旋律は星、導くは月。



 風は吹き、森は礎に。


 雲は覆い、空は幻に。


 海は荒れた、沈む城。


 陽は消えた、淀む闇。



「ららららーららーーらーららー」
 過剰にフリルがついた薄桃色のゴシックドレス。ふんわりとした生地が肌の上に跳ねる。
 くるり、と少女は回る。
 小さな体つきには大きすぎる頭のリボンが合わせて踊るように舞った。
 きゅっと滑らせた足にブレーキをかける。勢いでスカートの端が持ち上がった。
 慌てず、優しく撫で付けるようにスカートを両手で押さえ込むと綺麗に後ろ半分だけがふわっと持ち上がった。
 ここで恥じらいを含めた上目遣いでおしとやかにウインク。星が瞬くように。
 声は透き通る響きで世界を奏でる。


 少女は大きな鏡の前で踊っていた。
 カーテンの開け放たれた窓からは神秘的な月光が注ぎ込み、薄茶色の樹板の床を照らす。
 ささーっとカーテンレースがそよ風にたなびいた。
 薄い雲がかかった上弦の月は淡いライトとなって小さな部屋をステージに見立てて踊る少女を祝福しているかのようだ。
「ふふふーん、ふふーん」
 少女の奏でるかすかな歌はセレナーデのように静けさの中に樹霊している。
 時折きしむ床は合いの手のように舞い跳ねる少女に合わせて鳴っていた。
 タン、タタン、タン、タタン。
 リズミカルなステップを踏み、少女は幻想の舞踏会を演じる。
 くるりくるりと右腕を高く上げて回る。
 背中を大きく逸らしてそのまま後ろに倒れ始める刹那、少女は跳躍し、空中で宙返りをして華麗に着地をする。
 自由気ままに好きなように踊る。時には切なく、時には激しく、時には狂い咲くように。
 少女の目にはどこまでも広がる草原が映るときもあれば、細波一つない凪いだ海が映る時もあれば、果てしなく続く空や宇宙が映る時もあった。
 全てが夢の如く。
 全てが真実のように。
 儚き残像が舞い踊る少女に寄り添う。


「すぅー……。はっ」
 少女は両腕を床についた。ひんやりとしていながらもどこか温もりを感じさせる樹の床はわずかにしなる。
 タンッと少女は両腕をバネにして回転した。またしても空中で回る。
 そのまま何度もバック宙を繰り返していく。
 躍動する少女の額にほんのりと汗がにじんだ。
 最後の踏み切り。
 高く飛んだ少女は両手を胸の前で組み合わせて、伸ばした全身を錐もみ回転させて窓から舞い降りた。
 三日月が少女を歓迎して受けとめたかのようだった。


 月夜に飄々とそびえる細く高い樹。枝分かれもなく一本の塔のように天高く伸びるその頂上に小さな家があった。
 家はその樹に少し手を加えて誂えられただけのシンプルな作り。
 誰にも邪魔されることなく、何にも脅かされることもないその隠れ家に一人の少女が住んでいたのだ。
 今、その家の窓から小さな光が零れるように落ちていった。
 月の光を受けて光る少女は流れ星のように樹に沿うように落ちていく。
 見守るのは手を伸ばせば届きそうな月と星空だけ。
 少女は大きく手を広げた。鳥のように。
 落下に伴う風が少女の長く夜のように黒い髪を逆立たせ、ほどけたリボンを彗星の尾のように吹き上げる。
「さようなら、お兄様」
 少女は雲に飛び込む前に仰向けになって満天を仰いだ。
 少女の目から涙が空を駆け上っていった。
 愛する小城はどんどん遠くなり、やがて少女の視界は雲に覆われて何も見えなくなった。


 ぶわぁっと視界が晴れた。雲の下に出たのだ。
 少女は空を下りながら身体をひねり視線を地上に向けた。少し離れた横の長い樹だけは変わらずそこにある。
 地上には地上というほど何もない。
 荒れ果てた大地すら濁流の海に飲まれ、滾々と闇の色をした大海原が広がるだけだ。
 そこから異様な様を呈して一本の樹は生えている。
 少女はもうすぐ地上へとたどり着くことを悟った。
 あのまま小城にこもって生き続ける意味を見出せなかった少女はまだ見ぬ雲の下へと憧れ、跳び下りた。
 その先がこれだ。
 何もない。
 見えない月は果たして雲の上にあるのか、ないのか。
「これでよかったんですよね」
 落ち着き払って落ちてゆく少女は燃え尽きる流れ星のようだった。


 不意に雲間から下弦の月の光が差し込んだ。
 何千年もの間、厚い雲の層は晴れることがなかったというのに。
 月明かりは暗い海を照らした。
 ダークブルーに見えた海はどこまでも澄んだ水色だった。
 少女は海の中に滅び潰えた文明の跡を見た。
 未だなお生きる魚やイルカの生命の営みを見た。
 堂々と海底に根を張る巨樹を見た。
「ありがとう、お兄様」
 少女は奇跡を見せた月に微笑みかけた。
 ぽすんと大して水飛沫もあげず少女は海の中へと沈んでいった。
 流れるような爽やかな水を少女は纏う。
 水中で目を開いた少女はゆらゆらと水面の向こうで揺れる月を見た。
 どこまでも優しく、いつまでも温かく、包み込むような光が少女に差し込んでいた。


 少女が沈み、深くへと消えた時。
 樹はほどけ、雲は晴れ渡る。
 しんしんと降り注ぐ月の光は世界を遍く輝かせる。
 静かな海に満月は映り、移った。
 世界を支えていた樹は海を揺らし、沈んでいった。
 月は揺らめき、煌き、海と一つになった。
 澄んだ水は金色へと変わり、どこまでも輝いていた。



 流れるは星、送るは月。



 風は舞い、樹は還る。


 雲は晴れ、空は灯る。


 海は凪いで、映す水。


 光は奏でる、天の音。



 響いたは星、震えたは月。



 宇宙は輝く、永遠の紺。


 大海は煌く、永久の藍。


 月は独り漂う、蒼の上。


 星は夢みる、また巡る日を。



 底まで透かせ、海の星。


 遍く照らせ、星の海。


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