「なぜ教会には懺悔室があると思う?」
君はそういった。僕たちの会話は常に君が導く側で、僕は教わる側だった。
あれは昼休みの部室での会話だったように思う。
「質問の意図が分からないな、神に罪を告白するためだろう?」
そもそも教会に本当に懺悔室があるかも見たことがないけれど、知識の上ではそういう用途の部屋のはずだった。
「罪の告白の対象が神に限定されている理由さ」
「思うに、懺悔ってのは罪の共有なんだよね、私はこんな罪を犯しました、なんて他人に告白すること自体が相手を裁くの。さりとて、赤の他人に罪を裁く権利も許す権利もない。罪人は孤独なんだよ、本質的には」
「相手を裁くって?」
トントンとリズムよく紡がれる君の理屈が好きだった。
それを聞いているのが自分だけという状況も。
「罪、というのも人それぞれだから。食事を普段から残している人に、私は食事を残しました、なんて罪の告白をしたらどう思うだろうね?だから神という偶像に告白するのさ。人は罪を犯さずにはいられない生き物だから。」
スゥ、と息継ぎをして君は続けた。さながら演説のようだった。
「だから神という都合のいい隣人を人生の傍らに置くのさ。彼らが個人主義に目覚めるのも当然さ。個人であっても、彼らには神という隣人が常に隣にいるんだ。」
「その点、我々の社会で個人主義が流行らないのも道理だと思うのさ、我々は都合のいい隣人を持たないから、他人の顔色でしか物事を判断できない。罪とは己の持ち物ではなく社会の対処すべき問題なのさ」
そのいい例が羅生門だよ、あれはよく出来てる。と君は続けた。僕は君の理屈をかみ砕くのに精いっぱいで、言葉も出なかった。
なぜ懺悔の話をしようと思ったのか、なんてかけらも気に掛けることができなかった事は、今でも悔やんでいる。

最近の話をしよう。その日は、薄手の長袖一枚では肌寒くなってきた日だった。
風も心なしか冷たく、何より起きてから30分も経っていないのに、寒さに凍えながら出勤しているという事実が心を冷した。
仕方がない。朝のカンファレンスの前に患者の状態を診にいくには定時の少なくとも30分前には居なければならないし、受け持ちの患者が多い日には1時間前に出勤することだってザラだ。
寝ぼけ眼で出勤し、着替えを終えてフロアに出た所、張り詰めた雰囲気であった。何とCPA(Cardiopulmonary arrest、心肺機能停止のこと)が搬入されていたのだ。
慌てて状況を確認しながら手伝える事を探す。見習いはそもそも出来る事は少ないし、自分は不勉強なので更に不出来だ。
かと言ってぼーっと後ろで見ていてもいけない。もはや義務感や焦燥感から参加しているだけで、CPA患者の行く末などを心配している余裕はなかった。
生死を彷徨う患者の現場では往々にして起きることだが、飛び交う怒号、混乱する指示、もたつく自分。
そんな状況を何度も繰り返し、何もかもがストレスでウンザリしたものだ。その日もそんな現場だった。
交通外傷からくる出血性の心肺機能停止。出血でCPAになっているということは、出血源を止めない限り治癒は見込めない。
輸血や輸液をいくら入れても入れた端から出血していくからだ。しかし、腹部や胸腔内の出血は出血源が分かりにくく、画像を撮りに行っている間に取り返しのつかないレベルまで状態が悪化することもしばしばだった。
首に自ら切り傷を付けた老婆の命は、まさに風前の灯火だった。

「CPAの救命率は1割くらいだからね、速い話がCPAで運ばれたら大体亡くなるんだよ」
先輩の医師の1人はそう言っていた。
「だからあの必死の治療も半ばはポーズみたいなもので、僕としては身が入らないというか、あんまり好きじゃないね」
そんな人が何故救急救命センターで働いているのかは疑問であった。しかし、発言内容自体には共感を覚えたものだ。
実際にCPAに遭遇した場合、ほとんどは亡くなっていたし、仮に永らえても意識は戻っていない事ばかりだったからだ。
結果の見えている作業、のように感じるたし、その思いは今でも変わっていない。

ーーーそれならば、ほとんど無意味と化す医療行為の中で、何故自分はこうも叱られてるのだろうと内心不満にすら思った事を覚えている。
自分の不出来と行為の必要性は関連が薄く、叱責を受ける場合はそれに足る理由はあるのだろう。
しかし、無意味な行為と分かっていて真剣な振りをするという欺瞞は、どこか薄気味悪く寒々しい行為に感じられるのだ。

ともかく、またCPAかと内心ウンザリしながら診療にあたった。死にかけの人間を運ぶ場所で勤務しているのに、僕には何の覚悟もなかった。
静脈ルートをとる者、Aライン(動脈に入れるルート、血圧を随時で見ることができるため循環が崩れている患者にはほぼ必須)を入れる者、
V-A ECMO用のルートを太い血管に入れる者、輸血パックを用意する者、心配蘇生を行う者、それぞれが役割を見つけながら作業を分担している中、
特に何ができるわけでもない自分はモノを出したり消毒をしたりと、誰でもできる仕事を探して動いていた。ちょっとでも遅れれば怒号が飛ぶ。

ーーーなんて嫌な日だ。始業時間前に来たが為にこんな現場に出くわすなんて。もっと遅く来れば良かった。そんな気持ちすら湧いてくる。
多くの者が救命に情熱を燃やす中、自分は心が冷めていた。
投与される夥しいほどの薬剤。解凍の終わった輸血製剤も速度を上げて落としていく。
そのまま、首を自分で切った老婆は亡くなった。一体、今行われていたのは何だったのだろう。十数人が自殺完遂した体に鞭打って生かせようとする、一周まわってもはや喜劇だった。

遺体を軽く清拭して、現場を片付けて…その後は遺族とご遺体の面会をし、死亡確認、経過を説明する。悼ましいような表情を浮かべるのがコツだ。
そのあと、また遺族には退席してもらって、やるべき処置がある。
エンゼルケア―――俗にいう死に化粧であったり、傷を縫って見た目を整える処置だ。
黙々と傷を縫う。
なるべく表情を柔らかく、傷も目立たず、死に際の辛さを押し隠す用に。

死に化粧は苦手だ。嘘と欺瞞に満ちたこの世界でも、何一つ真実がないから。
何なら、それを施している自分が一番行為に冷めているのだから、気持ちすらも本当ではなかった。

死に化粧は苦手だ。
君のことを思い出してしまうから。
―――ああ、君よ!
齢19で世を儚んだ君よ!
君の孤独を理解できなかった僕を許してほしい。
君が棺の中で笑顔を作らされている嘘臭さに気圧されて、涙のひとかけらも出なかった。
死に化粧というものの、残酷な嘘に圧倒されたのだ。君の決意ある死すら穏やかなものに変えてしまう欺瞞というものに怖気づいてしまったのだ。
その嘘の前では、君を悼む事すら許されなかったのだ
。だというのに、僕は欺瞞に参加してしまったのだ。
それも、これからも平気な顔をして続けなけらばならないのだ。
見え透いた優しい嘘は、現実よりも遙かに残酷だと僕は知っているのに!
ああ、どうか、どうか僕を。
僕を。
許して欲しい


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