Scene 1.
俺と鈴木は高校一年生のときに同じクラスだった.年度初めは特に関係もなかったが,梅雨頃だったか,席替えで偶然隣り合ってから会話するようになった.図書館や学校近くの本屋でお互いに時折姿を見かけることに気づいてからはなお仲良くなった.
進級してからクラスが別れた後も放課後に様々なオンラインで対戦できるゲームをしながらチャットをしていた.今日もオセロをしながらチャットをしている.
よし,これで2勝1敗で俺の勝ちだな.
「ああ.久々にこういうシンプルなゲームをしたが,これくらいすぐ終わるのもいいものだね」
この間やったやつなんて一週間まるまる使ったしな.
「あれも楽しかったけども気楽にはできないのがね」
とまれ,これで俺がちょうど100勝,お前が86勝か.だいぶ差が開いてきたぞ.実力の差が現れてきましたな.
「まだ数えてたのか」
つけ始めたら数字が大きくなるのが楽しくなってきてな.
「以前のキリが良いところでは何勝何敗といってたっけ?」
メモ帳を適当にめくるとちょうどいい数字が出てきた.
俺が50勝したときは45敗だったらしい.やはり差がついているじゃないか.
「ふむ」
どうした? 反論がないなら俺の勝ちだが?
「いや,いいかい」
どうぞ.
「実力が伯仲していて,お互いに等しく二分の一の確率で勝つとしても,回数を重ねると分散は大きくなるんだよ」
わからん.
「同じ実力でも繰り返していけば我々の勝数の差は開いていく可能性は高い.しかし,その差は試合数の平方根に比例するはずで,今の我々の差もそれくらいの割合で増えている.」
ははあ.よく知ってるなそんなこと.
「数学の教科書の統計の章にもあったろう」
俺は数学の教科書の習ってないし恐らく習わん単元の範囲まで読んでまわる趣味はない.それで,実力差はないと言いたいわけだ.
「うん」
負けず嫌いな奴め.まあいいやもう遅いから俺は寝る.おやすみ.
その後,すぐにチャットウィンドウを閉じたので鈴木がどう反応したかは知らないが,肩をすくめる姿が容易に想像できた.

Scene 2.
「やあ」
高校を卒業して以来四年ぶりに見る鈴木は手の上げ方も抑揚の付け方も変わっていなかった.見慣れぬ私服が新鮮だが,恐らく四年前も似たような中性的で整った服を着ていたに違いない.当時から大人びていた.いま安居酒屋で先にすまないねと言わんばかりにビールジョッキを軽く持ち上げる姿は歳相応といったところである.
「久しぶりだね.就活の調子はどうだい」
こちらのスーツ姿を見るなり聞いてくる.
芳しくはないね.経済学部が社会から何も期待されていないことがよく分かるよ.
「素人目には経済学はなかなか使い出のある分野であるように見えるのに違うのかい」
将来的にはな.人間はまだ社会をモデル化できるほど賢くないらしい.追試もできないしな.
「そういう意味では古生物学みたいなものかね」
よくわからないので適当に肩をすくめてみせる.近くにいた店員にビールを頼む.
それにしてもまったく変わらず元気なようで安心したよ.こっちの生活には慣れたか.
「研究室は学部の時にお世話になった助教の出身研究室だからね.雰囲気は似ていてなかなか過ごしやすいよ」
話を聞くと学部生のときにいた研究室が教授の退官と助教の任期切れに伴い完全になくなったのでわざわざ上京してきたらしい.
どうせ聞いてもわからないだろうが,どういう研究をやっているんだ.
「専攻は物理工学で,半導体デバイスの研究室にいるんだ」
シリコンとかそういうやつか.
「そう.要はコンピュータに使われる回路部品だね.もっとも基本的な部品がトランジスタというものなんだけども,これはいま一つのチップに数億,数十億の単位で詰め込まれてるんだよ.で,最近はこれを効率よくもっと詰め込むために三次元に積み上げてるわけだが,研究レベルではもう限界が見えているから次は四次元という話が出てるのね.うん.空間の三次元に時間軸を加えて四次元という意味で四次元」
SFじみた話だな.
「最近読んだSF作家が「未来というのはもう実在している,偏在しているだけだ」っていうことを言っててなかなか感動したよ.研究というのはもう実在している未来なのだという意識で行わないといけないと思ったね」
「それはそれとして話を戻すと,四次元積層というのは,荒唐無稽な話ではなくて,電磁気学の基礎的な方程式であるマクスウェルの方程式というのは実は時間反転について対称,つまり時間を逆方向に動いたとしても使える」
偏在する未来というのは示唆に富むが,本題はもう何もわからん.しかし鈴木は話し続ける.心なしか早口になり,口角も吊り上がっている.
「現実的には時間軸上の移動というのは人類にとっては強制的に行われるもので,人類が制御できるのはごく微小な時間移動だけだろう.だが,微小時間であってもうまく制御できれば,大容量の記憶装置が実現できるし,うまく利用すれば未来の情報を利用して計算を加速するコンピュータも実現できると大風呂敷を広げている人たちがいるわけだ.僕はその末端の末端で,それを実現するための回路部品に適した組成の半導体を見つけ出すことをやっているのさ」
鈴木がそこまでいったところで先程注文した俺のビールが運ばれてきた.
「まあ僕は大容量メモリはともかく高速コンピュータの方には懐疑的だけどね.さてそれでは再会を祝して乾杯」
喧騒の中,控えめな俺らしか聞こえないグラスのぶつかる音が鳴る.
で,さっきの話はどこまで本当なんだ.
「あれ,嘘が混じってるってよくわかったね」
流石に法螺が過ぎるだろ.いや細かい話は全くわからんのだけども.
「とっさに思いついた割にはいい線いっていたと思ったんだけどなあ.デバイスやってるところまでは本当.あとは概ね嘘だな」
ほとんどじゃないか.信じられない.
「いや三次元積層とSF作家の話は本当.マクスウェルの方程式が対称なのも本当だが時間移動云々は嘘だね.そして,実際僕がやっているのは太陽電池だ.発電効率のいい太陽電池を作ろうとしている」
そんな感じで鈴木は大学生活の中で変わることなく生きていたことを数時間かけて確認し,その日は解散した.

Material 3.
「なあ,君は人類の終末を信じるかい」
まあそりゃ人類もいつかは絶滅するだろうな.
「では,それはいつだと思う」
わからん.見当もつかん.
「それがわかるといったらどうする」
嬉しそうな顔をするな.早く言え.
「まずこの議論の前提にはコペルニクスの原理というのがある.コペルニクスの原理のいうところは単純で,よほど特別な理由がない限り,観測者というのは特別な地位にはいないと推論すべきだという.つまり,地球が宇宙の中心という特別な一点にあるとする天動説はそうでない地動説より正しい確率が低いだろうという話だ」
まあ納得できる話だな.
「さて,今までの累計人口というのはだいたい一千億人といわれている」
ふむ.
「で,仮に僕が一千億人目の人類だとしよう.この僕が人類史において,特別な地位にいると考える理由はない.人類史の最初の5 %,あるいは最後の5 %に入ると考えるよりは,真ん中の90 %の部分にいると考えるべきだろう」
妥当そうな議論だな.
「そうすると,僕のあとにどれくらいの人類が生まれるかはわかる.ぎりぎり最初の5 %に入らないのであればあと二兆人,ぎりぎり最後の5 %に入らないのであればあと五十億人も生まれない.あとは適当に人類の寿命を八十年くらいと仮定して人口増加のペースをいろいろ考えてやればどれくらいで人類が滅亡するかがわかるって寸法さ」
いやそれなにかおかしくないか?
「どこがだい」
ニヤニヤするのをやめろ.たとえば,人類が無限に続く可能性は考えられてないんじゃないか.
「無限に続くとすれば,我々が特別な地位にいない限り,我々より前には無限の人類が観測されるはずだろう.しかし実際は数十億年の歴史しかないし,たかだか一千億人しか見当たらない」
そうか.いやしかし納得できないね.お前はどう考えてるんだ.
「僕はこの議論には納得できないがきっと正しいと思うよ.多分人間の直観が扱うにはコペルニクスの原理が難しすぎるんじゃないかな.何かいい反論を思いついたら教えてくれ」
結局,一晩寝た後は俺が人類の終末について思いを馳せることはなかった.


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