「ふぁ〜」
 屋上の硬い床の上に寝転がりながら、レナスは大きく伸びをした。目線の先の空には雲は少なく、陽射しが優しく降り注いでいる。午前中にあった模擬戦で疲れた身体が温まって気持ち良く、そのまま眠り込んでしまいそうになるのを堪えて、明日の予定を頭の中で組み立てていると、一つしかない屋上のドアが開く音がした。
「おっと、先客がいたか」
 首だけを動かして声の主を確認すると、同じ隊に所属するフォルトだった。無造作に短く切った金色の髪が眩しい。軍服のホックと第一ボタンを外して自分の隣にあぐらをかくフォルトに、レナスは言った。
「君も休憩かい?フォルト」
「ああ。俺には休憩時間にも射撃場に籠る元気は無いんでね」
「アウィルは今日もやってるの?ちょっと真面目すぎるな。そんなに頑張らなくてもここにはアウィルに敵う奴なんていないのに」
「確かにこんな田舎コロニーで頑張ってもなぁ」
 そう言ってフォルトは食堂から持ってきた調理パンと缶ジュースをビニール袋から取り出した。下の方からは別の隊の掛け声が聞こえる。どうやらこの兵舎から少し離れたところにある競技場で訓練をしているらしい。
「おっ、ロンベールだ。ありゃあ遠距離戦闘仕様か」
 フォルトの指差す先を辿ると、遥か上空を一機の人型兵器"ヴァーン"が飛んでいくのが見えた。それを見送った後、レナスはため息混じりに言った。
「はぁ、僕も訓練以外でもあんな風にヴァーンに乗れたらなぁ。どうせこんなところに敵なんて攻めてこないんだろうからさ、もう少し自由にさせてもらってもいいと思わない?」
「ま、機人部隊の一員とはいえ俺達まだまだ下っ端だからな。しょうがねぇよ。良いじゃねぇかお前今日の模擬戦上手くやってたし」
「フォルトも調子良かったよ。でもさ、戦争とか一瞬でもいいからそんなものから離れてみたい」
「平和ボケした田舎者の発想だって笑われるぞ。俺は嫌いじゃないけどな。ほらよ、俺の奢りだ」
 笑いながらフォルトが差し出したフランクフルトを受け取って、レナスは身体を起こした。フェンス越しに見える景色は都市部よりも山間部の緑の方が目立っていて、二人のいるコロニー08がどれだけ戦線から離れているかを物語っていた。元々、自然の豊かさが売りのコロニーではあったが、本星ガーデスが惑星ベネスとの戦争中の今にあってさえ、ろくに都市部の拡大もしていないので、レナスは他のコロニーにいくらかの引け目を感じていた。とはいえ、実戦に一度も出たことがないような自分が、そんなことを思える立場であるのか甚だ疑問であるとも自覚してはいるが。調理パンを食べ終えたフォルトが思い出したように言った。
「何か最近、この基地、訓練でもないのにヴァーンの出入りが激しいだろ?」
「うん」
 フランクフルトの串を口にくわえてレナスは相槌を打った。
「あれってこの基地で何かやってるんじゃないかって噂だぜ。新兵器の開発とか。重要な拠点でもないここなら敵も攻めてこないからな」
「ないない、それこそ田舎者の発想だって」
「だよな」
二人は顔を合わせて笑った。いつの間にか掛け声は聞こえなくなっていた。
「さてと、そろそろ行こうぜ。アウィルの様子をみてやろう」
「うん」
 立ち上がろうとしたその時、警報が鳴り響いた。この基地では一度も鳴ったことがない種類のサイレン。思わずレナスは叫んだ。
「レベル3非常警戒体制!どうして」
「とにかく急いで隊長に合流だ」
二人は屋上のドアをくぐり抜け、階段を駆け降りていった。

 いつもだったら嫌々ながら上る長い階段をすっ飛ばすように駆け下りて一階の上官室に向かう。
 レナスとフォルトは隊長のいるであろうその部屋の扉を強くノックした。中から入れと声がかかる。
「失礼します!」
 中に入ると、いつもの落ち着いた書斎風の部屋が広がっていた。奥の大机の向こうで隊長は戦闘訓練時にいつも着ているボディスーツに着替えている所だった。
「レナスとフォルトか、アウィルはどうした?」
 二人を一瞥して隊長は尋ねた。
「射撃訓練中のようだったので今駆けつけているところかと」
 二人は気をつけの体勢で背筋をピンと張る。
「お前らは訓練もせずのんびりと昼飯を食っていた、と」
 鋭い眼光でレナスは睨まれた。
「い、いえ、そういうわけではなく午前の模擬戦の反省を兼ねて休憩を取っておりました!」
 レナスとフォルトは内心冷や汗をかきつつ答えた。そんな二人を見て、隊長は厳しい顔を緩ませる。
「ふっ、冗談だ。アウィルも揃うまでちょっと待つか」
 隊長はそう言いつつ椅子に腰掛けた。隊長がふとレナスの顔を見ると自分の口横をとんとんと指差して笑う。
 レナスの口元にさっきのフランクフルトのケチャップがついたままだった。慌てて拭うレナスを横目にフォルトが隊長に聞く。
「あの、何があったんですか?」
「まだよくわからん」
「はい?」
 予想していなかった答えにレナスとフォルトは唖然とする。
 だが、その意味を尋ねる前にアウィルが到着した。
 アウィルも同じように二人の横に直立体勢で並ぶ。アウィルは心配そうな顔を二人に向けたが隊長の手前かつ緊急事態のため喋っている余裕はない。
「よし揃ったな」
 隊長は三人の顔を見渡して言葉を続ける。
「—さきほどのレベル3警報だが、本部からの連絡によると敵襲だそうだ。しかし、私もその詳細についてはまだ知らされていない。とりあえず今から私達キサラ隊も本部に召集されたから向かう」
 こんな田舎コロニーに敵襲とは驚きだが、いくらキサラ隊が小さな部隊とはいえその隊長にすら詳しい情報が明かされないままの本部への出動命令、そっちの方にもレナスは何となくだが嫌な予感がした。
「わかったな?」
 有無を言わせない気迫で隊長が形式的な確認を取る。
「了解」
 三人は敬礼とともに威勢良く返事をした。

「はぁ、はぁ」
 欠かさないトレーニングで筋力は落ちていないものの、長い宇宙空間での生活ですっかり感覚がなまってしまった身体を奮い立たせ、ティセラ少尉は都市部にある機人部隊基地の格納庫へと急いだ。所属していたレータ級主力艦"ラステル"から離れ、前線から舞い戻ってこのコロニー08に降り立ち、山間部の地下に隠された秘密軍事研究所に着いたのは、わずか一時間前。そしてそこで密かに開発された、ベネスとの戦争の鍵を握る新兵器であるテルト級戦艦"ヴィサリアス"との邂逅を果たしたのが、ほんの三十分前。二週間後の出発のために軍の上層部で選び抜かれた他の搭乗員達はまだ全然到着しておらず、艦長その他少ないメンバーとの挨拶を交わし終えた直後だった。
 警報。しかもレベル3警戒体制。敵襲を告げるサイレン。これはつまりヴィサリアスが狙われていることを意味する。相手がヴィサリアスの存在をどこまで把握しているか分からないため研究所から出撃するわけにもいかず、軍用ジープをフルスピードですっ飛ばして山間部を駆け抜け、このコロニーには一つしかない機人部隊基地に辿り着いたのは五分前。ヴィサリアスの搭乗員としてこの戦争を終結に導くという任務がいくら誉れ高く、重要であるとはいえ、この僅か一時間程の流れを辿ると、少し後悔する気持ちが生まれないわけでもなかった。ため息を飲み込み、格納庫のドアを蹴り開ける。
 ここは確か第二格納庫だったか。一瞬で格納庫の隅から隅へと視線を滑らせ、規模を確認する。ヴァーンが五機、戦闘飛行機が八機。まずまずだな。ティセラは一番近くに立っているヴァーンに向けて駆け出した。
「おい、お前さん何者だ?見ねぇ顔だが」
 真っ直ぐにヴァーンへと走るティセラを見て、近くにいた中年の整備士オーウェンが不審そうな顔をして言った。
「これ、借ります」
「おっ、おい!」
 静止の声に振り返りもしないで、ヴァーンのコックピットから垂れ下がった搭乗用のロープのハンドルに手を掛けるティセラの軍服の襟についたバッジが、少尉のものであるのを見てオーウェンは口をぽかんと開けた。ハンドルについたボタンを押すとロープが巻き上げられ、全長約五メートルのヴァーンの胸部にあるコックピットにティセラは乗り込んだ。我に返ったオーウェンは、コックピットのハッチを閉めようとする赤髪の少尉に向けて叫んだ。
「あんた、それをどうするつもりだ?」
「言ったでしょ、借りるって。とにかく格納庫の扉を開けて。責任は全部私が取るから」
 閉まるハッチに何も言い返すことが出来ず、オーウェンは渋々扉に向かい、どうなっても知らないからなと毒づきながら開閉スイッチを押した。コックピットの内壁に広がるモニターで扉が開いたのを確認すると、ティセラはヴァーンを前進させた。さっきまでずっと流れ続けていた警報はコックピット内には聞こえてこず、代わりにヴァーンの駆動音が耳をつく。正面にある、外の様子を映すメインモニターを横目に、側面にあるサブモニターでヴァーンの情報を漁る。ロンベール近接戦闘仕様。兵装は三十ミリサブマシンガンと、起動すると刃の部分にレーザーが纏われる近接武器である三メートルのEブレードが一本、強化金属で出来た実剣である一メートル半のウェルトダガーが二本。隊長機相手にまともに戦えないといった事態にはならなくて済みそうだ。
 格納庫を出たところで通信が入った。基地の本部のオペレーターの顔が右側面のモニターの隅に映る。
"ちょっと待ってください!あなたは何者ですか?"
「元ラステル所属、ティセラ少尉。緊急事態のためこの基地のヴァーンを拝借する」
"拝借って……あっ本部。何?許可!?私がサポート……了解しました"
 画面の向こう側の、髪を二つに結んだ少し幼い顔つきのオペレーターは大きくため息をついてから言った。
"本部の許可が降りました。また、少尉の行動は基本的に本部の制限を受けないそうです。これ以降、私ラスティがオペレーターとして少尉のサポートをさせてただきます"
「よろしく、ラスティ」
 ティセラがそう言って微笑むと、ラスティはぶつぶつ何かを呟きながら頷いた。その様子に少し気の毒に思いながらも、メインモニターに目を戻しティセラは左右の手でそれぞれのコントロールレバーを握り、フットバーを蹴りつけた。ロンベールが背中にある二本の飛行フレームを広げ、バーニアによって飛び上がる。コロニーの仮想重力に逆らう力が、身体に奇妙な感覚を抱かせる。
「敵の位置は?」
"レーダーに送ります"
 モニター下部にあるレーダーで敵を確認する。一番近いところに三機。周りには僚機はいない。
"そろそろ敵の索敵圏内に入ります"
 基地からやや離れたところに来たところで三機とかち合った。敵は機動性が売りのヴァーン"ヴェルデア"。こんな辺境を攻めるにはかなり過ぎた代物だ。狙いはやはりヴィサリアスらしい。
"ミサイル来ます!"
 先頭の一機が小型ミサイルを放ってきた。大きく旋回しつつマシンガンで破壊。回り込むようにして近接戦を仕掛けて来た一機を、背中にさげたEブレードで迎え撃つ。量産型とはいえ近接戦闘仕様に仕上げられたロンベールは、ヴェルデアとパワーは互角だった。鍔迫り合いに持ち込んだ後、相手のブレードをいなし、一閃。レーザーライフルで射撃してくる上空の一機の攻撃をかわしつつ、もう片方に接近。格闘戦に持ち込み破壊する。
"あと一機です"
 最後の一機は味方がやられたのにも関わらず、冷静さを失わなかった。高出力バーニアと優秀な制動システムを生かした機動力で、ロンベールを寄せ付けずに射撃してくる。このままでは埒があかない、ティセラはメインモニターから目を逸らさずに言った。
「ラスティ、私の指示通りにそっちでロンベールの機体値をいじってくれる?」
"りょ、了解"
「ハルタネイト値9.6%上方修正。アンチビームコーティング43%カット。バランサー31%カット。稼働域リミット21%解除。バーニア制動装置39%カット。余ったエネルギーでエンジン出力限界値を153%にして」
"ちょっと待ってください!そんなことしたら……"
「いいからやる」
 ラスティが戸惑うのも当然だった。この値変更は機体の限界を大きく上回るような危険なものだからだ。しかしティセラは大丈夫な範囲での無茶だと確信していた。手動で済ませられるところを出来るだけパイロットの腕でカバーし、機体の制御に必要なエネルギーを節約、その分を過剰出力に使う。彼女が若くで少尉まで登り詰めた所以でもある、高度な操縦技術によってなせる技だ。
「五秒後に基準値に戻して」
"了解。カウントします。五、四"
 限界値を大きく上回るバーニア出力で加速したロンベールが、ヴェルデアとの距離を詰めていく。相手の軌道を読み、機械のアシストを最低限に押さえた操縦で飛ぶ。寸分の狂いも許されない。
"三、二、一"
「遅い!」
 後ろを取られ、旋回しようとしたヴェルデアの腰部分を、ロンベールのEブレードが一刀両断した。
"零。基準値に戻します"
 すごい、と呟くラスティを尻目にレーダーを見ると、僚機を示す点が結構な数広がっているのが分かった。どうやらこの機人部隊基地の隊員達もぞくぞくと出撃しているようだ。ふぅと一息ついて、ティセラはレバーを握り直し、フットバーを蹴った。

 隊長とともにレナス達がヴァーンに乗り込み、他の部隊と共に突如飛来した三機のヴェルデアの迎撃に向かうまで、警報が鳴ってから10分も経っていなかったはずだ。それなのにレナス達は空中に飛び出るや否や目にした光景に目を疑った。
 べネスの量産型ヴァーンの中でもそこそこコストが高く、決して凡庸とは言えない機動性重視のそのヴェルデア三機がわずか10分も経たないうちにこちらの同じく中堅の量産型であるロンベール一機に撃破されていたのだ。しかもほぼ無傷、完全勝利。
「あの動き……無茶苦茶っぷり……まさかな」
 左下のキサラ隊機通信モニターの向こうで隊長が呟いた。レナスはその言い方に引っかかりを覚えた。
「知り合いですか?」
「の動きには似ているが、あいつは今ここにいるはずがな……」
 強制通信が入った。もちろん例のロンベールのパイロットからの通信。若い女性の声だ。
「ハロー、コロニー08の各機人部隊さん達」
 激戦直後にも関わらずおどけた調子で彼女はそう言った。
 宙でたった一機のロンベールの前にこちらのヴァーンが横並びで向かい合う。
 右下のモニターを見ると隊長の眉間に皺が寄っていた。
「ティセラ……少尉!」
 少尉?!と各方面から驚愕の声が上がる。声の若さからは信じられないくらい高い階級だ。
「あっその声はキサラじゃない!あんたこんなとこにいたの?!」
 隊長をキサラと呼び捨てにするだけの間柄、ますますティセラという人間の素性の謎が深まる。
「ラスティ、」
 ティセラ少尉の言葉を無視して隊長はオペレーターのラスティにモニター越しに声をかけた。
“は、はい!なんでしょう”
 上ずった幼い声が応答する。
「少しわがままを聞いてくれ、一撃先取制模擬戦だ」
「隊長?!」
 脈絡のない要求にレナスたちの方が驚く。作戦行動中に余計な行動を取るとは隊長らしくない。そもそもこのタイミングで模擬戦とは何の意図があってのことなのか。
 はあーとため息がラスティから零れた。
“本部出動命令中ですよ、今は……”
「いいじゃない、すぐ終わらせるから」
 意外にもティセラ少尉から同意の声が上がった。ということは、隊長はやはりこのティセラ少尉と一戦交えるつもりらしい。
“分かりましたよぉ、もうほんと後で怒られても知りませんからね!”
 レナスたちは隊長の機体とティセラ少尉の模擬戦を見守るべく下がろうとした。他の隊もなんだかんだで面白そうに見守る魂胆のようだ。
「今の戦闘で疲れてたなどと後でほざくなよ?」
 隊長の挑発。隊長はブレードを右腕で抜いた。
「ふーん、相変わらずね。あんた今隊長やってるの?」
 にらみ合いながら言葉を交わす二人の会話が通信越しで聞こえてくる。
「そうだが」
「いいわ、その隊員全員でかかってきなさいよ」
「なんだと?」
 恐るべきそのティセラ少尉の余裕を聞いてこちらに動揺が走る。
「キサラ隊、前に出なさい。あんたたちの一人でも私に一撃でも与えたらそっちの勝ち、その前に私があんた達に一撃ずつ与えたら私の勝ち。いいわね?」
「は?!」
 フォルトの声が上がった。レナスとアウィルも同様だ。ヴェルデア三機を落とした凄腕パイロットと模擬戦、これを訓練の好機と考えるようなポジティブな人は流石に?
「いいだろう、その余裕。キサラ隊をもって打ち砕いていやる。お前ら出ろ!」
「ちょ、ちょっと隊長!」
「命・令・だ!」
 ここまで熱くなっている隊長を見たのは初めてかもしれない。それほどの因縁的なものがティセラ少尉との間にあるということか。止むを得ず、レナス、フォルト、アウィルの三機は隊長の後ろについた。
「キサラ、いえキサラ隊、田舎でなまったその腕をたたき直してあげる」
 大胆不敵なティセラ少尉の言葉に隊長がモニターの端でにやりと笑った。隊長が戦闘中に笑う時は本気の時だと、誰かが言っていたような気がする。
 メインモニターにブルーの開戦カウントダウンが入った。
“三、二、”
 レナスは自分がやれそうなことを考えた。まずは隊長の邪魔をしないことだろうか。キサラ隊として恥ずかしい真似をするわけにもいかない。
「行くぞ、キサラ隊!訓練どおりにやれ!」
 キサラ隊長の声が響いた。もう腹をくくるしかない。
「了解!」「了解!」「了解!」
 駆動音が高鳴り、各機体に力がかかるのが感じられる。
“一、始め!”
 レナスは勢いよくフットペダルを踏み込んだ。

 ヴァーン。主動力であるバーニアと、主に姿勢制御に使われるスラスター、重力発生装置で宙を駆る、機人とも呼ばれるこの人型機動兵器は、人類の叡智の結晶ともいえる。様々なエネルギー源を利用し、かなりの熱効率を誇る複合エンジン。軽く、頑丈な特殊合金で作られたボディ。使われている最新技術を挙げればきりがないが、中でも特徴的なのはイオタシステムと呼ばれるヴァーンの操縦プログラムだ。イオタシステムは、例えば武器を掴む、右脚部のスラスターを放出するといった、単純な数万もの動作モジュールを組み合わせ、無数の行動プリセットを作り上げ、現在自機が置かれている状況からコンピューターが自動的に判断し有効となりうる行動プリセットを算出、その中からパイロットが選択し実際に行動を起こすといった方法を取ることによって、コントロールレバーやフットバーなどの少ない操作系統でヴァーンの複雑な操縦を可能にするプログラムで、ヴァーンの核となるものの一つである。だが、いくらコンピューターの性能が向上し、行動プリセットの選択幅の拡大や最適なプリセットの選択の簡易化が進んでも、戦場においてはどうしても対応出来ない局面が出てくる。その際にパイロットは自分の操作技術によるより複雑な操縦、リアルタイムに新たな行動プリセットの構成や、機体値と呼ばれる自機のエンジン出力などの各機関の設定を手動で行うことで、そういった局面に対応することが求められ、この対応力の差がいわゆるパイロットの腕の差となって現れると言われている。そしてレナスは初めて、圧倒的な腕の差が存在しうることを知ったのだった。
「うぐっ」
 急上昇、急下降を繰り返す機体に、レナスは思わず声を漏らした。ティセラ少尉のロンベールは宙を自在に飛び回り、それに置いていかれないようにするだけで精一杯だ。少尉の動きはレナスがこれまで見てきたヴァーンの全てのそれとは一線を画しており、まるで本物の人間のような滑らかさがあった。
「レナス!フォルトに続け!」
「了解」
 隊長がそう言ったのはちょうどフォルトの乗った量産型ヴァーンである"カーライル"がロンベールに肉薄し、攻撃を仕掛けようとしているところだった。フォルトを追いかけるようにしてその後ろにつく。フォルトが右手に持ったブレードで袈裟斬りを繰り出す。
「は!」
 気合いの入った掛け声とは裏腹に、降り下ろされたブレードはあっさりいなされ、ティセラ少尉はカーライルを踏み台にして続くレナスの方へと加速した。
「俺を踏み台にした!?」
「はい、金髪君、君死亡ね」
 いくら実力差があるとはいえ屈辱的な敗北で終わってしまったフォルトの残念そうな顔を、画面越しにちらりと見てからレナスは正面から迫ってくるロンベールを見据えた。僕だって…静かに闘志を燃やし、音声入力により機体値を変更する。
「ハルタネイト値20%下方修正。腕部出力限界値120%」
 あらかじめ採集されていた音声サンプルを用いて、レナスの声を音声入力システムが識別し、指示通りに機体値を変更した。レナス、フォルト、アウィルの乗るカーライルは、ロンベールより下位の量産機であり、真っ向勝負すれば機体性能で押しきられる……そう判断し、近接戦闘に必要なパワーを機体値変更によって向上させたレナスのカーライルがブレードで横斬りを繰り出す。
 高速で衝突したブレードが轟音を上げた。何とか力負けはしていないみたいだ。相手にペースを握られないように、間髪入れずに連撃。全て軽々と防がれてはいるが、少尉に攻撃の隙を与えないことで、互角の勝負に持ち込む。
「中々やるわね……でも甘い」
 レナスの一瞬の隙をついて、ティセラはバックステップで距離を置いた。そのまま攻撃を空振りしたカーライルに攻撃を仕掛ける。
「くっ!」
 負けを覚悟したその時、目の前にアウィルのカーライルが現れた。レナスをかばうようにロンベールの攻撃を遮る。
「あたしを忘れてない?レナス。それに戦ってるのはキサラ隊。あなただけじゃない」
「アウィル!」
「とは言ってもあたしじゃ歯が立たないけどね。後は任せた」
 一撃先取制模擬戦ではサーベルなどの近接武器しか使用を許されておらず、アウィルの遠距離戦仕様のカーライルには不利だ。その上相手は近距離戦仕様のロンベール。アウィルは数回攻撃をしのいだ後、あっという間に蹴りを入れられ敗退した。その間レナスはロンベールと距離を取り、冷静に先刻のアウィルの言葉を反芻した。キサラ隊で戦う。レーダーで隊長の位置を確認し、レナスはその言葉の意味を理解した。ならやることは一つしかない。
 こちらに向かってくるロンベールと格闘戦が始まった。少尉の猛攻に何とか動きを合わせる。斬撃を払い、突きをいなす。思考する前に身体が動く。まだ、あと少し……。フル稼働する頭を突如奇妙な感覚が襲った。意識が、身体が、まるで自分のものでは無くなったような感じ。ヴァーンに吸い込まれるような。その後一回だけ少尉の攻撃をいなし反撃を仕掛けたものの、ついに体勢を崩されたカーライルに、容赦なくロンベールは回し蹴りをお見舞いした。
「はい、君も死亡と」
「だが勝負は終わってない。ですよね、隊長」
 負けたのにも関わらずレナスの顔には満足げな笑みが浮かべられていた。
「そうだ。よくやったぞ、お前達」
 隊長の乗ったヴァーン"レクトナス"が遥か上空から急降下し、ロンベールに突撃した。
「くっ」
 初めて焦った顔を見せる少尉に、隊長はそのまま連撃を繰り出し続けた。ロンベール上から畳み掛けるような形で、両者は地面に向けて落ちていった。
「重力下の戦闘は久し振りで高低差が鍵を握ることを忘れてたか、ティセラ」
「あいにくコロニーに前線はないものでね、キサラ」
 減らず口を叩く少尉の顔に余裕はなかった。通常、重力下においては近接戦の際、上に位置取る方が有利であるとされる。理由の一つには、単純に上から攻撃を降り下ろす方が攻撃が重力によって加速され強力になることが挙げられ、同クラスの機体とはいえ近距離戦仕様のロンベールに隊長のレクトナスがパワーで押しているのはこの理由によるものだ。攻撃の手を少しも緩めない隊長に防戦一方の少尉。その間にもどんどん地面は近づいていく。
「相変わらず切れのある斬撃ね」
「お前も、ボディスーツを着ないところは相変わらずだな」
「嫌いなのよあれ。何か動きにくいし」
 二機は地面まであと半分のところまで来ていた。少尉はバーニアを利用して何とか攻撃の手から逃れようとするが、隊長はそれを許さない。
「何故お前がこんなところにいる?この敵襲に関係があるのか?もしや本部が詳細を明かそうとしないのも……」
「やっぱり鋭いわね、キサラは。でも私にも一応立場ってものがある。あの頃とは違うのよ」
 隊長は一瞬複雑な表情を浮かべた。ずっと黙っていたフォルトが不意に口を開いた。
「あのー、それじゃあティセラ少尉。このコロニーで何か開発してるって噂は……」
 このタイミングでしょうもないことを聞くなよと呆れるレナスが、画面越しに見た少尉の反応は予想していたものとは少し異なるものだった。笑ってはいるのだが、馬鹿にした笑いではなかったのだ。
「ふふ、意外と踏み台君はただの無能ってわけじゃなさそうね」
 少尉の言葉に落ち込むべきか喜ぶべきか迷うフォルト。その様子に同情しながらも、当分あだ名は踏み台だなとレナスは思った。
「そろそろ決着だぞ」
 隊長の言葉通り地面はもうあと少しのところまで来ていた。横に逃れることは出来ず、後ろは地面。バーニアで急停止しようにも、その際機体バランスを取るためにどうしても生まれる隙を隊長が逃すはずがない。レナスが隊長の勝利を確信したその時…。
 一瞬機体の周りの景色が歪むと同時に、ロンベールがピタリと静止した。体勢を立て直し、隊長を迎え撃つ。
「何!?」
 隊長が驚きの声を上げた。一旦距離を取り、同じ高度に並ぶ。まさか……レナスは歪んだ景色をもう一度思い浮かべ、ロンベールの異常な動きの解を導きだした。重力発生装置を利用したのか。燃料消費量の割に効力の少ない重力発生装置は、基本的に飛行における姿勢制御などの補助的な役割しか果たしていない。それを一瞬とはいえ制限値を大きく上回る出力で動かすことで、機体の姿勢を変えることなく隙を発生させずに静止した……無茶苦茶な。機体やパイロットにかかる負荷は相当だろう。
「勝負はここからよ」
 隊長と少尉が再び激突しようとした時、ラスティから通信が入った。
"そこまでです!敵部隊がこちらの索敵圏内に入りました。敵はモブロンが二十、ヴェルデアが八機。模擬戦は中止して下さい"

 鋭い音を立てて斬り結んだブレードがティセラ少尉とキサラ隊長の間でぴたりと静止していた。ラスティの指示を素直に聞き入れて模擬戦を中断した証拠だ。
「気に食わんな、久しぶりに交わした剣戟を邪魔する輩がぞろぞろと」
「それには同感だわ。あと少しで田舎者に力量の差を思い知らせて上げられたっていうのに」
「ほう。おのぼりさんがぶったぎられるの間違いではないか?」
 前言撤回。戦いが空中からモニター越しの舌戦に変わっただけだった。
"もうー……!来ますよ!臨戦態勢に入ってください"
 模擬戦用のプログラムが終了され、メインモニター下部にレーダーが表示された。モブロンが四機とヴェルデア一機がセットで一隊だろうか、その組み合わせが五組あり、ヴェルデア三機で構成された組が一つある。ヴェルデア三機のほうは先刻ティセラが撃破したタイプだろう。ヴェルデア三機隊は奥に構えているところから見るとモブロンとヴェルデア隊より階級が高い可能性が大きい。そして強いはずだ。
 数で見ればこちらはキサラ隊四機と他の隊が四隊分の十六機、そしてティセラ少尉の計二十一機しかない。しかも認めたくはないが田舎基地の実戦経験は豊富とはいえない。出来れば向こう一隊につきこちらが二隊で当たるぐらいが理想だが、現状ではその逆の方がありうる。
「おいティセラ」
 各隊が陣形を組んで戦闘に備え始める中、隊長が少尉に声をかけた。また余計なことを言うのではないかとレナスは内心ひやひやする。
「なによ」
「そのロンベールは近接戦闘仕様だよな?」
「それがどうかした?」
 隊長がにやりと笑った。今日の隊長はよく笑う。
「私のレクトナスも幸い近接仕様なんだけどなあ」
 幸いなどと言っているが隊長のレクトナスは隊長自身の意向により、ほぼ全ての性能を短期飛行及び近接戦闘に特化させてあるため誰も使いたがらずもはや専用機体も同然だったりする。
 そんな隊長の意味深な発言の意図にティセラは気づいた。
「正気?ここに今いるのは私とキサラだけよ?あの頃とは違うのよ」
 今いるのは二人だけ、あの頃とは違う、その言葉が指す意味をレナスたちは理解できないが、隊長は何かをしようとしていることは分かる。
「それはどうかな。ここには私の隊がある。今の私はキサラ隊の隊長なんだ、ティセラもさっき十分見ただろ?田舎と侮るなよ」
「っ!キサラあんた最初からそれを私に分からせるのが狙いで模擬戦を!?」
 はーはっは、とキサラは高笑いを上げた。熱くなっても大事なことは見失わないで色々考えているのが隊長だ。
「さあどうだかな。やるか、やらないか?それだけを聞こうではないか、ティセラ少尉?」
 レーダーに映る敵の大部隊は間もなくコロニーの仮想大気圏内に侵入しようとしていた。機人部隊達のレバーを握る手は汗ばみ始める。命を懸けた実践への不安、そして恐怖が隊員を覆わんとしていた。
 その中で余裕によくわからない会話を繰り広げる隊長と少尉をキサラ隊はどう反応していいのか分からず見守っていた。
 そしてティセラがキサラによく似た笑みを浮かべた。
「分かったわよ、やるわ。足引っ張んじゃないわよ」
「望む所だ」
 そう言って隊長は隊列から少し前に進み出た。先頭に単騎浮いていたティセラの乗るロンベールに並ぶ形となる。
"どういうつもりですか、キサラさん。隊を離れては—"
「各隊、作戦を伝える」
"ちょ、ちょっと、キサラさん?"
「私キサラおよびティセラ少尉二機が突撃する。全隊、援護射撃に徹しろ」
「なっ……?!」
 ありえない作戦だった。敵機二十八機に対してたった二機で突っ込み、他の十九機は後方から援護射撃をしているだけでいいと言うのだ。そもそも他の隊に指図するなど隊長は何を考えているのか。
 全隊に動揺が走る。
「キサラ隊長、俺らの隊にまで下がっていろとはどういうことだ?」
 別の隊の隊長が若干声を荒げて言った。
「今回攻めてきているのは、数から見るにただの小隊の集まりではない、隊による連携攻撃が前提の中隊編成だ。こちらが闇雲に突っ込んで行ったら蜂の巣か切り刻まれておしまいだ。あれに対する訓練はまだここの基地では完成しきっていない上に、数が足りん。まともに戦えばほぼ確実に、負ける」
 冷たく言い放った隊長に他の隊がどよめいた。
「残念だけど、キサラの言うことは事実よ、予想以上に向こうの戦力投入が早かったみたい。こちらの応援部隊が来るのも時間の問題だけど、この一波だけは少なくとも私たちだけで乗り切るしかない」
 沈黙が訪れた。仮にも訓練してきたというのに、彼女らはこちらが勝てないと言い切ったのだ。衝撃が走っていた。
"……策を聞かせてください"
 一番最初に現実を見たのはラスティだった。ティセラは頷く。
「さっき言ったでしょ。あなた達は全力で私とキサラの援護をしてくれればいい」
"でも、それだとあなた方が"
「囮になる気なのかとでも?」
 とは隊長だ。おもしろおかしくてたまらないという言い方だ。
"いえ……"
「違うわよ」
"じゃあどうして"
「邪魔になるんだよ、私たちがしようとしていることのね」
「そういうこと」
 自信気にそう言い切った二人の機体が突然唸りをあげた。二人が準備を始めたのだ。
「強化外装解除」「強化外装解除」
 声が重なった二人の機体からほぼ全ての防御性能を高めるアーマーが取り外された。必要最低限の防御システムを残し機体は軽くなることだけを最優先した。
"な、何してるんですか?そんなことしたら一発でも喰らえば大変なことに……"
 ラスティの叫び空しく、さらに機体値がバーニア出力限界値と飛行性能に傾斜される。
「バーニア制動、バーニア出力限界値、及び稼動域リミッターを操縦系統に連動、可変モードにして」
"は、はい?"
「急げ、来るぞ」
"も、もぉー知りませんからね!"
 今日何度目になるか分からない無茶振りにラスティが応えると、二人の機体は自由度がありえないほどに高くなった。それは同時にイオタシステムによる機械制御の恩恵をほぼ受けられないことになるということでもある。
「キサラ隊、お前たちには別の命令を与える」
 不意に隊長が言った。
「な、なんですか?」
 レナスはもう何がなんだか分からない状態だからこそ、隊長の命令を聞こうと思った。そうすれば万事解決、そんな気がするのだ。
 しかし隊長の命令はにわかには信じがたいものだった。
「これから戦闘が始まったら、私がいいというまで私とティセラを狙って撃ち続けろ、いいな?」
「え?」
 耳を疑った。
「私を殺すぐらいの勢いで撃ってこい」
 何を言っているのだろうか。今の隊長の機体はそれこそ一発でも当たれば当たり所によっては大惨事になる。
「む、無理ですってそんなの」
「やれ、命令だ。大丈夫、安心しろ。お前らがどれだけ本気で狙っても私たちにはかすりやしないから。当てられないことを一番分かってるのは隊長の私だ。信じてるぞ」
 隊長はいつもの基地で見せる穏やかな微笑を見せた。さっきまでの戦闘狂のような笑みではなく隊長の優しさの表れだ。
 それを見ると急にレナスは心が落ち着かされた。こういう人なのだ隊長は。
「何を信じてるんですか、まったく」
 ため息をこぼすふりをしてレナスは首を困ったように振った。フォルトとアウィルもいつもの顔に戻っている。
「踏み台よりかはマシな仕事ですね」
 と言うのはもちろんフォルトだ。
「本気で狙いますからね」
 と少し楽しそうなのはアウィルだ。
「よし、その意気だ」
 隊長は安心したかと思うと、真剣な顔になってブレードを抜き放った。Eブレードを右手に、実剣を左手に。ティセラ少尉も全く同じ構え方だった。二人の機体は今に空を駆けようとうずうずしているようだった。
「行くわよキサラ隊!」
 空の向こうに黒々と二十八機の敵影が舞い降りたのが目に映った。
 レナスが経験する初めての命がけの戦闘が始まる。

 爆煙。轟音。一瞬一瞬が死に直結する、これまで経験したことのない、濃い時間。聞こえるはずのない悲鳴が、敵を倒す度に、脳内で鮮明に再生される気がした。汗ばむ手でコントロールレバーを握りしめる。
隊長と少尉は驚くべきスピードと複雑な軌道で敵のど真ん中を飛翔している。正直意図を図りかねていた"自分達を狙え"という言葉も、戦闘が始まるや否やすぐにその意味を理解した。自由自在に飛び回り次々と敵を撃墜していく二人の動きは自分には到底追えるものではないが、それは敵も同じようで、隊長と少尉を狙ったレナスたちの攻撃は、自然と二人を追おうとしている敵に命中するのだ。敵を無理に狙うよりもかえって当てやすい。
「いけっ!」
 アウィルがそう言って、全長三メートルの400口径バレットライフルの引き金を引いた。獣の咆哮のような銃声と共に発射された弾丸は、ベネス軍の下位量産機モブロンの胸部をぶち抜いた。子ブタの愛称で親しまれる丸みを帯びたデザインのヴァーンは、弾丸がエンジン部を貫通したのか、派手に爆発した。
「やるじゃねぇか、アウィル」
「踏み台と一緒にしないで」
「その呼び方やめてくれよ……」
 フォルトの残念そうな声を聞きながら、レナスはレーザーライフルでモブロンを一機撃墜した。オーバーロングレンジを誇るアウィルのバレットライフルと違い、レーザーライフルは射程がやや短いため、どうしても敵にある程度近づかなければならず、こちらに意識は向けられていないとはいえ気は抜けない。
「それにしても当たらないね、あの二人。あたし狙撃手なのに当てられる気がしないんだけど」
「当たったら当たったで大問題だけどな」
 隊長と少尉は少しも攻撃の手を緩めないで、敵機をきり刻んでいた。こちら側に敵が来ないよう、敵機の注意をしっかり引き付けつつ、戦場を駆け回る。援護射撃をする他の隊の兵士達も、そんな圧倒的な力を見せる二人に度肝を抜かれながらも、確実に敵の数を減らしていった。このまま上手くいけばいいが……そんなレナスの期待を裏切るように戦況が変わったのは、ちょうど半分程の敵機を撃墜した頃だった。
"敵機一部が拡散し接近!各自迎撃してください"
 ラスティの言葉通り、敵部隊の一部がこちらに向かってきたのだ。隊長と少尉はというと、おそらくこの敵群の司令塔と思われる三機編成のヴェルデアと、それに加わったもう一機のヴェルデアに苦戦している。もし残りの敵が全てこちら側に流れてくれば、数ではもう負けていないとはいえ、乱戦は必至。誰かが何とかしなければ……いや、何とかするんだ。
「踏み……フォルト。アウィル。僕があのヴェルデアをやる。援護を頼む」
「はぁ!?お前、命令は?」
「ちょっと、レナス!」
 二人の静止も振り切ってレナスは敵陣へと突っ込んだ。直後、心臓を締め付けられるような感覚に襲われる。前後左右全ての方向から敵の攻撃が自分に向けられているのが分かる。一瞬でも止まれば、死。レナスは自分を奮い立たせるようにフットバーを踏み込んだ。四機のヴェルデアの内一機に向かって弾丸の嵐の中を飛翔する。
「レナス、何をしてる!命令してないぞ!?」
 レナスの行動に気づいたキサラが言った。
「僕がヴェルデアを一機相手します」
「ふざけるな!死にたいのか!?」
「現状では隊長とティセラ少尉の負担が重すぎます。事実、敵部隊が拡散してきている。そこで僕がヴェルデアを一機受け持ちます。大丈夫、絶対に負けません。信じて下さい」
 隊長は顔をしかめたが、いつもの口調で言った。
「分かった、やれ。アウィルとフォルトはレナスの援護を。しくじるなよ」
「了解!」
 大きく息を吸って呼吸を落ち着かせてから、レナスはヴェルデアに接近しつつライフルで牽制攻撃を仕掛けた。相手の射撃による反撃を盾で防ぎ、なおも進み続ける。だが、機動性が売りのヴェルデアにはそう簡単には追い付けない。
「ぐっ!」
 急旋回によって身体にかかる負荷に耐えながら、レーダーで全ての敵の位置を把握し、攻撃を回避しつつヴェルデアを追う。機体値を随時変更し、機体の限界以上の性能を引き出して、天空を駆ける。五感から得た情報を脳が恐るべき速度で処理する。思考の仕方を忘れる。身体が反射的に動く。膨大な情報の処理に脳が悲鳴をあげ始めたその時、レナスは奇妙な感覚を覚えた。画面上に表示されている機体や周囲の状況を示す数値が、数字ではなく感覚的に知覚されたような。グラフやパラメーターで視覚的に捉えるのとは別次元の、もっと直感的な理解。機体と自身の身体が一体化した気がした。
「いける」
 そう呟いてレナスは遥か上空を飛ぶヴェルデアを見据え、加速した。機体値変更は自然と小数点第二位まで考慮した細かいものになっていた。ヴェルデアがミサイルを発射した。この位置なら大丈夫。右からカーブを描いて襲ってくるそれを、レナスは無視した。衝突寸前のところでアウィルのバレットライフルがミサイルを破壊。限界速をとっくに越えた機体が、空気摩擦とラジエーターで放射し切れない熱によって赤熱する。熱に耐えられなくなったアーマーの表面部が液化して空気中に離散し、煌めく。ヴェルデアの軌道を、バーニアの向けられている方向や機体の体勢によって読み、ライフルで相手の行動を制限しながら先回りをするように追い詰める。
「はぁぁぁぁ!」
 両手に持った実剣でレナスはヴェルデアに猛烈な連撃を繰り出した。通常カーライルには二刀流の行動プリセットは標準装備されていないが、レナスはヴェルデアを追いかける途中に音声入力によってプリセットを組み上げていたのだった。カーライルの猛攻はついにヴェルデアの防御を崩した。
「いっけぇぇぇ!」
 そう叫びながら振り抜いた二本の実剣は攻機動性ヴァーンの胴を両断した。

 戦闘の最中、ティセラは共鳴を感じた。
「!?こんなところで……?」
 意識を研ぎ澄ますと自分が知覚しきれる範囲の中で三つの同属の脈動を感じ取った。一つはティセラ自身。一つは今も背後の少し上空で戦い続けるキサラだ。もう一つを直接目にしようと戦いながら辺りを見回す。敵だったら厄介だ。
「心配するな、見当は付いている」
 ティセラの驚愕に答えるように個人通信に切り替えたサブモニターからキサラからの通信が入った。
 戦闘が始まってから今の今まで一言も会話することもなかったのに二人は一糸乱れぬ共闘を演じていた。それを可能にしていたのは戦闘的感覚と形容する他の無い曖昧でありながら確かなものだった。そこに突如新たな存在を、ティセラはもちろん、キサラも感じ取っていた。
「見当は付いてる?どういうことよ?」
 目の前に迫ってきたヴェルデアの剣戟を弾いて押し返しながらティセラは問い返した。背後は一切警戒しないでティセラは戦っていた。すぐ後ろ斜め上では背中合わせにキサラが戦っているからだ。お互いの背中を守りつつ戦う。言葉で表すならたったそれだけでも、実際にそれを成し得るには十分な訓練や技量そして何よりも互いへの信頼が必要なのだが、二人は容易にそれをやってのけていた。合わせてのんきに会話をする余裕すらある。
「きっとこの戦いで覚醒したんだろうな、見てみろあんなの普通の人間の出来ることじゃない」
 キサラが右手のEブレードで指し示した先を左カメラからの映像を見て確認すると一機のカーライルがちょうどヴェルデアを切り伏せた所だった。機体性能では圧倒的に劣るカーライルがヴェルデアを倒しただけでも驚愕に値するが、もっと驚くべき所が他にあった。そのカーライルは明らかに機体性能を超えた機動をしていることが見て取れるのだ。アーマーが溶けるほどに無理な機動をして赤く染まったその機体はそれを可能にしたパイロットの異常さを示していると言ってもいい。もう一つ気づいたことがあった。
「カーライルって二刀流プリセット入ってたっけ?」
 そんなものが下位機体に標準装備されていないことなど分かってはいながらも聞かずにはいられなかった。
「入ってるわけがないに決まって—」
 キサラが答えようとすると、またしても何か思いついたように迫ってきたヴェルデア三機に会話が中断させられる。キサラは交差させた二本の剣でヴェルデア一機の重めの一撃を受け止めさせられた。一方残る二機の内、まず一機がティセラに切りかかってきたのでティセラは左手の実剣で受け止める。それを見越して残る一機のヴェルデアが受け止めたばかりのヴェルデアの背後のティセラから見て左下から突きを繰り出してきた。押された態勢では右手のEブレードで下方からの突き上げを咄嗟に迎撃出来ないのを狙った策だったのだろう。長期化していた戦闘の流れを変えようとしたのだろうが、近接特化したティセラとキサラに対しては失策だったと言わざるを得ない。せめて三機目は銃撃にすれば可能性がまだ少しはあったかもしれないが。
「いいかげん、うざいのよ。いくわよキサラッ!」
 感覚で感覚に訴えた作戦にキサラが応える。出来るか出来ないかではない、やるのだ。
「承知した!」
 突きを繰り出した時点で勝利を確信していたであろうヴェルデア隊は衝撃の展開を目の当たりに、いや身を持って実感する羽目になった。
 ティセラが突きを止められない、その目算は間違ってはいなかったかもしれない。だが、ティセラには突きを最初から止めないという選択肢があったということを彼らは知らなかった。ティセラは押されていた方向に向けてそのままバーニアを局所的に噴射させる。当然ティセラの乗るロンベールは下に向かって加速度を得た。空中のしかも近接戦ならでは近距離回避方法だ、後ろに下がると見せてあえて下への脱却。
 同時にキサラが交差させた剣を手放した。もしそのままだったらキサラが真っ二つになっていただろうが、そんなはずもなくキサラはその一瞬の隙に両脚部のバーニアを前方に、少し遅らせて背中のバーニアを後方に向けて全力噴射していた。そうすると生半可ではない重圧を受けながらもキサラの乗るレクトナスは頭部を軸にして大きく後ろ向きに縦回転をした。平たく言えばティセラとは逆に上へ逃げたのである。ちなみにお互いが背を向けて少し上下にズレた位置にいたために一人でやるよりも圧倒的速さで二人の回避は実現したことになる。そう、ヴェルデア隊が反応できないぐらいには速く。
 全力でキサラを押し切ろうとしていたヴェルデアの実剣が加速と共に振り下ろされ、ティセラを貫こうとしていたヴェルデアの突きが鋭く繰り出された。そうして悲惨ともいえる結末が彼らに訪れた。斬撃は陽動役のヴェルデアを真っ二つにし、刺突はその斬撃の主を貫通する。
「射線を向かい合わせにしちゃいけないのは近接でも同じだ、素人め」
 キサラは逆さのまま、三機から離れてニヤリと笑った。合わせるように彼らは爆発した。
 二機の爆発に巻き込まれて突きを繰り出したヴェルデアも大破する。その光景をキサラとティセラは上下からしたり顔で見届けた。ティセラがキサラの手放した二本の剣を弾き上げるとキサラはしかと掴みなおす。
「意外と上手くいったわね」
「意外と、は余計だ。さてレナスを助けに行かねばな、覚醒したはいいものの持て余してるようだ」
 戦いを終えた二人の見やる先でレナスの乗るカーライルはレナスの願う動きに悲鳴をあげていた。ティセラはレナスの発するそれが自分達のように安定したものではなくひどく不安定なものだということに気づいていた。覚醒したてではそんなものだろう。
「それにしても……レナス君だっけ?すごい力ね、私たちの比じゃないわ。ものにしたら化けるわよ」
 二人は散らばって襲ってくるモブロンを何機か一蹴しながらレナスの元に向かう。
「当たり前だ。私の部下なんだから」
「何よ、その自信は……」
「キサラ隊にはキサラ隊の使命があるからな。使命といえば、例のヴィサリアスの調子はどうだ?こいつらもそれを狙って来てるんだろう?」
 キサラがそう言って横を見ると、ティセラは空中に静止していた。
「……どうして……?」
「ん?何がだ」
「どうしてその話を……?」
 今度はキサラが意外そうに宙に立ち止まる。
「さっき模擬戦の時ティセラが自分で噂を肯定しただろう?ってことは関係者としてここに来ていると考えるのが自然な流れだと思うが。戦闘部隊上がりのティセラが敵襲の危険も考えて一足速くここに配属、本部が口を割らないのは極秘だから、これで全部説明が付くと思ったんだが違ったか」
「違わないけど……、キサラはなんでそもそも"あれ"の名前まで知ってるのかって話よ。噂でもそんなことまで噂にならないでしょう?」
 訝しげにするティセラを見て、くくっとキサラは笑った。
「なんだ、ティセラはこの私がただこんな田舎に配属されているとでも思ってたのか?」
 ティセラは目を見開いた。
「な…………っ?!」

 ヴィサリアス開発秘密研究所から軍用ジープで、山の合間を縫うように続く道路を走り、ティセラは都市部へと向かっていた。この道を通るのは二回目だ。一回目と違い速度を大分落としているためか、周囲の景色を楽しむ余裕が生まれ、ちょっとしたドライブをしているような気すらする。
 戦闘が終わったのは二時間前。覚醒したものの戦闘継続不可能な状態のカーライルに乗るレナスを基地へと戻らせた後、二回の襲撃を防いだ。第一波と比べて第二波、第三波は戦力的にそこまで脅威ではなく、他の兵士達の頑張りもあってシビアな戦いにはならずに済んだ。最終的な被害はカーライルが三機とそのパイロット三名で、予想していた程被害は大きくなく、ティセラは胸を撫で下ろした。その後ヴィサリアスに戻り、今後の対応を艦長や軍の上層部と話し合ったのが一時間前。息つく暇もないとはまさにこのことである。
 ティセラはハンドルを切りながら、先程ヴィサリアスで見た戦闘ログを思い浮かべ、先刻の戦闘の考察をした。近距離戦仕様のロンベールによるヴェルデアとの空中戦。久しぶりの重力。キサラとの模擬戦。あの時の重力発生装置の過剰出力は正しかったのか。キサラの攻撃の手から逃れるには、どうしても出力方向に指向性が生まれてしまうバーニアではなく、指向性が無いに等しく自由な方向に機体に力を加えられる重力発生装置に頼らざるおえなかったとはいえ、限界値を大きく上回る運用によりかかる負荷は機体の右脚部の内部フレームの一つをわずかだが歪ませ、また重力発生装置自体も平均出力が18%ダウンした。これらの損害がその後のベネス軍との戦闘で足枷となったのは事実で、模擬戦での勝敗より優先するものがあったのではないかと、ティセラは思うのだった。前線からここにくるまでの間、それまで毎日にようにあった戦闘が一度もなかったせいで、色々鈍ってしまっているらしい。
 それにしても、あのレナスという名の兵士は何者なのだろう。パイロットの腕によって機体の限界以上の性能を引き出すことが出来るとはいうものの、ヴァーンが機械である以上ロンベールの重力発生装置がイカれたようにやはり物理的限界はあり、あの戦闘の時のレナスの動きではアーマーが熱で溶けるなどという事態では済まなかったはずだ。負荷がかかりやすい部位から損傷、下手すれば大破。そうならなかったのは、もはや神がかりな操縦と機体値操作だったとしか言いようがない。戦闘後は病院に運ばれたそうだが大丈夫だろうか。
 そしてキサラの言葉。わざとヴィサリアスの存在を気づかせるような応答をしてあげたと思っていたら、まさかはじめから知っていたとは。
「ま、考えてても仕方ない…か」
 ミラーに映る自分の顔に向けてそう呟き、ティセラはハンドルを握り返した。

「はぁ〜、疲れた」
 兵舎の自室のベットに倒れ込んで、ラスティはそう言った。やっと自分の担当時間が終わり、ゆっくり出来る。これまでにないほど、休みが恋しかった。初めての緊急事態に、謎の少尉に、無茶振りに。オペレーターとしてまだまだひよっこに過ぎない自分が、何でこんな目にあわなきゃならないのか。とりあえずシャワーでも浴びようと思いベットから立ち上がろうとしたその時、インターホンが鳴った。
「どちら様でしょう?」
 訊ねるとモニター越しでしか聞いていなかった声が聞こえてきた。
「ティセラよ、ちょっといいかしら」
「なっ、はっはい」
 動揺から安直にはいと返事をしてしまった自分に悪態をつきながら、ドアのロックを解除する。実際に会うとティセラ少尉はモニターで見たときよりもさらに若く見えた。部屋に入るなり机の上に置いてあるパソコンを指差して少尉は言った。
「ちょっとあなたのIDで調べものをしたいんだけど。ごめんね、すぐ帰るから」
「どっどうぞ」
 椅子に座り兵士のデータベースを漁り始めた少尉にラスティは言った。
「あの〜、少尉。質問しても宜しいでしょうか」
「どうぞ」
「少尉は何者ですか?何で本部から自由行動を許可されてるんですか?ラステル所属てことはバリバリのエリート部隊ですよね?はっ、もしかして左遷されちゃったとか?」
「んなわけあるか」
 少尉のチョップがデコに飛んでくる。
「あぅ〜」
 情けない声を出すラスティに少尉は説明を始めた。
「このコロニーにはガーデス軍の秘密戦艦ヴィサリアスが隠されてる。私は二週間後に予定されていた出発のために来た。この基地の本部もヴィサリアスの存在を知らない。そこにあの敵襲。緊急事態対応のために軍の上層部が基地の本部に圧力をかけ、私は自由行動ってわけ」
「すみません少尉、一つよく分からないのですが」
「何かしら?」
「何故私にそんな話をするのですか?それってかなりの機密情報なんじゃ」
 不思議そうな顔をするラスティに少尉は笑った。
「中々鋭いわね。でもちょっと警戒が足りないかな」
 そう言って少尉がラスティに向けたのは拳銃だった。嫌な汗が背中を伝う。
「ラスティ、あなた私とキサラの通信を聞いてたでしょ?個人通信に切り替えた時、ついでにあなたとの回線をオフにしたはずなのに、すぐにオンに切り替わってた」
 ラスティは押し黙ったままだった。盗み聞きをしたのは本当だった。機体値変更権限を使って回線をオンにして。正直、内容はよく分からなかったが。
「軍は組織。勝手な行動は許されない」
 銃口の小さな暗い穴はピタリと自分の額に狙いをつけられている。ラスティは今にも泣きそうな顔で目を瞑った。こんなところで死ぬなんて。身体が震える。
「…ふふふ、冗談よ」
 そう言って少尉は微笑み、立ち上がってラスティの頭を撫でた。ラスティの目に涙が溢れる。
「しょ、少尉〜」
「本気で殺す気ならわざわざここまで来るわけないじゃない。それに、ロンベールに私の音声データが入ってなくて、機体値操作をあなたに代理してもらったとはいえ、必要以上の機体値変更権限をあげたのは私なんだから、私にも責任がある。ま、盗み聞きは良くないからこれからはしないように」
「はい」
 しょんぼりと落ち込むラスティに少尉は続けた。
「それと、あなたヴィサリアス配属になったから」
「はい?」
「仲間に抱き込むってのが一番機密を守るのに楽だと思わない?おいおい本部から連絡が来るだろうからそのつもりで」
 なんだって。驚くラスティを尻目に少尉はパソコンに戻った。画面にはキサラ隊長の情報が映っている。
「あのぅ、何で私のIDなんですか?ヴィサリアスはもう完成してるんですよね?そこからアクセスすればいいんじゃ」
「うーん、軍全体のじゃなくてこの基地のデータベースにアクセスしたかったのよね。何か違いがないかって」
「でもそれなら堂々と本部まで行けば-」
「自由行動を許されてるとはいえ私は少尉。自分達より階級の低い私が動き回ると、この基地の上層部はあまりいい顔をしないでしょ?さっきも言った通り軍は組織なのよ。迂闊な行動は自分の首を絞める。例えその圧力が敵を同じくするはずの仲間からのものであってもね」
 そう言う少尉の顔は少し寂しそうだった。ラスティが何かお茶でも淹れようかと考えていると、少尉は立ち上がった。
「調べものはおしまい。ラスティ、迷惑かけちゃったわね」
「いえいえ、もう一つ質問いいですか?」
「どうぞ」
「ヴィサリアスの出発は二週間後って言いましたけど、その間敵はまた攻めてこないのでしょうか?」
「鋭いわね。正直、分からないってのが上層部の見解よ。もしかしたら出発が早まって、まだ集まっていない人材を、この基地の兵士から徴収するかもしれない」
「最後にもう一つ…少尉っておいくつですか?」
「……24」
 自分と六つしか変わらないなんて。口をあんぐり開けるラスティを置いて、ティセラは部屋を出た。

 握っていた剣の感触。実際に掴んでいたのは操作するロンベールのアームだったのに、まるで自分が直接剣を振るっていたかのような感触が確かに手に残っている。ずっしりと重い剣身を振り下ろし、あのヴェルデアのアーマーに弾かれつつもなお押し切り、金属に金属をのめりこませていくような感触。そして斬り切ったあとのふわっと急に力が抜ける感触。あるいはモニターの照準ではなく自分の目で狙いをつけて引き金を引いたような感じ。全ての動作が自分自身の動きだった。自分とヴァーンではなく、ヴァーンである自分が戦っているような感覚。あれは錯覚だったのだろうか。あまりに夢中だったからか、何をしたかにも確信が持てない。
—乗るな。乗せられるな。一つになれ。お前にはそれが出来る。
 そんな言葉が脳裏をよぎった。父さんがよくレナスに言い聞かせていた言葉だった。今なら何となくその意味が分かる気がする。
 レナスは重いまぶたを開けた。
「おっはよー!体の調子はどう?どう?」
 視界に映ったのは病室だった。機人基地の中だ。そして専属の医師であり兵士としても出撃することもあるユズハのあどけない顔が目に入った。見た目で言うとラスティが少女なら、このユズハは幼女といえばいいのだろうか。実際年も十二だったはずだ。だがその腕は折り紙つきどころか天才の域だ。十二歳にして医学を究めたとも言われるユズハがなぜこんな辺境の基地にいるのかは分からないが、本人はよく急ぎすぎた人生の埋め合わせで田舎の暮らしをのんびり楽しみたいと言っている。
「おはようユズハ。少し体は痛むけど、まあ大丈夫かな」
「あたりまえなのだ、ユズが治したんだからなー。病院に運ばれたとか聞いて急いで駆けつけてみればレナが傷だらけだったからびっくりしたぞ。それなのにあのぼんくら医者どもがちんたらやってるからユズが連れて帰ってきて治してやったんだ。感謝しろよー」
 道理であんな無茶をした割には身体がそこまで痛まないわけだ。ユズハの腕だけは本当にいい。
「ありがとう。ところでいい加減そこからどいてくれるかな?」
「んん?なんでだ?」
 ユズハは横たわるレナスの腰にまたがるようにして乗っていた。重くはないのだが、そこに乗る意味が分からない。
「いや、変でしょ」
「そっかなー?もしかして照れてる?恥ずかしい?」
 首を右左とかしげながらユズハははてなマークを頭の上に浮かべる。
「あいにくだけど僕はまだ男の子に欲情するほど飢えてないよ」
「むぅー」
 しぶしぶといった体でユズハはレナスの上から降りた。十二歳と言う年だけあってふざけているのか本気なのかいつも分からない奇妙な行動を取るのがこのユズハという男の子だった。そもそも白衣の下はどうみても女の子向けの服装だし、見た目もどう見ても幼い女の子だ。だけど男の子なのだ。
「で、今はどういう状況?」
 ユズハの表情が変わった。少しだけ真面目な顔つきになる。それでも女の子にしか見えないのは変わらないのだが。ただ雰囲気だけは天才らしい独特なものになる。
「覚醒したレナをね、キサとあの怖いねーちゃん?」
「ティセラ少尉?」
「そうそうティッシュ。で、だからーキサとティッシュがレナを病院に運んでーユズがこっちに引き受けてーあとねーぼろぼろだったから治しまくった!」
 基本的にこの幼女……少年は敬語を使わず人を愛称で呼ぶ。それは別に構わないのだが、ティッシュはひどすぎやしないか。
「じゃなくて、僕のことはどうでもいいからみんなは?」
「うーん?戦ってた?」
 またはてなマークが浮かんだ。
「いや僕に聞かないでよ」
「あーそうだ、二回ぐらい戦って、キサたちががんばった。でーいっとき敵なさそうだからティッシュはヴィサのところに行った。キサもなんか仕事かも。他は休んでるとこ」
 ヴィサって誰のことだろうと思いながらレナスは細切れの情報を整理してみる。レナスが戦闘不能になったあとも二回の戦闘があったようだが無事勝ったようだ。とりあえず一安心だ。
「よかった……」
 そうレナスがもらすとユズハが急に押し黙った。刹那の空白がだだっぴろい病室に訪れる。
「よくない、レナが怪我したし、二人死んだ。なにもよくない……」
 泣きそうな目でユズハはそう呟いた。
「ごめんごめん、そうだね。よくはないよ戦いは」
 よしよしと頭は撫でてやる。少ししんみりとしていたが、一時すればユズハも落ち着いた。
「おらぁっレナスの野郎は起きたかぁっ!?」
 勢いよく扉が開いてフォルトが入ってきた。
「ばか踏み台、うるさいじゃない」
 一緒に来たアウィルがフォルトの頭をはたく。
「って……レナス何してやがる。ついにユズハに目覚めたか?」
 ユズハの頭に手を置くレナスの姿をみてフォルトはぎょっとしていた。
「そ、そうなのレナス?!」
 なぜだかアウィルが異常に慌てた。
「なわけないでしょ……」
「えーそーなのー?」
 ユズハはそういいながら目元をこすった後、えへっと笑って見せた。よかった、もう大丈夫のようだ。
「そうだよ、さっきも言ったでしょ」
 ここは少しばかりユズハの冗談に付き合おう。全くどっちが助けて助けられてるんだか分かりやしない。
「そっか!ならいいの、うん」
 アウィルがよし、と頷いている。こっちはこっちでどうしたんだろうか。
「でよ、大丈夫かレナス?」
 フォルトはなんだかんだ言いながら気づかってくれているようだ。
「一応ね、おかげさまで」
「おうそうだぞ、お前が抜けるわ隊長は勝手に少尉と戦いに行くわで大変だったんだからな」
「嘘付かないの、キサラ隊が機能しないからあたしと踏み台は出撃停止で楽だったじゃない」
「おおい、バラすなよ。ってか踏み台って言うなっつてんだろ」
「ははは……。アウィルと踏み台にも迷惑かけたみたいだね」
「お前もナチュラルに踏み台って呼ぶな」
「踏み台はともかくあたしは気にしてないから安心して。同じ隊なんだから、助け合うのは当然」
「そっか、ありがとう」
「だ、だからいちいちお礼には及ばないって……もう……」
 アウィルは頬をかいて困ったような嬉しがるような表情になってそっぽを向く。
 踏み台と連呼されたフォルトは踏まれた台のように床に膝をついてうなだれていた。
「いいなー仲間って。ユズも欲しい」
 不意にユズハがレナスたちを見て少しだけ寂しそうな顔でそんなことを言った。
「ユズハも仲間でしょ?」
 そう言うとユズハは困った笑いを浮かべた。天才がゆえにここに来る前は孤独だった彼の過去をレナスたちが知る由もない。
「うーん……。うん、そうだね。もうすぐだしね」
 ユズハはにこりと笑った。
「もうすぐ?」
 その意味を聞く前にフォルトが立ち上がって、びしりと指をユズハに向けて指して言い放つ。
「ちっちっち、ガキだな。仲間ってのはな欲しがるもんでも出来るもんでもねえ。自分で作るもんなん—」
「うっさい踏み台」
「ぐはあっ、ユズハにすら言われた……」
 再起不能になったフォルトの上にユズハが座ると同時くらいに新たな来客があった。
「おっ、レナス、目を覚ましたようだな」
 もちろんキサラ隊長であった。

 先刻の戦闘が嘘のように空は晴れ渡り、心地よい風が頬を撫でる。戦いで傷ついた機体をあらかた整備し終え、気分を変えようと格納庫から日の光の下に出てきたオーウェンは、早速煙草に火をつけた。煙が風に流されて、空の青に溶けていく。
"久しぶりによく働いたもんだ"
 そう心の中で呟く。いつもは模擬戦で軽く損傷した機体の修理や調整ぐらいしか仕事がないために、今日のように何機ものヴァーンの整備をしたのは本当に久しぶりだった。中でもティセラとか言う少尉とキサラ、レナスの機体が損傷が激しく、レナスのカーライルに至っては何故動いているのか不思議なぐらいだった。出来るだけコストを押さえながらもきっちり修理するという整備士の腕の見せどころが増えるのは嬉しくはあるが、もう少し機体のことをいたわってほしいと思わなくもない。
"ま、俺が口出し出来ることではないか"
 陽射しを全身で浴びて、その温かさを楽しみながら、オーウェンは煙をゆっくりと吐いた。

「さて、フォルトとアウィルにはよく分からない話で悪いが、一つお前に話したいことがある」
 ベットの脇にパイプ椅子を置きその上に座って、自分の方を見ながらキサラ隊長は言った。いつも以上に真剣なその様子に、背筋をピンと伸ばしてレナスは答えた。
「はい、何でしょう?」
 ユズハも場の空気を感じ取ったのか、ベットを降りて部屋を出ていった。
「お前は先程の戦闘で何かを奇妙な感覚を抱かなかったか?」
 レナスは目を閉じ、ヴェルデアと戦っていた時に感じた違和感のようなものを思い出しながら言った。
「はい、こう言っては笑われるかもしれませんが、その……まるで機体と自分の身体が同化したような気がしました。自分の手でライフルを握ったり、剣を振ったり」
「そうか…他には何か感じなかったか?私やティセラの位置が漫然と感じ取れたり」
「はっはい。隊長と少尉の存在…と言えばよいのか、そんなものをうっすらと感じました」
 そう、上手くは説明できないが確かに感じた。隊長や少尉の存在を。命の脈動とでも言うべきものを。膨らむ疑問の答えを促すように、レナスは隊長を見つめた。
「レナス、お前が体験した現象は覚醒と言われているものだ。説明するには…少し話は変わるが、数字は客観性を徹底的に追求した言語だというのは分かるな?物事を一切の主観性無しに表現できる数字を使って、我々は機械を動かしてる。ただ、本質を表せるとはいえ所詮は記号、シンボルでしかないために、そのままでは少々我々には理解しにくい。数字の羅列ではそこから何かを読み取ろうとしても難しいわけだ」
 レナスはヴァーンのモニター上に表示される文字や数字の数々を思い浮かべた。
「そこでグラフや表なんかを使ったりするんだな。数値を視覚的に捉えられるようにすることで、直感的な理解を促すわけだ。そんな風に、具体性において言語の頂点にある数字を適度に抽象化することで、我々は数字で表現されたものを感覚的に理解できる。ヴァーンを操縦する時も一緒だ。機体の状態をまずは数値で正確に分析し、それを図やグラフのような情報形式とともにモニター上に示すことで、パイロットは機体の状態を理解する」
 アウィルとフォルトの方をちらりと見ると、二人は何となく分かるというような顔をしていた。
 「だが、稀に直接的に数値を理解出来る者がいる。長年の操縦によるヴァーンへの慣れか、他の要因かは分からないが、モニターに表示された数値にたいしてそれが示す事象を感覚的に知覚出来るんだ。抽象化を経ずともダイレクトに数字を読み取るんだな。数字はありのままの事実を示し、それを全て正確に読み取れる。これはもはや自機に関する全ての情報を得られることに等しい。こうした能力を覚醒と言うが、その性質ゆえに覚醒中はまるで自身がヴァーンになったかのような感覚に陥るわけだ」
 自身がヴァーンに…レナスは何故かその言葉に少し不安を覚えた。
「では、隊長や少尉の存在を感じ取れたのは?」
「その点については現在でも確証のある答えは見つかってない。諸説あるが、一番有力なのは…まずはヴァーンの説明からだな」
 そこで隊長は足を組み換えた。
「ヴァーンにはある一人の人間の魂が入っている」
「「「はい?」」」
 レナス、フォルト、アウィルは同時に聞き返した。三人とも顔に?マークが出ている。
「正確には脳の中にある全ての情報をデータ化したものだ。開発当時、ヴァーンを動かすにあたって既存の技術ではどうしても解決出来ない問題があった。行動させる際に処理すべき情報が多すぎるという問題がな。例えば歩くという単純な動作でさえ、重心の位置や姿勢、足の角度など無数の情報を処理しなければならず、到底従来のコンピューターでは実現不可能だった。そこで本物の人間の脳をデータ化し、実際に人間が行なっている情報処理を模倣、簡略化、ヴァーン用に適応させることで諸動作を少ない処理で行うことを可能にし、機人としての完成をみたわけだ。そしてこの、人と機械の融合とも言えるヴァーンの中核を担うシステムは、どのヴァーンにも搭載されている」
 人の魂が搭載された機人。ヴァーンにそんな秘密があったなんて。
「そして、覚醒によりヴァーンと一体化した人間は、他のヴァーンと一体化した人間を、データ化されてはいるが同じ人間の魂に一体化する者同士として何らかの作用が働いて知覚できる、ということだ。まぁ、本当のところはどうか分からんがな。ようは、覚醒者同士は存在を感じ取れるということだけ覚えておけ」
「はっはい」
 覚醒。自分の秘めたる力に対する期待と恐れを受け止めるように、レナスは拳を握った。

 コロニー08、機人部隊基地の上空から見下ろすとその基地の広さに驚く。ここが本当に田舎のコロニーなのかと言うほど基地が広い。むしろ田舎だからこそ基地の敷地が取れるという理由もあるのかもしれないが。何にせよ、そのせいでディべンズは目標をなかなか捉えられずにいた。空中に浮いているにも関わらず、光学迷彩で人の目には見えず、各種妨害装置で機械探知にも引っかからずに堂々と敵陣のど真ん中上空で偵察ができているというわけだ。
 べネス軍偵察特化型ヴァーン"ニグティミア"、それがディベンズの専用機だった。機体フレーム自体の戦闘性能においては下手したら量産型にも劣るほど低いが、こういう偵察任務においては他の追随を許さない隠密機能が満載の機体だ。もっともその機体を戦闘においてでも十分に使いこなし、戦えるからこそディベンズは専用機を与えられているわけだが。
 三回目の襲撃に紛れて以来、その機体の中から望遠カメラを使ってディベンズは偵察を続けていた。そもそも二回目、三回目の攻撃はディベンズを送り込むためだけの陽動作戦だったとも言える。実際に陽動に成功し、ディベンズは今も堂々と作戦行動中ということになる。
"ディベンズ、何か見つかったか?"
 生活電波に偽装した暗号通信を利用して若い男から確認の声がかかった。
「うんにゃあ、まだだねぇ。それらしい物も人も見つからないねぇ。いい加減尻尾を出してもいいのにねぇ」
"そうか。しかし、さきの戦闘であの二人らしき機動をするヴァーンがいたんだ。アレもきっとそこにあるはずだ"
「分かってるよい。じきに何か見つかるはずだよねぇ?……」
 会話の途中でディベンズはカメラからの映像に思わず釘付けになった。急いでズームし、確認する。
「おぉいおいおい。嘘じゃないのかいねぇ、ありゃあ」
"どうした?"
 ニグティミアのモニターには基地のある一点が映し出され、ある人間が捉えられていた。
「あいつだよい。間違いないねぇ。驚いたねぇ」
"誰だ?"
「おいら達が探してる裏切り者だよい。まさかガーデスにいたとはねぇ、しかもこんなとこにねぇ。もしかして元々だったのかねぇ?」
 向こうで男が息を飲む音が聞こえた。
"……あいつか。ならばいよいよもって全力で潰さなくてはいかんな"
 彼らが裏切り者と呼ぶ人間を見つけたときからディベンズの顔は意地の悪そうな笑いに変わっていた。殺したくて殺したくてたまらないとでもいうかのように。
「だねぇ。まあねぇ、最初から全力だけどねぇ……ィヒヒ!始めようねぇ、おいらの戦いを」
"馬鹿、待てまだ作戦開始には時間が—"
「知らないねぇ。お前達が早く来るといいねぇ」
 通信の向こうでため息が聞こえるのと、ディベンズの乗るニグティミアがコロニー08の上空に姿を現したのは同時だった。
 いくつもの砲身や翼を纏うだけの限りなく制動性を重視した戦闘機形態だったニグティミアが数秒で人型へと変わる。それは隠密性を捨てて戦闘形態に移行したことを意味する。射撃攻撃に特化しているのが明らかなフォルムは黒く空に輝いていた。肩や腰元から伸びる砲身に一斉にビームの収束光が灯る。たった一機で小戦艦ほどのビーム砲撃を可能とするが故にニグティミアはべネス軍の最新鋭機であり、ディベンズの専用機なのであった。

 「ええと、病棟はと—」
 ラスティの部屋を出て、ティセラはまだあやふやなままの基地の地図を思い浮かべた。兵舎の右隣の建物だった…はず。人目に付かないように気を配りつつ、目的地へと移動する。
 軍全体のデータベースとこの基地のデータベースのキサラに関する情報に大した差異は無かった。結局キサラの目的と役割を知る手がかりは見つけられず、馬鹿正直に話すとは思えないものの、直接問いただしてみるしかない。レナスの情報にも目を通してみたが、これといって目立ったものは無し。先刻の戦闘が初めての実戦だったというのには度肝を抜かれたが。このままヴィサリアスに帰るのも能がないので取り敢えずレナスの様子を見ようと病院に入ったティセラは、そういえばどの病室にいるのかも知らないことに気付き、通りすがりの若い男の看護師に笑顔で誤魔化して番号を聞き出した。最短ルートでレナスの元へと向かう。
 後もう少しで到着…というところで、曲がり角で人にぶつかった。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「いたたたた。ちゃんと前見て歩けよー」
 ぶつかった相手は見覚えのある白衣の少女だった。レナスを病院に運んだ時にいた、十二歳で軍医というふざけた天才。そしてヴィサリアスの未来の軍医でもある。身長差で前見てても気付かなかったというツッコミは置いといて、こけた少女が起き上がるのを手伝い、渡りに船とばかりに質問する。
「ユズハちゃん、だっけ?レナス君は今大丈夫なの?」
「レナはだいじょーぶ。ユズがついてたんだからな」
「なら話せるってことね」
 先を急ごうとすると、ユズハはきっぱりと言った。
「だめだ」
 小さな身体を目一杯広げて、通せんぼをする。
「何でよ?怪我は治ったんでしょう?」
「今レナはキサと話しちゅう」
 キサ…キサ…キサラのことか。これは好都合だ。
「キサラも一緒にいるのね。ちょうどよかった、キサラにも話があるの。だから通して、ね?」
ティセラが進もうとすると、ユズハはふくれた顔をして言った。
「だめ。キサは大事な話って言ってた。めんかいしゃぜつ」
 中々手強い相手だなと、攻略法を考えていると、今度はユズハが訊ねてきた。
「テイッシュは怪我無かったか?すぐ帰ったから心配してたんだぞ」
 テイッシュというのが自分のことを指していると気づくのに数秒かかったが、ティセラは笑いながら言った。
「大丈夫、大丈夫。私がこんなところでやられるわけない。それに被害も大きくなかったし」
「でも二人死んだ。ぜんぜん良くない」
 しょんぼりとうつむくユズハ。天才とはいえその顔はまだまだ幼さの方が目立つ。
「違うわ。二人で済んだのよ。たった二人でね。あの状況下ではほとんど奇跡に等しい。最善だったのよ」
「でも死んだんだ。他にもきずついた奴はたくさんいる。ユズは戦いきらい」
「誰かを守るための犠牲よ。戦いに犠牲はつきものって言い方は私も好きじゃないけど、誰かが戦わなくて済むように私たちは戦ってる。その為に傷つくなら私は本望。それに私たちだって過去の誰かの犠牲の上に成り立ってる。自ら選んだ道で死ぬなんて、犬死にじゃないだけ全然マシよ」
 ユズハはしばらく黙り込んでいたが、再び顔を上げたときにはもう深刻さはなくなっていた。
「テイッシュは冷たいな」
「所詮私に出来ることは最適解に限りなく近づくことだけって納得してるだけよ。それにしてもテイッシュて言い方はあんまりじゃない?ユズハちゃん」
「えーいいじゃんテイッシュ。それとユズは男だぞ」
「は?」
 思考が停止するティセラ。目をぱちくりさせて、ゆっくりとユズハを見直す。顔付きは女の子。白衣の下も女の子の服だ。どう考えても少女にしか見えない。確かにデータベースで見たときは性別を確認していなかった。だが、正直自分の十二歳の頃と比べてもこっちの方がかわいいのではないかと思えるほどのユズハが男だなんて、信じられない。
「あのー何の冗談をおっしゃっているのですか?ユズハ様」
「ユズはうそつかない。テイッシュはにぶいなー」
「なっ、その言い方やめんかこの女装癖の変態」
「へんたいゆーな。ティセラのティは〜テイッシュのティ〜」
「変態天才ユズハ!」
「箱ティッシュ!」

 その時、突然轟音が鳴り響くと同時に建物が大きく揺れた。とっさに庇うようにユズハに覆い被さるティセラ。揺れがおさまるとユズハがもういいというように肩を叩いたので、ティセラは立ち上がった。すぐさま耳につけた無線機を機人部隊基地本部へと繋ぐ。
"こちら本部"
 無線に出たオペレーターに矢継ぎ早に訊ねる。
「こちらティセラ少尉。さっきのは何?また敵襲?」
"敵襲です。敵勢力の詳細は不明ですが、基地は戦闘体制に入ります"
 言い終わらない内にレベル3警戒体制を告げるサイレンが鳴り響いた。
「私も出るわ。さっきのロンベール、整備終わってるでしょ?」
"はい。それと少尉、ラスティがこちら管制室に到着次第少尉のオペレートは彼女が担当するので、そのつもりで"
「了解」
 休み時間だったのにもかかわらず管制室に駆り出されるラスティを気の毒に思いながら、来た道を引き返すために振り返ると、背中越しにユズハが心配そうな声をかけてきた。
「ティッシュ……」
 黙ったままで手をひらひらと振り、ティセラは病棟の出口に向かって駆け出した。

 初めての戦闘。それだけでも大変だったというのにまさか同じ日に二度目の敵の敵襲があるとは思わなかった。聞き慣れないレベル3非常警戒態勢のサイレンが心拍数を高める。
 病室に集まっていたキサラ隊は衝撃のあった直後に顔を見合わせた。
「いくらなんでも早過ぎる・・・・・・」
 隊長が窓から外を見上げながら愚痴を言う。
"敵襲です!"
 部屋の壁に取り付けられたモニターからオペレーターの声が響いた。
「そんなことは分かっている。別部隊が来ていたのに気づかなかったのか?」
"気づけなかったんです。おそらく敵は一機、新型の偵察機だと思われます。このコロニー08外周および内部の数千個の全探知系統を突破しています" 
「な・・・・・・馬鹿な、ありえん。コロニー大気内部に入る時の物理センサーは誤魔化しようがないだろ?・・・・・・そうか、そういうことか」
"はい。先ほどの敵襲はおそらくこの偵察機を潜り込ませるための陽動だったと思われます"
「くっ、迂闊だったな。シールドは?」
"基地シールド17層が破壊されました、極めて危険な状況です"
「一撃で17層?偵察機の火力とは思えんな」
"敵機は判別不能ですが、砲撃直前に変形が確認されました。コスト無視の多機能機体、間違いなく—"
「専用機か。厄介なものを送り込んできたな」
"現在対空砲撃で牽制中しつう、ティセラ少尉が迎撃用意に入っていますが、他の隊員は先ほどの戦いで憔悴していてとても出撃できる状態ではありません。キセラさんもお願いできますか?"
「出来るも何も、出なきゃ落とされる。だが専用機なら出ても機体差で負ける可能性が高いな」
"そ、そうですが、今戦えるのはあなたぐらいしか・・・・・・"
「分かっている。ただ出るだけではマズイという話だ。ここを突破されてはヴィサリアスがいよいよ危ないからな、止むを得ないが奥の手だ」
"奥の手?"
「オーウェンにつなげ」
"え?オーウェンさんですか?"
「いいから急げ」
"は、はい!"
 ものの数秒もしない内にモニターが変わり整備室と繋がった。ヒゲが目立つオーウェンの顔が映る。
「オーウェン。私だ。このままでは危ない。あれで出るぞ」
"言うと思ったよ。もう温めてるぜ。いつでも出れるぞ"
「ふっ、さすがだな」
"まっ、プロですからな"
"あのう、オーウェンさん?キサラさん?何の話をしてるんですか?"
「隊長、何がどうなってるんですか?」
 隊長はおもむろにレナス達の方に振り返った。
 なぜここでオーウェンが出てきたのか不思議なのはレナス達も同様だった。隊長はにっと笑った。
「今に分かるさ。疲れてるお前らはここで待機だ。自分達の隊長の勇姿をしかと目に焼きつけるんだな」
 それだけ言うと隊長は走って病室を出て行った。今日の楽しそうな隊長の顔を見ていると今までとは別人のような気さえする。レナス達は顔を見合わせて苦笑した。

 空中でニグティミアの放つ弾幕を一機のロンベールがくぐり抜けていく。近づいてはいくものの、近づきすぎるとニグティミアの撃つ弾幕に隙がなくなり下がることを余儀なくされる。そんなことを何度か繰り返した。
 ニグティミアの主砲群のクールダウンが終わった。一斉にビーム光が収束し、先ほどの超火力砲撃のスタンバイに入った。
「まずくないこれ・・・・・・」
ロンベールの中でティセラの顔の血の気が引いていく。たかが一機でどうこう出来る火力ではない。避けても避けなくても基地のシールドごと消し飛ぶのは間違いない。
 モニターの向こうが光に染まってティセラが敗北を覚悟したときだった。
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
 キサラの声だった。大きな衝撃音が響いた。ティセラが目を開くと見たことのない機体が真紅の光に包まれた二本のレーザーソードを交差させてビームを切り裂き霧散させていた。
「キサラ・・・・・・なの?!」
「間に合ったな。私の専用機で出るから少し手間取ってしまった、悪いな」
 モニターの向こうでキサラ専用の機体に乗ったキサラが楽しそうな笑みを浮かべていた。
「まったく。遅いのよ」
 二人はにやりと笑った。
「よし行くぞ!」
 基地の隊員たちが見守る中、新たな一戦が幕を開けたのだった—。


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