異世界もあんまり面白いものではない。
 もう何度目になるか分からない異世界旅行の後、翔吾は畳に突っ伏してそう思った。

 翔吾は常々、何てこの世は面白くないんだろう、とこの世界に失望していた。決められたように高校に行き、大学に行き、そして多分、何の面白くもない平凡な会社に勤めるのだろう…そう彼は考えていた。
 そんなことを考えているうちに、翔吾の頭の中にある考えが浮かんだ。
 —もしかして、自分はモブキャラなんじゃないか…?—
 この世のどこかにはこの世界の主人公がいて、自分はその世界のために用意されたモブキャラ。次第に翔吾はそう考えるようになった。きっと主人公達は、この世界のどこかで面白おかしく生きているんだろう。それに比べて自分は「町で暴発があった」という8文字の描写だけで10人まとめて死んでしまうような、そんなキャラ。このような考え方は、この世を見限った翔吾にとてもしっくりきた。
 そんなある日、翔吾は自動車事故にあいかけ、その後買い物に入った店で強盗にあった。そんな珍しいことが起こったので、翔吾は強盗にあった時偶然手にしていた百均マイクをつい衝動買いしたのだった。
 そして四畳半しかないアパートに帰り、畳に寝転がった翔吾は、ふと買ったマイクを手にとってみた。灰色で、プラスチックのマイク。壁に叩きつければ簡単に割れてしまうであろう安っぽい作りだった。握りしめても壊れてしまうかもしれない。そう思った翔吾は本当に壊れるか試そうとマイクを握りしめた。その途端目の前が暗転し、気づいたら見知らぬ土地の、見知らぬ人の前にいた。慌ててもう一回マイクを握ると、再び元の四畳半の部屋に戻っていた。
 それから何度もマイクを握り締めている内に、自分は小説の世界に来ていることに気がついた。いつか小説で読んだキャラがそのままそこにいたからだ。それが分かった時、翔吾は小躍りして喜んだが、その感情は長くは続かなかった。何度も小説の世界に行く内に、ある法則に気づいたのだ。
 —自分はモブキャラ、良くてサブキャラにしか会えない—
 翔吾は小説の世界に着くとすぐに物陰に隠れてモブキャラ達を観察し続けた。最初のうちは面白かったのだが、所詮モブキャラ、なんの変化のない生活を送ってばかりで、翔吾は次第に飽きてきてしまった。そしてとうとう、冒頭の思いを抱いて畳に突っ伏してしまったのである。

 手からマイクが離れ、ころころと畳の上を転がっていき、やがて止まった。窓からは夏の日差しが容赦なく翔吾を照りつけ、彼の残り少ない気力をどんどん奪っていった。翔吾は夏の暑さと、異世界への失望による疲れから一気に汗を放出してしまった。
 「やっぱりモブキャラはどこの世界でもつまらないんだな」
 翔吾はそう呟いて仰向けになった。彼が窓を見ると、外には何の魅力も感じない世界が広がっていた。翔吾には世界にグレースケールがかかっているように思えた。唯一この部屋だけが現実味を帯びてカラーに見えるが、外の世界はこの部屋とは違うと感じた。モノクロの今日に白けた明日。翔吾はため息をついた。
 あまりに暇になった翔吾は机の上のリモコンを取ってテレビをつけた。スイッチが入った瞬間に芸能番組特有の煩さが耳に入ってきた。なにやら討論番組のようで、いろいろな作家たちが集まって自分の理想の作品について述べ合っているようだった。
 「理想、か」
 そんな作品があるのなら、ぜひマイクを握って行ってみたいと翔吾は思った。そこ行ったなら、自分は得難い何かを得ることが出来るのかもしれない。
 「でもモブキャラにしか会えないしなあ」
 そんな事を思ってテレビを見ると、司会者がマイクを持って走り回っていた。どうやらこの番組ではわざわざ司会者がマイクを持って直接聞くらしい。実に面倒だと思う反面、直接話すのもアリだな、と翔吾は思った。
 「直接話す…ねえ」
 翔吾は転がったマイクをチラっと見る。今まではただ見るだけだったモブキャラ達と会話をしたら何か変わるだろうか。しかし翔吾は俗にいう「ボッチ」の部類だ。あまり人と話すのは得意ではなく、だからこそ今まで人を避けて来た。だがしかし、よく考えてみれば小説の世界の住民はもう二度と会うことが無いであろう人々である。
 「旅の恥はかき捨て、て言うしな」
 いっちょやってみるか、と翔吾は気合を入れる。汗で濡れた服を着替え、転がったマイクを拾う。どの小説の世界に行くのか翔吾には検討もつかない。今までに掴めた法則といえば、帰りたいと思って握ると元の世界に帰れること、そして小説の世界から直接別の世界に飛べること、あとはモブキャラからある程度離れると強制送還される事、ぐらいだった。特に最後の法則のせいで、その世界を探検しようと思ってもできない。しかしモブキャラと話すなら、その制約はあまり関係なくなる。
 しかし見知らぬ人にいきなり話しかけるのも気が引けるので、何と言おうか翔吾は迷った。そんな時にテレビの司会者に目が入った。そして彼の持つマイクに目が行く。
 「インタビューならいいかもしれないな」
 翔吾は頷くと、何を持って行こうかと部屋を見回す。腹ごしらえの為に菓子を一掴みポケットに入れる。そして部屋の鍵がちゃんと掛かっているか確認すると、マイクを持ち上げた。またテレビを見ると、作家たちがまだ一生懸命しゃべっている。論題は「理想のヒロイン」に変わり、自分自身にとっての理想のヒロインを力説していた。
 「理想のヒロイン…」
 そんなヒロインにぜひあってみたいと思いながら、翔吾はマイクを握りしめた。

 1.
 永遠にも続くかと思われる反転のあと、翔吾は床に着地した。ゆっくりと目を開けると、そこは職員室だった。夕日が沈みかけていて、校庭の木々の長い影が薄暗い部屋の中に入り込んできていた。そんな職員室の中央に、長い髪の女性が一人、椅子に深く腰掛けて悠々と本を読んでいた。そして彼女の机には、彼女の名前であろうネームプレートが立てかけてあった。
 『倫理科 芙宇りえ』
 彼女—芙宇がページを一枚捲る。分厚いハードカバーの本で、その細い腕とまったく対照的だった。やがて芙宇は咳払いをすると、翔吾をちらっと見た。
 「もう生徒は帰る時間だ。それとも何だ、週番日誌か?」
 翔吾が黙っていると、芙宇は彼の手に持っているものに目を向けた。釣られて翔吾が手元を見ると、例のマイクがある。
 「そう言えば、そろそろ誰かが取材に来ると菅都先生が言っていたな。ということは新聞委員だな?」
 合わせておいた方が良さそうだと思った翔吾はコクンと頷く。それを見た芙宇は静かに本を閉じた。
 「私は何の記事に載るのかい」
 「えーっと、インタビューです。恒例の」
 この学校の新聞でインタビューが恒例化しているかどうか翔吾は知らないが、とりあえず適当に言っておいた。芙宇はゆっくり腕を組む。
 「そうか。じゃあ記事の冒頭は、『この学校に妖怪が現れた。芙宇りえという妖怪が』とするのはどうだろうか」
 翔吾はすぐにピンと来て、即座に返す。
 「そして最後は『全校生徒よ団結せよ』で占めるんですか」
 その言葉に芙宇はくすくす笑う。
 「分かっているじゃないか君。さてインタビューだったか。じゃあ私が教師になった経緯でも話そうか?」
 「お願いします」
 「よし。じゃあ座りなさい」
 芙宇が折りたたみ椅子を出したので、翔吾は一礼して座った。芙宇は翔吾をじっと見つめていたが、おもむろに口を開いた。
 「私の父は自営業だった。父は商売上手でね、私の家は他のところよりずっと裕福だった。お金も結構あったよ。ところで君、旅は好きかな?」
 芙宇が尋ねると、翔吾は頭を掻いた。
 「あんまり、興味はないですね」
 「そうか。私は旅が好きでね、いろいろな所を回ったものだ。もちろん旅は楽しい。けどな、旅はその土地の現実をまざまざと見せつけてくるんだ」
 「見せつける、ですか」
 「そうだ。私の旅した所のなかには貧しい村がもあった。彼らは明日を生きるために一生懸命働いていた。それに比べて、私は親の金で旅をして回っている。この違いは何なんだと自問自答したよ。自分にはお金があり、その人達にはない。私はそこで資本主義の弊害を見たんだ。多分その時が私の人生の転換点だな」
 芙宇は一区切りおくと翔吾を見る。彼の顔を見て、芙宇はまた話し始めた。
 「この状況は間違っている。そう私は思った。そんな時だ。フランス革命があったのは——」
 「え、ちょっと待って下さい」
 翔吾は芙宇の話を遮った。
 「フランス革命って今のは一体何の話なんですか? 絶対先生の話じゃないですよね?」
 「おや、バレてしまったか」
 芙宇は机に置いた本をひっくり返した。その表紙には大きく『Charles Fourier』と記されてあった。
 「ということ事は今の話は…」
 「私のではなく思想家フーリエの話だな」
 翔吾はがっくりとした気分になった。
 「あの、先生。真面目にやってもらえませんか? でないとインタビューが成り立ちません」
 「いいじゃないかそんなもの。どうせ君は新聞委員じゃないんだろう?」
 「え…」
 「だって君、私が話し始めてもメモすら取ってないじゃないか。そのマイクもレコーダーではなさそうだし。私服だから少し怪しいと思ったんだ」
 「あ…」
 翔吾が狼狽えると、芙宇は溜息をついた。
 「それに私の自叙伝なんて載せてもまるで無意味だ。この学校に倫理の先生を目指している生徒がいると思うかい? まだ『共産党宣言』を載せたほうが有意義だと私は思うな」
 そう言って芙宇は体を翔吾の方に向けた。
 「まあ共産党宣言ネタに免じて、新聞委員と偽ったことは許そう。ただ君はなんでここに来たのか教えてくれないか」
 翔吾は黙っていた。自分の悩みをあまり言いたくはなかったのだ。その様子で悟ったのか、芙宇が口を開いた。
 「言いたくないなら別にいい。しかし私は進路指導も担当してるからな。悩んでそうな人間をあまり放っておきたくない」
 そう言って芙宇は翔吾の顔を指さした。
 「それでも大体何で悩んでいるかは分かる。君は何やらつまらなそうな顔をしているからな。折角だから少し話をしてあげよう」
 芙宇は引き出しから紙を引っ張りだすと、裏返して文字を書いた。
 『In-der-Welt-sein』
 「日本語で言えば『世界-内-存在』、ハイデガーの哲学の基本概念だ。君はまず世界があって、その中に人間が住んでいると考えていないか?」
 その他にどんな考え方をすればいいのだろうか、と翔吾は首をひねった。
 「『世界-内-存在』は、『世界の内にある、という在り方をしているものが人間だ』という考え方だ」
 「どういうことですか?」
 「世界があって人間があるのではなく、無の場所に人間を置いて初めて世界が生まれるという感じだな。人間が生まれた時のことを考えてごらん。世界だとか自分だとかの理解はまったくない中で人間が生まれ、食べ物を取ったりおもちゃで遊んだりして自分以外の何かと関わっていく。関わるというのは自分以外の者があって必ず成立するんだ。つまり人間が生きる、存在するという時、それは必ず世界の内に存在するということになる」
 翔吾の顔を見ながら芙宇は話し続けた。
 「この周りと関わるというのが一番大切なポイントだ。人間はこの関わるというのを繰り返すうちにだんだんと身の回りにあるものを理解し、その中にいる自分というものを理解し始める、というわけだ」
 「関わる、ですか…」
 「そう『関わる』ことが肝心だ。そうだ、君は何か私にあげてもいいような物を持っていないか?」 
 翔吾がポケットを探ると、お菓子しか入っていなかった。
 「これしかないですが」
 「それでいい。それを…」
 芙宇は筆立てからペンを取り出し、お菓子と交換した。
 「なら私はこれをあげよう。これも『関わり』の一つだ。だが一番いい『関わり』は人と話すことだな。人と関わらないと、いつまで立っても『世界』が広がらないぞ」
 そして、芙宇はにこりと微笑んだ。翔吾は一礼して、ペンをポケットに入れた。人と関わること、それが自分のやらなければならないことだと翔吾は確信した。それだけで大きな収穫だった。
 「ありがとうございます」
 「私の昔の話よりかはためになっただろう?」
 「フーリエの話でしたけどね」
 そして、翔吾はここにインタビューをしに来たことを思い出した。新聞委員でないことはバレているが、一応名目上の目的でも果たしておこうと思った。しかし翔吾は何を聞こうか思いつかなかった。なら適当でいいかと思って、芙宇にマイクを突きつけた。
 「インタビューいいですか?」
 芙宇は翔吾の顔つきを見て、軽く頷いた。
 「まあいいだろう。何だい?」
 「あなたは『理想』についどう思いますか」
 この世界に来る前に頭の中にあった『理想のヒロイン』というイメージから強引に引っ張ってきた質問だった。しかしそれでよかった。翔吾にとって、インタビューの内容よりも、インタビューするという行動そのものが大事だった。
 「ふむ。理想か」
 芙宇は本棚を手を伸ばして一冊の本を取り出した。それは共産党宣言だった。
 「この本は理想の塊だ。共産主義も社会主義も人間が創りだした理想だ。だがそれらは成功しなかった。それは『理想』だったからだ」
 芙宇は共産党宣言を本棚に戻し、ゆっくり立ち上がった。
 「人間が理性のみで生きることは理想だが、そんなことは無理だ。だから人間の欲に則った資本主義に負けた。しかし資本主義の欠点を指摘し、決別し、自分の理想を目指すという行為は素晴らしいものだと私は思うな。ということでまとめると、理想は実現し得ないが、目指すことに意義がある。これでいいだろうか」
 「はい。ありがとうございました」
 翔吾がまた礼を言うと、窓から冷たい風が入り込んできた。翔吾の世界では夏だが、ここではもう秋の終わりらしい。息が少し白くなった。
 「風が寒いな。こういう日は温かい唐揚げが食べたいな」
 「まったくですね」
 「それでは、私は戸締りに行ってくる。君も帰りなさい」
 芙宇は引き出しから鍵束を取り出し、歩いて職員室から出ていった。
 「本当に唐揚げとか食べたいな」
 翔吾はそう思いながら、新たな『関わり』のためにマイクを握り締めた。

 2.
 気がつくと目の前には調理器具があった。一度も使われた事がないであろう新品の品々が、スタジオのようなキッチンに並べられていた。そしてそのすぐ横で、一人の青年が一生懸命物書きをしていた。彼の姿を見た瞬間、翔吾の頭にノイズが走る。小説の世界で会う人が主人公に近ければ近いほど、翔吾の頭が痛むのだった。頭の痛み具合から、翔吾はその青年をサブキャラだと判断した。
 しばらくすると痛みが引いてきたので、翔吾は青年に近づいてみた。後ろに立つと青年はぱっと振り向いた。
 「誰だい君は?」
 「通りがかりのインタビュアーですけど、ここどこですか?」
 翔吾はスタジオを見渡して青年に尋ねた。その問いに青年は目を丸くした。
 「え、このスタジオを見ても分からない?」
 「はい」
 その答えに青年は信じられないような顔をした。
 「ここは『ボンバーキッチン』だ。君も『ボンバー井上のニコニコお料理コーナー』という名前ぐらい知ってるだろう」
 「いえ、そういうのに疎いので…」
 「なんだって!」
 青年は机をバンと叩いた。
 「この国に井上先生のことを知らない人間がいたとは…ならば教えてあげよう。『ボンバー井上のニコニコお料理コーナー』とは、天才料理人ボンバー井上先生がお送りする料理番組の名前だ。視聴率は常に9割超えという伝説番組なんだぞ!」
 「…なるほど。それで、あなたは?」
 翔吾がマイクを青年に向けると、青年は自分の胸を叩いた。
 「僕は先生の助手だ。先生の料理の手助けをしている」
 「料理、といいますけど、調理器具が新品にしか見えないんですが」
 「分かってないな、君は」
 青年は新品のフライパンを持ち上げた。
 「先生は普通の料理家じゃないんだ。番組が始まるとすぐに先生は二言三言、僕達には到底想像の付かない発言をしてそのまま去っていく。僕は視聴者は皆置いてけぼりだ。だがそれがいいんだ」
 「全然料理していませんが…」
 「君が言う料理、とは何だ?」
 青年は翔吾を睨んだ。
 「どうせ食べ物、とかいうんだろう? それだから俗なんだ君は」
 「逆に聞きますけど、それ以外にどんな料理があるんですか」
 その質問を聞くと、青年は目を瞑った。そしてしばらく黙った後、再び目を見開いて翔吾を見つめた。
 「僕はね、一回だけ先生の料理を食べたことがある。食べ物という意味での料理だ。当時僕はまだ一端の料理研究生でね、一流のコックを目指していたんだ。5年前かな、確か。ひょんなことから先生の料理の手伝いをすることになったんだ。先生は世界的に有名なコックでね。手伝いができること自体が幸せだったのに、なんと先生は手伝いのお礼に一品作ってくれたんだ。もう今思い出しただけでも涎が出る。あれは神の食べ物だね」
 そう言って青年は唾を飲み込んだ。
 「それから1年経った時、先生が失踪したんだ。『真の料理』を見つけるために修行に出かける、という内容の手紙を残したっきりね。もう大騒ぎだったけど、結局先生の行方は分からなかった。それから3年たった時、先生がひょっこり帰ってきた」
 青年は遠くを見つめるような顔をした。一旦呼吸を置いて、青年は続けた。
 「ひどくやせ細っていて、意識も朦朧としていたらしい。そしてその時先生を介抱していた人が、先生に尋ねたんだ。『先生、真の料理は見つかったんですか』って。そしたら先生はなんて言ったと思う?」
 翔吾は分からないといった風に首を横に振ると、青年はゆっくりと言った。
 「『料理とは何ぞ?』って言ったんだよ」
 「え…?」
 「つまり料理を極めていった先が、料理そのものを忘れる、というものだったんだ。それ以降、先生は一度も目に見える料理を作ったことがない。けどその代わりにこの番組が始まった。たった1分の短い番組だ。けどこの国の沢山の人々がこの番組を見て、現実を忘れて、先生の奇想天外さに楽しみを得る。今までは有名人やお金持ちしか先生の料理を口にすることができなかったのに、今では誰もが先生の料理を堪能できるんだ。きっとこれが『真の料理』なんだなって、僕は思う。だから僕はずっとあの人について行こうと決めたんだ」
 そして青年はノートを取り出して、何か書き始めた。
 「何を書いてるんですか?」
 「次の先生の料理のテーマさ。僕がいくつか候補を絞って、最後に先生が選ぶんだ…あ、インクが切れた」
 青年はペンを振ったが、まったくインクが出てこなくなった。そして彼は翔吾を見た。
 「君、何か書くもの持ってない?」
 翔吾がポケットに手を突っ込むと、芙宇からもらったペンが入っていた。いつもは小説世界から物を持ち帰っても消えてしまうのだが、どうやら貰ったものは消えないらしい。翔吾は青年にペンを渡した。
 「よかったら差し上げますよ」
 「そりゃ助かる」
 これでまた一つ『関わり』が出来たと翔吾は小さく笑った。そして思い出したようにマイクを青年に向け直す。
 「代わりというわけではありませんが、一つインタビューしてもいいですか?」
 「まあ、別にいいけど。何?」
 「あなたは『からあげ』についてどう思いますか」
 「突然だな。でもタイムリーでもある。ついこの前やった番組のテーマも唐揚げだったんだ。おいしい唐揚げの作り方を教えるという名目だったんだけどね。『づりゃー! 腹が減ってる時に食う唐揚げが一番美味い』って言ってどこかへ行っちゃった。そうか、唐揚げねえ」
 青年は考えこんだ。そして何度も頷く。
 「やっぱり先生が作る唐揚げが一番美味い」
 「ブレないですね」
 「そりゃ助手だからね」
 その時、携帯の着信音が鳴り響いた。青年は慌ててポケットから携帯を取り出し、耳に当てる。
 「あ、もしもし…先生ですか! 今どこに…え、実家? 次の番組はどうするんですか…え、もうテーマ決めたんですか? 次は『郷愁』? だから肉じゃがを作る? 了解しました。あと、先生の実家ってどこにあるんですか? あ、電話切られた」
 青年は携帯をポケットに入れると、身支度をし始めた。
 「ちょっと今から先生探してくる。あ、そうだ、折角だから君にこれをあげよう」
 青年はバッグから固い紙を取り出した。そこには何やら暗号のように意味不明な文字の羅列が記してあった」
 「なんですかこれ?」
 「宝だよ君。この世で一番のお宝だ」
 「そうですか…ありがとうございます」
 「それじゃあ、次は『郷愁』をテーマに肉じゃがを作るらしいから、ぜひ『ボンバー井上のニコニコお料理コーナー 』を見てくれよ!」
 そして青年は走り去っていった。
 そんな青年の背中を見つめながら、翔吾は呟いた。
 「『郷愁』か…」
 『郷愁』の世界に行ったら、その番組も見れるだろうか。
 そんなことを考えながら、翔吾はマイクを握り締めた。

 3.
 目の前には洋服が並んでいた。右も左も洋服だらけだった。どこかで見たことがある風景だなと翔吾は思い、すぐに気がついた。
 「ここユ◯クロだ」
 洋服店でお馴染みユ◯クロに翔吾はいた。キョロキョロと周りを見ていると、暇そうに突っ立っている店員がいた。その店員を見つめていると、店員はその視線に気が付き、翔吾に声をかけた。
 「何か御用でしょうか」
 「はい。見ず知らずの人にインタビューして回ってるんです」
 翔吾はもう見ず知らずの人と話すのに慣れ、誰でも話しかけることが出来るようになっていた。突然の翔吾の言葉に店員は戸惑ったが、暇だからいいか、というような事を言った。
 「私のことなんて聞いても面白く無いと思いますけどね」
 「いえ別に構いません。では、この仕事についたきっかけとか聞かせてください」
 「店長と知り合いだったんですよ。要するにコネですね」
 「あ、じゃあ洋服に興味があったわけでは」
 「全然無いです」
 「そうですか」
 翔吾は次の質問を続けた。
 「趣味は?」
 「ありません」
 「今の職業で自信を持っていることは?」
 「別に…」
 「オススメの洋服は」
 「どれでもいいんじゃないですか。まあ見繕ってくれといわれたら適当に見繕いますけど」
 本当に面白く無いなと翔吾はげんなりした。しかし店員の生活も面白くないものがまったくないわけではあるまいと翔吾は思っていた。だからそれを聞き出すために翔吾は質問をした。
 「今までで一番迷惑だった客はどんな客ですか」
 「一番迷惑だったのは…そうですねえ…ああ、あの汚い男」
 「汚い男?」
 「そうそう、ドブに落ちたみたいな汚い格好で店に入ってきてね。追い出すのに苦労したよ。その時隣にいた女の子が本当に生意気で…」
 その時、何者かが店員の首を掴んだ。突然のことに驚き、店員は振り払おうとしたが、その手はがっちり掴んで離さなかった。
 「壁に耳あり、障子に目ありーです」
 見るとお洒落な格好をした女の子が、にっこり笑いながら店員の後ろに立っていた。
 「君は…」
 「その節はお世話になったですね。おかげで鬣…おっさんも元気ですよ」
 その女の子を見た瞬間に、翔吾の頭にまた強烈な負荷がかかった。それは前の世界で青年に会った時以上のもので、それが主人公級であることを思わせた。
 「主人公…じゃないけど、この人どこかで主人公をやったことがある…?」
 「ん? どうしたですか?」
 「いえ何でも」
 痛む頭を抑えながら翔吾は誤魔化した。しかし痛みが酷かったので、早くこの世界から離れようと考えた。しかし『関わり』の為に、インタビューをした人には何かあげることに決めたので、何かしら店員にあげないといけない。すると翔吾は、青年に貰った謎の紙の事を思い出した。
 「では、インタビューに答えてもらったのでお礼を」
 「お礼はいいから」店員は懇願した。「この子を何とかしてくれ!」
 「すみなせんが急いでいるので」
 翔吾がポケットから紙を取り出し、店員に差し出した。
 「何ですかこれ?」
 「さあ、僕もわかりません。ですがお礼に差し上げ…」
 そこまで言った時、女の子のが震えるような手でその紙に手を伸ばした。
 「そ、れ、は…」
 「知ってるんですか?」
 店員が聞くと、女の子が叫んだ。
 「これを知らないですか! モグリ! キング・オブ・モグリ! これは次元を超え、世界を超えて愛されるボンバー井上のサインですよ!」
 「ボンバー井上?」
 「ああもう! この価値を知らない奴にやるなんて猫に千両箱どころじゃねーです!」
 「でももうあげるって決めたので…」
 翔吾が言うと女の子はパッと店員の首を離し、今度は翔吾の腕を掴んで走りだした。翔吾はどんどん引きづられていき、試着室に押し込まれた。
 「忍者に興味はないですか?」
 翔吾を壁に押し付けながら女の子は言った。
 「忍者?」
 「そう、忍者です」
 そして女の子は服の中から瞬く前に10本の苦無を取り出した。
 「本場の忍者が使ってる苦無、欲しくねーですか?」
 「そんなもの持ってて大丈夫なんですか? 確か銃刀法とか…」
 「『銃砲刀剣類所持等取締法、第22条、業務その他正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めるところにより計った刃体の長さが6センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない』」
 女の子は法律のようなものを暗唱し、苦無の一本を翔吾の目の前に持ってきた。
 「これは刃体5.99センチの特製ミニ苦無なので大丈夫ですよ。だから交換するです」
 女の子が近くに来すぎて頭のノイズがひどかったので、翔吾は仕方なく頷いた。
 「やったです! お宝ゲットです!」
 翔吾に苦無を押し付け、手からボンバーのサインを奪い取ると、女の子ははしゃぎ回った。そんな女の子に、翔吾はマイクを突きつけた。
 「なんですかそのマイクは?」
 「ちょっとインタビューいいかな」
 「お、忍者に興味が出たですか?」
 そういえば彼女は忍者がどうとか言っていたが、そこはあまりどうでもよかった。肝心なのは尋ねることだ。
 「あなたは『郷愁』についてどう思いますか?」
 それを聞くと、女の子は悩むような顔をした。
 「うーん、雷槌は故郷の事覚えてないんですよねー」
 どうやら彼女の名前は雷槌というらしい。
 「覚えてない?」
 「気がついたら忍者してたですからねー。昔のことは全然覚えてないです。記憶喪失ってやつですね」
 「記憶喪失…」
 「でも」女の子は微笑した。「たまーに奴の夢を見るんです」
 「奴?」
 「あったこともない男です。けどとっても懐かしい顔なんです。きっと故郷の人間だと思うですね」
 「探しに行ったりとかは?」
 女の子は首を横に振った。
 「それは野暮というもんです。ここで待ってれば奴は必ず会いに来るって、そんな気がするです。だから雷槌は、それまでに最強の忍者になると決めたんです」
 そこまで言うと、女の子は時計を見た。そして慌て出す。
 「やばっ。時間だ。先輩に怒られる! それじゃあサインありがとうです!」
 その声とともに女の子は消えてしまった。
 「最初から最後まで慌ただしい子だったな」
 試着室の中で、翔吾は彼女の言ったことを反芻した。
 「『最強』の忍者ねえ」
 最強とは何なんだろうと思いながら、翔吾はマイクを握り締めた。

 4.
 いつの間にか、翔吾は薄暗い蔵の中にいた。天井まで届きそうな棚が幾つも並んでおり、数えきれない数の木箱が収納されていた。
 誰かいないかな、と翔吾が一歩前に踏み出そうとしたその瞬間、首に冷たいものが触れた。
 「動くな」
 老人の声だった。気がつくと、銀色に輝く短刀が首にあてられていた。老人の凄まじい殺気に翔吾は震えはじめた。
 「どこから入ってきた」
 「……」
 異世界から、などと正直に答えるわけにもいかない。そんなことを言ったらすぐさま短刀が首に埋まる、と翔吾は思った。
 翔吾が震えながら黙っていると、老人は短刀を首から離し、翔吾を自分の方に向かせた。その時ようやく老人の姿が見えた。歳は80ぐらいだろうか。顔の皺は多かったが、数多の傷跡を有した筋骨隆々の体は彼が武道家であることを物語っていた。
 老人は短刀を仕舞うと、今度は刀を抜いた。そして翔吾に突き付ける。
 「もう一度問う。どこから入ってきた」
 「え、あ、あの……」
 眼前に光る切っ先が、翔吾をパニックに陥れる。歯がガチガチと音を立て、背中が汗でびっしょりと濡れた。翔吾はついに耐え切れなくなって、本当のことを口走ってしまった。
 「い、異世界から……」
 老人の目がぴくりと動いた。それを見た翔吾はびくっと震えた。
 突然、老人は刀を振り上げ、翔吾は目をつむる。そのまま身構えていると、刀を鞘に収める音がした。
 「信じてやらぬこともない」
 「え……」
 翔吾は恐る恐る目を開けた。老人は扉の方を顎で指した。見てみると、一面に御札が貼られていて、他にも文字や記号が刻んであった。
 「この蔵には十重二十重に結界が張ってある。だから一族以外は入ってこれぬはずなのだ。異世界などから来ない限りな。それにお前の先程からの反応を見ても嘘をついているようには見えん。以上が『信じてやらぬこともない』理由だ」
 翔吾はすんなりいったことに逆に驚いた。
 「いいんですか、そんなに簡単に信じて」
 「異世界、とやらに心当たりがない訳ではないからな」
 老人は息をゆっくり吐き出した。そして翔吾を見る。
 「それで、お前は何をしにここに来たのだ」
 ようやくちゃんとした話ができそうだ、と翔吾は胸を撫で下ろした。
 「色々な世界をインタビューして回ってるんです。行く先は僕にも分からないので、ここに来たのは偶然といってもいいでしょう」
 「色々な世界、か」
 老人は小さく呟くと、ゆっくり歩き出し、翔吾の正面に立った。そして翔吾を見据えて言った。
 「その『インタビュー』とやらを受けてやってもいい。だが、その前に儂の方から少し聞いていいか」
 「え、あ、はい。構いませんが」
 逆に質問をしてくる人は今までいなかったので、翔吾は少し戸惑った。老人はゆっくりと喋り始めた。
 「お前は、色々な世界を回っている、と言ったな」
 「は、はい」
 「それらの世界の中に、燃えるような赤い剣を持った戦士はいなかったか」
 「いなかったですね」
 「では、碧色の剣を持つ女は」
 「見てないですね」
 「ならば新緑の剣を持つ勇者は」
 「さっぱりです」
 「そうか……」
 そんな見るからに主人公な奴らに会えるわけないだろ、と翔吾は心のなかで思った。
 老人は暫く黙っていたが、やがて「分かった」と言った。
 「妙な事を聞いて悪かったな」
 「いえ。ところで、今尋ねられた人々はいったい何なのですか?」
 「ああ」老人は少し柔らかい表情になった。「儂の孫の良き仲間になるであろう連中だ。今どれほど成長しておるのか知りたくてな」
 「仲間……?」
 「そうだ。だがお前には関係ないに話だ。忘れてくれ」
 それから老人は足元の箱を見た。その中には一振りの刀が収まっていて、蔵の中のどの品よりも強い存在感を放っていた。まるで自らにふさわしい持ち主を待っているかのようだと翔吾は思った。
 「さて、今度はお前の番だ」
 箱の上に簡素な蓋を置くと、老人は振り返って言った。
 「僕の、番?」
 「儂に何か聞きたいことでもあるのだろう?」
 「あ、そうでした」
 翔吾は用事を思い出し、老人にマイクを向けた。
 「『最強』とは何でしょうか」
 老人は即答した。
 「そんなものなど、ない」
 「ない、ですか……」
 翔吾が呟くと、老人は首を振った。
 「そうだ。修行をし続けてる限り、明日の自分には勝てぬのだからな」
 「……」
 逆に言えば、何もしなければ昨日の自分にも負けてしまう、ということだった。今までの自分はなんだったのか、と彼は考えた。全てを世界のせいにして、自分は何をしてきた? 昨日の自分にすら負けてしまうような生活を送っていて世の中が面白いはずがあるのか?
 翔吾は暗い気持ちのままポケットから苦無を取り出し、老人に渡した。
 「ありがとうございました。インタビューを受けてくれた人に贈り物をすることにしてるんです。受け取ってください」
 老人は苦無を受け取ると、それをじっと観察した。やがて感嘆の溜息をついた。
 「ほほう。これは小さいながらも実によく研がれておる。ここまで質のいい苦無は見たことがない。ちょっと待っておれ」
 苦無を近くにあった空箱にしまうと、老人は壁に立てかけてあった棒を持ってきた。それは紫の布で覆われていて、両腕を伸ばしたくらいの長さがあった。
 「これを差し上げよう」
 棒を受け取ると、それは意外と軽かった。布をどけると中から装飾付きの白い棒が出てきた。何やら由緒正しき品のようだった。
 「なんていう名前なんですか?」
 「しらん」
 「あ、そうですか……」
 「それはどうやら魔導とやらを扱う武器のようだが、そのような力を扱えるのがこの家にはいないのでな」
 「どうもありがとうございます」
 用が終わると、老人は扉に向かって歩き出した。そして扉に触る前に翔吾の方を振り返った。
 「己の器を知り、それを忘れぬことを心がけよ。器を超えた力は気狂いしか生まぬ」
 「気狂い、ですか」
 「それがどんなものかは、自分で知るんだな」
 気狂いとは何か、そんな思考をしながら、翔吾はマイクを握りしめた。

 5.
 次の世界に来ると森の中だった。そして目の前に青年がいた。青年は翔吾を見るやいなや後ずさった。
 「空間移動・・・?」
 そういう言葉がとびだすということは、この世界では空間移動がわりと一般的らしい。咄嗟にそう考えた翔吾は頷いた。
 「ええ、まあ」
 青年は翔吾と距離をとった。かなり警戒されているようだった。
 「あなたは、誰ですか?」
 「通りすがりのインタビュワーってところです」
 「はい?」
 何を言ってるのか分からない、という顔をされたので翔吾はこれまで言ってきたことを繰り返した。
 「適当に空間移動した先で会った人にインタビューするっていう企画なんですよ」
 かなり適当なことを言ったが、青年は納得したようだった。
 「なるほど、あなたが最近流行りのマジックジャーナリストですか」
 青年は翔吾の全身を見回した。
 「あなたから全然魔力を感じないんですけどねえ。でも実際に空間移動してるの見えいるし。うーん」
 それから青年は何やら呪文を唱え火の玉を作り出すと、翔吾に向けて飛ばした。しかし火の玉はそのまま放物線を描き翔吾の足元に落ちた。それ見て安心したようで、青年は翔吾に近寄った。
 「悪意に反応して追尾する火の玉です。あなたに何も悪意がないことが分かったので話のお相手でもしましょう。僕も暇してましたし」
 翔吾は周辺の木に傷跡が付いているのに気付いた。
 「修行でもしていたんですか?」
 青年は頷いた。
 「はい。追いつきたい人がいるんですよ」
 「追いつきたい人……」
 「僕の憧れであり、目標です」
 目標、という言葉が翔吾の心をチクリとさした。
 「ではその人に追いつけるようになったら、どうするんですか?」
 「どうしましょうか」
 青年は遠くの山を見た。
 「あの山を一瞬で破壊できるような力を手に入れても、僕は多分修行を続けるでしょう。僕が努力する間にあの人はもっと努力している。多分一生追いつけないんじゃないかな。あの人は強いですし」
 「強い、というのは」
 「心が、ですよ」
 強さ、というもには様々な種類があると一連の旅で翔吾は実感していた。最強というものはない、という先の老人の言葉がうっすら理解できたように翔吾は感じた。
 「魔法という力を持って、後悔したことはありますか?」
 青年は即答した。
 「ないですね」
 そして一言付け加えた。
 「今の所は」
 「ではいつか後悔する時が来ると」
 青年は目を閉じた。
 「気が狂うような悪に出会いそれに支配されてしまった時、僕は後悔するかもしれません。でも僕はその悪に負けないためにも強くあらねばなりませんね」
 翔吾は持っていたマイクを青年に向けた。
 「最後に、気狂いとはなんだと思いますか?」
 「気狂い……ですか。そうですねえ」
 しばらく考えた後、青年は口を開いた。
 「自らの心の強さに相応しくない強大な力を持った人がいたら、きっとそれが気狂いですよ」
 「強大というと、どれくらいの?」
 「この世の理を無視する力……例えば交わりえない世界を交わらせる、くらいのですね」
 「そんな神みたいな力持っている人いるんですか?」
 「いないことを願いましょう」
 そう言って青年は笑った。翔吾は木に立てかけておいた棒を青年の方に渡した。
 「ありがとうございました。お礼にこれ、差し上げます」
 青年は布から白い棒を取り出すと、目を点にした。
 「こんな高そうなロッド、受け取れませんよ」
 「僕が持ってても宝の持ち腐れだと思うので、貰ってください」
 「……」
 青年が棒を握り締めると魔力が注入されたらしく、棒が光り出した。そして紫色の花の模様が浮かび上がってきた。
 「紫蘭、という名前のようですね。確かに僕に合った杖のようです」
 それから青年はポケットの中を探り、綺麗な宝石を取り出して翔吾に渡した。
 「では代わりにこれをどうぞ」
 「これは……」
 「僕の魔力の結晶です。作ったはいいものの使い所がないのであげますよ。売れば結構な額になるはず。いらなければゴミ箱にでも捨ててください」
 「いやいやゴミ箱だなんて……」
 そう言いながらつい翔吾はマイクを握りしめてしまった。一瞬で闇に包まれ、翔吾はどこまでも落ちていった。

 6.
 落ちた先は丘の上だった。尻餅をついて草の上に着地し、ふと下を見ると、草原の斜面で一人の少年が寝転がっていた。転ばないように注意しながら少年の横に来たが、少年は翔吾を見向きもしなかった。
 「えーと、何してるの」
 その少年はまだ中3か高1くらいの年齢で、寂しそうな顔をしながら丘の下の町を眺めている。
 「考え事だよ。悪いかよ」
 つっけんどんに返事され、何かインタビューし辛いな、と翔吾は思っていると少年が口を開いた。
 「兄さんは大学生?」
 「そうだけど」
 「中学とか高校の友達でもうほとんど合わないって奴いる?」
 翔吾は言われた条件に該当する名前を思い出しながら指を折っていった。全部の指が折られた時に彼はこれ以上思い出すのを止めた。
 「結構いるね」
 「やっぱり?」
 「友達なんてそんなもんじゃない?」
 「そっかー」
 少年はため息を吐いた。
 「俺は小さい頃からこの町で過ごして来たんだけどさ、すっげー楽しい生活だったよ。多分それは友人のおかげなんだ。気の合う奴らが沢山いたから楽しめたんだと思う。それでずっと同じように楽しい生活が続くと思ってたんだよ」
 少年は起き上がってあぐらをかいた。
 「でも何かな、皆変わっていくんだよな。当たり前だけど。新しい友だち作ってさ、それぞれ別のグループ作ってく。俺の小学校からの親友がいたんだけどさ。相棒みたいにいつも一緒にいたんだ。俺のこと大ちゃん、って呼んでくれてさ、大輔だから。でもそんなに仲よかった奴なのに今じゃ全然話さないんだ」
 「彼女でもできたんじゃないの」
 当てずっぽうに言ったら少年はびっくりして翔吾を見た。
 「何で知ってんの?」
 「当たってた?」
 少年は頷いた。
 「確か、山神……ステアだったかな。そいつが来てから首ったけでさ。純愛ってやつかな。まあそれで付き合い悪くなったんだ」
 多分その親友とやらが主人公で、ステアとかいうのがヒロインなんだろうな、と翔吾は当たりをつけた。
 「嫉妬?」
 少年は首を横に振った。
 「そういうのじゃないんだよ。なんというかさ。寂しいなって」
 「別に過去にこだわらなくたって、今君が楽しいことをすればいいんじゃ——」
 そこで翔吾の口が固まった。そのセリフを自分が言っていいのか、という疑問が口をふさいだ。何てこの世は面白く無いんだとか考えていた自分が今を楽しめなんて人に言えやしない、と翔吾は唇を噛んだ。
 「それがいいってのは分かってんだけどね」
 そして少年は翔吾を見た。
 「なあ兄さん。その親友が前こう言ってたんだ。『この世界はゴミ箱なんだ』ってさ。どういう意味だろうな」
 少し前の自分ならそのセリフにいたく共感していただろう。ただ今の翔吾はその言葉を聞いて、首を縦に振ることができなかった。芙宇という人に教えられて、広げ、関わりあってきた世界を否定することなんてできなかった。
 翔吾は寝転がりながらマイクを空に向かって掲げ、少年に尋ねた。
 「君はどう思う。『ゴミ箱』って言葉」
 少年は立ち上がって地平線を見た。そして叫んだ。
 「ゴミで上等だ。ゴミの中で精一杯楽しんでやる馬鹿野郎!」
 「おお……」
 「って言ったきりそいつと話してない」
 「……喧嘩でもしてたの?」
 「……まあね」
 気がが抜けたように翔吾はため息を付いた。なんだかそこまで大事でもないような気が翔吾にはした。多分きっかけがあればまた元通りになるんじゃないだろうか。少年の友達も皆何かのきっかけで彼と友達になったのだから。
 「そう、きっかけさえあれば……」
 「どうした?」
 翔吾の独り言に少年は振り返った。
 「いや、なんでもない」
 そう言って翔吾はポケットから綺麗な石を取り出した。そしてそれを少年に渡す。
 「あげる」
 少年はその石を不思議そうに見た。
 「いいのか?」
 「いいよ。話をしてくれたお礼」
 「それだけのことでか?」
 「そう。それだけのことで」
 少年はしばらく石を見つめていたが、やがてそれをカバンにしまい、そこから何かを取り出して翔吾に渡した。
 「これやるよ」
 それはインクだった。どこでも売っていそうな瓶に、白い羽根がテープで貼り付けられている。
 「羽ペン?」
 「そう、羽ペン」
 少年はニヤッと笑った。
 「だけどただの羽ペンじゃないぜ」
 「どういうこと?」
 「この羽根な、天使の羽根なんだ」
 少年は羽根を指さして言った。
 「2年くらい前に見たんだよ。ちょうどこの辺で天使が羽ばたいてるのを。天使が飛び立った後に近寄ってみたらこの羽根が1枚落ちてたんだ。ま、例の親友くらいしか信じてくれなかったけどな」
 言われて翔吾は羽根を触ってみた。以前鶏の羽根を触ったことがあるが、それよりもはるかに手触りがよく、そして軽かった。
 「ありがとう。その親友とまたうまく行けばいいね」
 「……おう」
 そして少年は草原を降りていった。その後姿を見ながら翔吾は小さく笑った。
 「青春か、懐かしいな。僕はついぞ純愛なんてしたことなかったけど」
 そんな事を言いながら、翔吾はマイクを握りしめた。

 7.
 気がつくとベンチに座っていた。隣には女性が座っていて、見事な長い黒髪が印象的だった。女性はニコッと翔吾に笑いかけた。
 「こんにちは!」
 「こんにちは」
 「もしかして、さっきからそこに座っていました?」
 翔吾は首を横に振った。
 「いや、違いますけど」
 「あ、やっぱり? こんな人いたっけな、私ボケちゃったのかな〜って今色々考えてたんですよ」
 「そうですか……」
 まったく驚かないとは、肝が座ってるのか天然なのか。判別はつかなかったが翔吾はとりあえず話を進めた。
 「今、だれかお待ちなんですか?」
 こんな昼間から一人で何もせずベンチに座っているのは、誰かを待っているからじゃないのか、と翔吾は検討をつけた。
 「そうなんですよ。彼氏が来るのを待ってるんです」
 「え、じゃあ僕と喋っていたらまずいのでは……」
 「でもその前にあなたは消えてしまうんでしょう? さっき突然現れたみたいに」
 「……」
 「ってそのマイク見てたら思ったんですよ」
 女性はじっとマイクを見ていた。翔吾はマイクを女性の方に傾けて質問した。
 「その彼氏さんというのはどんな人ですか」
 「そうですね……」
 女性はマイクから翔吾の顔に視線を移した。
 「よく私のパンツ覗きをする人だったかな」
 「え?」
 「と言っても小学校の頃の話ですけど。わざと消しゴム転がして、拾うフリして覗き込むってこと何回もやってたの。可愛いでしょ?」
 「そう、なんですか」
 「一度も見せてあげなかったんですけどね!」
 女性は小さく笑うと、昔を懐かしむように目を細めた。
 「私の髪の色、何色に見えますか?」
 翔吾はじっと女性の髪を見た。どうみても黒にしか見えなかった。
 「黒……ですよね?」
 「そう、黒。でもあの人は、私の髪の色は透明だって言うんです! 不思議な人でしょう?」
 女性はまたにこっとした。笑顔の綺麗な人だった。思わず翔吾は尋ねた。
 「だから、好きになったんですか?」
 「好きになるのに理由なんてないですよ」
 「……」
 翔吾はしばらく考え事をした後、もう一つ尋ねた。
 「『純愛』とは、何だと思いますか?」
 「全部好きってことです。彼の全てが、彼の人生の全てが混じりっけなく好きってこと、だと私は思いますよ」
 「ありがとうございます」
 そして翔吾は持ってきた羽ペンを女性に渡した。
 「これは?」
 「天使の羽ペンだそうです」
 「それは素敵ね!」
 羽ペンを受け取ると、女性はバッグから四角い箱を取り出した。
 「これをあなたにあげる」
 その箱は絵の具だった。12色の絵の具が綺麗に入っていた。
 「私絵なんて描かないけど、何となく買ったの。きっとあなたにあげる為に買ったんだと思う」
 持ってみるとずっしり重く、羽ペンとは対照的だった。
 「ありがとうございます」
 「いいえこちらこそ」
 それから翔吾はマイクを持ち上げた。その様子を見た女性は立ち上がって翔吾の前に立った。
 「またどこかへ行くの?」
 「はい」
 「そしてまた誰かに会うのでしょうね」
 「恐らくは」
 すると女性は微笑んだ。
 「なら見ていらっしゃい。沢山のスピンオフを!」
 「スピン……オフ?」
 「そう。皆誰かのスピンオフ。あなたが会う人達の人生は、あなたの人生のスピンオフです」
 「え……」
 「だってそうでしょう? あなたは、あなたの世界の————」
 そこまでしか聞こえなかった。思わずマイクを握りしめてしまったから。それから今まで体験したことのないほどの頭痛に襲われた。翔吾は直感で理解した。
 おそらく、次の世界で会うのは、主人公だと。

 8.
 ひどい頭痛で目を覚ました。翔吾はいつの間にか自分の部屋にいた。いつも通りの棚、いつも通りの机、そしていつも通りのモノクロの世界。
 ただ一つ違ったのは、その部屋にもう一人翔吾がいたことだった。
 もう一人の翔吾は倒れた翔吾に笑いかけた。
 「久しぶり、がいいかな。それとも初めまして?」
 「お前は、誰だ……?」
 問いかけを無視して翔吾は尋ねた。『もう一人』は翔吾を引っ張って起こした。
 「僕は君だよ」
 「……」
 混乱する翔吾に『もう一人』は苛ついたように言った。
 「何をぼやっとしてるんだ。そのマイクは何のためにある」
 翔吾はマイクを恐る恐る向けた。
 「僕が自分にあったってことは、やっぱり僕はモブキャラだったってことだろ?」
 『もう一人』は馬鹿にするように笑った。
 「そうじゃないって、自分で知ってる癖にな」
 「そんな訳、ないだろ!」翔吾は叫んだ。「僕みたいな勝手に世界に失望して引きこもるような奴が、主人公な訳ないだろ!」
 『もう一人』はため息をついた。
 「なぜ自分を信じようとしない。そんなに自分を否定して、何を守りたい? 一体何が怖い?」
 「……」
 「意気地なしめ!」
 『もう一人』は翔吾を蹴っ飛ばした。翔吾は壁にぶつかって崩れ落ちる。彼には分かっていた。これは自分の自分に対する怒りだと。
 『もう一人』は倒れた翔吾の首を両手で締めた。翔吾の顔が次第に赤くなる。
 走馬灯のように、これまでの記憶が現れた。
 芙宇が脳裏に現れ、本を読みながら翔吾に語りかける。
 ——人と関わり、世界を広げることだ——
 青年がメモ帳片手に呟く。
 ——ブレるな。信じろよ。ボンバー先生のように——
 忍者の少女が笑う。
 ——楽しんだモン勝ちですよ!——
 老人が刀を向ける。
 ——精進せよ——
 杖を持つ青年が静かに聞く。
 ——あなたに目標がありますか?——
 草原の少年が叫ぶ。
 ——きっかけ? あるだろ、兄さんには!——
 黒髪の女性が微笑む。
 ——あなたは、あなたの世界の主人公ですよ——
 目の前で首を締める『もう一人』が翔吾に尋ねた。
 「『スピンオフ』とは何のことだと思う?」
 薄れる意識を感じながら、翔吾は息も絶え絶えに答えた。
 「ありとあらゆる人間の物語だ。今まで会ってきた人たちがそう教えてくれた!」
 翔吾は『もう一人』の腕を掴み、引き離した。ようやく息が出来るようになる。それから『もう一人』の腹におもいっきり蹴りこんだ。『もう一人』は部屋の済まで転がった。
 「昨日の自分に負けるわけにはいかないってある人が言っていたんだ」
 『もう一人』はピクリとも動かなかった。その様子を見て、翔吾は清々しい気分になったのを感じた。
 そして翔吾は絵の具を持って『もう一人』に近づき、それを渡した。
 「ありがとう。何か吹っ切れたよ」
 『もう一人』は咳き込みながらニヤリと笑った。
 「そりゃ何よりだ」
 彼は絵の具を受け取るとよろよろと立ち上がった。
 「ならば僕は君に新しい『目』をあげよう。世界を見る新しい『目』を」
 『もう一人』が絵の具の箱を開けると、そこから絵の具のチューブがこぼれ落ちた。それらは畳に落ちる前に蓋が開き、中から有色の光が流れでた。その色とりどりの光は翔吾を取り囲んだかと思うと、一斉に窓の外に飛び出していった。
 その時にはすでに『もう一人』はいなかった。部屋は元通りになった。いつも通りの棚、いつも通りの机。ただ今までと一つ違うことに、モノクロだった窓の外が目が痛くなるくらいに色で溢れていた。
 畳の上には粉々に砕けたマイクが落ちていた。それを眺めながら、翔吾はいつまでも笑っていた。


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