まぁ、何はともあれ。彼の話をまずはさせて欲しい。
 彼。ここでは仮に佐上くんと呼ぶことにしようか。
 佐上くんは不眠症を患っていた。いつからかと問われれば、数ヶ月前から。
 今朝も一睡もできないままに起きた彼は、これから学校へと向かうところだった。
「……」
 不眠症の原因は様々に考えられるが大雑把にまとめて、結局はストレスによるものが大きい。
 佐上くんの生活におけるストレスはいかほどなものだろうか。
 ちょうど彼が教室に至る。
 一面から、腫れ物を見るような視線に晒される。
 痛いほどの沈黙。
「……」
 別にいじめられてるわけでもない。突き刺さる視線のほとんどは同情にも似たものだった。
 同情。
 つまりは線引き。
 お前は可哀想な向こう側。私たちは上から目線のこちら側。
 ……いやよく見ると。もちろん全員が全員その種類の視線というわけでもない。
 混ざるのは、仄かな罪悪感。
 彼だけをスケープゴートにした、かつての共犯者たちの視線が入り混じる。
「……」
 しかし間もなく避けられる。
 佐上くんが見渡すだけで。歩くだけで。それらの視線は次々と剥がれ落ちていく。
 自席へ。
 その前方。二席手前には空席。机の上に花瓶の置かれた。
 空席。
 授業が始まる。


 不眠を長く患うと、覚醒時の意識は常に散漫とした状態が続くようになる。
 佐上くんにしても事情は同じで、居眠りできたわけでもないのに。気付けば授業中の記憶はなく、今この時はすでに放課直後だった。
「……」
 帰宅の途へと向かう周囲に合わせて席を立ちかけながら、どうして自分は眠れないのかと考えてみる。
 ……いや、考えるまでもない。理由はわかりきっていた。
 わかりきって、なお克服できないそれは。ある種の呪いじみて思われた。
「本当に呪いなのか……?」
 いつの間にか、自室。
 返事など、もちろんない。
 明かりも点けぬままに夕暮れ。手の先も見えないほどの暗がり。それらは沈黙を以って佐上くんをすっぽりと包んでいた。
 返事はない。
「どうして俺だけなんだよ、なぁ」
 返事はない。
「返事はない、じゃねぇんだよ! その声やめろよ……頭の中で終始ブツブツブツブツ、……おかげで俺、全然眠れないんだよ」
 そう、佐上くんは眠れない。
「復讐、なのか? 何すれば許してくれるんだよ……俺だけじゃなくて、もっと他にもいただろ。なのにどうしてだよ……」
 返事はない。
「……」


 翌朝。
 吹っ切れたような顔で昼頃、ふらりと教室に現われた佐上くんの手には、どこから仕入れてきたのかサブマシンガン。
 唖然とするクラスメイトに向かって掃射。教室を血の海に変える。
 阿鼻叫喚。
 沈黙。
「なぁ、これでいいか? なぁ?」
 屋上へ。
 屋上の、『僕』が飛び降りたその柵のもとに。
 牛乳瓶。タンポポを挿して。
「ごめんよ××××。……死ぬまでイジメて、悪かったな」
 彼はその場で銃口を咥えて、あっさりと自殺する。
 あっさりと、眠ってしまう。
 ……。
 …………。


 しかし『僕』だけは眠れない。
 佐上くん主導のクラス全体からのイジメが原因で自殺して以降。どうしてか『僕』の意識は途切れることなく、こうして語り続けている。
 この声が佐上くんにだけ聞こえてしまった理由も、正直なところよくわからない。
 別に彼に特別恨みがあったわけでもなく。この世に未練があるわけでもなく。
 ただただ『僕』も、眠れないだけなんだ。
 ……。
 …………なぁ。
 聞こえてるんだろ? 君もこの声が、さ。
 君も眠れないのか?
 君も佐上くんみたいにいつか狂うのか?
 ……。
 でも最後には『僕』を差し置いて、眠ってしまうんだろうな。


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