唐突だが、私は孤独という言葉にそれほどネガティブなイメージは抱かない。
 むしろ好んでいると言っても過言ではない。
—いや嘘だねそれは。一人の言い訳と言ってもいい。
 そうなの、かもしれない。
 孤独が好きだから孤独なのか、孤独だから孤独が好きになったのか。
 どちらが先だったかなどと今では覚えていない。

 最初に孤独について私なりの定義をつけておく。
 そもそも孤独とはなんなのだろうか。私のここで考えている孤独は厳密に言えば孤独ではない。
 なぜなら物理的意味で孤独というのは今日の世界においてそうそうありえないからだ。
 絶海の孤島に一人流されるとか、深い森に迷い込んで出て来れなくなるなどという状況に陥るということはまずない。
 また、現代ならではの半物理的、半精神的に孤独状態というのが考えられる。
 いわゆる独り身のまま漫然と単調な生活を繰り返し続けたりした結果“孤独死”するというあれだ。
 孤独で死ぬなどとは恐ろしくて考えたくも無い。数ヶ月、下手すれば数週間他人と会話しないうちに人間は狂い始めるという説もあるほどだから、狂った挙句死ぬのだろうか。
 だが、私の考えている孤独はこういう極端な例ではない。ある意味一番ありふれた日常的な孤独である。
 ありふれた孤独と言うのは変な感じもするが、私のようなタイプの人間にはたやすく想像しうるのではないかと思う。
 人と話すのが苦手、友達が少ない、自分の世界にこもりがち、臆病、等々あげればキリがない。
 要するに普通に生きてはいるのだけれど、どこか世界に馴染めない、という感じだ。
 これに孤独を感じること自体間違っているのかもしれないが、ここではこの状態を孤独ということにしておく。

 さて虚無感と孤独には似通ったところがあると思う。
 私とは、何なのだろうか。
 孤独が好きと言って一匹狼を気取りたいのか?
 だがその一方で完全な一人ぼっちは嫌だから上っ面の友好関係を築く。
 興味の欠片もない話題に楽しむ振りをして、思ってもいないことを言って話を合わせ、私は私が一体何をしたいのか、どうありたいのかが時々自分で分からなくなる。
 そして決まってそんな時思うのだ。
 人間とは何のために生まれたんだろうかと。
 その中の一個体である自分は何を出来るだろうかと。
 私の出す答えも決まって一つだ。
 何の意味もなければ、何も出来やしない。
 自然が生み出すものは必然であり、意味がある?進化の過程は必要に基づく?
 ふざけるな、と思う。今の人間の営みが自然の求めた姿だと言うのか。だったら世界自然というものはよほどのマゾヒストに違いない。
 人間にどうして考える知性を与えたのだろうかと思う。おかげで私はこうやって何度も何度も考えさせられるのだ。
 このまま生きて、死んで、私は何になるだろうか。世界に何の変化ももたらさない可能性は限りなく100%に近い。
 夢は何ですか?
 と聞かれる。少し前までならなりたいものがあった。
 でも今は何もない。したいこともない。いやあるにはあるのだがそれはまた後述しよう。
 例えば医者になりたいという人がいる。私はその根本にある心理を尋ねたい。
 人を救いたい?人として立派だ。
 金が欲しい?人らしくて素晴らしい。
 なんとなく安泰そうだから?人並みの思考回路で結構。
 何が言いたいのかって?
 今の私はいかなる心理、理由を聞かされてもイマイチピンと来ないということだ。
 お前は本当にそれが理由でそうなりたいのか?と。
 弁護士でも研究者でもなんでもいい。全ての人が抱く将来像について私は問いたい。
 お前はその人生を歩んで満足なのか?と。
 人らしく幸せに生きて、死ぬ。その人生に私はもはや意義を感じないのだ。
 それで、終わり?それで、いいの?
 私は孤独でもいい。ただ人として生きたくない。それを切に願うようになった。
 なぜ私が生まれたのか。私はどう生きるのか。
 生に囚われるうちは私は凡人だ。
 孤独にならなくてはいけない。
 全てを超越し、理を凌駕し、誰にも到達し得ない世界で全てを見たい。それが唯一私の夢と言えるものかもしれない。
 そうすると今の自分の身の回りが馬鹿らしくなる。意味がない、と。
—じゃあ何に意味があるのさ?
 それがわからない。
 孤独であることを自分の誇りにしようとしても孤独に耐えられない。すぐ人との対話を求める。
 なんでだよと歯がゆく、怒りに捕らわれる。
 こいつらはなんとなくで生きて死ぬ運命を生きているやつらなんだろ?私には価値のない人間だろ?
 その自身の言葉に抗えない。
 夢が遠過ぎて漠然過ぎて、そこに至る手段すらも全く分からないが故に不器用な生き方をしている。中途半端なのだ。
 踏み切れない。私と向き合えない。
 私は自分そのものとさえ孤独なのだ。
 一人部屋に住むようになってから一人で考える時間がうんと増えた。
 すると何もかもが分からなくなった。
 その時、その場に流されてしか生きれない中途半端な自分に嫌気が差した。
 何がしたいのだ私は、と。
 好きなことすらにも心のどこかで、それに結局意味はあるのか?と思うと何をするにも真摯な気持ちで向き合えないのだ。
 気の向くままその時やりたいように、海に漂う木片のように、流されるままにしか生きれない。
 その心持ちのまま他人に会うと孤独を恐れて人になろうとする。そうすると私はまた自分への嫌悪感を募らせる。
 だから私はなるべく孤独というか一人でいることを好むようになりつつある。近くに理解しあえそうな人間が減ったというのもある。
 行く当てもなくただぶらりと外に出る。人は私になど目もくれない。
 私は空を見上げ、川を眺め、空気を味わい、草木に触れ、人の世界の隙間にある素朴な音を聞き、人と自然が入り混じった匂いを嗅ぎ、歩く。
 曇り空が薄くなって、雲間から差し込んだ夕日が空をまばらに橙色に染めているのを目撃した時を言いようもない切なさが心を襲った。
 真っ青な青空にグレーの古びたビルが重なると足元からふわっと浮き上がるような高揚感を覚えた。
 ふと立ち止まって聞こえる音を片っ端から辿るとあまりに多すぎる音が溢れているのに驚愕した。
 静かなさびれた公園になんとなく立ち寄ると、なぜだか夢を健気に持っていた自分の過去が懐かしくなった。
 私は孤独である時にこそ、世界の壮大さや変化に感嘆させられる。
 孤独は私に私というものを考えさせる時間をくれるのだ。
 独りだけど一人じゃない。世界がそこにあるのだ、と教えてくれる。

 だから思うのだ。
 私は孤独でありたいと。
 孤独であって世界と共にあり続けたいと。
 私というものの意味を知るその時まで私は世界を見届けたいと。
 全ての存在は私が知覚できる範囲でしか存在していない。ありとあらゆる存在そのものが曖昧だ。
 同時にそれは私そのものも曖昧ということを意味する。
 曖昧な私の意味は何なのか。おそらくその疑問は永遠に解決し得ないだろうし、虚数解なはずだ。
 故に、せめて私は私が納得できる生を全うするために夢を歪曲させる。
 世界が欲しい。
 孤独なままの私を受け入れる世界を我が物としたい。それは無謀な欲の極限の姿かもしれない。
 幸いにもこれをなし得た人間は私の知る限りではフィクションの中にしかいない。
 世界を手に入れるためには何が必要なのかを考えた。
 まずはどう考えても時間が足りない。故に私は不死を求める。
 次に力が足りない。故に私は…どうすればいいのだろうか。
 知恵も足りない。熱意も足りない。結局は夢幻の幻想なのかと。孤独に狂った馬鹿のたわごとなのかと。
 私は必死に考えた。
 今まで同じことを考えた人間がいたはずだ。そこから学べることはあるはずだと。
 そして先人の答えにたどり着いた。私自身にもこのままではその方法しかないこともすぐ気付いた。
 そこまで考えついて私は笑った。
 やはり自然の思惑通りなのかと。世界を世界の産物に過ぎない私が手中に収めようとするなどおこがましいと嘲り笑うかのようだ。
 答えにいたるのは簡単だ。いくらでも根拠付けが可能だ。
 世界に対して、人は寿命が短い。
 人は考える力がある。
 人は言語を持っている。
 人は弱く儚い。
 人は道具を作れる。使える。
 人は夢を抱く。
 人は生きて死ぬ。
 人は完全には分かり合えない。
 ゆえに人は根源的に孤独でないわけがないのだ。
 しかし……
 人は伝えることが出来る。
 人は一人じゃない。
 人は繋がる。
 考えていけば自ずと答えは見えてきたのだ。
 そう。
 世界を手に入れるには人は一人ではダメなのだ。
 大笑いした。
 そういうことだったのかと。
 かつての王や賢人は世界を手に入れられなかったかもしれない。だが、確実にその足跡を世界に残している。
 いや人一人一人の営みがどこかで受け継がれているのだ。
 人は知覚することなく世界を手に入れるために着々と進んでいるのだ。
 世界からの挑戦状だと思った。
 さあちっぽけな人間達よ。刃向かうのなら紡いでみせよと。見せてみろその生き様を、と。
 孤独なままじゃダメなのかもしれない。
 私が無意味と思っていることもすべてどこかでつながっていくのかもしれない。
 そう思うと私は人間達が意識することなく幸せを求めることにも何らかの世界的意味があるのかもしれないと思った。

 だとしても。
 私はあくまでも孤独に攻める。
 孤独なままでいいのだ。世界を肌で感じるには孤独が必要なのだ。
 私が私であるためには孤独が必要なのだ。
 私が世界と人間の間でどちらでもない曖昧な存在にあり続けるためには孤独である必要があるのだ。
 私は私の意味を孤独そのものに求める。
 孤独でなくなった瞬間に私は過去のいかなる英雄も邪悪をも超えられない存在に成り下がると考える。
 孤高の神に近づきたい。いや神すらも凌駕したい。
 ただ人間がもし潜在的に世界を手に入れようとしているのなら、私は孤独な存在としてその導きになってもいいと思う。
—いや嘘だねそれは。孤独の言い訳だ。
 そうだ。
 これは言い訳にしか過ぎない。
 孤独と集団の中で中途半端にしか生きられない私を正当化するための詭弁だ。
 だが、あえて私はこのスタンスを使わせてもらう。
 欲望がないといいつつ一番独りよがりな夢を抱く私は先頭に立たなければ気がすまない。頂点に君臨しなければ私の意味に納得出来ない。
 人のまま終わりたくないのだ。人間らしくないことを望み、ある意味最も人間らしくなるという馬鹿らしさ。それでもいい。
 孤独でいいのだ。私は孤独であり続ける。孤独を気取る。
 だからここで、君たちに一つの皮肉的提案をしておこう。

 孤独な私が世界を手に入れるその時まで私のためにせいぜい平和に生きてくれ、なあ孤独でない者達よ。


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