誰もいない家の中で、ヴァンは一人本を読んでいた。
両親はヴァンが小さい頃に亡くなった。頼れる親戚も見つからず、12歳になるまでは近所の人が交代で面倒を見てくれていた。
ヴァンは本から顔を離し、窓から外の景色を眺めた。ヴァンの家は村外れの丘の上にあるので村全体が見渡せる。市場、教会、学校、役所。ラジオの電波が辛うじて届くような村にしては人が多く、なかなか活気に溢れていた。
ヴァンは学校の成績だけは良かった。一般学問にしても魔法学にしてもクラスで一番だった。しかし、それは紙の上での話だった。彼の動体視力は人一倍優れていたが筋力が弱く、難しい魔法も暗唱できるほど記憶力が良かったが肝心の魔力はまったくなかった。いくら脳内で素晴らしい物語を作り、どんなに素晴らしい音楽が流れようが、それを表現できなければ無いに等しいように、ヴァンも周りからは勉強以外何も出来ないとみなされていた。ヴァンが住むような小さな村では、勉強できるよりも働ける事のほうが大事である。運動も出来ず、魔法も使えない彼は、村の中で完全に仲間はずれだった。
もちろん家に帰っても誰もいない。ヴァンは毎日家の中で一人過ごしながら、この家は孤独の象徴だな、なんて思ったりした。
『3時のニュースをお伝えします。冬眠明け前線がオリエント地方に達しました。同地方にお住みの皆さんは街を離れる際、十分に注意してください』
ラジオの臨時ニュースにヴァンは耳を傾けた。オリエント地方はこの国の極東に位置し、ヴァンの住む村もこの地方に含まれている。冬眠明け前線は桜前線と同時に発表され、モンスター達の冬眠明けの目安となる。モンスターの中で凶暴なのは一部だが、それでもモンスターに襲われるなどの被害は毎年多く、森に行く時は十分注意しなければならない。
ヴァンはこのニュースを聞くと少し顔をしかめた。というのも彼の趣味は森歩きなのだ。
「そろそろ護身用具を出した方がいいかな」
彼は独り言を言うと、席を立ってタンスの所に行き、引き出しの中を漁った。タンスの中から木の良い香りが漂って部屋に満ちる。ヴァンはこの香りが好きだった。
ヴァンは引き出しの奥から小さくて四角い装置を取り出した。炎系の魔法を放出する、単純な仕掛けの機械だ。昔、村がモンスターに襲われて多数の犠牲者を出した事件があって、その後に配られたものだった。ひっくり返して消費期限が切れてないか確認すると、ヴァンはそれをポケットに入れた。
本を読むのが一段落したので、ヴァンはそのまま森へ散歩に出かけることにした。ジャンパーを着てお気に入りの帽子をかぶった彼は、長い廊下を歩いて玄関に向かった。運動靴を履いて外に出ると、ヴァンの鼻腔を森の爽やか香りが満たした。彼は上機嫌になりながら森へと入っていった。
森に入って30分ほど歩いた頃、ヴァンは足を止めた。そしてまじまじと足元を見つめた。
この村の中でヴァンほど森に詳しい人はいない。ヴァンは物心ついた時から毎日森を探検していた。湧き水の場所やモンスターの種類、そしてその住処など、ヴァンは森の全てを知っていた。
だから見慣れないモンスターの足あとを見つけた時、彼は不審に思った。つい最近できたものと思われるその足あとは森の奥へと続いていた。足あとの大きさや凹み具合から、彼は足あとの主を大型の肉食モンスターと推定した。
「これはマズいな……」
恐らく別の地方のモンスターが前線と共に北上してきたのだろうとヴァンは考えた。冬眠明けと長距離移動が相まって、そのモンスターは相当空腹なはずだと予想した彼は、身の危険を感じて道を引き返そうとした。
突然、森にモンスターの悲鳴が響き渡った。丁度ヴァンが戻ろうとした方向からだった。直後、その方向から沢山のモンスターが逃げてきた。咄嗟に避けると、モンスター達は次々にヴァンの横を走ってゆく。ヴァンの体に嫌な汗が流れた。自分も逃げよう、と彼はその群れについていこうとした。
その瞬間、群れの先頭の一匹が血しぶきを上げて吹き飛んだ。「それ」が木の上から飛びかかって襲ったと理解するのにヴァンは時間がかかった。「それ」は全身が硬い殻で覆われたモンスターで、ヒョウのような姿をしていた。そのヒョウ型は口の端から獲物の血を垂らしながらモンスターの群れを睨みつけた。「待ちぶせ」と「挟み撃ち」というワードがヴァンの頭のなかに浮かんだ時には、すでにもう一匹のヒョウ型が反対方向から一歩ずつ迫ってきていた。
ヴァンはポケットから護身装置を取り出すと、安全ピンを抜いた。相手は二匹もいるが、その装置は一回しか使えない。しかしやるしかない、とヴァンは覚悟を決めた。彼はその装置をヒョウ型の片方の顔に向け、ボタンを押した。装置の中から赤色のオーラが流れだし、魔法陣を形成して光り出す。そしてその中央から人の頭大の火の玉が10個ほど飛び出した。
そこからは阿鼻叫喚だった。いきなり出現した火の玉にモンスターの群れが驚き、四方八方に散りだした。それを見たヒョウ型が手当たり次第に襲いかかって辺りを血の海にしてゆく。火の玉をぶつけられた方のヒョウ型は痛みで暴れ回り、逃げようとしたモンスター達を引き裂いてゆく。とても逃げられるような状況ではなかった。
ヴァンは震えながらヒョウ型を見た。彼は持ち前の観察力でヒョウ型の体の構造を捉え、分析した。ヒョウ型の殻は鎧のように幾つもの小さい殻が重なってできていて、ヒョウ型が大きく動くと隙間ができる。その隙間に剣を突っ込むなり魔法を打ち込むなりすれば、おそらく倒すことは可能だろうとヴァンは思った。しかし方法は分かっても、彼にはそれを実行する術がない。
あらかたのモンスターを倒し終わった片方のヒョウ型が、モンスターの死体の陰に隠れていたヴァンを見つけた。その冷たい目に睨まれて、ヴァンの体がすくみ、震えが大きくなる。体が寒かった。まるで体の内側を真冬の風が吹き抜けているかのように体内に凍えを感じ、ああこれが死への恐怖なのだな、とヴァンは真っ白になりかけた頭で思った。
しかし彼は信じられないものを見た。
ヒョウ型が彼に襲い掛かろうとした時、突然物陰から男が現れた。ヒョウ型がその方を向いた瞬間、剣が振られ、ヒョウ型は殻などなかったかのように胴から分断されていた。遅れてその血が飛び散る。男は血で濡れた剣を下ろすと、呆気にとられていたヴァンに顔を向けて言った。
「おい、大丈夫かボウズ」
男はアーマー姿に立派な大剣を持っていて、一目で剣士だと分かった。ヴァンがうまく動かない口で返事しようとすると、離れたところから唸り声が聞こえてきた。二人が同時に振り返ると、もう一匹のヒョウ型が二人を睨んでいた。ヴァンの火の玉から受けたダメージからようやく抜けたようで、怒っていることは一目瞭然であった。
「そういやもう一匹いたんだったな」
男が剣を再び構えると、ヴァンは森の奥から赤いオーラが流れ込んできたのを見た。そしてヒョウ型の足元に魔法陣が展開され、先の火の玉が線香花火に思える程の巨大な火柱が立ち上った。ヒョウ型は悲鳴を上げる前に一瞬で炭になった。
「怪我はないかしら、そこのボウヤ」
驚く二人の前に、森の奥から大きな杖を持った、魔法使いの出で立ちをした女が歩いてきた。彼女は剣を持った男と真っ二つになったヒョウ型を見ると、「あら」と呟いた。
「私が助ける必要はなかったようね」
その頃になってようやく口を動かせるようになったヴァンは立ち上がって、二人にたどたどしく礼を言った。
「あ、あ、あの、助けていただいてありがとうございました」
そう言うヴァンの頭のなかには、二人が見せた圧倒的な力が焼き付いていた。
ヴァンは二人を自宅に招待して、食事をごちそうした。その時分かったのは、二人はそれぞれ知り合いでもなんでもなく、偶然あの場に居合わせただけだということだった。
「ったく、余計なことしやがって。俺が二匹とも倒してやったのに」
「あなたがさっさと倒せば、私も無駄な魔力を使わなくて済んだのよ」
初対面の二人はまるで長年共に旅していたかのように口喧嘩していた。男の方は名をパリスと言って、剣士を輩出する名門一族の末っ子、そして女のほうはマチルダといい、一流大学を出た魔法使いだった。
「ところで」マチルダは話を切ってヴァンを見た。「ボウヤの両親はいないかしら」
ヴァンはこくんと頷いた。
「僕は孤児なんです」
ふーん、とマチルダは部屋を見回す。
「じゃあどうやって暮らしてるの。お金は?」
「孤児手当とアルバイトでなんとかしてます」
マチルダは納得した顔になった。
「なるほどね。ほら、あなた、名前何だっけ」
そう言ってマチルダはパリスを見た。パリスは面倒そうに答えた。
「パリスだ。覚えとけ」
「あなたが食べてるそのご飯、この子の明日の食事なのよ。おかわりぐらい自重したらどうかしら」
「うるせえ黙れ。命一つ救ってやったんだ。それに比べたら安いだろうが。おいボウズ、もう一杯持って来い」
「は、はい」
ヴァンは台所からシチューを運んできた。それを食べながらパリスはマチルダをじろじろ見た。
「そういや魔法使いなんて久々に見たな」
「私も剣士なんて最近見てないわね」
それを聞くとパリスは立てかけていた大剣をマチルダに見せびらかした。
「そうかそうか。それならこれを見ておけ。他では見られねえ一品だぞ」
マチルダはパンを頬張りながらその剣を眺めた。
「ふうん、マスターピース社の……見たことないからオーダーメイドかしら」
「その通りだ」パリスは豪快に笑った。「あの会社の出す最高レベルの剣だ。切れ味抜群だぞ」
「市販の剣は刃にバーコード付いててダサいものね」
「しょうがねえよそれは。個人登録しなきゃならんからな」
ヴァンがあまり知らない話題が次々に出てくるので、彼は興味深そうに聞いていた。そのうちに、彼は気になったことを思い出してマチルダに質問した。
「あの、すみません」
「何かしら」
マチルダはヴァンに目をやった。
「マチルダさんは、さっきのモンスター……ええっと……」
「シェルパンサー?」
「それです。そのモンスターを倒した時、呪文を唱えてなかった気がするんですけど、どうしてですか?」
学校で魔法を習う人は必ず呪文を詠唱するので、ヴァンは違和感を覚えたのだった。ヴァンの質問を聞くと、マチルダは感心した顔をした。
「あの状況でよく分かったわね。そうね、高校までは皆詠唱必須だからあんまり知られてないだろうけど、魔法には二パターンあって、ワードスペルとノンスペルがあるの」
「ワードスペルとノンスペル……」
「そう。ワードスペルは魔法言語を全部唱えるけど、記憶力が半端ない人が自然語を暗記して脳内で瞬時に唱えられるようになると、詠唱なし杖なしで発動できるようになるわ。それがノンスペル」
「おいちょっと待てよ」パリスが口を挟んだ。「何で頭の中で唱えたら杖いらねえのに、口に出したらいるんだよ」
マチルダはふう、と息をついた。
「だから頭で唱えるのは自然語だって言ったでしょう。魔法は自然語じゃないと発動しないのだけど、自然語は余りに長すぎて常人には覚えられないし意味もわからないから、短くて人間に理解できる魔法言語が作られたのよ。その魔法言語を自然語に変換するのがこの杖ね。それが『編集者(コンパイラ)』と呼ばれる機能」
パリスはげんなりした顔になった。
「難しい話だな」
「そうかしら。それで、杖にはもう一つ機能があるわね。あなた、ヴァンと言ったかしら」
「はい」
「学校で魔法を習う人は、とても長い詠唱する割にはたいした魔法使えないでしょう?」
「確かに……そうですね」
ヴァンは学校でのことを思い出し、頷いた
「それは魔法で使うファンクションやデータを一々唱えているからよ。杖のもう一つの機能は『図書館(ライブラリ)』といって、そういった面倒くさいものをあらかじめ杖に記憶させておくことができるの。でないと実戦で魔法が使い物にならないわ」
マチルダはスープを少し飲んで話を続けた。
「超基本的なもの以外はみんな大体自分でライブラリを作るわね。無料で配られる『DX』というのを使うゆと……初心者もいるけど」
「いかん。頭がクラクラしてきた」パリスは頭を振った。「ちなみにその自然ごとやらはどんぐらい長いんだ?」
「そうね」マチルダは少し考える仕草をした。「さっきの戦いで口に出して唱えてたら軽く100回は殺されてるかしら」
「そんなのよう覚えてられるな」
「ノンスペルが使えるのはほんの一握りだけどね」
パリスは不機嫌そうに舌打ちをついた。
「分かった分かった。だから自分は優秀だって言いたいんだろ?」
「そうだけど、何か?」
「けっ、調子乗りやがって」
「あのー」機嫌の悪いパリスを見たヴァンが口を開いた。「あんなモンスターを殻ごと斬れるパリスさんも十分凄いと思いますけど」
ヴァンの言葉に、パリスの顔がパッと明るくなった。
「ほら見ろ、俺のほうが凄いってよ」
「そんな事言ってないじゃないの」
「だから————って、あれ?」
パリスが何か言いかけた時、辺りに教会の鐘が鳴り響いた。時計は存在するのだが、この地方では伝統的に朝と正午と夕方の三回、時報代わりに教会が鐘を鳴らす。
「あら、もう6時ね」マチルダは思い出したようにヴァンに尋ねた。「ヴァン、これから旅館を探すのも面倒くさいから、ここに泊まっていってもいいかしら?」
ヴァンは笑顔で答えた。
「全然構いませんよ。まだお礼し足りないぐらいです」
「あ、俺もいいか?」
「パリスさんもどうぞ」
追加でパリスも申し出たので、ヴァンは誰をどこに泊まらせるか考え始めた。
「まず荷物は……あれパリスさん、荷物はないんですか?」
荷物の置き場所を決めようとしたヴァンは、パリスが荷物を持っていないことに気がついた。ヴァンに問われたパリスはハッとした。
「やばっ、森においてきた!」
「間抜けの極みね」
パリスはマチルダを指さした。
「お前も荷物持ってねーじゃねえか」
「私はあなたほど馬鹿じゃないわ」
マチルダが杖をかざすと、どこか空の彼方からバッグが飛んできて、窓をくぐってマチルダの横に着地した。
「便利でしょう? 私の所に来るよう魔法がかけてあるの。ちなみにこの魔法はちょっと特殊で、『台本(スクリプト)』という魔法言語で作ってあって、杖の中に埋め込まれた『真珠(パール)』が————」
「分かった、分かったから!」
パリスは玄関まで走ると、暗くなりかけた森へと駆けていった。姿が闇に消えていくパリスを窓から見ながら、ヴァンはぼそっと呟いた。
「でもマチルダさんも森の中に荷物忘れたことには変わりありませんよね」
マチルダはごほんごほんとわざとらしく咳をすると、「お風呂を借りるわね」と風呂場に歩いて行った。
マチルダさんは面白い人だな、と床の上に忘れていったバッグを見ながら、ヴァンは思った。
夜になった。マチルダは早いうちに床についた。パリスはどこかに行ったようで、家の中にはいなかった。ヴァンは二階の自室に戻ると、今日起こったことを日記につけ、剣士や魔法使いの素晴らしい人生を夢想した。そして昼間の凄まじい威力の剣や魔法に思いを馳せた。
一時間ほど部屋で勉強していると、外から物音が聞こえてきた。ヴァンが窓から顔を出すと、パリスが庭で剣の素振りをしていた。ヴァンは一階に降りて紅茶を入れると、庭に持っていった。ヴァンが近づくと、パリスは剣を構えながらすぐに振り返った。
「おお、ボウズか。どうした?」
「あの、飲み物を持って来ました」
ヴァンはパリスにカップを渡した。
「ありがたい」
パリスは一気に飲み干すと、空になったカップを返した。
「練習熱心ですね」
「まあな。魔法使いは脳を休ませなきゃならんから寝るのが大事だが、剣士は脳筋だからな。体で覚えなきゃならねえ」
そう言ってパリスは再び剣を振り始めた。その動きに一切の無駄が無いことがヴァンの目でも分かった。そしてそれぞれの振り方で、力の加減が微妙に違うのだった。おそらくヒョウ型モンスターの硬い殻を叩き斬ったのも単なる馬鹿力ではなくて、どのように力を入れたら綺麗に砕けるのかを経験で知っているのだろうとヴァンは思った。
「いろいろな振り方があって面白いですね」
「そうか? 普通に振ってるつもりだが」
パリスは力強く剣を振りわました。目を輝かせながらヴァンはつぶやいた。
「パリスさんなら無心に剣を振るだけでどんなものでも倒せそうです」
「いやいや、俺でもちゃんと考えることはある」
剣を振りながらパリスは言った。
「どうやったら勝てるか、ですか?」
ヴァンが尋ねると、パリスは首を横に振った。
「違うな」
その時パリスが斬った木のうち一本がヴァンの方に倒れてきた。ヴァンが咄嗟に身を守ろうとすると、パリスはその間に飛び込んで剣を振るった。倒れた大木は瞬く間にブロックになってその場に落ちた。
「どうやったら勝てるか、じゃねえ。どうやったら格好良く勝てるか。それを考えるのが俺の美学だ」
そう言ってパリスが一歩踏み出そうとすると、転がっていたブロックにつまずいて転んだ。誤魔化すようにそのブロックを放り投げてみじん切りにするパリスを眺めながら、この人も面白い人だな、とヴァンは思った。
ヴァンは庭を後にし、自室に戻った。そして長い間考え事をした後、彼はある決心をした。
次の朝、ヴァンは誰よりも早く目を覚まして台所に降り、三人分の朝食を作り始めた。目玉焼きを焼いていた時に、まずパリスが起きてきた。彼は勢い良くドアを開けて、テーブルへと一直線に歩いた。
「中々いい匂いだな」
「おはようございますパリスさん。もう少し待ってください」
「おう」
パリスは席につくと、テーブルの上のラジオをつけた。
「ここらへんは空気が美味いな。おかげで朝が爽快だ」
「この村はそれだけが取り柄なので」
ヴァンが朝食を全て調理し終わり、テーブルに並べる頃になって、寝巻き姿の眠そうなマチルダが部屋に入ってきた。
「……おはよう、ヴァン。いい匂いね」
そう言いながらマチルダは小さくあくびをした。
「マチルダさんおはようございます。意外と朝に弱いんですね」
「私が弱いんじゃなくて朝が強すぎるのよ……」
マチルダは意味不明な事を呟きながら席についた。
ヴァンは二人が食事を始めるとしばらく黙っていたが、やがて昨日の夜に決心したことを言おうと覚悟を決めた。彼はスプーンをテーブルに置くと、マチルダとパリスを見た。
「すみません。お二人にお願いしたいことがあるのですが」
「何かしら」
「何だ?」
二人が返事すると、ヴァンはこう続けた。
「お二人のどちらかの旅に、僕も同行させてもらえないでしょうか」
自分もマチルダやパリスのような力が扱えるようになりたい、という思いが半分。そして誰かと旅に出ることが出来たら、この孤独な場所から抜け出せるのではないかと考えたのがもう半分だった。マチルダやパリスに付いて行けば絶対に楽しい旅になると、ヴァンは確信していた。
しかし二人の反応は冷たかった。パリスは困ったような顔をし、マチルダは口の中のものを飲み込むと溜息をついた。
「ヴァン、自分が何言っているか理解してるの?」マチルダは強い口調で言った。「あなたを連れて行くということは、戦闘のたびにあなたを守らなくてはならないということなのよ」
ヴァンは慌てて否定した。
「そこまでしてもらう必要は————」
「いいえ」マチルダは言葉を遮った。「私が首を縦に振った瞬間、私にあなたを守る義務が生じるのよ。あなたが否定してもね」
「…………」
「魔法使いは精神力と集中力が命なの。スペル一つ間違えるだけで死に近づくからよ。仲間を守れなかったトラウマから魔法使いを続けられなくなった人を私は何人も見ているわ。分かってるの? あなたは私の人生賭けろと言ってるのよ。自分のことしか考えてないんじゃないかしら」
ヴァンは下を向いて動かなかった。マチルダは続けた。
「別にいいわよ連れて行っても。でもそれは私にとってそれ程の価値があればの話よ。ヴァンにはそれがあるの?」
「ない、ですが……」ヴァンは声を震わせながら言った。「それでも連れて行ってもらいたいんです」
しばらく部屋に沈黙が流れた。最初にそれを破ったのはパリスだった。
「ボウズ、要するにこいつはお前を危険な目に合わせたくねえんだよ。俺も同じだ。そこは分かるよな?」
ヴァンはこくんと頷いた。
「危険な目に合わさねえように連れて行くにはどうしたらいいか。それは俺が全力でお前を守りゃいい。おいボウズ、お前俺に命救われておきながら俺の荷物増やすつもりか?」
パリスはヴァンの細い腕を掴んだ。
「こりゃまたひどい腕だな。全然筋肉ついてねえじゃねえか」
パリスが腕を離すと、それを見ていたマチルダがバッグを引き寄せて、中からメーターのついた小型の機械を取り出した。
「これは『テスター』と言って、魔力の流れを調べる装置よ。ヴァン、両手を出しなさい」
ヴァンがマチルダの方に恐る恐る両手を伸ばすと、彼女は装置からのびる二つの線の先端ををそれぞれ右手と左手につけた。メーターはピクリとも動かなかった。マチルダは呆れたように言った。
「魔力ゼロ。酷いにも程が有るわ。よくこれで連れて行けなんて言えたものね」
マチルダはテスターをバッグにしまった。
「だからこそ連れて行ってくれっつう部分もあるだろうがな」
パリスは飲みかけのスープを飲み干した。
「俺は熱意ある奴は好きだし、素質があるんなら連れて行ってやりてえとも思うんだが……」
そう言ってパリスはヴァンをちらっと見た。
「お前はこの村で平和に暮したほうがいいような気がするんだよなあ」
ヴァンは深くうなだれた。
「そう、ですか……」
「ああ。メシは上手いんだがなあ」
「そうね、料理はとても美味しいけど」
落ち込んだヴァンの耳に二人のフォローはもう入らなかった。
午前中は三人とも別々に過ごした。ヴァンは家の掃除をし、パリスは庭で鍛錬し、マチルダは村の中心部に向かった。昼ごろになってヴァンがラジオを聞いていると、パリスとマチルダが同時に家に入ってきた。二人は椅子に座るとまずマチルダが口を開いた。
「私はそろそろここを発とうと思う。お世話になったわね」
それを聞いてパリスも呟いた。
「俺もぼちぼち出発しないとな」
二人の言葉を聞いてヴァンは寂しくなったが、笑って返事をした。
「こちらこそありがとうございました。またこの村に来たらぜひ泊まっていってください」
「そうさせてもらうわね」
そう言ってマチルダが口元を緩めた時、ラジオで昨日のヒョウ型モンスターの件が流れた。それを聞いてマチルダは思い出したように言った。
「そうそう、シェルパンサーの件はさっき魔法協会とモンスター対策機関に伝えてきたから、何らかの対策が施されると思うわ。もう安心していいわよ。念のため残党がいないか確認してこいと言われたから、私も見て回るしね」
バッグを整理しようとしたマチルダを見ながらヴァンは黙っていたが、やがて心を決めて声をかけた。
「マチルダさん、もう旅に連れて行ってくれとは言いません。それでもせめて、そのパトロールだけでも同行させてもらえませんか」
マチルダは表情を固くした。
「あなたもしつこいわねえ」
しかしヴァンは怖気づくこと無く続けた。
「ここの森のことを一番知っているのは多分僕です。きっと役に立つと思います」
「でも……」
「いいじゃねえかそんぐらい」パリスがヴァンの頭をぽんと叩いた。「もう森には何もいねえだろうし、何なら俺もその巡回に付き合ってやるよ。それならいいだろ?」
マチルダは何か言おうとしたが、やがて渋々といった感じに頷いた。パリスはヴァンの顔を見た。
「良かったなボウス」
パリスはヴァンの表情が明るくなるの見て軽く笑った。
「あ、ありがとうございます」
「怪我だけはしないでよ」
「はい!」
マチルダはやれやれといった表情で椅子から立ち上がった。
「じゃあ早く準備をしなさい。今から行くわよ」
ヴァンは小躍りするほど喜びながら自室に走り、森行きの服に着替えた。それから彼は急いで下に降り、ラジオを消すのも忘れて外に出た二人の所に駆けていった。マチルダはヴァンが来ると歩き出した。
「それじゃ行くわよ」
そうして三人は森の中に入っていき、家の中にはラジオだけが残された。
『今ニュースが入りました。オリエント地方の一部で自然現象とは考えにくい地震と魔力の放射を観測しました。対策機関はモンスター絡みとみて注意を呼びかけています。では次のニュース——』
ヴァンの案内により、一同はどんどん森を進んでいた。マチルダは感心して言った。
「なかなか頼りになるわね。私が通った時はずいぶん時間掛かったのに」
「それ単に道に迷っただけじゃねえのか?」
「そうとも言うわね」
パリスは周りを見回した。
「俺は森の中で戦うことが多いが、不思議と迷わないんだよな」
「さすが剣士ですね」
ヴァンが褒めると、パリスは機嫌良さそうに剣をいじり始めた。
「この前盗賊20人を退治した時もこんな森の中でな、崖の下に追いやってからそこに飛び込んでばったばったと————」
「ちょっと待ちなさい」聞いていたマチルダが口を開いた。「なんであなた、そこで飛び込んだの? 睡魔剤をばらまけばいいじゃないの」
「そんなもんで倒すとか格好悪いにも程があるだろ」
マチルダは語気を強くした。
「何言ってるの! 何よりも重要なのは見栄えじゃなくて効率と確実性でしょう? 飛び込んで取り囲まれたらどうするのよ」
「その時は気合で乗り切るさ」
「馬鹿じゃないの? 確かに戦闘デザインを見なおしたら効率が上がることはあるけど、効率を犠牲にして見栄えを追求するのは馬鹿のやることよ」
「馬鹿で悪かったな」
「ええ馬鹿よ。あなたを連れてきて逆に不安になったわ」
二人がだんだんと喧嘩腰になってきたので、ヴァンは話題を変えようとした。
「ところで、マチルダさん。魔法についてもう少し教えて欲しいんですけど」
気が高ぶっていたマチルダは我に返って返事をした。
「……いいわよ。何かしら」
「何で学校ではライブラリを使わないんでしょうか」
マチルダは「そうねえ」と呟いた。
「まず、杖に入ってる記憶装置が高すぎるから、クラス全員にライブラリが使える杖を持たせられないというのがあるわね。それに学習の点でも、どんな風に魔法が発生するか学ばないといけないの。今学校に置いてあるのは大体コンパイラとホワイトリスト機能のみの杖ね」
「ホワイトリスト?」
「一言一句間違いなく詠唱しないと発動しない仕組みのことよ。スペルミスによる事故が起きない代わりに、リストに乗っていない詠唱はいくら正しくても発動しないわ」
「だったら普通の魔法使いも全部そのホワイトなんとかにすれば安全なんじゃね?」
聞いていたパリスが尋ねた。
「ありえないわ。ホワイトリスト式は性質上『自分の前方5メートル先で竜巻発生』とかの相対位置の魔法しか唱えられない。『あの木を燃やす』みたいな絶対位置の魔法は無理なのよ。戦闘中に唱えたい呪文を杖に登録させるのは記憶容量的にも手間的にも無理ね」
「すまん言ってることが分からん」
「つまり実践で使えないのよ」
「ははあ」
「私もノンスペルが出来るのは一部の簡単な魔法だけだからワードスペルを使うけど、ホワイトリストは邪魔なだけよ」
「そうだったんですね」
疑問が解けて、ヴァンは感心したようにマチルダの杖を見た。
「なんなら、ライブラリを使う魔法を見せてあげるわ」
マチルダは杖を掲げ、呪文を唱え始めた。マチルダの体から出てくる水色の光が魔法陣を形成して地面の砂を掬い上げるのをヴァンは見た。ヴァンの目の前で砂は立方体の形にまとめられて、宙に浮かびながらくるくる回り始めた。
「綺麗ですね」
「綺麗と言ったらなんだか違和感あるけど」マチルダが魔法を解除すると、砂はその場で崩れた。「なかなか便利でしょう?」
その時、話をぼんやり見ていたパリスがマチルダに尋ねた。
「ライブラリとか言ったか、それは杖の中にあるんだよな?」
急な質問に、マチルダは不審そうにパリスを見た。
「そうだけど」
「だったらさ、よく町で売ってる、つけると新しい魔法が使えるアクセってあるじゃん。あれ全部詐欺なのか?」
「ああ、あれね」マチルダは髪留めを手で触った。「あれは『動的関連(ダイナミックリンク)』という技術で使うもので、持ち運べるライブラリなのよ。私の髪留めもそれね。コンパイラは入ってないから単独では使えないけどね。でもなぜそんな事聞くのかしら?」
パリスは前方を指さした。つられてマチルダとヴァンが前を見ると、遠くに青いものが落ちていた。近づいて拾ってみるとそれは魔法用ネックレスだった。マチルダは驚愕で声を震わせた。
「こ、これ、ストームブレイドのネックレスじゃない……!」
「何ですかそれは?」
ヴァンが尋ねると、マチルダはネックレスを観察した。
「ストームブレイドっていう上位の風魔法を使えるようになるアクセサリよ。シェルパンサー程度なら10匹一度に斬れる魔法で、普通の魔法使いが持つものじゃないわ。法外なくらい高いし」
パリスは不思議そうにネックレスを見た。
「確かにそっち系のアクセサリは馬鹿に高いよな。なんでだ?」
「ライセンスの関係で生産に異常な金額を取られるのよ」
「しかしたかが呪文の塊なんだろ。解析とかして増やせないのか?」
「人間に見えない魔力があなたに見えるって言うなら、やってみれば?」マチルダはネックレスを見つめた。「それよりも、こんな希少なものが何故こんなところに……」
突然、三人は強大な圧力を感じた。そしてそれが殺気だと認識した時には、近くの木々が根本からなぎ倒されていた。咄嗟の判断で伏せた二人と、パリスによって地面に押しつけられたヴァンは横の方を見た。
そこには高さ5メートルはありそうな大蛇が、大木の横で鎌首をあげていた。体は鋼のように黒く輝く鱗で覆われていて、胴が中央から割れてそこから頭が二つ伸びていた。そのうちの片方の口の端に、魔法使いが着るローブの切れ端があった。
「なるほどコイツにやられたって訳か」
「嘘でしょ……ストームブレイドが使える魔法使いがなんでモンスター程度にやられるのよ!」
その時、二つの蛇の口が開き、その体のなから赤いオーラが流れでて、魔法陣が展開され、炎が噴射された。マチルダは即座にシールドを張ってそれを防ぐ。マチルダは呆然とした顔で呟いた。
「なんでこんな所に魔獣が……」
そして彼女は気を取り戻すとヴァンの肩を掴んだ。
「ヴァン、この近くに隠れられそうな場所は?」
ヴァンは北を指さした。
「あっちに洞窟があります」
「急いでそこに行くわよ」
マチルダが濃霧をノンスペルで呼び出すと、それに紛れて三人はその場から走った。ヴァンは迷わず洞窟へと駆け、二人はその後を走る。途中蛇の吐く炎の熱気を感じながら、三人はなんとか小さな洞窟の中に辿り着いた。
ヴァンは肩で息をしながらマチルダに訊いた。
「あれは魔獣なんですか?」
マチルダは頷いた。
「そう。魔獣は魔法を操るモンスターよ。人間でもごく少数しか扱えないノンスペルをモンスターが使えるんだから、どれくらい危険な存在か分かるでしょう?」
「獣……といっても、ありゃどう見ても爬虫類だけどな」
「昔は脳の大きい哺乳類型の魔獣しかいなかったのよ」
「それはそうとだ」パリスは振り向いてマチルダを見た。「お前魔法使いなんだろ。アイツがどんなモンスターか分かるんじゃねえのか?」
マチルダは息を整えながら答えた。
「一度でも写真で見たことあるなら一目で分かるんだけど、魔獣は文字による記述ばかりで写真はあんまりないのよ」マチルダは洞窟の中から蛇を観察した。「それでも大体絞り込めたわ。あとは斬ってみれば特定できると思う」
それを聞くとパリスの体がぴくりと動いた。
「とりあえず斬りゃいいんだな?」
パリスは剣を構えて、洞窟の外を窺った。
「パリスさん、どこに行くつもりなんですか?」
「斬るんだよ。あの化け物をな」
「任せたわ」マチルダも杖を構えた。「でも斬るのは少しよ」
パリスは洞窟から飛び出すと、身を隠しながら音を立てずに走っていき、すぐに姿が見えなくなった。洞窟にはマチルダとヴァンが残った。マチルダは洞窟の方に背中を向けている蛇をじっと見た。
「魔獣ならあの魔法使いが負けるのも納得ね」
「魔獣ってそんなに強いんですか?」
マチルダは頷いた。
「かなりね。ここ数年は出現していなかったのだけど、何故また現れたのかしら……あっ」
二人は蛇の真正面からパリスが現れたのに気づいた。パリスは素早く動けるように剣を体の横に構え、蛇の横に向かって走りだした。蛇の頭の片方が炎をパリスに浴びせかけたが、彼は大剣でそれを防ぐ。そこへもう片方の頭が噛み付こうとした。パリスはぎりぎりの所で跳んでそれを避け、その上に飛び乗る。そして炎が止むと、蛇の頭を踏み台にし、剣を振りかぶりながらもう片方の頭へと跳ねた。パリスは剣を一閃し、その蛇の頭を縦に両断した。
「あの、馬鹿!」マチルダが叫んだ。「少しって言ったじゃない! あの魔獣ががウェーブワールだったらどうするのよ!」
蛇の体内からピンク色の光が流れだし、二つに割れた頭を覆うのをヴァンは見た。すると両断された頭はそれぞれ再生し、二つだった頭は三つになった。マチルダは溜息をついた。
「やっぱり……」
その時、地面をかける音がして、パリスが洞窟に戻ってきた。
「どうだったか?」
「どうもこうもないわよ!」マチルダはパリスに食ってかかった。「少しって言ったのに、ほら見なさい、あんなに豪快に斬るからさらに面倒なことになったじゃない。ウェーブワールの頭増やしてどうするのよ」
パリスは振り返ると、「うおっ」と声を出した。
「一つ増えてる……」
「ウェーブワールは波渦蛇ともいうんだけど、切っても切っても再生するの。しかも切ったところから再生するから、胴から真っ二つにしたら二匹に増えるわ。多分あの蛇、もとは頭一つだけだったのでしょうけど、先の魔法使いがストームブレイドで増やしちゃったんでしょうね」
ヴァンは少し震えながら言った。
「弱点とかは、ないんですか?」
「あの魔獣は高い再生能力を持つから、鱗は比較的硬くなくて、しかも毒魔法に弱い。打ち込んだら溶け始めるわ。打ち込めたら、の話だけど」
「どういうことだ?」
パリスが尋ねると、マチルダは遠くの蛇を横目で見た。
「ウェーブワールは皮膚の表面に強力なシールドを常に展開していて、破っても破ってもすぐにシールドが元に戻るの。魔法を打ち込もうと思えば打ち込めるけど、シールドの再生が速いからノンスペルしか打ち込めない。私がノンスペルで使えるのは炎系と水系だけで、スペルを唱える必要がある毒魔法を体内に打ち込めないのよ」
そしてマチルダは震えるヴァンを見ると、杖を両手で強く握った。
「でもやるしかないわね。どちらの魔力が先になくなるか勝負よ」
マチルダはノンスペルで姿を消すと、洞窟から出て蛇の方に近づいた。それから木の後ろに隠れて魔法を解くと、詠唱を始めた。マチルダの体から赤い光が溢れだした。ヴァンはパリスに話しかけた。
「どうやら炎系の魔法のようです」
「そうなのか? だが炎は呪文を唱えなくていいとか……」
「おそらく、より強力な魔法を使うんですよ」
マチルダから出た光は蛇のまわりで魔法陣となり、巨大な炎の渦を吹き出して蛇を焼いた。20メートル程離れた洞窟でも熱気を感じるほどの炎に、ヴァンは腕で顔を覆った。蛇は火だるまになったが、そのうち炎が消えると、驚くことに無傷で立っていた。しかしついさっきまで蛇を覆っていた白いオーラが無くなっていることにヴァンは気がついた。
マチルダはノンスペルで細い氷の柱を大量に召喚し、一斉に蛇へと打ち込んだ。柱は蛇の全身を貫通してダメージを与えたが、すぐにシールドが再生し、ピンク色の光が傷を癒した。彼女は追加で魔法を詠唱しようとしたが、蛇は彼女が隠れていた大木に尻尾を叩きつけた。マチルダは衝撃で大きく吹き飛び、洞窟の近くに転がった。
「おい大丈夫か!」
パリスが叫ぶと、マチルダは手を小さく振った。
「シールドが間に合ったから特に怪我はないわ。でも詠唱破棄してなかったら死んでたかもね」
蛇は周りを見回して転がっているマチルダを発見すると、地面を揺らしながら迫ってきた。そして口から次々と炎を浴びせかけた。彼女はシールドで防御して走りだした。三つの頭は代わる代わる炎を浴びせるので、マチルダにシールドを解く暇はなかった。
「まったく頭のいいヘビね」マチルダは額の汗を拭った。「攻撃できるのが私しかいないことと、シールドしている間は攻撃できないことをよく分かってるわ」
次々と攻撃を受けるマチルダを見ていられなくなったパリスは、洞窟を飛び出し、蛇がマチルダに叩きつけようとした尻尾を剣で止めた。マチルダはふう、と息をついた。
「あら助かるわ。ついでにどうやって倒せばいいかも考えてくれないかしら」
「まだ思いつかねえ」
二人が蛇の攻撃を受けている間、ヴァンは洞窟から蛇を観察していた。彼が目を凝らすと、鱗一枚一枚の動きがよく見えた。しばらく観察していると、ヴァンはあることに気がついた。そしてパリスが洞窟のそばを走っている時、彼に声をかけた。
「パリスさん! 少しいいですか!」
「なんだボウズ、そこに隠れてろ!」
パリスの言葉を無視してヴァンは続けた。
「あのモンスターの尻尾から4メートルくらいの場所に乗れば、攻撃されないと思うんですけど」
「はあ?」
「鱗の動きを見たら、一枚一枚の可動範囲が限られていることが分かったんです。つまり鱗が硬いので、一定以上体が曲がらないんですよ。だから今言った位置なら尻尾も届かないし、魔法も届かないかと……」
「あんなに速いモンスターの鱗が見えるかよ」
「見えるから言ってるんです」
パリスは蛇を見た。確かに鱗は見えたが、その一枚一枚の角度など到底捉えきれなかった。ヴァンの言葉を無視して走りだそうと思ったが、その時パリスは昨夜のヴァンの言ったことを思い出した。
『いろいろな振り方があって面白いですね』
パリスはその時深くは考えなかった。しかし今考えると、普通に振っていた剣の、細かい振り方の違いをヴァンは見ていたのではないか、とも思えた。
彼は少しの間黙った後にその場を走りだし、マチルダを執拗に追う蛇を追いかけた。パリスに気づいた蛇は尻尾を振り回したが、彼はギリギリの所で躱し、蛇の背中に飛び乗った。そしてヴァンに言われた場所によじ登り、深々と剣を突き刺した。蛇はパリスを振り下ろそうと暴れたが、尻尾も頭も彼に届かなかった。
その隙に洞窟に転がり込んだマチルダは、ぜえぜえと肩で息をした。
「中々……相性の悪い魔獣ね。スペルを唱える暇もないわ……」
ヴァンは疲れきったマチルダを見ながら、ずっと気になっていたことを聞いた。
「あの、マチルダさん。あのモンスターから白いオーラが出てるじゃないですか。あの出どころを突いたりとかはしないんですか?」
マチルダは怪訝な顔をした。
「白いオーラ? 何言ってるのよヴァン」
「ほらあそこです。微妙に薄い膜で覆われてますよね?」
ヴァンの指差す方をマチルダは目を凝らして見つめたが、何も見えなかった。
「見えないけど」
「あれ、でも……」
「この忙しい時に変なこと言わないでちょうだい。ただでさえ疲れてるんだから」
そう言うマチルダの体からピンクの光が漏れだした。それを見たヴァンは興味深そうに言った。
「あ、回復もノンスペルなんですね」
マチルダの眉が少し動いた。そしてヴァンの前に来て、驚いたようにその目を見た。
「何であなた、私が回復魔法を使ったって分かったの?」
「え、それはマチルダさんの体からピンク色をした光が————」
「嘘でしょう……?」
マチルダが小さく呟くと、今度は体から青色の光が出てきた。
「今何が見える?」
「青色の光ですね。氷か水の魔法でしょうか」
「…………」
マチルダは森に入った時に砂を浮かばせたことを思い出した。あの時、ヴァンが「綺麗ですね」といったのに彼女は違和感を覚えた。だがもしかすると、それは砂のことではなくて、砂を取り囲むオーラのことを言っていたのかもしれないと彼女は思った。
そしてマチルダは、信じられないながらもある結論に至った。そしてヴァンに話しかけた。
「ヴァン、あなたの言う、白いオーラを放出している場所というのはどこ?」
「三つの頭の、それぞれ喉下30センチの場所の少し右側です」
「分かったわ」
マチルダは姿を隠して洞窟を出ると蛇に近づき、背中に乗っているパリスに叫んだ。
「パリス! 魔獣の喉の下30センチのところを剣で突きなさい! 少し右側のところよ!」
「何でだ?」
「いいから早く!」
パリスは剣を蛇から勢い良く引きぬいた。傷口から血がほとばしる。
「まったく簡単に言ってくれるよな」
蛇の背中から飛び降りたパリスは、蛇の正面へ走ってその頭を見上げ、刺す場所を確認した。
「なるほど、あの場所を刺せばいいのか」
そして襲いかかってきた蛇の尻尾に飛び乗ると、そこから蛇の頭に向かって跳ねた。しかしそこには、魔法陣を展開した蛇の口があった。
「やばっ!」
蛇が炎を吐き出したのと、マチルダがパリスにシールドを張ったのは同時だった。炎が止んだ時、パリスは傷ひとつ無かった。マチルダは呆れた顔をした。
「格好いいのと命知らずは違うのよ、パリス」
「ありがとな」
パリスはそのまま剣を突き出し、蛇の喉を貫いた。その瞬間その頭を覆っていた白いオーラが消滅したのをヴァンは視認した。簡単な魔法を放った後、マチルダは口を開いた。
「パリス、その頭は斬ってもいいわよ」
「本当か?」
「その頭だけならね」
氷の破片を飛ばしても弾かれなかったのを見たマチルダは、その頭にもう魔力が通っていないことを確信していた。パリスは突き刺した剣をそのまま捻り、勢い良く蛇の頭を切り裂いた。頭が吹き飛んでも再生する様子は見られなかった。
「この方法ならわざわざ上位魔法でシールドを破らなくてもいいわね」
マチルダはノンスペルで無数の氷片を作り出すと、蛇の頭の一つに向かって飛ばした。氷片は全て蛇の喉の一点に当たり、そして弾かれていく。しかしヴァンは、その場所を流れるオーラの流れが止まっていくのを見た。
そして頃合いを見計らって、マチルダは巨大な氷の槍をノンスペルで形成し、その場所に打ち込んだ。槍は弾かれることなく深々と喉に刺さり、蛇を貫いた。
「細かい氷片で魔力を止めて、別の魔法を割りこませる『ピング』っていうスキルなんだけど、案外通用するものね」
マチルダは蛇から離れるように走り、パリスに叫んだ。
「パリス、足止めお願い!」
パリスは剣を構えて立ちふさがった。体で攻撃したらジャンプされると学習した蛇は物理攻撃を止め、代わりに炎を吐いた。パリスは剣でそれを弾いた。
その間にマチルダはスペルを唱えた。20秒ほど詠唱すると、彼女の周りに毒々しい色の槍が浮かび上がり、蛇に向かって放たれた。槍が蛇の頭を貫くと、その頭はたちまちどす黒い色に染まっていった。もう片方の頭は急いで腐り始めた頭を噛み切った。地面に落ちた頭は黒い液体となって飛び散った。
それからマチルダは再び呪文を詠唱し、風の渦をパリスにまとわせた。
「最後の首はあなたにあげるわ。またピングやるのも面倒だし」
「悪いな」
魔法で一気に高く飛んだパリスは、蛇が炎を吐く前に剣を振りかぶった。
「さっきはしくじったが、今度は仕留めるぜ」
パリスは蛇の頭の上から、魔力を放出する器官を通るように剣を振り下ろした。蛇はその一閃により両断され、血しぶきを上げながらゆっくりと地面に崩れ落ちた。そして二度と再生することはなかった。
地面に着地したパリスは、魔獣の死体を振り返った後マチルダに声をかけた。
「で、どうすんだコレ」
「対策機関に連絡すれば研究班が喜んで回収しに来ると思うわ」
「ふうん」
「そんなことよりも」
マチルダは洞窟からこちらを窺うヴァンを見た。
「もっと凄いのが、あそこにいるわよ」
ヴァンの家に戻ると、三人はテーブルについた。そしてマチルダが口を開いた。
「ヴァン、あなたは————」
そう言ってマチルダはヴァンの目を見た。
「魔力が見えるのね」
「魔力、ですか?」
言われたことが飲み込めないヴァンはオウム返しに言った。
「ええ、あなたが見ている光のオーラは、魔力の流れよ」
「おいお前人間には魔力は見えないとか言ってただろ」
「だから驚いてるのよ」
パリスの反論を聞いたマチルダは、ポケットから落ちていたネックレスを取り出した。
「今からこれに魔力を流し込むわね」
そしてすぐに、ネックレスの周りに膨大な量の文字列が表示されたのをヴァンは見た。マチルダはヴァンに質問した。
「本来はここからライブラリの読み込みを行うのだけど、ヴァンの目には今何が映ってるかしら?」
「文字が沢山現れています」
「上出来よ」
マチルダは口元を抑えて笑った。
「自分が情けないわ。さっきまであなたの事ばかり心配していたのに、今では魔力の見える人間を目の前にして連れて行きたくてたまらなくなってる。自分のことしか考えていないのは私の方ね」
そう言ってマチルダはヴァンの両手を握った。
「前言撤回するわ、ヴァン。あなたは私の人生を賭けてもお釣りが出る位価値を持つ人間よ。私にとってね。だからこちらからお願いさせてもらうわ」
そして彼女は頭を下げた。
「ヴァン、私の旅に来てもらえないかしら」
そこに、黙って聞いていたパリスが口を挟んだ。
「おいお前、勝手に進めんな。ボウズは俺が連れて行く」
「なによいきなり」
マチルダはパリスを睨んだ。パリスは話し始めた。
「ボウズは稀に見る動体視力の持ち主だ。俺にすら見えない鱗の動きが見えるんだからな。それに戦いのセンスもある。筋力を考えれば少しアレだが、それでも鍛えれば相当の戦士になれるはずだ。素質は十二分にある。だから俺が連れて行く」
そして一息入れてこう言った。
「それにメシが上手いしな」
「そうね、料理がとても美味しいし」
その点はマチルダも同意した。
「だから私も連れて行かない理由がないわ。あなたこそ勝手に進めないでちょうだい」
「うるせえ、お前あんなに拒否しまくってたじゃねえか。現金な奴だな」
「それを承知でこちらからお願いしてるのよ。それに現金なのはあなたもでしょ」
口喧嘩が始まったので、ヴァンは狼狽えた。
「パリスさんもマチルダさんも落ち着いてください」
そう言われて二人はヴァンを見た。
「じゃあヴァンに決めてもらいましょう。それなら公平よ」
「なるほどそれはいいな。おいボウズ」
いきなり呼ばれてヴァンは狼狽した。
「は、はい」
「ボウズは俺とコイツ、旅するならどっちを取る」
ヴァンは黙ったあと、恐る恐る尋ねた。
「あの、お二人とも、本当に僕が付いて行ってもいいんでしょうか」
二人はすぐに頭を縦に振った。
「ええもちろん。こっちがお願いしてるくらいよ。手のひら返しと思われても仕方ないけど、あなたがそれだけのものを持ってるということよ」
「お前には才能がある。それをこんな所で腐らせとくのは勿体ねえ」
そう言われて初めて、ヴァンの目が輝き始めた。二人が見守る中、ヴァンは暫く考え込んだ。
しばらく経つと彼は顔を上げてこう言った。
「あの、この三人で旅をするというのは、駄目ですか?」
マチルダとパリスは顔を見合わせた。そして口々に文句を言い始めた。
「なんでこんな危なっかしいのと一緒なのよ」
「おいなんでこんなうるさいのが付いてくんだよ」
二人から問われたヴァンは静かに言った。
「だってお二人とも仲いいですし」
そして彼はにっこりと笑った。
「それに、絶対楽しい旅になると思うんですよ」
その笑顔を見て二人は何も言えなくなった。そのうちマチルダはパリスに尋ねた。
「あなたこれから何処行く予定だったの?」
「俺か? 俺は北のノルデン地方へ行くつもりだったが」
「なら方角は私と同じね。途中までならついてきてもいいわよ。途中までなら」
「そうだな。途中までならお前を連れていってやってもいいぜ。途中までならな」
それを聞いてヴァンの顔が更に明るくなった。
「ありがとうございます!」
二人はヴァンの顔を見て口元を緩めた。そして椅子から立ち上がったマチルダは口を開いた。
「だったら事務的な処理が必要だから、もう少しこの家に泊まる必要があるわね。学校やら住民票やら。でも書類の鬼と呼ばれた私に任せなさい。一日で終わらせてあげるから」
「俺はそれまでここでゆっくりしとくか」
「何言ってるの」マチルダは財布から紙幣を取り出してパリスの顔に叩きつけた。「”今のところ”あなたは旅の仲間なのよ。ヴァンと一緒に食料買って来なさい」
「仕方ねえなあ」パリスは面倒臭そうに立ち上がった。「よしボウズ、じゃなかったヴァン、俺についてこい。商品の正しい値切り方を教えてやる」
「名門出身なのに意外とケチなのねあなた」
「おい行くぞヴァン。事務処理しか知らん女は放っておけ」
「少し待ちなさい。どうせ役所にはあなたも行く必要があるのよ。身分証明書出しなさい」
急に家が慌ただしくなりヴァンは嬉しくなった。パリスとマチルダが先に外に出たので、ヴァンは二人の荷物を簡単に整理したあと、玄関を出た。そして彼は家を振り返った。そして考え事をした。
自分は明日か明後日にはこの家を発つだろう。そしたらいつ戻ってくるのだろうか。そうヴァンは考えた。
今まで家は孤独の象徴だった。しかし孤独なのは家でなくて自分であった。それを打ち破る為に旅に出るのだ。
これからの旅では危険が伴うし、今日みたいに命の危機もあるかもしれない。それでも彼は旅に出る覚悟をした。
そしていつか、誇りを持ってこの家に帰れるような人になる。
そんなことを決心して、ヴァンは二人の所に走っていった。
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