本当は、凝った話を作ろうと思っていたのです。
しかし気づけば締切30分前。
僕は諦めました。
代わりに、思いついたことをつらつらと書いていこうかと思います。
僕には妹がいません。
正確に言うと、血の繋がった妹はいません。
なぜか、僕を「お兄ちゃん」と呼んでくる女性はいます。
僕の家から歩いて約3分、そこに彼女は住んでいました。
僕の姉と彼女の姉が同じクラスだったためか、
僕たちも時々遊ぶことがありました。
犬を飼い始めた後は、犬の散歩でばったり会うことが多くなり、
ふたりでしゃべりながら散歩をすることが多くなりました。
恋愛漫画ならここで愛が生まれるのですが、
そのうち生まれたのは愛ではなく溝でした。
僕は市立の男子校に、彼女は附属の中学校に進み、
徐々に散歩の時間帯もずらすようになり、
特に何もなく疎遠になりました。
この話に何の意味があるか?
教訓を求めるな。
森見登美彦先生の言葉です。
これを書いている間、ガキ使では千秋が現れました。
そういえば、彼女が(元)夫に対して使う呼び名は「おにぃ」です。
僕の入っているサークルの女性にも、同学年の男性陣を「○○兄ぃ」と呼ぶ人がいます。
こいつ媚びてんのかこの野郎と思いますが、かわいいは正義です。
実際にその方がかわいいかは別として、
かわいい人がそういう呼び方をするのはまあありなのではと思います。
「お兄ちゃん」という呼び方には、ある種の媚びが含まれていると思います。
兄妹という関係にあこがれる童貞が多いのも無理からぬ話であろうと思います。
しかし僕は声を大にして言いたい。
「お兄ちゃん」より「せんぱい」であろうと。
妹より後輩であろう、と。
妹なんてものは、はなから同居というアドバンテージを与えられたイージーモードです。
それに比べ、学校が同じであっても学年の差があるために交流の機会が制限された後輩。
だからこそ会う機会を増やそうと健気に努力する後輩。
「どうせ家で会えるからいい」という傲慢な考えを抱き血縁に胡坐をかく妹とは大違いです。
会えない期間が長ければ長いほど愛しさは募るのです。
どこぞの光る君も同じようなこと言ってました多分。
学年が違えば、先輩が受験で引退、後輩は後に残されるというパターンも多いのです。
そこで耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、先輩と同じ学校に行こうと努力する後輩。
嗚呼、共学に行きたかった。
あと2時間ほどで年が変わります。(現在12/31 21:53)
そうして春になると、僕は2年生になります。
そう、春は出会いの季節。
僕を「せんぱい」と呼んでくれる後輩との出会いの季節。
妹が欲しいと言っても、母親に期待するしかありません。
後輩が欲しい場合は、自分の努力でなんとかなるのです。
締め切りまであと5分です。
後輩について語ろうと思いついたのは締切15分前です。
ごめんなさい。
妹も大好きです。
でも後輩はもっと好きです。
上京したての東京ばな奈がバリカタになるレベルです。
意外と東京にもとんこつラーメン多いんですよ。
締切2分前に気づきました。
妹かつ後輩もありうるな、と。
人の妹でありながら僕の後輩とか萌えるな、と。
シリコン読者の妹者には期待するばかりであります。
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