一週間の仕事を終えた金曜日の夜。
同じく仕事終わりの彼氏が家に来て、一緒に出前の麻婆豆腐を食べていると机の上の携帯電話が震えた。
母からの着信のようだ。
だが、彼氏が隣にいること以上に、麻婆豆腐で口の中が痺れていてあまり電話に出たくない気分だった。
母からの着信は珍しくないので、後で掛け直そうと思って放置していたら、直後に簡素なメッセージが届いた。
おばあちゃんが亡くなった
明日通夜だから連絡ください
「え、ウソ…」
少し前から肺炎で入院しているとは聞いていたが、突然の連絡に驚いた。
「んー?」
顔を赤くして麻婆豆腐を飲みこみながら素っ頓狂な声を出している彼氏に
「おばあちゃんが亡くなったって……ちょっと電話してくる」
「え!? マジ……ゲッホゲホッ」
辛さでむせている彼氏を無視し、台所で母に電話をかけるとすぐ繋がった。
電話に出た母は、思った以上に冷静で、
肺炎が急に悪化して亡くなった、明日通夜だから明日の夕方には帰って来い、喪服を忘れるなと用件だけ言われて電話を切られた。
とてもあっさりとした電話で、まだ祖母の死の実感は湧かなかった。
実を言うと、私も母も、祖母との仲はあまり良くなかった。
私が生まれる前に祖父は死んでいて、祖母はずっと一人暮らしをしていた。
母は様子を見に週一くらいは会いに行っていたが、帰ってくるといつも祖母の愚痴を吐いていた。
私も祖母にはワガママで口うるさい印象しかなく、あまり好きではなかった。
上京する前に挨拶したっきりだから、もう5年以上会っていない。
我ながら軽薄な孫だ。
「大丈夫?」
「うん……」
彼氏の問いかけに返事をして、食卓に戻った。
すると、彼氏は私を横から抱きしめて頭を撫でてきた。
「大丈夫? 泣きたければゆっくり泣きな?」
優しく頭を撫でられたが、決してあまりいい気持ちはしなかった。
私は「大丈夫」と言いながら、軽く彼氏の腕を押しのけ、少しだけ残っていた麻婆豆腐と白米を平らげた。
「今夜、一緒にいようか?」
と彼氏がこちらを見つめながらやさしい口調で話しかけてきた。
私は少し考えて、
「ごめん、一人になりたいから今日は帰ってもらっていい? 来てもらったのにゴメン」
と告げると、彼も少し考えて
「…わかった。辛くなったら遠慮なく電話してね」
と言いながら、また私の頭を撫でた。
玄関まで彼氏を見送り、一人になって私は溜息をついた。
やっぱりダメだ。
心が落ち着かないときに彼が隣にいても、全く頼る気になれない。
分かったような口調が、優しいようでいやらしさを感じる手つきが、ただただ不快に感じてしまう。
それは私の気持ちの問題であり、彼の言葉が客観的に見ても軽薄なことが要因でもある……と思う。
今夜彼と過ごさなくていい、セックスしなくてもいい口実が出来て、不謹慎ながら安心してしまった。
彼は、セックスの時に電気を絶対に消さない。
せめて少し暗くしない?と提案しても聞く耳を持たない。
「ありのままの君の全てをこの目に焼き付けたいんだ」
ともっともらしく話していたが、服を脱いだって「ありのまま」をさらけ出している訳じゃない。
会う前の日だけムダ毛を処理してそれ以外の日は伸ばしっぱなしだし、ベッドに入る前にナチュラルかつしっかりメイクもしている。
生まれつき左目の下に広がっているシミがコンプレックスで、隠すために入念にファンデを塗っていることなんて気づいてないだろう。
本当の「ありのまま」なんて知らぬが華なのだ。
「はぁ…」
また一つ溜息が漏れた、とりあえず彼のことを考えるのはやめよう。
今日中にやらなきゃいけないことがいくつもある。
段ボールに入れたままの喪服を取りだすと、やはり皺だらけだった。
翌朝、昨晩用意したキャリーケースを引きながら電車で東京駅へと向かった。
平日なら朝に在来線の中でキャリーバッグを引いていたら顰蹙を買っていただろう。
たまたま今日が土曜日で良かった。
新幹線の中も空いていて、リクライニングを一番後ろまで倒すことが出来た。
キャリーケースを座席の上に持ち上げていると携帯が震えた。
彼氏からだ、恐らく私を心配するようなメッセージだろう。
だけど返すのが面倒で未読のままにしておいた。
それにしても、祖母が亡くなっても至って冷静な自分が少し嫌になる。
確かに愛着はないけど、それでも二親等で親の次に近い親戚だ。
最後に会った時は、地元を離れる前日だったがその時はまだ元気だった。
「おばあちゃんも元気でいてね」
とかなんとか伝えたら
「アタシは60過ぎてから元気だった日なんてナイわ」
となぜか怒り気味に返されたのが最後の記憶だ。
会うたびに「アンタは親に似て暗いねぇ」とか嫌味を言われたが、確かにその通りで祖母の方がハツラツとしていた。
あぁそうだ、それでいてとにかく古臭い人だった。
高校1年生の正月に行った時には、開口一番
「ナンだその下品な化粧は! 顔洗って来な!」
と言われて首根っこ掴まれて洗面台へ連れていかれた。
たしかその時は、高校の友達と初詣に行ってそのまま向かったんだった。
顔のシミがコンプレックスで、それを隠すためにバッチリ化粧をしていた私はめちゃくちゃ抵抗した。
嫌がる私に対して祖母は
「若い子が、こーんなけったいな化粧するもんじゃないよ!」
とか怒鳴ってきて、結局私も怒って一人で帰ったと思う。
ほかにも、中3のお年玉が1000円だったり、箸の持ち方が悪くて頭叩かれたり……祖母にまつわる思い出はそんなものしかない。
──まもなく、広島です。
いつの間にかリクライニングに身をゆだねて眠ってしまっていたようだ。
支度をして駅に降り立つと、少し懐かしい空気が流れていた。
少し涼しい空気がとても気持ちいい。
ひとつ背伸びをして改札を出ると、待たずにタクシーに乗ることが出来て、母から教えられた斎場の名前を伝えた。
駅からさほど遠くないようで、焼香の仕方や通夜の作法をネットで調べている内に着いてしまった。
まだ陽は高く時刻も15時半、通夜が始まるにはまだ早い時間だ。
斎場の人に案内された部屋へ行くと、母親や近しい親戚だけが揃って準備をしていた。
久々に会う親戚たちも悲壮感はあまりないように見える。
私が会釈しながら部屋に入ると、母の姉が駆け寄ってきて
「あらぁ、大きくなったねぇ」
とにこやかに話しかけてきたので私も笑顔で
「お久ぶりですー」
と返した。
「遠いところから大変だったわね、疲れてない?」
「いえ、新幹線でも少し寝たので大丈夫です。あの、何か手伝えることありますか?」
「そうねぇ、今はまだ大丈夫よ。とりあえず線香上げてきたら?」
「あ、じゃあ、そうします」
叔母さんの言う通り、荷物を端に置いて棺桶の前に立った。
遺影は、やはりと言うべきか無表情な写真が使われていた。
笑顔の写真なんて誰も持っていないだろう。
棺桶の顔の部分を開くと、そこには綺麗な死に化粧を施された祖母の顔があった。
その顔はとても整えられていて、でもそれは不自然なまでの綺麗さだった。
恐らく本当の顔色ではないのだろう。
祖母が私の化粧を落とそうとしたあの日、彼女の目に私はこんな風に、偽りの姿のように映っていたのかもしれない。
そう思うと、少しだけ祖母に親近感がわいた。
その時、ポケットの中の携帯が震えだした。
また彼氏からだ。
未読にするつもりだったが間違えてメッセージを開いてしまった。
返事ないけど大丈夫?
辛いと思うけど、気落とさないでね(>_<)
このメッセージにどう返信しようか。
無難に行くなら
「心配してくれてありがとう、落ち着いたらまた連絡するね」
とかになるんだろうな。
だけど、私はブロックボタンを押してしまった。
今の私には、祖母が乗り移ったのかもしれない。
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