「なーんか忘れてる気がすんだよなぁ」
不意に周藤が言う。また始まった、と思った。
「何を?」
「いやそれが何かわかんねーのよ」
何を忘れたのかすら忘れた状態らしい。
周藤安弓はよく物事を忘れる。
人の顔を忘れ、人との約束を忘れ、自分が言った言葉も忘れる。
人間、どうでもいい物事ほど忘れやすいという。
早い話、コイツは常に目の前の物事しか考えていない。興味が失せるのがモノ凄く速いわけだ。
まー単にアタマが悪いのもあるだろうが。
「モノか? 出来事?」
「いやーどっちだろう」
「予習忘れたとか」
「いやそれじゃない。やってねえけど」
「弁当忘れたとか」
「弁当はある」
「誰かと会う予定だったとか」
「ンー……いや思い当たらんな」
「何かの発売日とか」
「いや来月だな、『虹色の鼻血』の新刊は」
「お前そんなもん買ってんのかよ。じゃあゲームのイベントとか」
「いやー私コンシューマー主義ですんでね。すいませんけどね」
「ムカつくわその自信ありげな感じ……じゃあ今朝トイレ行った?」
「あ、行ってねえ……けどまだ大丈夫」
「ホントかよ。じゃあ……」
その後も朝礼まであれでもないこれでもないと言い合ったが、結論は出なかった。
ちなみに周藤は一時間目の開始数分でトイレに行っていた。
「お、今日は塩スパ入ってんじゃねーか!」
「え、弁当ってお前が作ってんじゃなかったか?」
「うん。忘れてた。ほら今日は『何を忘れたか忘れた問題』があったからさ。それで頭いっぱいだった」
昼休み。休み時間のたびにその話になったが、まだ忘れ物は見つかっていない。
『頭いっぱい』は周藤の常套句だ。普段は『弁当で-』の形で使われるが、今日はそれ以上に忘れ物探しに夢中だったようだ。
「そこまで考え込むってことは相当大事なことだったんじゃないか?」
「お、そういう切り口で来るかい」
「弁当じゃないにしても、何か料理関係とか。食材買う予定があったとか」
周藤は料理やお菓子作りが趣味だ。食べるのが好きなのが高じて作るのも好きになったらしい。
「そーいや酒が切れかけてんだったな。でもそれじゃない」
「なんか作ってて、途中で忘れてほっぽって来ちゃったとか」
「忘れるわけねえだろ作ってる最中に!」
「いや忘れそうじゃん。基準が分からんわ」
「いやすっかり寒くなったな」
「なんか飲むもん買ってくか」
放課後。まだ忘れ物は判明していない。最早二人とも諦めかけていた。
「なあ、周藤。話があるんだけど」
そこへ声をかけられる。見てみると声の主は隣のクラスの木下とかいう男子だった。
「何か用?」
「え、いや、何かって……分からないのか? ここじゃちょっと……」
「は? 何? ちゃんと言ってくれよ」
木下は不可解な顔をしていたが、周藤が本気でピンときていないことに気づくと肩を落とした。
「……もういいよ」
そう言うと木下は去っていった。
「何だったんだ? あいつ」
「いや、明らかにお前が何かしたんだろ」
話しつつ歩き始める。自動販売機でコーンポタージュを買って、飲みながら歩いていると、不意に周藤が声を上げる。
「あぁああ!!」
「うわっ、どうした!?」
「思い出した思い出した! さっきのアイツ」
「あぁ。何やらかしたんだお前?」
「先週だったかな、なんか男に付き合って欲しいって言われたんだよ。それがアイツだったかも」
「はぁ!? お前そんなん忘れてたのかよ! しかも顔認識できてねえのかよ」
「で、確か保留にしたんだったかな。なるほどな、返事を待ってたわけだ」
「しびれ切らして向こうからくるくらいだから、相当ほったらかしたんだろうな。かわいそうに」
しかしまあ、真剣に考えているなら周藤を選ぶわけがない。見た目しか見ていなかったパターンだろう。
「まーでも分かってよかったじゃん。忘れてた奴の正体」
「ンー、いやあれじゃねえな」
「あれじゃねえのかよ!?」
「ウッス! おはよーさん」
翌日。周藤は上機嫌で登校してきた。
「おっ、わかったのか?」
「何が?」
「いや、機嫌よさそうだから。忘れ物が何かわかったのかと思って」
「あーいや、今日は生姜焼き弁当だから昼が楽しみでさ」
周藤は小さくガッツポーズを見せる。自信作らしい。
「で、忘れ物って何のことだ?」
「いやそれも忘れたのかよ!」
トップに戻る