この世に奇跡なんてあるだろうか
テレビではよく見かける 俗にいうドラマだとか恋物語だとかで
歌でもよく見かける 君と出会えたのは一億分の一の奇跡だとか
作られた話の中の奇跡なんてだたの構成に過ぎないし、一億の人間と知り合いになった奴はいないからせいぜい百分の一だ
だけど俺、身曾岐晴明(みそぎはるあき)は奇跡は信じている
ただそれは世間一般にいう奇跡ではなくて”解釈としての奇跡”だ
難病を治るのは本人の祈りではなく医学の恩恵であり、馬の合う異性のパートナーが見つかるのは本人が互いの理想に近づく努力をするから
奇跡とはそういうものだと思っている
”本人の自覚の有無に関わらず論理的原因があって結果として一つの事態に帰結する”
それを本人が神のおかげなんて言っても神なんていない訳だが神という存在を置くことによって現状に幸福を感じるならば
それは存在する奇跡だと思う
解釈と呼んだ方が正しいのかもしれない
物理学でもなければ思考に正解などというものはない
大昔の人は嵐が吹けば天狗の仕業と考え、人が急に姿を消したら神隠しと呼んだらしい
だから神も妖怪も言ってしまえば考え方から生まれたものなのだろう
けど本人が納得する考えがあればそれが正解だ。正解は人の数だけ存在する
「・・・ぃ・・・てんのか・・・おいあんた!」
後ろから思い切り肩を揺さぶられた
振り向くと後ろで中年男性が目を吊り上げて怒っている
「おいお前聞いてんのか?混んできたからそっちのレジやれって言ってるだろ!?」
俺の望んでないこの状況も神様が強いたことなら奇跡と解釈できる
「すみません、今行きますっ!」
信じれば自分に幸福だと言い聞かせることが出来る
「お待ちのお客様こちらへどうぞー」
バイト先の同僚と馴染めなくても
「・・・が一点、お飲み物が二点・・・」
信頼のおける友人が一人もいなくても
「お会計972円になります」
俺が幸せだと思うならこれは幸せなことなのだ、思い込みでも暗示でも幸福感が得られれば今日を生きることが出来る
「ありがとうございましたー」
4人目の客を見送り俺は控室に入った
今着ていたこの緑と橙の制服はそこそこ気に入ってる、そう思うことにしているから
「時間になったんで上がりますね」
深夜の店内で声をかけられた店長はお疲れ様の一言も言わずに携帯をいじり続けていた
だから俺もお疲れ様など言わずに店を出る
冷たい空気が俺を迎えた。やや紅みを帯びた満月が天蓋に描き出されている、涼しい季節も終わるのだろう
もうすぐ夏が来る
代わり映えしない平和な日々
世の中そういうもんだ。着慣れたコートを羽織っていつもの方向へ歩き出す
行先はいつものスナック、いつものカウンター席だ
スナックといっても歓楽街からやや離れた場所にあり静かで喫茶店に近い雰囲気の場所だ
誰にも邪魔されず安い銘柄のお酒をちびちびやりながらどうでも良いことを徒然と考えるのが俺の日課でもあった
しかし今日はお気に入りの席に先客がいた。
高そうなドレスを着た少女だ
繁華街には似合わない容姿にほんの少し見とれたが少女は飲みかけのグラスを置くと入口に立ちぼうけのこちらを見てにこりと微笑んだ
およそ少女らしくないぞくりと来る笑みだ、不愉快ですらある
席を取られていたこともあり、あてつけのつもりで隣の席に座った
ボトルキープしていた焼酎をバーテンに頼む
「またあんたか…安酒で長居して…」
ぶつくさ言いながらも棚から瓶を出したバーテンは乱暴にお酒とグラスを置き向こうへ去っていく
酒瓶を確認しながら横目で少女を盗み見た
見るからに胡散臭い変な少女だったがだからこそ興味が湧いているのかもしれない
長い紫色のドレスを着た…少女か?水商売の女にしてはいささか若い
腰まである金髪は束をいくつか作り先を赤いリボンが結んでいる
目の前の高そうなワインを楽しそうに飲んでいるところを見ると成人はしているようだ
変なものには目がないという程ではないが普通のものに関心がない性格は今に始まったことではない
せいぜい高い絵画でも買わされないように気を付けるとしよう
「あら?私はそんなもの売りつけません」
「っ!!」
お酒を杯に注いでいると突然女に話しかけられた
初対面にいきなり話しかけるなんてこの女おかしい
いや待て、どうして口に出さない思考に突っ込みを入れてくるんだろう?
なるべく平静を装いつつお酒で喉を濡らす、突然のことに味を感じる余裕さえない
得体の知れぬ恐怖に心臓が鼓動を速めたのが分かった
「えっと、なんのことでしょう?どうしたんです?」
「ん。そうね…貴方がこちらの世界の常識を持ってる人だから」
意味が分からない。会話が成立しないところをみるにやっぱ頭おかしいのか、いやそういう問題ではない
普通ではない少女に更なる興味を抱く自分を感じ始めていた自分もおかしいのかもしれない
「ヒントをあげる。海は青く空は青い、けど同じ青なのにそれらが地平で混ざらないのは何故なのでしょう?」
・・・?何を言いたいのだろう、何かの謎かけだろうか
とりあえず頭を巡らせる
そもそも空が青いのは大気の層の厚みとレーリー散光が原因だし海が青いのは水分子に波長の長い光が吸収されるからだ
でもそんな義務教育レベルの事を真面目に考えてもつまらない、少しひねって考えてこう答える
「空も海も本来、同一視出来たものだったけど神様が地平線を作って二つに分けたんだ」
「・・・・・ご名答、よく分かったわね」
少女の表情には驚きが映ったがすぐに楽しそうな顔に戻る
俺はほっとした。少女が一瞬驚いたのは今のが予想外の答えだったからの筈だ。不意をつけたという事は先ほどのは読心術などなくただの偶然だろう
ついでにこんなつまらない事を正解というのは元から真面目な会話をする気がないという証だ、からかいなのだ
俺は警戒を解いて今夜はこの少女とからかい合うことに決める その方が楽しいかもしれない
「ではその神がこんな事をしたとしたらどうでしょう?」
目をつむって少女の話に聞き入る
今夜はほろ酔い加減で他人のお伽噺に聞き入るのも悪くない
「この国には沢山の神がいます、でも人々は文明が進むと段々神を信じなくなりました」
「神様は人間に信仰されないと力を失っていきます、神様はどんどん消えていき地平線を操るその神様も焦り始めました、このままでは全ての神がいなくなると」
「そこで賢い神様は考えました、神様を信じる人を集めて閉鎖的な国を作ろうと。幻と実体の境界を作ったのです」
まるで鎖国だ。もっとも現代ではどんな場所でも電波が入るし鎖国はもう出来ないだろうけれど
「その方法は成功しました。国の外で忘れられ幻となった神様はどんどん国内に入ってきてどの人間にもその存在を信じられるようになったのです」
「へぇ、良い話ですね。それでその国を作った神様はどうしたんです?」
「人間と共同で境界を管理しています、けど自身は自由に境界を越えられるので時々外の世界を覗きに来るのですわ」
「面白そうですね、外に来て何するんでしょうか?」
「神様を信じる人を国内に連れてくるのです。そう、あなたのような、ね?」
突然冷たい風が頬を撫でた
夜のスナックの喧騒が遠のき、風が木々を揺らすざわめきと入れ替わる
慌てて俺は目を開けた
焼酎など目の前から消えていて、いやそれどころかカウンター席もバーテンも居ない
慌てて周囲を見渡すが見慣れたコンクリートジャングルなど面影もない、ただ広葉樹の森林が広がるだけだ
「ようこそ、幻想郷へ」
突然の事に理解が追いつかない頭へどこからかあの少女の声が聞こえた気がした
・
・・
・・・
気づくと俺は見知らぬ土地に立っていた
さっきまでいたはずのバーはどこだろう
いや、そもそもあの少女はなんだったのか
ただのおかしな少女ではない、この現実離れした事態に置かれているのは疑わなくともあの少女が原因のはずだ
ここは夢などではない、こんなに意識がはっきりして景色も鮮明な夢など見たことない
何をしたか知らないが俺はあの少女に拉致されたとみて間違いないようだ、いや神隠しというべきかもしれない
とりあえず落ち着いて目を瞑り深呼吸をする
ゆっくりと理性が戻ってきた
…いやバイトの次のシフトは三日後だ
それまでに帰れば何も問題はないだろう。親には旅行してきたとでも言おうか
何故か分からないが不思議と心は落着き早くもここの雰囲気に馴染んでいた
空気が薄いせいだろうか 標高はかなりあるのかもしれない
何にせよ夜の山に装備無しで入るのは無謀である
遠くも見えずいつ獣に襲われてもおかしくない
そこらじゅうの茂みや梢から何かに見られている気配を感じる
慌てて俺は歩き出した、この場に留まり続けることは危険である
・・・40分ほど歩き続けただろうか、原生林かと思うほどに茂っていた木々は段々と姿を消して行き、やがて石階段が現れた
階段は真っ直ぐ続いており神社の鳥居のようなものが見える
道路でない事は残念だが神社があるという事は人がいる筈だろう
「ふぅ…。助かった…。」
固くなった足の筋肉をなんとか説得して階段を登り始める
鳥居にかかっている社名には『博麗』と書かれていた
落ち葉の無い参道は誰かが掃除して管理している証拠でもある
「ここはどこの神社だろう・・・」
小さな拝殿に人気は無く、賽銭箱が寂しそうに正面に置かれている
そういえば財布を入れた鞄はバーの席に置いてきた
一文無しで拉致された境遇ならちょっとばかし拝借しても神様は許してくれるかもしれない
賽銭箱を覗きこもうと腰をかがめると、
「泥棒を見たら三十匹いると思え」
突然背後から頭を強く叩かれ鋭い声が響いた
振り向くと巫女の恰好をした少女が大幣(おおぬさ)をこちらへ向けている
ご立腹のようだ、慌てて謝罪する
「す、すいません!気がついたらここにいて!・・・でも帰り道が分からなくて・・・」
「あん?何言ってんの?まっすぐ帰れば里じゃない、だいたい真夜中に神社なんて…ってあれ?妖怪はどうしたの?」
妖怪?聞きなれない言葉に顔をあげると巫女は困惑を浮かべている
「まさか・・・あんた外来人?」
・
・・
・・・
巫女は社務所兼住宅の縁側に座って緑茶をすすりながら俺の話を黙って聞いていた
バイト帰りにスナックへ行ったこと、そこで胡散臭い少女にあったこと、気がつくと森の中にいたこと・・・
「はぁ…また紫の仕業ね」
こちらの話を全て聞き終えると霊夢さんは頭を抱えた。あ、博麗霊夢というのがこの子の名前らしい
目の前の少女がこちらをまじまじと見つめる
「あんた、神とか妖怪って存在するって信じてるでしょ」
「え、えぇ…存在すると仮定して都合がつくなら存在してる事と変わらないと思ってますが…」
「いるのよ、ここ幻想郷には妖怪がうじゃうじゃとね」
霊夢さんは視線を遠くに移しまた深くため息をついた
俺は頭を掻いた。さっき叩かれたせいでたんこぶが出来ていたが今更霊夢さんに言い出せる勇気も無かった
「どういうことですか?外来人?それに幻想郷っていったい・・・」
「あんたがスナックってところで会ったのは八雲紫(やくもゆかり)、幻想郷を作った大妖怪の一人よ、いや一匹かな」
それから霊夢さんは幻想郷について俺に説明をしてくれた
スナックで紫から聞いた話は本当の事らしい、”境界を操る”という強力な能力を使って何百年も前にこの辺の土地を幻想のものとし多くの妖怪達を保護するために現実である外の世界との交流を完全に絶ったそうだ
しかし境界を自在に操り時折俺のように外の世界の人間を神隠しして楽しむという
「ただ、あいつは神なんかじゃなくて妖怪よ。まぁ妖怪も神も似たようなもんだけどね、神社を乗っ取っろうとしたりするし…」
何か過去に嫌なことがあったらしい、霊夢さんはしかめっ面で遠くを見つめていた
「ちなみに私は妖怪退治を仕事とする巫女なの、ついでに言えば幻想郷を包む結界を緩めることが出来るわ」
「それはつまり・・・」
「ええ、元の世界へあんたを返すことが出来るわ」
この時の霊夢さんが見せた笑顔を俺は今でも忘れられない
その後神社の裏手へ行き大幣を振り何かを唱えていた霊夢さんは暫くしてこちらを向いた
「さぁ、結界を緩めたわ。ここを真っ直ぐ進みなさい、ただし決して振り向かないでね」
「ありがとうございます、ほんと何とお礼したらいいやら…」
「気にしなくていいわ、これも博麗の巫女の仕事よ」
どうやらすぐに帰ることが出来そうだ、何度も頭を下げたが霊夢さんは少し疲れたような顔をしていた
俺は前へ向き直り神社とは反対方向へ歩き出す
妖怪が妖怪の為に作った楽園、そんな楽園で巫女を務める霊夢さんはどんな生き方をしてきたのだろう
沢山の妖怪に囲まれてそれらを退治して人間を守る。とても想像がつかない
霊夢さんの事を考えて歩きながら大きなミズナラの木の脇を通り更に進んでいった
「・・・ぃ・・・てんのか・・・おいあんた!」
後ろから思い切り肩を揺さぶられた
振り向くと後ろで中年男性が目を吊り上げて怒っている
いや、この人は確か…
「いつまで寝てんだよ!もう店じまいだって言ってるだろう!安酒しか飲まないくせに人の邪魔までしようってのかい!?」
「あ、いや、あれ? あ、すみません、すぐ出ていきます」
バーテンダーに代金を払って慌てて外へ出ると既に空はかなり明るくなっており既に太陽が昇り始めていた。朝の6時ごろといったところだろうか
「寝てたのか俺・・・さっきのは夢・・・?やけにリアルな夢だったな」
人間は何年も生きていれば一生に何度か現実のような夢を見ることもあるかもしれない
狐につままれたような顔で帰宅の路についた俺は風呂に入る時にスナックでつけた覚えの無いたんこぶに気付く事となる
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「紫、いるんでしょ、出てきなさいよ」
外来人を外の世界へ見送った数分後、霊夢は声を荒げた
「あら、つれないわね」
妖怪の賢者、八雲紫は音もなくいつのまにか霊夢の背後に立っている
「誰かのせいで睡眠時間削った挙句に誰かのせいで仕事が増えたからね」
「あら?これも霊夢のためよ?あの子の名前聞かなかったの?身曾岐晴明って名前」
「あん?知らないわよ、そもそも二人しかいないなら名前も要らないじゃない」
「守谷神社や魔住職や聖人の復活で巫女の仕事を取られそうってぼやいてたからわざわざ探してあげたのに」
「それとこれと何の関係が・・・」
「妖怪の山はかつての八ヶ岳、外の世界の八ヶ岳には身曾岐神社という神社があるそうよ」
「・・・」
霊夢は黙っていた、紫の話を耳を傾けているのだ
「神道の祖先、道教の色も濃い陰陽道。かつての日本に安倍晴明という陰陽師がいたことは知ってるかしら?」
「・・・あんたらねぇ、そういう事は先に言っておきなさいよ!」
幻想郷は新勢力が増え霊夢は妖怪退治の仕事へのプライドが揺らいでいたのだ
人里では大きな異変に何度も巻き込まれた人間達の間では厭世感が漂い自暴自棄になり始めていた
そして人心の乱れた人間達は誰ともなく騒ぎ出すだろう
「ええじゃないか」
と
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