ行方不明のまま・・・。奴らがここに来るのも時間の問題だろう。別に奴らに俺のしたことが証明出来るはずは無いが、それでもあっちも何かしら手があってのことだろう。どうするか・・・。
エドモンドが考え込んでいると、突然部屋の窓が開いた。続けて飛び込んできた侵入者にエドモンドは思わず声を上げた。
「お前は!!」
「やっほー、村長さん。二階の窓ってけっこう入るの大変だな」
そう言って肩をすくめるノエルをエドモンドが睨みつけた。
「お前は何をしていた?何故今まで姿を現さなかった?」
「おっと、質問攻めは無しだ。アンタも時間が惜しいだろ?」
わざとらしい表情を浮かべてノエルが続ける。
「俺はアンタのやってきたことは全部知ってる。そして、リシエ達がやろうとしていることも。そこで一つ提案したい」
「提案だと?」
エドモンドが眉をひそめるのを見て、ノエルは頷いた。
「リシエ達は、アンタが盗んだ前の村長の宝石類を証拠に、アンタがやったことを証明するつもりだ」
「ふん、下らんな」
まるで何も知らない顔をするエドモンド。
「そう、それじゃあ十分な証拠にならない。アンタが盗んだのは持ち主を特定できないようなヤツだからな。だが、少なくとも疑いは残る。吸血鬼が主張するだけならまだしも、リシエもいる。アンタがこの村で仕事がしづらくなるのは確かだ」
「・・・」
「そこで俺の出番ってわけさ。アンタが盗んだものを貰ってやるよ。厄介物を処理できてアンタもハッピー、俺もハッピーだ。誰も損しない。それとも、まだしらばっくれ続けるかい?」
エドモンドは俯きながら、訝しげな目でノエルを見た。疑惑と混迷の視線を楽しむようにノエルは薄ら笑いを浮かべた。
「お前が何故俺に協力する?大体、お前が何故あいつらの手口を知っている?」
混乱したままで話に食いついてきたエドモンドに満足しながら、ノエルは言った。
「なんで知っているかって?そりゃあ、俺があいつらにそうしろと吹き込んだからだ。吸血鬼から全部話を聞いた上でな。だが、俺は別にあいつらの味方じゃない。俺が欲しいのは宝石だけ。だからこうして計画に穴を作っておいてアンタと交渉してるってわけさ。あいつらがどうなろうとしったこっちゃない」
自分を睨みつけるエドモンドにノエルがさらに付け加えた。
「別に俺を疑うのは勝手だが、結果はすぐに分かるぞ?もうそろそろ、あいつらがここに村人達を連れてやってくる。それに、これは口止め料でもある」
「口止め料?」
「難しい依頼をふっかけて、失敗したやつを売りとばす人身売買紛いのことをしてるのはどこのどいつかな?」
「貴様!」
「おっと、熱くならないでくれよ。アンタの小遣い稼ぎを暴くには、公的機関に申し出なきゃいけないし、手間と時間がかかる。それに、俺もあんまり関わりたくない連中と関わらなきゃいけなくなるし。だからちょっといい思いを出来れば、俺の口は一生閉じられたままさ」
そう言うとノエルは、もう言うことは無いというようにエドモンドを見た。エドモンドはしばらく逡巡していたが、心を決めたように口を開いた。
「・・・いいだろう。その話乗ってやる。だが、もしお前が俺のことをばらしたら、どこまででも追って絶対殺してやるからな」
「約束は守るさ。俺だって面倒ごとはごめんだからな」
「ついて来い」
部屋を出るエドモンドを追うようにしてドアの方に向かう途中、ノエルはポケットから先刻の指輪の入った小さな宝石箱を、部屋の隅にある色々な置物が陳列されているテーブルの上にさりげなく置いた。やるべき仕事を終え、エドモンドに急いでついて行ったノエルが通されたのは、朝に見た、宝石類がいっぱいに並んだ部屋だった。
「ほら、これで全部だ」
巾着袋に入れて渡された宝石類を、ノエルは確認した。ぱっと見ただけでも相当な値がつくものばかりで、自分を罠に嵌める為の怪しげなものも入っていない。
「交渉成立だな。どうもありがとな、村長さん。んじゃ、おいとまさせていただきます」
「せいぜい妙な真似はするなよ」
自分を睨みつけるエドモンドにひらひらと手を振って、ノエルは窓から飛び降りた。
「いやー、上手くいった上手くいった」
「上機嫌だな」
エドモンドの屋敷を飛び出したノエルとともに、こっそり村を出たウァロが言った。かれこれ十分程歩いたから、もう村人達が気付くことは無いだろうと普通の音量でしゃべる二人を、真昼の太陽が照りつける。山道とはいえ、木の陰があるのは道の脇だけなので、日光を直接浴びてぽかぽかと暖かい。
「今頃、エドモンドの野郎は真っ青だろうな」
「リシエ達が上手くやればな」
「ま、大丈夫だろ。少し荒っぽかったけど、何とか指輪を部屋に残せたし」
「それで、貰った宝石はどうするんだ?リシエの両親のなんだろう?」
そう言ってノエルの顔を覗き込むウァロに、一瞬罰が悪いような顔を見せた後、ノエルは言った。
「もちろん、ありがたく頂戴させていただく。復讐の代行の報酬ということで」
「お前なぁ・・・」
「いいだろ。それに、なんだかんだ言ってウァロだって止めないじゃねぇか」
「ばれたか。まぁ、理由の無い善行よりよっぽどいいさ。俺達には似合ってる」
笑い合う二人。それからさらに二十分程歩き、あまり目立ちそうにない開けたところに出た時、立ち止まり振り返ってノエルが言った。
「さてと、そろそろかな」
隣に並んで歩いていたウァロも立ち止まる。
「エドモンド達がか?」
「おっ、気付いてた?」
「お前があまりにのんびり歩くもんだからな。逃げる気は無いんだと思ってた」
「鋭いねぇ」
肩をすくめるノエル。
「さっさととんずらした方が良かったんじゃないか?」
「ああいう手合いは、ほっとくとしつこくてめんどうなんだよ」
「もしもリシエ達に矛先が向いたら困るからとかじゃなく?」
「俺、お前のそういうとこ嫌い」
苦々しい顔をするノエルを、ウァロが笑っていると、二人のもとに武装した集団が走ってきた。集団が二人との距離約十メートルのところで止まると、その先頭にいたエドモンドが叫んだ。
「見つけたぞ!よくもコケにしやがったな。お前だけは絶対に殺してやる」
「ずいぶん遅かったな、村長さん。失礼、元村長さんか。わざとちんたらゆっくり歩いてたのに、全然追いつく気配が無かったから、待ちくたびれたぜ」
「ほざけ!」
「ここなら少々暴れても大丈夫。人が死んでもばれやしない」
「はっ、それはこっちの台詞だ」
憎悪むき出しのエドモンドを見て、ノエルは呟いた。
”やっぱり悪役はこうでなくっちゃな”
エドモンドが背中に背負った盾と長剣を構えて言った。
「さて、無駄話は終わりだ。覚悟しろよ」
ノエルも腰の愛剣を抜き放つ。コバルトブルーの刃が日の光に煌いた。続けてウァロも背中に提げた長めの剣を抜く。
「いくぞ!!」
エドモンドの言葉で、自分達の方へと走り出した三人の男達に二人は剣を向けた。
”終わった”
エドモンドの屋敷に詰めかけていた村人達もはけ、すっかり元に戻った村の様子を、屋敷の屋根の上に座って眺めながら、ルナはついさっきあったことを思い起こしていた。ノエルの指示通り、リシエと村の皆でエドモンドの屋敷を調べると例の指輪があって、言い逃れようとするもどうすることも出来ず、エドモンドはあっさりと村を追い出された。拍子抜してしまうほど上手くことが運んで、ルナは今だにエドモンドに復讐できたことが実感できずにいた。
”でも、これからは・・・”
屋敷の庭で駆け回っていた子供達が自分に気付き手を振るのを見て、ルナは微笑みながら手を振り返した。自分はこの村の住人ではない。人間でもない。私は・・・。これまで人と接することはあっても、暮らしの中に溶け込むことはしてこなかったルナは、村の住民としてこれから村で暮らせるのかどうか、はなはだ疑問だった。心地よい風に目を閉じていると、不意に下のほうから声がした。
「おーい、ルナ」
見ると、新しい村長として会議をしている最中のはずのリシエが、こちらを見上げて叫んでいた。その声色に焦りを読み取ったルナは屋根から飛び降りた。魔力で重力に逆らうように身体に力を加え、落下速度を緩和しつつしっかりと着地したルナに、リシエが駆け寄る。
「大変だ、ノエルさん達をエドモンドが追っかけてるかもしれない」
「何だって!」
「誰かがそんな風なことをエドモンドが言ってたのを聞いたらしいんだ。どうすれば・・・」
しばらく考えた後、ルナが何かを決心したように言った。
「よし、あたしが様子を見てくる」
「ルナが?」
「あたしなら蝙蝠に化けれるし、もし何かあっても戦える。だてに場数は踏んでないからな」
「でも・・・」
不安そうな顔をするリシエ。
「そんじゃ、ちょっくら行って来る」
「ちょっと待って、ルナ!!」
呼び止めるリシエを横目に、ルナは蝙蝠に姿を変え、青色の空に飛び立った。
「ウ・ラハル・イル・アルバ—」
鎧を着た三人の男達が向かってくるのに合わせ、低い声でウァロが詠唱を始めた。それを聞いて、ノエルも別の魔法を唱えだした。
「—デ・オルア・クライセル!」
ウァロがそう叫ぶと、男達の足元の地面から三メートル程の氷塊が突き出した。回避し損ねた真ん中の一人が、氷塊に突き上げられ、宙を舞う。なおも接近しようとする、左右に飛んで氷塊を避けた残りの二人に向かって、あらかじめ詠唱をほとんど終えていたノエルが言った。
「—ラ・ヴィターレ!」
ただ単に風を発生させるだけのたいして強力でもない風魔法をノエルが唱えたのを聞いて、男達が足を止めることなく進もうとしたその時、ノエルの目配せを受けたウァロが氷塊を形作る魔力を弱めた。氷塊が十センチ位の細長い氷の欠片となって砕け散ると同時に、風の渦が氷を巻き込み、渦の中にいた男達の鎧の隙間に氷が突き刺さった。
「さて、お次は何かな?」
うずくまり動かなくなった二人を見て、ノエルが言った。エドモンドは何も言わず、手下をノエル達を取り囲むように散開させた。
”さすがに挑発に乗ってくれるほど馬鹿じゃないか”
怒りを露にしながらも、慎重さを失わないエドモンドを、ノエルは睨み返した。サイゼットオーネリアを握る手に、力が入る。
エドモンドの合図に合わせ、軽装備の魔道士達が二人に向かって魔法を放った。飛んでくる火球や氷塊を魔力を込めた剣で切り払い、相手の出方を伺っていると、二人を挟むように二人の兵士が前に出てきた。
「そっちは任せたぞ」
ウァロの言葉に頷き返し、ノエルはウァロに背中を預けるように兵士の一人と向き合った。魔道士の支援攻撃を防ぎながら、相手の装備を確認する。太めの長剣に、大きめの盾。アーマーはそんなに厚くない。長剣のリーチと盾の防御力が売りか。両者の距離が近くなり魔法攻撃が止むと同時に、兵士が水平斬りを繰り出してきた。ノエルもそれに合わせて右手の愛剣を振る
魔力を込めた剣同士がぶつかり、甲高い音を立てて火花が散った。振り抜いた剣の勢いを殺さないように繋いだノエルのニ撃目を兵士が盾で受ける。腰をしっかり落として、自分の攻撃にびくともしない敵に、ノエルは舌打ちした。
”魔力の使い方も悪くない。欲張った攻撃もしてこない。大振りの攻撃をしても、こちらが攻め込めるほどの隙を作らない。こりゃ面倒だな”
何回か斬撃を打ち合った後、ノエルは少し後ろに下がり、同じように相手と距離をとって背中合わせとなったウァロに言った。
「ウァロ、合わせられるか?」
「任せろ」
剣の柄を打ち合わせ、二人は自分の敵と再び対峙した。お互いの様子をこまめに確認しながら、相手と剣を交える。兵士達が同時に剣を振り上げ大振りの一撃を放とうとしたその時、ノエルが叫んだ。
「ウァロ!」
振り下ろされた剣を、二人はバックステップで避けながら身体を反転させ、位置を入れ替わるように着地し、そのままの勢いで互いにもう片方の敵に突っ込んだ。突然の行動に不意を衝かれた相手に猛然と斬りかかり、二人は兵士達を倒した。
それからも、エドモンドは魔法による遠距離攻撃と兵士による近接攻撃を交互に繰り返し、二人は敵の数を着実に減らしながらも、集中力を常に保ち続けての戦闘により、段々と勢いを失っていった。
”まずいな。戦況は良くも悪くもないが、いかんせん数が多い。焦ってるのはエドモンドも同じだろうが・・・”
膠着状態に中々活路を見出せず焦り気味のノエルが、一瞬気を抜いた隙に兵士の一人が飛び出してきた。剣を引いて戻そうとするが、間に合わないと直感が告げる。腕の一本をノエルが覚悟した時、突然兵士が爆発とともに吹き飛ばされた。続けて自分の隣に降り立った少女を見てノエルは驚いた。
「ルナ!!」
「余所見は禁物だろ?」
そう言ってにやっと笑うルナに笑い返し、ノエルは剣を構え直した。
「何で来たか説明して欲しいところだが、後ででもいいよな?」
「ああ。まずはひと暴れしてからだ」
「それで、どうする?ノエル」
ウァロが魔法を剣で防ぎつつ、ちらりとルナを確認してから訊いた。
「敵を分断しよう。俺がエドモンドの方に突っ込んでそっちの相手をするから、ウァロとルナは残りを頼む」
「オーライだ」
「んじゃ、ひとまず援護頼むぜ」
ノエルは二人の援護を受けつつ、エドモンドの方に走った。敵の数はラスボスを含め四人。サイゼットオーネリアを強く握り締める。すっと前に出てきた一人が盾を構えノエルを待ち受けた。
”魔法で攻めるには容量が心配か”
ぐっと足を踏み込んでノエルは相手に向かって飛び込んだ。剣を右上から斜めに撃ち下ろすと見せ掛け、盾に衝突する一瞬前に振り抜き、用意していた左手に剣を持ち替える。余った右手で盾の縁を掴んで引っ張りながら、左手を突き出し、首を剣で貫いた。鎧ががしゃりと音を立てて、兵士は膝から崩れ落ちた。
「あと三人」
興奮で身体が熱を帯びてくる。感覚が研ぎ澄まされてくる。そんなノエルに呼応するように輝きを増すサイゼットオーネリアを、右手に持ち直す。
兵士の一人が走りながら手に持った槍で突きを繰り出してきた。ほとんど点にしか見えないその切っ先を、最小限の動きでかわし、カウンター気味にノエルは兵士の胴を切り抜けた。稼動性の確保の為に薄く作らざるおえない腰部分のアーマーを、サイゼットオーネリアが食い破る。
「あと二人」
そう言って、剣についた血を払うノエルにエドモンドが火球を放った。直径一メートル程の火球とともに最後の兵士が走ってくるのを確認し、ノエルは身構えた。炎を切り払えばその隙を突かれる。だったら・・・
燃え盛る炎を見つめ、ノエルは意識を集中させた。炎は粒子が激しく運動することで発生する。ようはその逆の力を与えればいい。物体を静止させるイメージ。
自分に衝突する寸前に火球が消え去り驚く兵士に向かって、ノエルは突進突きを繰り出した。重心を前の方に持っていき、体重を乗せて腕を突き出す瞬間に、魔力によるアシストを最大限にする。
「はぁぁぁ!」
サイゼットオーネリアが淡いブルーの直線を描いて、兵士の装甲を突き破った。深々と刺さった剣を抜き、ノエルは言った。
「あとはアンタだけだぜ」
「ふん、調子に乗るなよ」
剣と盾を構えるエドモンドに、ノエルは走った。
「さてと、どうするかな?お嬢ちゃん」
そう言って自分を見るウァロにルナは言った。
「どうするも何も、まずは一点でもいいから包囲の輪を崩さなきゃ始まらないだろ。あとお嬢ちゃん言うな」
ノエルを一人エドモンドの元に行かせ、敵を分断する事には成功したが、二人はあることに気付き、思うように戦えずにいたのだった。
「まさかアンタが氷で、あたしが火なんてな」
通常、二次魔法は個々に得意な分野があり、ウァロは氷系統が、ルナは炎系統の魔法を得意していることに戦い始めてから初めて理解した二人は、お互いの魔法をどうしても潰し合ってしまう状況に苦労していた。
「俺はノエルみたいに器用じゃないんでな。ぐだぐだ言っても仕方ない。二つだけ質問だ」
氷の壁を発生させ、飛んでくる魔法群を防ぎながら、ウァロが言った。
「さっき兵士を吹き飛ばした魔法、射程はどれくらいだ?」
同じく飛んでくる魔法を炎で打ち消しながらルナは答えた。
「無唱発生なら二メートルかな。それ以上は詠唱しないと十分な威力が見込めない」
「十分だな。それじゃ、もう一つ。お前体重何キロ?」
「はぁ?」
思わずウァロの方を向くルナ。ウァロの真剣な顔に、冗談を言っている訳ではないと判断したルナは、言いにくそうに口を開いた。
「・・・46」
「なら大丈夫だな」
不敵な笑みを浮かべるウァロにルナは訊ねた。
「なぁ、いったい何をするつもりなんだ?」
「さっきお前が自分で言ってただろ、輪を崩すって。それをやってもらおうと思ってな。頑張ってくれよ、お嬢ちゃん」
「だからお嬢ちゃ—」
言い終わる前にウァロが指を鳴らし、ルナの足元から直径一メーターにも満たない氷柱を出現させた。
「うおっ」
下から突き上げるように発生した氷柱から落ちないようにバランスをとり下を見ると、ルナは少し眩暈がした。高さは五メートル前後だろうか。
「いってらっしゃい」
まさか。全てを理解し不安そうな顔をするルナに、ウァロはただ笑いかけるだけだった。
「ちょ、おま—」
ウァロが愛剣”レスカルフィオーネ”で氷柱を一閃した。ゆっくりと倒れる氷柱の上でルナが叫ぶ。
「うぁぁぁぁ」
加速度をつけながら迫りくる地面。その先にいる敵の一人に向けて、ルナは渾身の力で氷柱から跳んだ。
「遅い!」
慌てて魔法を詠唱しようとする魔道士に爆発を浴びせ、ルナは何とか地面に着地した。
”あの狼の野郎、覚えとけよ”
心の中で毒づきながら、包囲を突破され体勢を立て直そうとする敵の方へルナは向き直った。
「続きといこうか」
ルナを強引に送り出した後、自分と距離をとる二人の魔道士と二人の戦士に向けてウァロは言った。わずかに斜めになった薄いグリーンの刃、自分の魔力と同じ位相の魔石による装飾が施された黒の刀身を持つ直剣を両手でしっかりと構える。
二人の戦士が並んで走ってくるのを見て、ウァロは詠唱を始めた。
「ウ・ガル・デライ—」
ウァロの魔力に共鳴し、レスカルフィオーネが蒼い光を纏う。
「カラヌ・ハラヴァール!」
地面に水平に振り抜かれた剣を追うようにして発生した氷の刃が、戦士達を鎧ごと切り裂いた。ほとんどすっからかんになった魔力を温存するように、一次魔法による身体補助をやめて、今度は魔道士の方へと向かう。迫りくる魔法を何とかいなし、魔道士達を倒した時、ルナがやってきた。
「そっちも終わったか」
「ああ。ノエルが心配だ。急ごう」
頷くルナと一緒に、ウァロは走った。
上級の魔法を受け、大きく吹き飛ばされながらノエルは状況を打破する手をひたすら考えていた。
「まだ終わってないぞ」
そう言ってエドモンドの放った五つの火球を切り払う。相手は予想していたよりも多くの魔力を温存していて、こっちはガス欠気味。ジリ貧状態か。
魔法の合間を縫うようにして接近し繰り出したノエルの斬撃を、エドモンドが長剣で受けた。カウンターの盾殴りをバックステップでかわすノエルにエドモンドが言った。
「どうした?さっきまでの威勢がなくなってるぞ?」
「あんたこそ、中々俺を仕留められないで焦ってるんじゃないのか?」
「時間はいくらでもある。お前の魔力が切れればそれでおしまいさ」
余裕たっぷりの笑みを浮かべるエドモンドを見ながら、ノエルが次の攻撃を考えていると後ろの方から声がした。
「ノエル!」
ノエルに駆け寄るウァロとルナにエドモンドが驚きの声をあげた。
「お前達も生き残っていたか」
「しぶとくてすまないね」
大げさに耳を掻くウァロを横目で見ながら、ルナが小声でノエルに訊ねた。
「状況は?」
「悪い。俺のはもうすぐ無くなりそうなのに、アイツの魔力はまだ結構残ってる。ルナは?」
「あたしも少ししか残ってない。ウァロも。だけど、あたしにひとつ手がある」
「手?」
眉をひそめるノエルに、ルナは説明を始めた。
「あたしは自分の魔力の位相をある程度操作できる。だからあんたの魔力の位相に私の魔力の位相を合わせて、共鳴によって威力を増大させた魔法で勝負を決めよう」
自分の魔力の位相を操作する、”フェイズシフト”と呼ばれる技能をもつ者が稀にいることはノエルも知っていた。だが・・・
「でもどうやって俺の位相を知るんだ?何の道具もなしに魔力の位相を知ることは不可能なはずだ」
そう、いくら位相を変えられると言っても、合わせる対象の位相が分からなければ意味が無い。ノエルの当然の疑問にルナが答えた。
「血液検査」
「は?」
「いいか、血ってのは色んな情報を含んでる。例えばそいつが持つ魔力の位相とかな。吸血鬼はその情報を知ることが出来る。そしてあたしはついこの前アンタの血を吸った」
「・・・なるほどな」
「そういうことでウァロ、援護は任せた」
エドモンドの方を向いて二人の会話をじっと聴いていた狼人は、ぴょこぴょこと耳を動かして返事をした。
「作戦会議は終わったか?」
自分の方に向き直り剣を構えるノエルに、エドモンドが言った。
「わざわざ待ってくれるなんて、やっぱアンタはいい悪役になれるよ。ま、ウァロがいるから下手に手を出せなかっただけかもしれないけど」
「強がってないでさっさとかかって来い」
「言われなくてもそうさせてもらうさ」
エドモンドの放つ魔法の数々を避け、ウァロが接近に成功し、近接戦を繰り広げている隙に、ノエルとルナは向き合って片方の手を繋いだ。
「イア・オルエ・デ・クライ—」
ルナの詠唱を聞いて、何の魔法か理解したノエルは、続きを引き継いだ。
「ラ・イル・ヴェルヌ—」
繋いだ手に紅蓮の炎が宿る。高熱で空気が揺らめく。最後のフレーズを二人は一緒に叫んだ。
「「ルオンレヴィカーナ!!」」
ウァロが身を引くのを確認すると同時に、繋いだ手を前に突き出すと、剣の形に圧縮された炎が真っ直ぐにエドモンドへと飛んでいった。その熱で大気を振動させ、獣の咆哮の様な音を立てて向かってくる深紅の刃を避けようとするエドモンドのブーツを、ウァロは残る魔力を全て使いきり作った氷で地面に接着した。
「くそ!」
回避をあきらめてエドモンドが構えた盾に刃が激突した。
「「いっけぇぇぇぇ!!」」
二人のイメージに応えるように勢いを増す炎。刃が少しずつ盾に食い込んでいき、もう魔力が切れると諦めかけたその時、エドモンドの胸を貫いた。
「はぁ、はぁ」
肩で息をするルナにノエルが手を差し伸べた。自分より少し大きな手を握り返し、ルナは笑った。
「ひひひ、派手にやっちまった」
「ははは、最高だぜ、ルナ」
笑う二人にウァロが近寄り言った。
「盛り上がってるところ悪いが、お客さんだ」
ウァロの指差す方を見る二人。二人のもとへ走ってくるのは何とリシエだった。
「ルナ!ノエルさん!ウァロさんも!無事だったんですね!」
飛びつくリシエを抱きとめ、ルナは言った。
「リシエ!何で来たんだ?」
「忘れ物を届けに来た。どうせこの人達と行くつもりだったんだろう?」
背中に回していた腕を放して、リシエはルナに麦わら帽子を差し出した。
「これは・・・」
その麦わら帽子はルナが屋敷に運ばれてきたとき、リシエがルナにあげたものだった。
「・・・ありがとう」
「じゃあ、いってらっしゃい」
そう言ってリシエはルナの頬にキスをした。ほっぺを赤く染めるルナ。照れて振り返るルナをリシエはそっと押し出した。
「最近の若いのは大胆だな」
「ウァロ、お前23だろ」
笑いながら自分を挟んで歩く二人に、ルナは言った。
「別にいいだろ、キスぐらい」
「顔真っ赤だったけどな」
俯くルナ。ノエルが意地の悪い笑みを浮かべながら続ける。
「それはそうと、俺たちはお前が一緒に来ることをまだ承諾してないぞ」
「は?」
「冗談だ。これからはよろしく頼むぜ、ルナ」
ちょっと変わったところのある二人の男達とのこれからの旅に、期待と不安を抱えながらルナは麦わら帽子を被りなおした。
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