—ねぇ—

—なんだい?—

—気付いてるんでしょ?—

—何に?—

—もう、あとニ週間分の食料しかないって—

—別に、これまで同様ひたすら助けを待つしかないじゃないか—

—二人で?一人でなら四週間生き延びられる—

—・・・—

—ところでカルネアデスの板って知ってる?—

—二人の人間が溺れかけている。そこには一枚の板が。生き残れるのは一人だけっていう話だっけ?—

—そんな感じ。ただ板を得たところで生き残れるかどうかは分からないけど。あなたならどうする?相手に譲るか、奪い取るか—

—奪い取るだろうね—

—相手の方が生き残る確率が高くても?—

—うん—

—合理的じゃないね—

—合理性が保証するのは正しさであって、幸福じゃない。たとえ僕が合理性から命を譲ったとして、それはただ正しさを理由に自分の死を納得しているだけだよ—

—合理性は個人の幸せとは無関係だと—

—そういうこと—

—じゃあ、どちらも板に手をつけずに死ぬっていうのは?—

—無いね。可能性を捨てるのは納得出来ない。それならまだ譲る方がましだ—

—なら、質問を変えていい?—

—どうぞ—

—どうしてこの一ヶ月、私を殺さなかったの?—

—・・・—

—あの事件から偶然生き残って、この部屋でただひたすら助けを待つしかないと判断した時から、私には何の価値もないとあなたは分かったはず。前から知っていたならまだしも、赤の他人の私を生かしておく理由は無い—

—別に、君にも僕を殺すチャンスはあっただろう?この部屋には拳銃もある—

—銃に触れないようにしようと先に提案したのはあなたよ。武器が無ければ女の私はあなたに勝てない—

—鋭いね—

—あなたが自分の優位性を保ったまま私を殺すわけでもなく一ヶ月を過ごした理由は何?—

—孤独・・・かな—

—孤独?—

—誰だって一人は寂しいだろう?—

—嘘。あなたがそんな人間じゃないことはこの一ヶ月で分かってる—

—誤魔化せないか。合理性の正しさに従えるほど素直じゃないし、自分の利益を追求できるほど強情じゃないだけだよ。結局僕は中途半端な臆病者なのさ—

—それでも自分の優位は譲らない。ずるいね—

—分かってる。自分がどれだけずるいってことも。でも、ずるいのは君も一緒だろう?—

—やっぱりばれてた?—

—やろうと思えば君だって僕を殺せたはずだ。銃は部屋の中心に置いてあるだけだし、僕の見てない内に取るチャンスはいくらでもあった。君は答えを出せない理由を僕に押し付けただけだろう?—

—そうね、私も卑怯者。もしかしたらあなた以上に。ならここで一つ、ずるい提案をしていい?—

—なんだい?—

少女は銃を手に取った。

—それで僕を撃とうってわけだ—

—違う。撃つのは私—

—自ら死を選ぶのか。君はそれで納得できるの?—

—合理性が理由になると言ったのはあなたよ—

—合理性が保証する正しさは未来においてだよ。今じゃない。選択した結果に正しさが保証されるんだ。死を選べば、君はその正しさを知ることは出来ない。それでも納得できるのかい?—

—そうね。自分のいない未来における自分の正当性に縋ることが出来るほど、私は強くない。だから提案があるの—

—どんな?—

—私の死を認めて欲しいの。私が死んだのは意味があったと—

—・・・ずるいね—

—うん。私が私のためにする、とびきりずるくて卑怯な提案。でも、あなたは自分の手を汚すことなく、後悔することもなく、可能性を手に入れられる—

—そして君は諦めるわけでもなく、強制されるわけでもなく、自分で正当な死を選んだと納得できるわけだ—

—そう。あなたは私を殺す消極的で正当な理由が欲しい。私は私が死ぬ積極的で正当な理由が欲しい。その両方を満たすことが出来る。悪くないでしょ?—

—僕にだけ未来が残される点を除けば、ね—

—そうね。私は納得して終わりだけど、あなたには不確定な未来が待ってる。未来を押し付ける、これほどずるいことはない—

—本当に君は納得できるの?—

—うん。それだけは断言できる。あなたも気付いているだろうけど、あなたと私は似てる。恐ろしいくらいに。この一ヶ月で十分すぎるほどそれが分かった。だから私は、あなたが覚えていてくれたらそれでいい—

—君が死を選んだって?—

—そう。そして私があなたの生を望んだって。私だって、あなたが私の為に私の死を望んでくれたことを忘れないから—

—・・・似てる。本当に—

—案外死ぬのはどっちでも良かったのかもね。私が言い出さなかったら、あなたが言い出していたんでしょう?—

—多分ね—

—じゃ、どうする?提案に乗ってくれる?—

—・・・最後に名前を教えてよ—

—・・・アイ—

—アイ、か—

—気に入ってくれた?—

—もちろん—

—一ヶ月あなたといれてよかった—

—こちらこそ—

—それじゃ、出来れば幸せな未来を作ってね。誰もが願いを叶えられるような—

少女は銃を自分の頭に押し当て、少年の言葉を待った。

—・・・死んでくれ、アイ。僕の為に—

—ありがとう—

少女は微笑みながら引き金を引いた。それから三週間後、少年は調査隊に発見され、無事救助された。大きくなった少年が”Ai”という名のとある機械を作るのはもっと先の話。


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