祭りの夕方、並んだ出店の煌々とした明かりが道端に差し始めていた。次第に、視界の中で動く人混みのイメージが、こちらに迫ってくるかのように感じられた。油断すれば、視界のそこら中で物語が幕を開けてしまう。一人一人の顔や、歩みのスピード、手足の動かし方から浮かび上がる様々なイメージが首をもたげ、全身から私に不必要な物語を発散させてくる。人々にはこれまでの人生があり、これからも生きていくつもりで祭りの喧騒を浴び、顔をゆっくりと動かして歩いていた。
自分にとって彼らの物語とは、結局良かれ悪しかれ現在進行形である生き生きとした様を強調される陳腐なものでしか無い。苛立ちが湧いて、私はふらりと人混みに背を向けて物語達を振り払った。道端で巨万の物語達と向き合う事を、有意義と呼ぶのは難しい。
都会の祭りを経験したのは、私にとって初めての事だった。とはいえ、田舎のそれと基本的に変わらないように感じられた。人々は、人間が密集した場では本能的に何かへの漠然とした期待感を掻き立てられるらしい。祭り特有の浮ついた空気は、都会の晴れた夕方の夏空の下でも、重くゆっくりと吹き抜けていた。出店で自分の目に付いたのはりんご飴・綿菓子・焼き鳥串・氷水の中の缶ビールとお茶のペットボトル・景品の玩具・射的・くじ、そして出店裏でひたすら重低音で叫んでいる発動機と、発動機を無遠慮に囲む暗い緑色の雑草だった。
一応これは上京して数年経った私にとっての「観光」だった。明らかに、田舎とは歩いている人々の種類が異なって感じられた。私の田舎に居た人々と都会の彼らとの間では、これまでの人生が大きく違う事くらいは何かの本に統計的にでも書かれているだろう。常識的にも当然だった。祭りの人々は無意識に、私に都会を感じさせていた。
観光という概念の構成要素である「非日常性」は、観光される地域の日常を対象とする事がよくある。ここの人々のあくまで日常の一場面である祭りは、私にとっては観光する対象である。
過去の歴史で、大量生産社会の労働者が観光地に殺到しステレオタイプ的な虚像を消費したような時代があった。それはとっくに過ぎ去り、個人個人が趣向に応じて消費をし、消費によって自己表現までもを行う時代へと変化したらしい。インスタグラムに載せる写真を撮るために海外旅行に興じるのも、その一つである。
私の観光も、ある意味ではそれに含まれているような気がした。
自分の秘密とは、「他人の夢を見る能力」だった。
令和の時代になっても、こういった「能力」使いの存在は世間にほとんど知られていない。超能力者はまだ眉唾な存在だ。
例えばその辺にいるサラリーマンの夢を読み取ると、子供時代に戻って学校の宿題の事で怒られている夢とか、会社の帳簿の書き直しを延々とやる夢などを読み取る事がある。
ところが、人混みで能力を使うと、読み取った複数人の夢が混線して、超現実 (surreal) 的な世界が私の中に生成されてしまう。夢の持つエネルギーは、脳みその中だけに閉じこもっている訳ではなく、半径数メートルに及んでいる。それを私の能力は拾ってしまうのだった。
読み取り精度の悪さを嘆くのも良いが、私はそういう「シュール」な世界を生成して、それを絵にしたり、音楽にする事で生計を立てていた。他人から見れば私はちょっと独創的なアーティストである。小腸のひだを本のページやしおりにしてみたり、警察官の制服をカラスにして、一つ一つの羽根を星砂にしてみたり。
しかし人間そのものにはあまり興味がなかった。大抵の人間の夢は人生をそのまま反映して、どこかの記憶にあるシーンを延々と再現する夢が多かった。違う人間の違うシーンの夢を混線させて、ぶつけた時に起きる矛盾が面白い。分かりやすい矛盾は愉快だった。
道は、草木は、公園は、河川は、机は、本は、ピアノは、夢を見ない。人間が夢に引きずり出して登場させるのだ。
人間の、ずっとずっと祖先は、いつから夢を見ているのだろうか。
都会は夢を見ない。夢を見るのは人間である。
都会には顔がない。顔があるのは人間である。
都会には手足がない。手足があるのは人間である。
記憶の深い海の中で、脳が再生する世界。時に吐き捨てたくなるような、夢の物語達。
都会は眠らない。
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