ひたすら燃やした。何もかも全て。「燃やせ!」と部下に何度も怒鳴ったし、上司はひたすら火の前で頷くばかりだった。
我々の「事業」が警察に知られたばかりだった。明日には警察がこの村落で包囲網を敷くだろう。。
殺す筈だった老人が3人、目の前に残っていた。何度も殴られすぎて、殴られて出来た痣なのか加齢で出来たシミなのかが分からない暗い不規則な形が、顔中にある。もう泣く事すら出来なくなっていた。
「こいつらを殺しても、死体を処理する時間はないっ。」
上司はこの後始末を指示してから初めて怒鳴った。老人達は上司を力無く見つめた。
「申し訳ないですけど、矢口さんはどうせ死刑ですよ。」
「お前っっ。」
矢口が僕を殴ろうとする動作に入った。軸足を思い切り蹴飛ばすと、支えを失った矢口の身体は雑草が生える地面に倒れ、ざっという短い音が耳に入った。思い切り蹴る動作をした事で、少し自分の呼吸が荒くなるのを不快に感じた。煙を吸い込みそうになり、数回の咳が出た。
「お前っっ。許さんぞ。」
矢口が太った腹を起こそうとしながら、一旦息を吸い、目の玉が出そうになるくらいにこちらを睨んだ。もっとも、僕の視界の横で燃えたぎる証拠品の数々の方が、怒り狂ったように赤く歪んだ光を放っている。
「もう終わりなんです。自殺するか死刑になるかの二択じゃないですか。上司と部下という関係も終わりですよ。法的にはまだこの瞬間には会社は存在しますけど。」
伝記映画で観たアドルフ・ヒトラーは、首都ベルリンでソ連軍に追い詰められて失策を続けても、自殺する最期の瞬間までカリスマ性を保ったらしい。しかし矢口という二流以下の人間に、そんな事が出来る筈もない。
「判決が出るまでは犯罪者じゃない!俺の指示に従え!」
「これ、給料は出るんですか。」
流れで一応証拠の隠滅を手伝ってやっていたが、僕に目的は無かった。自分が死刑になるか、無期懲役になるかの違いはよく知らない。強いて言えば我々の秘密性がなるべく保持された方が面白い、と思ったからだったろうか。小学生の秘密基地レベルの発想を超えなかった。
既に社員の大半は、とはいえ10名に満たないが、街外れにある本社のビルや自宅で捕まっていた。殺人を請け負う会社という冗談のような犯罪組織だったが、3年もの間営業する事が出来ていた。警察に情報が行ったのは、我々の存在が暴力団に知られたのがきっかけだった。顧客は全て口コミで紹介された。一件200万円。
矢口は悪態をついて、部下の、いや、「部下」の田中を探しに行った。
「部下」の田中は、頭が良いとは言えなかった。「減刑になる証言をしてやる」という矢口の言葉を信じて、犯行に使った刃物をせっせとバレなさそうな場所に埋めている。よくは知らないが、田中が思いつくような場所からは、どうせ警察が簡単に掘り出すのだろう。
目の前の老人達は、家族や部下から邪魔とされ、殺す依頼を受けていた。いわゆる老害というやつだ。こんなに死にそうな人間を殺さなくても思ったが、そういえば捕まえた時は普通の元気な初老達に見えた気がした。
もう彼らをどのくらい殴ったかは分からない。捕まえた人間を殴って、殴られた奴が泣き叫ぶというは日常茶飯事になっていたから。
暴力的な意思は、単に麻痺していくだけのものだった。縛って血の流れを止めた腕の感覚が麻痺していくように、壊疽、死、そういったものを肌に感じさせる嫌な麻痺の仕方だった。最初は人を殴ったり殺したりする感覚は非常に新鮮だった。心の「底」から湧いてくるような自分の叫び声と、それに駆られる衝動のダイナミズムがあった。しかし、もうそんな感動はどこにもなかった。正規のサラリーマンをやっていた頃と同じ毎日だ。ここでも給料制で、感動がなくなった日々はサラリーマンと全く同じだった。
何が「底」だ。
自分の服の端は、風に吹かれた。硬い生地の洋服の端は、めくれるでもなく風に挨拶程度にうなずくように、くらりと揺れた。自分は空しかった。字の書く通り、空が、自分の上に浮かんでいた。
ドラム缶の炎が爆ぜて怒り狂う中、ふと空を見上げてみた。水色の大空が、証拠隠滅の赤い炎から出る灰色の煙で、絵の具で吹かれたように、暗い景色を描いていた。こんなに矛盾したような水色の暗い景色など、自分は見た事はなかった。
ここは丘の上だった。丘からは森林、そして遠くに街並みが望めた。風が吹く丘で、絵本に登場するような極端な景色で、殺人の証拠品を延々と燃やし続けているのだ。
そういえば、と思った。老人達を殺すよう依頼してきた家族も捕まるのだろう。いや、もしも今からこいつらをバラバラにして殺して身元の特定が不能になれば、そうならない可能性もあるのかもしれない。もちろん、そんな労力を割いてやる義理など、顧客には持っていない。罪の重さが違うだけの、殺人を依頼してしまった時点での哀れな犯罪者達なのだ。
「死ねえっ!」
バスン、という音とひどく厳しい衝撃が後頭部に走った。「ああああああああああ!!!!!!!」痛い・・・・・・。
「上司」である矢口に大きな金属の棒で後ろから思い切り殴られた。もう彼が近くにいるという事実すら、自分の中で麻痺していたのか・・・。
殴らないで。殴らないで。殴らないで。
バスン、バスン、バスン、バスン、バスンっ、バスン。
痛いっ。痛い・・・。あっ。あああああっ。痛い・・・。
生きたい。生きていると痛いけれど、死ぬのはどうしても怖い。
あああっ。ああああああああああっ。
怖いっ。
矢口はようやく「部下」の田中を呼びつけると、一本の鋭いナイフを右手に構えて持ってきた。
「殺すっ!殺すうううううっっ!!!!!!!こいつっっ!!あああああぁあぁぁぁぁあああああ!!!!ナメやがって・・・!」
戦うのかっ・・・。生きるために、戦うべきなのだろうか。生きるために。気がつくと洋服の端は、赤黒い血で濡れて、風に吹かれてもはためかなくなってきた。これだけ殴られたら、頭から出血するのは当然だった。洋服の端は、少し重い物体となって、身体と共に鈍く、ゆらゆらと揺れるだけだった。
洋服を濡らした血は、向こうで赤く激しく燃え盛る炎に比べたら・・・全然赤くなかった。激しくもない。身体から出て行った血は、ただ冷めた醜いスープだ・・・。ただ、冷たくなって死んでいる。無音で洋服を浸潤していく血液は、もうどのくらい液体であるのか分からなかった。半分は乾いて、固体になっているのだろう。
別に赤くなくたって良かった。黒くたって、あそこで、ドラム缶から噴出している灰色の煙には思い切りの躍動がある。歓びに満ちたように舞い、大空へと活路を見出してひたすらに飛んでいくのだ。燃えた証拠品から上がる、黒々とした躍動感。大自然の森の中で葉っぱに大量に盛り付けられた昆虫の黒い糞のように、自然界の法則に従ってひたすらに歓びを発散させる存在。
自分は丘の上で倒れた。眼のピントが、ふっと、近くの地面に生えている雑草に移った。汚ならしい雑草は、自分の視界に浮かび上がった。
「俺はっ!」
矢口は叫んだ。
「俺は両親を殺したっ!」
ハハハ。矢口が笑った。
「両親を殺した!ここでっ!こうやって、心臓を抉り取るようにしてっ、」
矢口が両手で大きな魚を捌く時のような生臭い仕草をして宙を掻いた。
「こうしてっ。恐怖を感じるにも集中力がいるんだな!もう取り出してる最中は恐怖を感じてなかったみたいだった!」
田中が震え上がった。
「取り出した心臓はまだ脈打ってたぞ!!!!アハハ!アハハハっ、アハハ。」
矢口の足がこちらの腹を蹴った。棒で殴られるほどは痛くない。
「そして魚みたいに身体がビチビチ痙攣してな!」
「しかも」
矢口の心臓を鋭利な短刀が捉えた。貫通した感覚がした。自分の右手には短刀が握られていて、矢口の肉体に深々と刺したのだ。
矢口の肉体を、そして自分の背負った運命を短刀で貫通したのだった。無意識から爆発的に湧いて来た衝動は、目標物をまっすぐに突き抜けた。
自分が倒れていた場所には、田中が埋めた短刀が一つあったのだ。
ゴルフで言えばバンカーからボールを掘り出したかのような感覚だった。矢口の身体は大きな魚のようにビチビチと痙攣し始めた。脚の筋肉が収縮したのか、履いているスニーカーが脚に対して鋭角になって、震えるや震えるや、そこらの雑草を掘り起こしそうな勢いで丘の上で暴れまわった。
自分は矢口の身体を発泡スチロールの箱に入れると、発泡スチロールの箱のふたに、「なまもの」、と書いた。
「どれ、」
矢口のズボンとパンツを脱がせた。もうその身体は震える事はなかった。毛に覆われた矢口の陰部が大空の下に露わになった。自分は矢口の陰部から、毛にまみれた陰茎を取り出した。今や、海綿体が入ったでろりとした物体だった。陰茎も、そして自分の洋服に着いた血液も、赤黒くなって硬くなって死んでいくのだ。陰茎は血液に対して皮膚に覆われているし、体積と表面積の比も全く異なるからか、まだ鮮度を保っていた。
陰茎を短刀で切断した。切れ込みを入れ、ステーキ肉を切る要領で二度か三度動かすと、陰茎は身体から離れた。切断面から血がぼたぼたっと垂れ、発泡スチロールの箱の外周や、周囲の雑草を汚した。
取り出した陰茎は、大柄な身体に対して、普通のサイズに見えた。もっとも、膨張している時のサイズは分かる術もないが。
その陰茎を左手で持って、ドラム缶の爆ぜる炎に差し出した。炎は、揺れるその舌先でれろれろと矢口の陰茎を物色した。
「フェラチオしてるのか。この世界が歓んでるんだぜ。」
田中の顔は、炎の舌先に照らされて、カメラのフラッシュをたかれたように何度もオレンジ色に浮かび上がった。田中の目つきは、この世界でないものを見ているようだった。
やがて陰茎の表面が焼けた。
自分はその陰茎を食った。かぶりついてみた。
自分の前歯と犬歯で陰茎の海綿体をちぎり取り、奥歯で噛む。ゴムのような、生臭い食感。少し、コブクロ (子宮) みたいな味。血の味。
「食うか?」
まだ半分ある陰茎を、田中に差し出してみた。
「いやっ、いやあああ、あっ、あおっ、おうえ、おええええええ。」
田中は至って普通の人間が考えそうな反応を示した。もうその方が楽しくなってきた。
「ほら、ほら、ちんぽだぞ。田中!俺の言う事、きけないのか?」
「わああああ、やべて、やめてくださいっっ!!」
大体、逆にこの極限の状況で彼が普通の反応を示せる事の方が異常だった。自分はこれだけ感覚を麻痺させているのに。殴られて、襲われて、人を刺した。
いや・・・、いや、自分の麻痺には違いがあった。人を刺すという行為に、再び「感動」があった。心が動くダイナミズムを感じたのである。
襲われて、死に近づいたから、単に生を意識したから、逆に生き生きとしたのだろうか。
「こんな事が警察に分かってたまるかっ。」
自分がそう呟いたのを聞いた。警察?こんな時に警察に自分がどう映るかを気にしているのか?芸能人気取りか。
どうせこの犯罪は全国、いや、世界ニュースになるが、自分がどうなるかなんてどうでも良かった。ああ、矢口を殺したから、自分が「昇格」して主犯格にでもなるのだろうか。じゃあ死刑になるのか?
死刑にしても無期懲役にしても、自分の人生に対しては違いがよく分からなかった。裁かれるってなんだ?死ぬって何だ?さっきは殺されるのが嫌だったのに。
殺されるのが嫌でも、死が何かを理解した訳じゃない。ただの本能的な反応にすぎない。 「田中。」
「はあっ。」
田中が情けない声を上げた。
「・・・死ぬか?」
「いやだあああああっ。」
田中がナイフの束をがちゃがちゃ探った。
「ナイフを持つんじゃねえっ!」
自分の右手が、音もなく田中の丸い背中に短刀を素早く刺した。田中は転げ回って何かを叫んだ。短刀を抜いてから、自分の体勢を正して構えた。
「覚悟を決めろっ。自分の存在を懸けて俺に向き合ってみろっ!」
自分はむちゃくちゃな大声で、田中を吹き飛ばすような気合いで叫んだ。
「お前も魚みたいになりてえかっ。」
田中の出血は、全く致命傷ではないようだった。浅く刺す事くらいわけはなかった。痛がって、白目が出そうなくらい必死になっている。
「ジタバタして死んでいきたいのかっ。」
田中には軽度の知的障害があった。こんな「会社」に雇われる末路になったのはそういう事情もあった。ここは結局何かの理由で社会に行き場のなくなった人間が集まる組織だった。田中の親族は何かの事情で全員死んで、障害者施設で同じ知的障害者の女性をレイプして妊娠させた後に、脱走してこの組織の使いっ走りになったらしかった。
なるほど。自分は叫びながらも軽く考え直していた。彼は責任能力が問われて罪を認められないか、軽減されるかもしれない。そう考えた。法律の事など一切分からないが。
「この短刀で、」
短刀はヒョオっと音を立てて風を切った。田中と矢口の血がついて混じり、赤黒くなっている。
「お前の膀胱に溜まってる黄色い『羊水』をぶちまけるか?」
「うわあああああおおおおおああああああおお・・・・」
田中は、地団駄を踏み始めた。丘に生えている雑草と土を何度も何度も踏みつけて、まるで硬いバンカーから精一杯ゴルフボールを掘り出そうとするように。
何か変化が起きた。何に辿り着くかは分からないが、変化が起きるだけで、そう、気持ちよくなってきたのだ。良い方向に、向かって来た。
「そう、そうだっ!」
自分は叫んでいた。丘を震わせるつもりで放っている声が、枯れそうだ。
「そういうものを全部、全部解き放してっ・・・!」
田中は地面に引っ繰り返った。田中は陸に揚げられた蟹が手足をじたばたさせるように、手足をばたばたとさせ始めた。
「全部ぶちまけてっ・・・!」
「だあああああああっ。」
「行くぞ!!」
すうっ、はーっ。すうっ、はーっ。はーっ。すうっ、はーっ。はああああああああああああ・・・・・・・。奇妙だ・・・・・・。自分の脳から何かが脈動を持って降りてきた。
「やああああああおおおおおおおおおお」
田中は・・・バーーーン!!と音を立てて弾けた。昔の戦争で大砲が炸裂した時の映像のように、田中の存在は丘からあの水色の大空へと、あそこに見える街へと、あの月のもとへと、あの星のもとへと、砲弾のように、わっと散らばって飛んで行った。「なまもの」の身体は、自然の法則の歓びを文字通り全身に浴びて、真っ赤なスープと死んだ肉となって、丘から、さえずる鳥のように細切れに飛び立って行った。赤いスープの血しぶきは、毛細血管のように幾重にも繰り返して空中で枝分かれしていった。
黒く残った田中の残滓は、やがて灰色の煙となり、ゆっくりと空へ上って行って、薄くなって、やがて見えなくなった。
もう日が暮れていた。ゆるやかな風が吹き、自分の頬に生えた小さな産毛達の表面が、撫ぜられるのを感じた。
残されたのは、自分と、三人の老人だった。自分は、矢口の陰茎を老人の前に投げやりにぷらん、と差し出してみた。老人は、死のかげりが見える虚ろな眼で、こちらの眼を見返してきた。真っ黒な、どれだけ拡大して見てもひたすら虚ろな、皺に飲み込まれそうな、その眼。
「食べるか?」
老人は矢口の陰茎を食べた。
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