—prologue
「あぁー…。はー…。あぁ…」
梅雨明けがもうすぐと言われているが、そうは思えないほど黒々とした雲が空を覆っている。今にも雨が降り出しそうな曇り空の下で怜司は重ぐるしいため息を何度もついていた。
「はぁ…」
またため息をついた怜司の横でかれこれ十数分それを聞かされている友代は呆れていた。
「あーもう。いつまでくよくよ言ってんのよ」
キツいとまではいかなくても強めの口調でそう言われた怜司は弱々しく首をすくめた。
「だってー…」
女の子のような幼さの少し残る顔に加えて泣き出しそうな上目ですがるように見つめられた友代は一瞬どきりとしたが、目を逸らして何とか持ちこたえる。
「ダメだったもんはしょうがないじゃん。さっさと他の部活探しなって」
「やだよぉ。生徒会に入りたい」
駄々をこねる子供のような怜司を突き放すように友代は追い打ちをかける。
「さっき結果見たでしょ。審査の結果が不採用だったんだから諦めるしかないって」
「うぅ……」
うなだれて歩く怜司の隣で友代はやれやれと首を振った。
事の顛末はこうだ。
今春にこの高校に入学した少年、怜司は入学式の壇上に上がった生徒会長に目を奪われた。スラリとした長身に凛々しい顔つきの彼女は生徒会長としての腕も立ち、副会長だった二年生時から男子のみならず、女子からも多くの尊敬と憧れを集めていたらしい。非公式ながらファンクラブもある。
そんな彼女のスピーチをする姿に新入生の怜司も一目惚れしたというわけだ。
「だから違うってば。好きとかじゃなくて何かカッコいいというかなんというか…」
「はいはいそうでしたねー」
という風に、本人は恋ではなく尊敬的な何かだと言っているがその真偽は定かではない。
それで、話を戻すと会長様とお近づきになりたいと思った怜司は生徒会に入ろうとしたわけだが、問題というか壁が一つあった。
二年ほど前から飛躍的に生徒会の立場が優秀な会員達により引き上げられ、職員会や学校理事会と対等なレベルほどまでに力を得たために会員に必要とされる能力も上がったそうで、昨年度から生徒会に入ろうという生徒には審査が課せられるようになった。それがその壁だ。
他の部活には脇目も振らずにいた怜司は昨年度からの引き継ぎが終わって梅雨時に行われた審査に挑んだわけだが、そもそも彼のように不純な動機の希望者を振り落とすための審査に通るはずもなく、今の状況に至るというわけだ。
「なんで僕が不採用なんだーっ!」
中庭に差し掛かった所で怜司が叫んだ。大声に反応した下校する生徒達が怪訝な目で怜司達を見る。
「うっさい!会長目当てで入ろうとしたくせにバカで何の取り柄もないからでしょ」
友代はパシンと怜司の頭をはたきながら罵詈雑言を浴びせた。
「ひっど…そこまで言わなくても」
「事実じゃん」
「そうだけどさあ…」
がっくりとする怜司を見ながら友代は苦笑する。
(顔と素直さはいいんだけどね)
それを言うとまたつけ上がって生徒会を諦めないとか言い出しそうなので友代は黙っていた。
怜司の痛い叫びの残響も消えて放課後の微妙な静かさに戻った中庭には校舎を挟んで裏の校庭から体育部の熱い声が遠く聞こえるだけだった。
初夏を感じさせるように木々が青々と葉を付け始めているのに相変わらずどんよりとした空模様だ。
中庭の真ん中を歩く二人の前を横ぎるように校舎から数名の生徒が出てきた。全員が学校指定のカッターシャツの袖の上に水色の腕章をつけている。生徒会の人間の印だ。
「あっ」
怜司が小声を漏らす。
集団の先頭にひときわ輝いている女子生徒がいた。肩までかかるくらいの黒髪にくっきりとした顔立ちーー例の生徒会長だ。
怜司の目が釘付けになる。
立ち尽くす二人の前を無論彼女達は通り過ぎていくはずだったのだが会長が不意に視線をこちらに向けた。彼女の口角が上がって悪魔のような笑みになる。
「み つ け た」
怜司を見つめる彼女の口がそう動いたように見えた。
「すまない。今日の残りの仕事は任せた」
彼女は生徒会の仲間達に一方的にそう言って二人の方に歩いてくる。えーまたぁ?、という他の生徒会の人間の言葉が聞こえた。
彼女は二人の前に来ると怜司の手を掴んだ。
「ちょっと付き合ってもらおう」
「えっ!?」怜司が上ずった声を上げる。
そして友代を置き去りにして会長は怜司を有無を言わせずどこかへと連れて行ってしまった。
半ば強引に連れて行かれたにも関わらず怜司の顔は嬉しそうに見えた。
一瞬の出来事だったが友代は怜司が連れていかれた場所には見当がついていた。というかこの学校で暮らしていれば怜司ほどの人の話を聞かないアホじゃない限り彼女のもう一つの部の話は耳に入ってくる。恐らくはそこに連れていかれたのだろう。
結局、怜司は会長と生徒会に入るよりも親密になれるだろう、友代はそう思った。
「良かったじゃん」
誰にいうわけでもなく友代は呟いた。
中庭のど真ん中にポツンと一人残った友代は何だかむなしくなった。
今の友代が一番気にしているのは自分の立ち位置だ。
「主人公に思いを寄せていそうな幼なじみ、最初だけ語り手として登場、本筋に入ればお役御免、…私ってヒロインどころかただの脇役じゃない!」
友代は一人ぶつくさと言い始める。
「大体なんなの、とりあえず学校と生徒会出しとけばいいかみたいな?むかつくっ!!」
先刻の怜司以上に叫び声を上げた友代の声は中庭にこだまして切なく消えていった。
—admission
連れていかれたのは部室棟だった。三階の一番奥の部屋へと怜司は引っ張られて行く。一昔前に流行った某小説の主人公の気分だ。
「間玉さんだったか?つい君を連れてきてしまったから後で謝らないとな」
会長が思い出したように言った。間玉というのは友代の苗字だ。
「い、いいですよ。いちいちそんな」
「でも君の彼女なのだろう?貴重な時間の邪魔をしてしまった」
「違いますよ。あいつとは小さい時からの腐れ縁ってだけです」
怜司は必死になって言った。遠くで友代が叫ぶ声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。
「そうか…彼女も可哀想だな」
「へ?」
何かを察したかのかそれ以上会長は何も言わずに怜司を引っ張って行く。
奥に行くと他に比べて少し大きな部屋があった。その前で会長は止まった。
「生徒会室ってここなんですか?」
「ん?生徒会室?何の話だ?」
「え?」
「ああそうだった。君は生徒会審査にエントリーしていたんだったな」
「…じゃあ追加採用とかでは」
「それはない」
怜司はガクンと首を落とした。
(あれ?でもだったらなんで会長は僕をこんな所に?)
怜司は目の端に見えた部活名プレートに雑に書かれた文字を読み取る。
「パジャマニア…?」
会長は目の前の大きな扉を開きながら言った。
「ようこそ、私達の世界へ」
ギイィッと音を立てて開いた扉の奥には異世界が広がっていたーーら面白いのかもしれないが残念ながら普通に部室の光景が広がっていた。
いや、訂正。異世界とまではいわなくても異様な部室ではあった。部室というよりは私物らしきものが散見されるあたり、むしろ部屋と言った方が近いかもしれない。
部屋の中にはこちらを見ている人が一人とこちらを向いてない人が二人いた。
中心に置かれた大きな丸テーブルに肘をついてこっちを見ている先輩らしき人は高校生とは思えないぐらいの筋肉が白いTシャツに浮き出ていた。
「おっ?そいつが部長の言ってた例の新入生っすか」
「そうだよ。愛椋 怜司くんだ」
「ど、どうも。あれ?そういえばなんで僕や友代の名前を?」
会長がイタズラっぽく微笑む。
「生徒会長だからな。新入生ぐらい全員把握しているさ」
「部長、嘘はいけませんよ。面白いやつがいるって騒いでただけじゃないすか」
「あっおい。バラすなって」
彼が立ち上がると180は超えていそうな身長とガタイのよさでものすごく巨大に見えた。彼は立てかけてあったパイプ椅子を取って丸テーブルの横に加えた。元々ある椅子は5つだった。
「副部長のマッドだ。よろしく。座ってくれ」
どう考えても本名ではなくあだ名だろうがぴったりな名前だなと思った。
「あ、どうも」
勝手に入部するみたいな空気で座ってしまったがよく考えるとこの部がなんなのかもろくに分かっていない。
「はい、どうぞ」
目の前のテーブルに受け皿と紅茶が入ったカップが置かれた。置いたのはさっきまで部屋の右奥で背を向けていた女子生徒だ。
「あ、ありがとうございます」
なんで部室にポットとかだけならまだしもIHヒーター付きの簡易キッチンがあるのだろうか。
丸テーブルの向かいに会長が腰掛けてその右にマッドが座っている。その二人にも飲み物を置いて行くと、自分のカップを持って彼女も会長の左側に座った。
よく見ると彼女は制服ではなく薄いピンクのゆるいシャツを着ていた。胸の部分だけはパツンパツンだが。なんというか全体的に柔らかい物腰の人だ。
「私もマッドと同じ二年生で、梨音って言います。ちょっと聞いていい?」
「あっはい」
「ホントに男の子?」
怜司はまたか、と思った。しょっちゅう言われるし、いつもなら言われると腹が立つのだが不思議と梨音さんには怒りは込み上げてこなかった。
「正真正銘の男ですよ」
梨音さんがふるふると肩を震わせる。
「かわいいっ!れいきゅんって呼んでもいい?」
「はい?!」
テーブルに身を乗り出して梨音さんが腕を伸ばして来るのを怜司は間一髪で身を引いて避けた。前のめりになった彼女の胸元に視線がいってしまうがサッとそらす。
色々な意味で戸惑う怜司の向かいで梨音さんはポカンと会長に叩かれた。
「バカ、彼が困っているじゃないか」
「はぅっ!いったあー。でもめっちゃかわいいんだからしかたないのっ」
「すまんな、こういうやつなんだ」
「いえ、気にしないでください。慣れてるんで」
「それはそれでどうかと…」
事実なのだから仕方がない、と最近の怜司は自分の女性寄りに中性的な顔や体格をあれこれ言われるのを何とも思わなくなっていた。飛びつかれる方には流石に慣れていないけど。
「でも、確かにかわいいすよね」
と言ったのはマッドだ。
「マッド…お前が言うと怖いぞ」
会長が若干引き気味に言う。マッドが思いついたようにニッと白い歯を見せた。
「ちょっと俺とヤ ラ ナ イーー」
だいぶ問題な発言を言い終わる前にマッドの頭が思いっきり枕で叩かれる。
「かっ、いってぇーな」
マッドが痛くはないだろうが形だけの苦痛を口にする。
(枕?)
叩いたのはマッドの後ろの学校机の上でパソコンを操作していた小柄な女の子だった。たった今マッドを叩いた白い枕を胸に抱えている。
「貴様は何を言おうとする気か、不埒者め」
見下すように女の子は言った。
「冗談だって冗談」
「当たり前だ」
彼女は喋り方こそ女の子っぽくないが、マッドとは逆の意味で高校生には見えない容姿をしていた。小学生ぐらいにしか見えない童顔、児童体型に色白の肌と無造作なブロンズの長髪が彼女を人形のような華奢かつかわいらしい見た目に仕立てあげている。怜司は自分の数百倍はかわいいんじゃないかと思った。
そしてなぜか彼女はフリルのついた淡いオレンジの生地に星の図柄をあしらったネグリジェから純白のドロワーズをのぞかせるというどう見ても就寝前だろうという格好をしていた。色は白だがサンタ帽子みたいなナイトキャップもつけてるし。
「なゆだ。七月七日の七夕と書いてなゆと読む。なゆのことはなゆ先輩と呼べ。どうしてもと言うならなゆ様と呼んでもよいぞ。それと少しかわいいからって調子に乗るなよ、男の娘風情が」
まくし立てるようにそれだけ言うとなゆ様はまた画面と向き合いはじめた。
「……」
「なゆもそういう奴なんだ…察してくれ」
「はあ…」
この部活の人は変わってるなあと怜司は思った。
そもそもみんな制服を着ていないし、部活というよりはここでくつろいでいるだけという印象だ。部活動の実体が読めない。
唯一マトモなのは部長でもある会長だけなのかなと怜司が真向かいに目をやると会長は真っ黒に水色の蛍光ラインが入った上下ジャージに着替えていた。
「いつの間に?!」
「はっはっは。いつの間にかに、だ」
「すごいですね…」
「パジャマニアだからな。さて新入部員くん、質問はあるか?」
いや、勝手に連れられて来ただけなんですけど、と喉から出かけたが今更なので違うことを質問する。
「そのパジャマニアってなんなんですか?」
「いい質問だ、新入部員くん」
「新入部員じゃないですけどね」
「といっても何といったらいいのか…うーむ」
怜司の主張は軽く無視された。
「まあそのままパジャマニアだよ」
「いや、わかんないですけど」
「そうか…。じゃあ逆に聞こう。今の私の格好は君にどう見えている?」
会長はそう言うと腰に手をあてて堂々と立つ。梨音さんの巨乳とはまた異なる整った胸のふくらみが黒いジャージに映える。
(マズイ。このままだと僕が胸フェチみたいだ。)
「ジャージじゃないんですか?」
ふむ、と言って座った会長はマッドを指差す。
「この変態筋肉は?」
マッドが見せつける様に力こぶを作るが服とは関係ない気がする。
「普通にTシャツじゃ…」
怜司が言い終わる前に梨音さんが跳ねるように立ち上がって言った。
「れいきゅん、私は?私はー?」
梨音さんがくるくると回りながら聞いてくる。天然な感じのひとなのかもしれない。彼女の薄桃色の服を見ていると今日何度か聞いた単語が脳裏を掠めた。パジャマニア、パジャマニア…
「シャツタイプのパジャマ…?」
「「「そう!!」」」
会長とマッドと梨音さんの声が重なった。
「その通りだ」
会長が人差し指を怜司に向けて繰り返す。
「私のジャージもマッドの無地Tと迷彩短パンも梨音のシャツもなゆのフリフリも全てパジャマなんだ」
どーんと効果音が付きそうな勢いで会長が言う。
「全て…ですか」
ジャージはパジャマというより普段着なのではないかという気がしたが、それを言うとよくない事が起きそうなので怜司は触れないでおいた。
「各々が自分に合った最高のパジャマを追求するとでもいえばいいのかな?それがパジャマニアなのだ!」
誇らしげに会長が言い放つと、なのだーとか言って梨音さんも拳を挙げている。
「…。それが部活動なんですか?」
「そうだよ」
怜司は雰囲気に飲まれていた。そんな活動が部活動として存在していいはずがないのに納得してしまった。
「面白そうですね」
梨音さんがおおっ、と驚く。マッドがいやねーだろと突っ込んでいるが怜司の耳には入らない。
「分かってくれたのだな、新入部員くん」
会長はうんうんと首を縦に振って満足げだ。
「はい!」
新入部員くんと呼ばれても気にしないぐらいにはもう怜司は入部する気満々だった。何がしたいのかは分からないが、楽しそうに見えたのだ。
会長と怜司のやり取りを見ていたマッドがため息をこぼす。
「またアホが増えちまった…」
「れいきゅーん!」
いつの間にか背後に回り込んでいた梨音さんが怜司の首に手を回して柔らかいものを背中に押し付ける。
「ちょ、ちょっと!」
しがみつく梨音さんの力は思ったより強かった。
「やはり私の目に狂いはなかったな」
嬉しそうに会長が一人頷いていた。
「みんなとち狂ってるっすけどね」
マッドがそう言って残っていた紅茶を飲み干した。
無駄に広い部室の中を梨音から逃げ回る怜司はどこか楽しそうだった。
画面から顔をあげたなゆはとことこと歩いて怜司の座っていた席の左側に座った。
「そろそろです、部長」
「ん?ああもうそんな時間か」
怜司がまだ一つ空いた席が空いているのに気づいたと同時に時計が5時ちょうどを指して、学校の独特なチャイムが響き始めた。
部屋の入口とは反対側にある扉が開く。
(あれ…あっち側ってどっかに繋がってたっけ?)
怜司がそう思ったのも束の間で、すぐに意識は入ってきた人間の方に向けられた。
顔は痩せ気味で顎髭と口髭がぼうぼうの彼はだいぶ老けている様に見えた。上はよぼよぼのランニングシャツに下は黄ばんだ白のステテコ姿はどっからどう見ても田舎臭いおじいちゃんだった。
顧問の先生だろうか?
「おかえりーハジィ」
会長が敬語を使わずに言った。ということは部員なのだろう。この部には見た目と中身にギャップがある人が多いようだ。
「ただいまー…」
彼の鋭い眼光が怜司に向けられる。
「じぶんが新入部員か」
「あっ、はい」
「俺は端山ってもんや」
端山というその人はなんか変わったイントネーションで話す人だった。
「えーっと、怜司です、よろしくお願いします」
「れいきゅん、緊張してるー?ハジィは優しいから大丈夫だよー」
棒立ちになっていた怜司をほぐすように座らせると、梨音さんはキッチンの方に歩いていった。
「ハジィ…?」
怜司は繰り返すようにボソっと呟いた。
「はじやま、でジジィだからハジィだ」
右側のなゆ様が教えてくれた。
「じぶんもハジィって呼んでええよ。あと、俺も三年生やからホントにジジィってわけじゃないからな」
左側にやってきたハジイがそう言って座った。とは言われるもののよっこいしょと腰掛けるその姿はどうみてもやはり高校生には見えなかった。
梨音さんがお茶をハジィの前に置いて自分の席に座るとテーブルの周りが埋まった。誰が見ても高校の部活の集まりには見えないだろうと怜司は思った。
会長が両肘をテーブルについて真剣な顔になると、空気が瞬時に張り詰めた。先ほどまでのゆるりとした時間が嘘のようだ。これが生徒会長として人の上に立つ者の為せる業なのかと感嘆せざるを得ない。
「これより本日のパジャマニア正式活動に入る。まずはもう顔合わせは済んでいるが、新入部員の紹介から始めよう。怜司」
初めて名前で呼ばれたような気がする。
「は、はい。1年1組、愛椋 怜司、男です。分からないことだらけですが、よろしくお願いします」
男と言った時にハジィが驚愕したように見えたが見えなかったことにしようと思う。
「ということだ。仲良くしてやってくれ。では今日の活動だが、誰か意見はあるか?」
マッドが手を挙げる。
「新入部員歓迎会がいいっす」
「あっそれ私も賛成ー」
「異議なし」
「俺もや」
一気に緩んだ雰囲気に部長は苦笑いをする。
「最初ぐらいは真面目に見せたかったんだがなあ…」
「パジャマニアってふざけた名前の時点でそりゃ無理っすよ」
マッドのもっともな指摘に部長はそれもそうだな、と答えた。
「じゃっ、歓迎会の準備をしよう!」
部長がそう言うと、梨音さんとなゆ様がキッチンの方に向かってダッシュし、マッドがホワイトボードに歓迎会と書き始めた。
部長とハジィは何か話していたようだったが、はしゃぐ梨音さん達にかき消されて何を話しているかは聞き取れなかった。
数分後にはどこにそんなにしまってあったのかというぐらいのお菓子や飲み物がテーブルに広げられていた。冷蔵庫も備え付けてあるあたりこの部屋はもはや暮らせるレベルなのではなかろうか。
「基本的に仕事がない時は食うか喋るか遊ぶかってのが俺らの部活だから、好きに飲み食いしていいんだぜ」
どうすべき考えあぐねているのを見兼ねてか、マッドが2リットルペットボトルのコーラを飲み干して言った。
「それっていいんですか」
「いいんじゃねーの、楽しいしな」
「でも怒られたり…」
「その怒る側の代表が部長だぜ」
理由にはなってないじゃないかと思ったが、現にこの部が成り立っているからそういうことなのだろう。
「そういうことだ。君の歓迎会なのだから君が一番楽しまなくてはどうする?」
部長が怜司の肩に手を置いて言った。
「は、はい。分かりました」
「では歌え」
突然なゆ様が言った。
「はい?」
なゆ様がPCを操作するとホワイトボードの後ろにスクリーンが降りてきてプロジェクターからよく見かけるカラオケメニューが写し出される。あれって個人で所有出来るものだったんだーとのんきに感激していると梨音さんがマイクを目の前に差し出す。
「れいきゅんとデュエットデュエットー!」
「えー…」
それから約一時間ほどハチャメチャな小宴会は続いた。ちなみにハジィは演歌を歌っていたので実は本物のおじいさんなのではないかと思わずにはいられなかった。
6時半前の下校時間を知らせるチャイムが鳴って部活というか宴がお開きになった。部長と怜司以外は制服に着替え終わっている。どこで着替えたのかと思っていたらなんと部屋の端に試着室みたいなものがあった。そこまでしてパジャマになる必要がある部活というのは理解に苦しむ。
「明日からは君もパジャマを持って来いよ」
帰り際に部長が言った。
「はあ。なんでもいいんですか?」
「いや、君のアルティメットパジャマをだな…ああっ!」
部長が声を上げた。
「ど、どうしたんですか」
「君にパジャマニアの基本的、根本的とも言える大事なことを教えるのを忘れていた…」
「一応教える気だったんすか」
マッドがパイプ椅子を片付けながら言った。
「当たり前じゃないか」
「いやどうでもいいと思うんすけど」
「何を言うか」
なゆ様がプリングルスの筒でマッドの頭を叩くとポンといい音が鳴った。
「まあいいさ。明日話そう。それではな」
部長はそういいながら部室のドアを閉めようとした。内側から。
「? 部長はまだ帰らないんですか」
まだ部室にいようとする部長に怜司は尋ねた。
「なんだお前知らなかったのか?」
マッドが驚いたように言う。
「何をですか?」
「それはねー」
梨音さんがそういいながら部室のドアの横に掛けてあるプレートをひっくり返した。
『久方 瑠那』
と書いてあった。部長の名前だ。
そんな風に掛けてあってはまるで表札みたいだーーって
「え?えぇーっ!?」
「学校じゃ結構有名やで」
ハジィが当たり前のように言う。知らなかった。
「ここに住んでるんですか…」
「そうだよ。三年前の生徒会長が、生徒会長がいざという時に学校いなくてどうすると言って無理やり学校側に認めさせた時から毎年の生徒会長はここに住むのが慣習になってる」
「マジですか…」
人が暮らせそうではなく実際に住んでいるとは思わなかった。というか生徒会長ってそこまでするもんじゃないだろうと思う。
「あの人は家出したいからそんなことやったんだけどな」
部長は懐かしむように言った。要するに三代前の会長はただで住める環境を手に入れるために無茶苦茶な理由でこの部室を私室にしたらしい。
「全くふざけてるっすよねー。寂しいって言って部 まで作ったんすから、なおさらっすよ」
「そう言うな。あの人と先代がいてくれたからこそ今この部があるんだから 。なんだそれともマッド、来年お前が生徒会長になったら廃部にするか?」
「そりゃもちろんしないすけどー」
新入りの怜司にはさっぱり意味不明な会話が繰り広げられる。一つ気になったのは
「来年の生徒会長ってマッド先輩なんですか?」ということだ。
「次の生徒会長は今の生徒会長が指名して決めるんだよー」
「普通は副会長を指名するから来年はマッドというわけだ」
梨音さんとなゆ様が教えてくれる。
「なるほどー…ってマッド先輩は副会長なんですか?!」
「最初に言ったじゃねえか」
怜司は今日のことを思い返す。
「副部長ってのは聞きましたけど…」
「それだそれ」
「?」
「この部の部長は会長で、副部長は副会長だろ?」
怜司に残念な頭はもうパンク寸前だった。
「なんで…?」
「あれ?もしかして部長ここがどういうところか言ってないんすか」
混乱する怜司を見ながらマッドが部長に聞く。
「ん?ちゃんとパジャマニアって言ったじゃないか」
それを聞いてマッドと梨音さんとなゆ様の二年生組が大きなため息をついた。
「肝心なこと言ってねえー」
「そういうとこは雑ですよねー」
「それが部長のいいとこなのです」
怜司はいよいよもって訳が分からなくなった。
「どういうことなんですか?」
ハジィが部室の中から緑色の腕章を持ってきて怜司に渡した。
「ほい。それでわかるやろ。今日からお前も一員やし」
受け取った腕章は生徒会の人達が付けていたのと色違い版だった。回転させると“執行部”の文字が見えた。
「パジャマニアってのは今年度の生徒会執行“部”のニックネームみたいなもんだ。」
「執行部…?」
おぼろげながら怜司の頭にその単語を入学してからの三ヶ月の間に聞いたような記憶が蘇ってきた。
「執行部はねーすごいんだよ、れいきゅん」
「すごい?」
すごいのがすごいのだーとしか言わない梨音さんに変わってなゆ様が教えてくれた。
「知らなさそうだから説明してやる。生徒会は一般的な生徒会業務や各行事を普通に取り仕切る。対してなゆ達、執行部は部長つまり生徒会長のみが指揮権を有する独自の組織として臨時に生徒会の補佐をするんだ。一応執行部は生徒会内の一組織ではあるがあくまで部活だ。場合によっては会長と同権限を持つこともあったりするのはならではの特徴だがな。言ってしまえば生徒会長私有の少数精鋭部隊ということだ。なおパジャマニアというのはさっきマッドが言ったようにニックネームのようなものだが、生徒会関連の仕事がない時に自分の求める理想のパジャマを研究するという同好会的な側面を意味しているという兼ね合いもある。因みに昨年度は日本人らしい服を考えるというジャパニーズという部名だったのだが、その一環として日本におけるパジャマーパジャパニーズーの探究に限界を感じた瑠那先輩は今年度はパジャマそのものを極めるためにパジャマニアを作ったのだ。理解したか?」
なゆ様が呪文のように唱えた。
「ナルホド。ワカリマシタ」
とりあえず怜司は機械的に返事した。
「絶対分かってへんやろ、お前。まっ文化祭の時なんかは忙しくなるってことや」
「逆にいえば仕事がない時はパジャマ着てダラダラしてていいんだよー」
「もう少しオブラートに包め梨音。私は真のパジャマを見つけてみたいのだからな」
矢継ぎ早に会話がなされれる中で怜司は一生懸命頭を回転させた。
ようやく事態が飲み込めてきた怜司は自分は生徒会に入れこそしなかったものの、会長、いや部長にもっと近くで生徒会生活を送れる立場を得たということに気がついた。なぜ自分がその執行部に入れられたのかはよく分からないが。
(それは嬉しいけど…真のパジャマってなに…)
「なんだよ真のパジャマってって思ってるだろ君」
「お、思ってないですよ」
心中を言い当てられてひやっとする。
「ならいいんだが。結局、大体説明してしまったな、おかげでもう7時だ。早く帰りたまえ」
部室の入り口でたむろしていた怜司達は時計を見て焦る。
「お疲れさまでしたー!」
そうして長かった初部活動は終わった。
怜司はマッドと梨音さんとなゆ様とハジィと一緒に校門へと向かっていた。他の生徒たちはとっくに下校したあとで静かな校庭を五人は並んで歩いている。
いつのまにか雲が薄くなっていてオレンジ色の黄昏の光が五人の長い影を作っている。温かみのあるその光景を見ながらこれからの一年をこの人達と過ごすことを考えると楽しくなりそうだな、と怜司は思った。
梅雨明け宣言がされたと知ったのはその日家に帰り着いてからだった。
—junction
翌朝、登校しながら友代が昨日の話を聞いて笑う。
「執行部って変わった人多いって聞くけど本当だったんだね」
「そんな有名だったの?」
「知らないあんたの方が不思議よ。狂人の集まりとかいう人もいるし」
「狂人って…」
「前は、もっと破天荒な人がいたからだってさ」
「ああ…」
怜司は昨日の家出のために執行部作ったとかいう人の話を思い返す。確かにそこまでやると狂人と言われるのも無理はないか。
「あんたもスカウトされたんだから、なんかあるのかもね」
「えぇー、ないってそんなこと。至って普通の人間だよ僕は」
「普通の男の人は女の子よりもかわいくないと思うけど?」
「それは言わないでよー。大体そんな適当な理由じゃないでしょ」
「だけどあんた、成績優秀でもないしスポーツ強いって訳でもないしねえ」
友代から聞いたのだが、マッドは二年生で体育系においては右に出るものはいなかったり、梨音さんはあれで学年一位の成績保持者だったり、なゆ様はその世界じゃ結構有名なPC関係の技術者の娘で本人も相当な腕だったりするらしい。そして会長はいうまでもない。要するにふざけてるように見える人達だがその実はハイレベル集団だったようである。あのダラダラの活動が認められるのも過去に大量の実績があることに起因してるとかないとか。
「確かに僕がなんで入れたんだろうねー?」
「今日聞いてみたら?」
「うん、そうするよ」
そこで校門についたのでクラスが違う友代とはお別れだ。離れたところでもう出番おわったーと友代が嘆いたのだが、怜司には届かなかった。
放課後が待ち遠しい時に限って長く感じる授業を終えると怜司は足早にあの部室へと向かった。
—activity
「パジャマは見た目かっ!?機能かっ!?」
部室へと辿りついた怜司は部屋に入るやいなや問われた。
「え?機能じゃないですかね」
即座に次の問いが来る。
「その理由を200字以内で述べよっ!」
「すいません。てきとーに言ったんで無理です」
「うーむ。嘆かわしい。パジャマニアを目指すのなら確固たる信念を持ちたまえ」
「はあ…」
円卓の向こうでジャージ一式に身を固めた部長は今日もハイテンションだ。
怜司は終礼後パジャマニア兼生徒会執行部へと直行したのだがすでに他の部員は揃っていた。上の学年は授業が忙しそうなものなのになぜなんだ。
「他校との交流会に部長は出席し、なゆ達はそのサポートをしていた。だから今日は早いのだ」
なゆ様がこちらは何も言っていないのに教えてくれた。今日はブラックのキャミソール風のネグリジェにやはり白いドロワーズで昨日の可愛さ全開パジャマから少し儚さも備えた無敵パジャマになっている。
「なるほど…真面目な仕事も本当にしてるんですね」
「ぷっ。お前言うじゃねえか」
マッドが吹き出して言った。彼の着ている某大手大量生産安価型チェーン店のヒートなんたらのような紺のタイトな生地には美しき筋肉が浮き上がっている。
「れいきゅんはお水?紅茶?お茶?コーヒー?ジュース?後は…」
いや選択肢多すぎるってと心の中で突っ込みながら怜司は梨音さんに紅茶で、とお願いした。
少しして梨音さんが昨日のように紅茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「おかわりあるからねー」
「どうも。で、なんなんですかそれ?」
怜司はやっと梨音さんがパジャマであると言うのであろうその格好に触れる。
「わからない?」
「中学の時の体育服ですか?」
「ぴんぽーん!」
袖周りと首回りの赤いライン以外は真っ白の半袖に真っ赤なブルマ…ではなく短パン。これが体育服でなければ驚きだ。今やこれすらもお目にかかれないぐらい制服がカジュアル化しているので逆に真新しい。そして何よりも胸元に飛び出た二つの山がいけないビデオじみた魅力を放っている。
「すっごい動きやすいんだよこれ!」
「当たり前やないか」
というハジィは昨日と変わらないランニングシャツとステテコというじーさんスタイルだ。同じものを何着も持っているのだろう。似合っているかいないかという点ではこの人が群を抜いている気がする。
こうして見ていると明らかに機能を優先しているのはハジィで、見た目重視はなゆ様だろうか。部長、マッド、梨音さんは機能寄りと予想してみる。だがそもそもパジャマの見た目って何だ?
「気付いたか?」
部長が怜司の考えていることを見透かしたかのように聞く。
「パジャマに対して機能か見た目かなどというのは愚問なんだよ」
「?」
「結局はその人その人が快適に寝ることが出来れば、それはもうパジャマだといって過言ではない…私はそう考えているんだ」
「なるほど」
確かにもっともな意見だと思った。
「ちなみにパジャマの定義は辞書を引くと上下一式の西洋式寝巻きとなっているが、君はそんなことを意識してパジャマということを考えたことはあるかい?」
「ないですね」
というかパジャマって単語すら最近使った記憶がない。
「だろうね。私たちも実際そんな定義どうでもいい。昨日言ったようにパジャマニアの目的は自分にあった自分だけの最高のパジャマの形を求めることにある、そこまでは分かってくれたかな?」
「はい、なんとなく」
「よし。でね、機能か見た目かということについてなんだが、私たちはある一つの理論を立てている」
「理論?」
パジャマの話に理論とはどういうことか。思わず引き込まれた怜司は部長の目の奥を見つめる。部長は頷いて立ち上がるとホワイトボードを怜司の前にガラガラと運んできた。昨日のまま残っていた歓迎会の文字を消し黒い水性ペンで大きく何かを書き始める。綺麗な字だ。
「パジャマニアは自分の理想のパジャマを研究しつくしたら必然的にここへ辿り着くという予測が私の見解だ」
バンッと部長はホワイトボードを叩いた。怜司はそこに書かれた文字列を読みあげる。Ultim…
「アルティメットパジャマ…?」
「Yes,ultimate pajama!」
無駄に流暢な発音で叫んだ部長は拳を突き上げた。
「「「「Yes,ultimate pajama!」」」」
合わせるように怜司と部長以外の四人が唱和した。え?何この団結力…。
「君も一緒にー」
「えっあっはい」
「Ultimate pajama!!」
「アルティメットパジャマー!」
満足したのか部長はまた席に戻った。
「で、このアルティメットパジャマ理論というのだはな、究極的に自分に合ったパジャマを見つけた時、それはその人にとって機能的でかつその人に似合っていなければならない、そして逆にそうでなければアルティメットパジャマとは言えないという理論…いや必然の法則だ」
慎重な面持ちで述べた部長に
見つめられ、怜司はごくりと息を飲んだ。
「そ、そのアルティメットパジャマを部長は見つけたんですか…?」
静かに部長は首を横に振った。
「残念ながらまだ到達しえていない。だが、この部に一人だけその領域に達したと思われるパジャマニアがいる」
そこまで聞いて怜司はハッとなる。いかにも機能的なパジャマでしかもその人にとてつもなく似合っているーー怜司はハジィの方へ顔を向けた。
「そう。彼が我らパジャマニアの中で最初にアルティメットパジャマを手にした。古き良き生成色の老紳士服ーステテコ・ランニングー。保温性伸縮性に特化したそのコーディネートはジジィだけに与えられた特権だ」
言われてみると、急に年寄りくさかったその服がすごいものに見えてくるから不思議である。
「いやそんなたいしたもんやないと思う」
ハジィは常識的なことを言うがもはや悪ノリ状態の部長と怜司には届かなかった。
「確かに似合ってますよね」
「だろう?私達も早く自分だけのアルティメットパジャマを手にしたいものだな」
そこで5時を告げるチャイムが鳴った。席を離れていたなゆ様も戻って六人が円卓を囲む。
「では今日の活動を始める」
部長の挨拶で今日に正式の部活動が始まった。
お願いしますとその他五人が挨拶し返す。
一応この始め方は本物だったんだなあと怜司は理解した。
「明々後日、土曜日は何の日か知っているな、諸君」
えーと今日が七月四日だから…
(あっ今日はクラスの友達の岡村くんの誕生日だった…まいっか)
どうでもいいことを思い出した怜司は心の中でハッピーバースデーと唱えて、意識を三日後に向ける。
七月七日だから七夕だ。七夕ということは
「なゆの誕生日!」
梨音さんが叫ぶ。やっぱりかーと怜司は思う。名前が七夕と書いて誕生日が違う日なわけがない。誕生日の人多いな、と思いながら怜司は部長の次の言葉を待つ。
「まあ内輪の話だそれは。要するに七夕なわけなんだが今年の校内飾りは生徒会の担当になった。ということで今週はそれが私たちの仕事だ」
「最近、マジで雑用部っすよね〜」
「ん?なんだマッド。不満か?」
「そういうわけじゃないすけど、ちまちましたのはちょっと…」
「そう言うと思ってお前には竹狩りという重労働を用意してある。裏山から切り取って来い」
「マジすか。ひゃっほーい!!」
歓喜しながらマッドは飛び出していった。重労働で喜ぶって…筋肉のせいなのか?
「部長はマッドの扱いが流石やな」
「まあな。では、残った私たちは飾りでも作りながら駄弁るとしよう」
「なんかマッド先輩に罪悪感が…」
「構うな。適材適所にすぎない」
なゆ様はそう言って折り紙が詰まった箱を真ん中に置いた。
「てきとーに作ってくれ」
指示からしててきとーな部長の合図で各々はハサミやノリを手にとって輪っかや短冊を作り始めた。
チョキチョキとハサミの音がだだっ広い部室に響く。
「なあ、なゆ」
部長が正方形をハサミ以外何も使わずに正確に四等分しながら言った。
「なんですか」
「誕生日何が欲しい?」
「え?あー何でもいいです」
出た一番困る回答、と思いながら怜司は部長の切った長方形を輪っかになるように貼り付けていく。
「なんかないのー?」
梨音さんはジャバラ飾りを器用に作っている。
「そうだぞ。なんでもいいから言え」
部長のありがたいんだかよくわからない要求になゆ様は少し考えて始める。
「土曜日ってことはいつものあれもやるんやろ?」
「そりゃそうだ」
「せやったら怜司にも言っとかなきゃいかんな」
怜司は自分の名前が出たので顔を上げた。ハジィが妙にレベルの高い折り紙細工をつくっているのが見えた。
「土曜日になんかあるんですか?」
「パジャマパーティー」
部長が名詞だけを口にした。
「へえーパジャマパーティー…へ?」
それって子供達だけの寝巻きお泊まり会の意味じゃなかったっけと怜司は英語の記憶を辿った。
「毎週土曜日にこの部は合宿をしているんだ」
「…何でもありですかこの部は…」
「といっても本当に宿泊するわけじゃなくて、部活動をふつうより遅い時間帯まで延長するってだけだからな」
「あーそういうことですか」
もし広いとはいっても一部屋には変わりないこの部室に高校生の男女が毎週宿泊などしたら大問題だ。まだそのくらいの常識はこの部にもあったらしい。
「そうだ」
考え込んでいたなゆ様が声をあげた。どうやら欲しいものを思いついたらしい。
「決まったか?」
「はい」
「なになに?!」
「星です」
「お星様?」
梨音さんは首を傾げる。
ふむふむと部長が即座に理解したようだ。
「七夕だからな。天体観測もいいな」
そういうことか、と遅れてハジィと怜司と梨音さんは合点がいく。
「はい。屋上の利用許可は自分で申請しときます」
「それじゃ、意味ない気がするんだが」
うんうんと梨音さんも頷く。
「いいんです。なゆにとってこの部活と部長達がいてくれることが一番の宝物ですから」
一足早く星のようにきらめく笑顔でなゆ様はそう言った。
「そうか。じゃあ楽しみにしておこう」
「なゆはーやっぱりいいこだねぇー」
女子三人組の微笑ましい光景でハジィと怜司が心を癒しているとドアが勢いよく開かれた。
「とりあえず一年の分は竹切り終わったっす!」
汗だくのマッドが汚れた顔で部室前に立っている。
「空気よめや」
ハジィがボソッと言った台詞に激しく同意したくなった怜司であった。
「ご苦労。残りも明日以降頑張ってくれ」
「はい」
「さてもう6時半だ。私たちも解散としよう」
円卓の上にはなかなかの量の飾りが出来ていた。
「お疲れさまでしたー」
こうして二日目の部活もこうしてあまり部活動らしいことをしないまま終わった。
翌日も似たようなもので飾りの量が尋常じゃなくなった以外は同じような部活動だった。
この緩みきった開放感の中でくつろいでいるに等しい部活は好きだなと思う。
しかしこの部の真価を知ったのは六日だった。
「六日は午前七時に集合」
その指示通りたった六人の執行部はまだ生徒も来ていない朝っぱらから部室に集まった。もう朝だからといって冷え込むような季節ではなくなっているということを彼らは汗ばんだ肌に感じていた。
部室棟の外に出ていた六人は立て掛けられた笹竹を見上げる。早朝からあちこちに飾りをつけていた六人は作業が終わって一息ついていた。
「高校生で七夕にこんなことするとは思いませんでしたよ」
「いいじゃないか。童心に返るといのは大事だぞ」
この後普通に授業はあるのに、部長だけはジャージなのはさすがパジャマニアを作っただけはある。他は制服だ。
「七夕って不思議すよね」
マッドが言った。
「どうして?」
「自分の思った通りに願いを言える唯一の行事だからすよ」
「?」
「クリスマスは子供が欲しいものをねだるだけだし、正月とか七五三とか節句とかお盆とかに至っては儀式みたいなところもあるじゃないすか。それなのに七夕は宗教とはあんまり関係ないし、願い事を書くだけなのに一般に受け入れられてるってのがなんだか不思議だなと思ったんすよ」
筋肉キャラらしからぬ事を言ったマッド。確かにそう言われてみたらそんな気もする。
「確かに不思議ですね」
「控えめ思考の日本人には珍しいイベントかもしれへんな」
同意した怜司とハジィはマッドと肩を並べて遠くを見る。
「そんなことを言おうがこの竹を運ぶのは、お前ら男性陣だから安心しろ」
「ちっ」
ハジィが舌打ちをする。
「なんだ?それとも私たちに運ばせる気か」
「いえいえ滅相もないすよ」
そう言ってマッドは軽々と一本持ち上げる。彼はいいかもしれないが見た目が女の子と言われる怜司にはキツイ。続いて意外とあっさり持ち上げたハジィの横で怜司はさらに萎縮する。
残った一本を持ち上げようとする怜司だが思っていた以上に重く、竹が倒れそうになった。倒れかけた竹を片手で止めた部長が指示を出す。
「私と怜司はこれを一年に運ぶ。マッドは三階、ハジィは二階だ。梨音となゆは各クラスに生徒用の短冊を配ってくれ。終わったら各自解散だ」
「了解!」
そうして部長と怜司は長い竹を二人で運び始めた。中庭通る時に登校し始めてきた生徒がなんだなんだと好奇の目で見ているが、二人ともどこ吹く風だ。
「部活には慣れてきたか?」
「えっ。あっはい。楽しいです」
慣れるも何もゆるすぎなのだが、と思うが楽しいのは事実だ。
「よかった。それなら誘ったかいがあったというものだ」
怜司はそういえば、と気になっていたことを聞くことにした。
「どうして僕を執行部に入れたんですか?頭よくないし運動会もそんな出来ないのに…」
怜司は語尾を下げながら言った。竹の先端を持っていた部長は急に立ち止まり少し悲しそうな目で怜司の目を見る。
「君は執行部のメンバーがその能力が故に存在していると思うのかい」
言葉の真意をはかりかねる怜司は戸惑った。
「違うんですか?」
「違うね」
部長は強くきっぱりと断言した。
「私が彼らといたいから一緒にいるのだ。そして彼らもそれを望んでくれている」
「一緒にいたいから…?」
部長はまた歩き始めながら答える。
「そうだ。その彼らには君も入っているんだよ。でも、もし君が嫌になればすぐに辞めていい」
「やめませんよ。僕も一緒にいたいですから」
今度は怜司が強く主張した。驚いたように部長が振り返る。
「先輩は僕の憧れなんです。だから生徒会に入れなかったのに執行部に入れてもらえて嬉しいんです」
「憧れて…?」
「はい。入学式で見たときから心が強そうな人だなと思ってたんです」
「よしてくれ。私はそんな出来た人間じゃない」
部長は苦笑いしながら言った。
「僕から見ればまだまだ遠く及ばないですよ」
「やめてくれ。照れる」
直接言われるのは苦手なんだと言って部長は足を早めた。
「あれ?じゃあ結局なんで執行部に誘ってくれたんですか?」
「ああそれは面白そうだと思ったからだよ」
「面白そう?」
「歩いてたら電波みたいなのがピピッて来るんだよ。あっこいつは面白いぞって。自分に似たやつには反応できるのかもな」
「そんな理由で…」
「馬鹿には出来んぞ。ハジィ以外の後輩組はみんな私の直感で入れたんだから」
それは確かにすごい直感だ、と思っていると本校舎の一階に辿りついた。一組の隣の階段横の空いたスペースに竹を二人で立てる。これにみんなの願い事が吊るされるのだ。
「わー綺麗!怜司も立派に執行部してるじゃん」
不意に一組から出てきたのは友代だ。
「当たり前だろー」
「偉い偉い」
子供を相手にするように友代は言った。
「もうー」
そんな二人のやり取りを見ていた部長はクスクスと笑っている。
「あっそういえば間玉さん」
部長が友代の苗字を呼ぶ。
「はい、私?」
「この前は済まなかったな、目の前で怜司をさらってしまって」
「いやいやそんな。…今日も出番がもらえたし…」
「出番?」
「こ、こっちの話です。ぜひこのおっちょこちょいを執行部で鍛えて上げてください」
「おっちょこちょいって…」
「承知した、任せてくれ」
また部長は笑いながら言った。
「よかったね、れいきゅーん!」
後ろから抱きすくめられた。階段から降りてきた梨音さんなのは言うまでもない。
「うわっちょっだからそういうのはやめてくだ…」
梨音さんの腕の中でもがく怜司を冷めた目で見る幼なじみの顔と無言で語る。いや、何も語ってないけど。
「楽しそうだね…」
あれ?友代が引いてる?
「ご、誤解だって!」
「誤解って何が?」
ひゅうううと凍てつく風が吹いた気がした。
「そ、その好きでこうされてるわけじゃないってことを…」
「いいじゃん。仲良しで」
「な、仲はいいけど…こういうんじゃなくてね…」
怖い。マジで友代の目が怖い。
「ふうん。じゃ頑張ってね。れ・い・きゅ・ん」
そう言って友代はクラスに戻っていった。
「違うんだーーーっ!!」
虚しい怜司の叫びが校舎にこだました。
部長となゆ様が腹を抱えて笑っていた。梨音さんだけは満面の笑顔だった。
「ご愁傷さま、やな」
「なんとかなるって」
男性陣二人が励ましの言葉を口にするが、何の慰めにもならない。
「僕のイメージが最悪になった気がします」
「くっ、ははは…。ああなんだ結局みんな揃ってしまったのか。まあ取り付けも終わったし、今朝はこれで解散だ。また午後会おう」
そう言うと部長達は笑いながら上の教室にあがっていった。
一人一階に残った怜司はクラスに戻るのが辛かったのだった。
実はその後、結託した梨音さんと友代によって後に会長ファンクラブにも匹敵するようになるれいきゅんファンクラブが創立されたのだが、当の本人にそれを知る由も無い。
その日は怜司はいろんな同級生から執行部で頑張ってるんだね的なことを言われて嬉しくなっていたので、朝のことは忘れたことにした。友代もその後は何もなかったように接してくれたのだが、逆に何か隠しているのではないかと心配なぐらいだった。
放課後、みんなの短冊を笹の葉のようにまとった竹を誇らしげに見ながら怜司は部室へと向かう。
「お疲れ」
迎えてくれた部長は相変わらずのジャージだった。
「どうも」
「一人ですか?」
「そうだよ。まだホームルーム中なんだろ」
金曜日はどの学年も最終限まであるので一応部活を始める時間揃うはずなのだが、担任によってホームルームの長さがまちまちでこういう風に差が生まれる。
「みんな集まるまでこれでも考えておくといい」
そう言って部長が円卓を滑らせてきたのは短冊だ。
「クラスで書きましたよ?」
「こっちは部活用さ」
部長が顎で示した先には小さな竹が立ててあった。
「そうですか。うーん。何書こう」
考え始める怜司の横で、部長はもう短冊を吊るしたようだ。
「なんて書いたんですか?」
「うん?私はパジャマヒト王国の復興を願うと書いたよ」
「…ウソですよね」
「まあな」
「大体なんですかパジャマヒト王国って…」
「いや今日世界史でマジャパヒト王国が出てきた時にピンと閃いてな」
「頭おかしいですね」
「褒めるなって。照れる」
「…」
馬鹿らしく気まずいような気まずくないような空気が流れる。
「部長をそんな目で見るなぁーっ!」
扉をどんと開けて入ってきたのはなゆ様だ。超小柄なその姿に高校の制服を着ている彼女を見ていると、よっぽどパジャマの方が似合うなと思う。
「こんにちわー」
「ちーっす」
「なんや俺最後かいな」
続いて残るメンバーも揃った。各々が当たり前のごとくパジャマに着替える。
「じぶん、そろそろパジャマ着いひんのか?」
アルティメットパジャマニアのハジィが聞いてくる。
「なんていうか、これというパジャマが無いんですよ」
「はー、そりゃないぜ、ここにあるの適当に着てみろよ」
マッドがクローゼットを指差しながら言った。ちなみにそれは部員用で、その隣には部長個人のタンスがある。
マッドの発言で、梨音さんとなゆ様の目が新しいオモチャを与えられた子供のように輝いた。あっこれはヤバイ。
「ふふふ。れいきゅんお着替えたーいむ!」
「同意する」
「やーめーてくーだーさーいっ…」
怜司はなす術もなく更衣室に引きずられていった。
十数分後。涙を滲ませながら円卓に座る怜司は初めてここにきた時になゆ様が着ていた格好と同じ格好をさせられていた。
「ほんまかいな…お前実は女の子ちゃうんか」
ハジィが狂ったことを言い始める。
「女の子より女の子してるぜ」
「マッド先輩まで何言うんですか…」
「似合ってるぞ」
部長もそう言うが、問題はそこじゃないでしょう、と突っ込む。
「もうれいきゅんというよりれいちゃんだねぇ」
「男の娘をなめていた。謝罪する」
着せた二人までふざけたことを言い始めた。
「はあ……」
怜司は深いため息をついた。こんなところを部外者に見られでもしたら沽券に関わる。
「さて今日の活動だが、短冊を書いたら適当にくつろいでくれ」
(いや書く前からくつろいでんじゃん。)
アバウトすぎる指示に従ってマッド達も短冊を手に取る。
「明日のパジャパについて質問は?」
パジャマパーティー、略してパジャパだそうだ。さっき聞いた。
「何時までですか?」
「その時その時によるが明日は天体観測もするから9時くらいかな」
「へえー結構遅いんですね」
「深夜徘徊補導回避用に学校許可証は作れるから安心したまえ」
なゆ様が色々と問題のありそうなことをいうが聞こえなかったことにしよう。
「他には?期末テストの勉強道具は忘れるなよ」
「え?」
怜司だけが声をあげる。
「執行部の仕事とテスト前の合宿は勉強会をするんだよ」
「あっそういうとこはちゃんと真面目なんですね…」
「生徒会機関だからな、赤点が出たりでもしたら大変だ」
そんな理由が…と思いながら怜司はあまり成績がよくない方なので感謝する。
「こんなもんかな」
そう言って部長は生徒会の仕事を始める。他の五人は短冊を考えるが、一回クラスで書いてる分何を書こうか悩んでいるのはみんな同じようだ。
と言っても怜司以外は少ししたら書き終わり、雑談に考え中の怜司を巻き込んだ。
喋りながらいるとすぐに下校の時間になった。
やっと咄嗟に思いついたことを書いて竹に付けると怜司は急いで部室を出た。他の五人のを見る余裕はなかったのが残念だった。
「また明日」
「はい。お疲れさまでした」
こうして初仕事の日も…
「着替えてから帰ろうな」
部長が言った。
「早く言ってくださいよっ!」
「いやあ流石に忘れないだろうと思って」
なんというか、女装に慣れてしまっては本格的にマズい気がする。怜司は慣れてない慣れてないと心で唱えながら着替えて今度こそ部室を後にした。
こうして初仕事の日も無事終わった。疲れた一日だった。
—milky way
土曜日は午前授業。たった四コマを終えると生徒達は平日よりもうんと長い部活にいそしむ。
そんな中、生徒会執行部はパジャマを着てなゆ様のバースデーパーティーを開催していた。
昨日で反省した怜司は自前のルームウェアを着ている。
「お誕生日おめでとー」
梨音さんがクラッカーを鳴らす。
「また一歳老けたな」
余計なことを言ったマッドは少女からのローキックをお見舞いされた。
「七夕に誕生日ってなんか羨ましいです」
「そうか?」
「はい。すぐみんなに覚えてもらえるじゃないですか」
「私の場合はそもそも名前になってるけどな」
「なおさらですよ」
いつもの円卓には鮮やかなテーブルクロスがかけられ、ケーキを中心にして所狭しとオードブルがならんでいる。今日の昼ご飯も晩ご飯も込みだ。
「なゆに何をあげようか迷ったんだがな、なんでもいいと言っていたから勝手に選ばせてもらった」
そう言って部長は小さなラッピングされた小箱をなゆ様に手渡す。
「みんなで決めて買ったんだよー」
「別にいいって言ったのに…
ありがとうございます」
なゆ様が箱を開けると小さな星飾りの付いた髪留めが入っていた。
「おー可愛いです」
早速なゆ様はそれを付けて見せた。
「似合ってるな」
「なゆはやっぱりかわいいね」
男性陣三人は破壊力を増した少女に言葉を失う。
「どうもです、みなさん」
「どういたしまして」
それから3時ぐらいまでパーティーは続いた。
時折、なゆ様にプレゼントを持ってくる生徒がいたが例外なくパジャマで出迎える執行部にぎょっとして手短に帰っていく。当然といえば当然なのだが最近日常になりつつある怜司は人間の適応力の強さを知った気分である。
夜ご飯を残して食べ終わったものを片付けて次は真面目に勉強会に入ったが、平均下ぐらいなのは怜司だけだった。先輩はみんな上位層。マッドとハジィまで好成績なのは意外だった。
「この勉強会のおかげやな」
「そうっすね」
これは期待できる、と怜司は真剣に三時間集中した。代わりばんこで教えてくれる先輩陣はみんな教え上手でもあった。
それも終わり、他の部活生が帰り始めたころ、パジャマニアの活動は始まった。
といってもまずは脳を使って減った腹を昼の残りとお菓子で満たすことが先だ。
「れいきゅんは昨日のはもう着ないの?」
お菓子を頬張る梨音さんは今日はシャツタイプのパジャマだ。
「二度と着ませんよっ!」
「えーかわいいのにー」
「同感」
脅威の二年女子コンビから助けを求めるように男仲間のハジィとマッドを見ると視線をそらされた。おい。
「とにかく着ませんって。女装するぐらいだったら裸の方がマシです」
「ぶー」
お菓子を飲み込んで頬を膨らます梨音さんは可愛いけどそこは譲れない。
「あっ誕生日欲しいもので来たぞ、怜司」
「なゆ様、それは反則です」
「けちー」
ブーイングする二人を他所に部長は何か考え事を始めていた。
「女装するぐらいだったら裸の方がマシ…?といったな怜司」
「はあっ?!正気ですか」
「あーいやそういう意味じゃない」
あくまで真剣そうな部長に怜司達は首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「もしかしたらアルティメットパジャマの原点はそこなのか…」
ブツブツ言い始める部長の目の前でハジィが手を振る。
「もしもーし」
「ああ、そういうことなのか!」
みんなを置いてけぼりにして部長が叫ぶ。
「?」
「私のアルティメットパジャマは全裸なのかもしれない」
「なんでやねん!!」
ハジィがツッコミを炸裂させた。さすがはエセ関西人キャラをやっているだけはある。キレの足りないツッコミだった。
「古い学説でパジャマは外来語ではなくて、日本語から生まれたという説があってな」
いやどんな学説だよ。
「そもそも真っ裸でいた人間が服を着るようになったのは屋内が先か屋外が先かという論争に始まるんだが、暫定論では睡眠時の寒さをしのぐために屋内で服を着始めたのが先だとなっている」
無駄にスケールが大きい話になってきた。
「そうすると気づかないか?」
部長が部員達に問う。答えを待たずに話は続けられた。
「初めて人間が着たのは寝るときの服、つまりパジャマだということだ」
「なるほど…」
「これがいわゆるビギニングオブパジャマ説だ。それに続く形で生まれたのがさっき言ったパジャマ語源説でな、真っ裸から人を守るものという意味で最初は真っ裸を邪魔するものと呼ばれていたのがマッパダカジャマになりさらにマッパジャマと縮まってパジャマになったという説なんだ」
「強引やなあ」
「嘘くさいすよ」
その前にその前提もおかしいけどね。
「まあその真偽はさておき、もし私の求めるパジャマがそこにあったらどうしようかということだ」
「は?」
「見て分かるとおり私はありのままに生きることを信条にしている。思いたてば行動にうつすようにな」
「だからって裸になることはないでしょう」
「でも、もしかしたらそれがアルティメットパジャマなのかもしれないじゃないか」
「着てすらいないっすけどね」
「む…それもそうか」
「気づいてなかったんですか…」
「いい考えだと思ったんだが…。仕方がない。マッパジャマはやめることにしよう」
やっと暴走が止まった部長に部員達はホッと一息ついた。時計は7時半を回っていた。
「すまん時間を取った。そろそろ屋上に行こう」
「おーっ」
彼らは階段を駆け上がって普通は出られない屋上に出た。
雲一つない漆黒の空に星の世界が浮かんでいた。月は出ていないから一層星が見える。
都心部から離れたここではスモッグや人工光による妨害もない。おかげで天体観測といいつつも裸眼しかない六人にも十分すぎる夜空の美しさだった。
「きれい…」
「圧巻、だな」
六人は中心に頭を向けて放射状に仰向けになる。
天頂から少しズレて天の川が広がるのが見えた。ちゃんと川として天の川を見られるのはいつぶりだろうか。
天の川を挟んでアルタイルとベガが並ぶ。
「よかったねー」
「今年は会えて、か?」
梨音さんの言葉の先をマッドが予想して言った。
「うん。織り姫さまと彦星さまが会えてる」
「いつも思うんだけど雨降っても空の上で会えてるんやないか?」
ハジィが大人げないことを言う。
「そういうことはいいのー」
「しかも実際には一秒間に数十回会ってる計算らしい」
「なゆー…」
企画者のなゆ様が知りたくなかった情報を付けたした。
「にしても綺麗だな。言葉に言い表せないよ」
部長が手を空に伸ばしながら言った。
大三角は言うまでもなく名も分からない低級の星々が空を埋め尽くしているためずっと見続けていても飽きない。
六人は無言で思いを宇宙に寄せた。
「あっいるか座」
怜司はお気に入りの星座を見つけて声に出す。
「そんなのあるんだーどれ?」
怜司は西の空の下方に指を向ける。低空を昇ってきつつある乙女座の反対側、大三角の遠く左下だ。
歪んだ四角形に棒を足したぐらいにしか見えないその星座は跳び上がるいるかのイメージらしい。
「いるかには見えないよー」
「そんなもんだろ星座なんて。心の眼で見るんだよ」
「心ねえ」
それからも1時間ほど見続けていたが、流星群でもない限りあきてしまうのが一般人で、部長はよし、といって立ち上がった。
みんなも立ち上がる。
「満足か、なゆ?」
「はい」
星飾りが星の光を受けて煌めいた。
「それは何よりだ」
なんだかとてつもなく大きなやさしさに包み込まれていたような気分だ。身体が浮き上がるような錯覚すら覚える。
「行こうか」
執行部一同は部室へと戻った。少しの間他愛ない会話をしていたが、9時になったのでいよいよ解散だ。そんなに長くいたわけでもないのに旅の終わりのような気分がする。
円卓に座った部員は制服に戻っていた。ジャージの部長が座らずに立つ。
「今週この新体制でやってきたが大丈夫そうなので、今年はこの執行部でやっていこうと思う。いいよな」
「はい」
みんなが頷く。
「六人だけだがこれから仕事はどんどん増えていく。みんなで頑張ろう。改めてよろしく」
「よろしくお願いします」
「パジャマニアの方も怠るなよ、文化祭はパジャマニアでコンテスト参加予定だ」
「えっそうなんですか」
「そうなんだ。だから頑張ってくれ」
「は、はい」
「では解散!」
部長の掛け声で初めてのパジャマパーティーがお開きになった。
外まで部長が見送ってくれる。六人に頭上にはまだ星空が広がっていた—
—astral guidance
校門まで部長が見送ってくれたあと、五人は別れを告げて家路についた。星空を一人見上げた怜司は忘れ物に気づいた。テスト前なのに勉強道具の入った手さげバッグを丸ごと忘れたのだ。明日勉強しないとまずいので仕方なく走って取りに戻った。
部室へと戻ると、部屋にはまだ部長は帰って来ていないらしくさっきのまま鍵もかけていないままだった。
怜司は入ってバッグを取るとすぐ出ようとすると、ふと七夕飾りの竹が目に入った。
そういえばまだみんなの願いごとを見てなかったなあと思い出す。
今日で処分されるかもしれないので見ていくことにした。
怜司「楽しい部活になりますように」
梨音「みんな元気にハッピー」
なゆ「明るく楽しく」
マッド「楽しくなれ」
ハジィ「面白い部活となりますように」
瑠那「部員が皆健康で、楽しくありますように」
「面白いだろ?」
扉に肘をかけて部長が立っていた。
「みんな同じこと書いてますね」
心からみんながみんなで楽しくあることを望んでいる。それって結構すごいことなんじゃないかと思う。
「なんも打ち合わせしてないのにな」
「本当ですね」
「私も含めて馬鹿正直というかなんというか」
「でもいいじゃないですか。統一感あって」
「私もそう思うよ」
部長は入ってきて愛おしそうに短冊を撫でていった。
「で、君は忘れ物かい」
「あっはい。この勉強道具を」
「ふふ。それは取りに来るしかないな」
「部長は何してたんですか?」
「ん。流れ星がないかまた見てた」
「へえ意外とメルヘンチックなとこもあるんですね」
「意外と、ってなんだおい」
二人は笑った。
「まあいいや。ほら早く帰りな。親御さんも心配するぞ」
「ですね、それでは」
「うん。お疲れ」
これで長くて楽しかった一週間が終わる。
怜司が部室の外に出た時だった。
「怜司」
呼び止められて振り返った怜司の唇が柔らかいものに覆われる。
すぐに唇を離した部長は天使のようなウインクをして、
「おやすみ」
と言った。
部長はすぐ部屋に引っ込んでしまう。
刹那の出来事で何がなんだか分からなかった。
ただ心の奥底から温かいものに包まれた。
それこそ暖かいパジャマを着たように。
呆然と歩き出した怜司は空を見上げた。
一筋の閃光。
「あっ」
流れ星に心の中で怜司は願う。
—楽しい一年になりますように。
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