最近、ワタルの仕事が忙しくなった。
先月までは毎日寝る前に15分くらい、その日あった事を電話で話していたのに、最近は電話がかかってくる気配すらない。
仕事が忙しそうなのは分かるし、まだ大学生の私が不平を言うと、ワタルは口に出さないけどきっと面倒くさく感じるはずだ。
だから私も発信ボタンを押したい衝動を抑え、ぐっと我慢してベッドに横になる。
それでも、電気を消して目を瞑っても、なんだか落ち着かなくて眠れない。
電話越しに聞こえる、あなたからの「おやすみ」がないと眠れない。
「んんっ~~」
「おつかれー理香。なんか眠そうだね、徹夜でレポート?」
「ん~違うけど、まぁそんな感じ? ふわぁ~」
退屈な二限の授業が終わり、思いっきり伸びをしていると同じ学科の早季子に話しかけられた。
「だっらしないあくびして…カレが大学卒業してから気抜け過ぎじゃない?」
「私たちもう4回生だし、そんな1回生みたいにキラキラしても仕方ないじゃん、次の講義までちょっと寝とく」
カバンを膝の上に載せ、眼鏡を外し、机に突っ伏して寝る体勢に入る。
「はいはい、じゃあ私はテキトーに昼とっとくわ」
ほーいと適当に返事しながらカバンから携帯を取り出した。
寝る前にLINEの通知を確認したけど、ワタルからのメッセージはなかった。
昼ごはんの写真とか送ってくれていた頃とは少しずつ変わってきたのかな。
教室に人が増え始め、ざわざわとした音で目を覚ますと、早季子は隣に座って携帯をいじっていた。
「お、理香おはよー」
「んぅ…おはよぉ…」
眼鏡をかけて周囲を見渡すと、教室の半分くらいは埋まっていた。
「一応コーヒーとパン買っといたから今のうちに食べとけば? あと5分はあるよ」
「え、ホント? んーでも今そんな気分じゃないし三限終わったら食べよっかな。ありがと、早季子」
「ん」
口には出さないが、早季子は私の元気がないことを心配してくれている。
でも彼氏が忙しいから眠れないって理由、我ながら恥ずかしすぎるし、聞く側からしたら下らないのも分かるし、事情は話せずにいる。
「はい、これ」
財布から300円取り出して早季子の方に差し出すと、早季子は無言でそれを受け取った。
その気遣いのお礼はいつか300円以上の形でしなければと思いながら、次の授業の準備を始めた。
三限後、ゼミがある早季子と別れて食堂のテラスで、先ほど貰ったパンをありがたくいただいた。
ぬるくなったコーヒーは、冷たいものが苦手な私のお腹にちょうどいい。
授業中は眠かったけど少しずつ目が冴えてきた。
これならこの後のバイトも問題なくやれる気がする。
私は週三回居酒屋でバイトしている。
居酒屋と言っても、個人経営の小さいお店で10時には閉店するからそんなに大変じゃない。
でも、金曜日となるとやはり賑わって、終わった後には疲れがどっと押し寄せる。
少し街に出て時間を潰そうと思ったけど、体力をとっておきたかったので、そのままテラスで本を読んで時間を潰した。
「お疲れ様でした、失礼しまーす」
まかないを丁重に断ってバイト先の居酒屋を後にする。
今は食べることより早く帰りたい気持ちが大きく勝っている。
「んんっ~~~」
外に出て、大きく伸びをする。
今日もいっぱい働いて、とにかく疲れた。
伸びをし終え携帯を開くけど、ワタルからのメッセージはない。
10時34分、ワタルは多分まだ働いているんだろう。
反対方向の電車に乗れば、数駅でワタルの家の最寄りに着く。
そんな雑念が脳裏をよぎるが、いきなり押しかけたら迷惑千万だ。
浮かんだ考えをすぐ無かったことにして、自分の家に向かう。
11時3分、家の明かりをつける。
朝、慌てて出たせいで少し散らかったままの部屋が眼前に広がっている。
カバンを下ろして、とりあえず散らかった部屋からは目を反らしてお風呂に入る。
お風呂に入っても、やっぱりワタルのことを考えてしまう。
別に今日嫌なことがあった訳じゃない、それでも何となく憂鬱な気持ちは消えない。
一つ年上の社会人の彼氏がいて、4年生の大学生としては順風満帆で幸せなはずなのに、贅沢な悩みだ。
それでも会えないのは、話せないのは辛い。
ため息をつきながらお風呂を出る。
やっぱり考えこんじゃだめだ、本の続きでも読んで今日はちゃんと寝よう。
「……あっ!」
身体を拭いて下着だけつけて部屋に戻ると携帯のランプが光っていた。
身体も髪も濡れたまま、携帯を手に取るとワタルからのメッセージが来ていた。
『最近忙しくてごめん、明日休みだし、これから理香の家行ってもいい? 迷惑だったら言ってね』
迷惑なわけがない。
『ううん、すぐ来て!』
私は即座にそう返信してから、今の状況に気が付いた。
上下ともに下着姿に散らかった部屋、そしてワタルが来る。
「よしっ!」
まずはパジャマを着て、それから部屋を綺麗にして、ちょっとだけお化粧して。
ああ楽しみだなぁ。
『もうすぐ着くよ』
そのメッセージが届いた時にはコロコロでカーペットの掃除をしていた。
電話はしばらくしていなかったけど、会うのはもっと久しぶりだ。
待ちきれない、待ちきれないよ。
(ピンポーン)
インターホンのカメラを確認せずドアを開けると、スーツ姿のワタルがいた。
明らかに目のクマが濃くなってて、疲れてるんだなっていうのは一瞬で分かった。
気持ちが離れていたとちょっと疑っていたことがすごく申し訳なかった。
「急にごめんな、でも久々に会いたくて」
「ううん、私も会いたかったから。さ、あがって!」
ワタルのカバンを預かって、中に誘導する。
「ワタル、お風呂入ってないよね? 私入っちゃったし、すぐ入ったら?」
「あー、じゃあお言葉に甘えて」
ワタルの着替えは私の家に置いてるので、ワタルはそれを取って風呂場へと向かった。
お風呂に誘導したのはワタルが疲れてそうってだけじゃなくて、まだ掃除が途中だからなのもあった。
ワタルがお風呂から上がる頃には準備万端で、全く集中できないけどテレビを見ながら待っていた。
「あ、お疲れ~ビール飲む?」
「おう、一缶だけ飲もうかな」
お風呂に入って血色が良くなったのか、ワタルはさっきより少しだけ元気そうに見える。
「おっけーそれじゃ、カンパーイ!」
「カンパイ……それとさ、理香」
「んー何?」
「最近連絡できなくて本っ当にごめん! 研修終わってから訳分かんないくらい忙しくてさ。あんまり深夜に連絡するのも迷惑かと思って連絡できなくて…
でも土日は会社出なくて済みそうだから、出来るだけ一緒にいたい」
ワタルはさっきから何度も「ごめん」って言ってるけど、私には必要のない言葉だった。
「やっぱり忙しかったんだね、でも、たしかにちょっと寂しかったなー?」
「そうだよね、ごめん、埋め合わせは明日明後日ちゃんとするから!」
「約束だよ……って今日は埋め合わせしてくれないの?」
「……あ、そうだな! じゃあ今日は……えーっと」
「ふふふ冗談だって、ワタル今日は疲れてるでしょ? 私もバイトとかで疲れてるし、今日は寝て明日いっぱい遊ぼうよ」
「気遣わせてごめん、こんな良い彼女ほかにいないなぁ」
「でしょー? アハハ」
その後、私たちはいつもの寝る前に電話していたくらいの間お喋りして、一緒の布団に入った。
電気を消して軽くキスをして、手を繋いで目を閉じた。
お互いに「おやすみ」を言い合うと、ワタルは本当に疲れていたみたいですぐ寝てしまった。
私は、暗闇に浮かび上がる彼の寝顔を見て、なんだかとても心が落ち着いた。
目を閉じても一人じゃない、手のひらから暖かい温もりが伝わってくる。
でも、安心だけじゃなくてドキドキする。
明日が楽しみすぎて心臓の鼓動が強くなる。
どうしよう、今日も眠れない。
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