2013年、冬。五反田駅のホームで、
思いつめた顔をした大学生がおりました。
電車に乗るわけでもなく、時折ため息をつきながら、
15分ほどそのまま立ち尽くしています。
自殺しようとしていた?
「あ、すみません、予約をしたいんですがーー」
どうやら違うようです。
「はい、15時からで、いえ、初めてですーー」
彼は、死にたいと願っていたのではなく、
「えっと…リナさん指名で、50分でーー」
ただ、イキたいと願っていたのでした。
「やらはた」という言葉をご存知でしょうか。
「やらずにはたち」、20歳になっても童貞の男性を指す言葉です。
もちろん、褒め言葉ではないのは確かで、
「これで、やらはた回避かーー」
五反田のソープランド「バイオレンス東京」で待合室に座る彼も、
あと2日で20歳の誕生日を迎えようとする、生粋の童貞でした。
壁に貼られた、リナさんの写真を眺める学生。
(きれいな人だ…この人と、今からセックスするんだな…)
待合室の脳内で、めくるめく快楽の世界。
胸だけではなく、股間も期待で膨らんでいました。
彼は真面目な学生だったので、風俗も初めてです。
だから、知らなくても当然だったのです。
「はじめまして、リナです~」
「え…? あ、はい、どうも…」
風俗なんて、加工ばかりの世界だってこと。
リナさんは、想像より10歳齢をとっていて、
想像より1割から2割小太りな女性でした。
彼が文字通り童貞を「捨て」たのは、
それから25分後のことでした。
五反田駅のホームで、
また学生は思いつめた顔をして立ち尽くしていました。
まだ、現実を受け入れられていないのでしょう。
自分の初体験が、あんな相手だったこと。
そして、そんな相手に5分も保たず、都合4回も射精したことを。
こんなこと、誰にも言えるはずがありませんでした。
風呂の泡として消えた2万円は、
誕生日に好きなものを買いなさいと、
母親から振り込まれたものでした。
その日は、大学の必修授業のテスト日で、
彼はサボって2単位を落としました。
捨てただけで、何も拾えない、みじめな結果。
快楽の波は引き、残るは冷静な思考のみ。
「…家帰ってもっかい抜いて、ぜんぶ忘れよう」
「20歳の誕生日直前にソープで童貞を捨てた」
この事実を、彼は脳内から封印します。
いつかきちんと童貞を捨てられたら、それを卒業の記憶とすればいい。
なあに、まだ20前。これから満足行く童貞の捨て方ができるはずさ。
童貞の捨て方にこだわってしまったこと。
それが、彼の秘密の始まりでした。
それから、3ヶ月後、2013年・春。
永福町の木造アパートで、彼は初対面のおっぱいを揉んでいました。
同じ大学という縁からTwitterで交流し、
なんとなく井の頭公園で花見をすることになり、
初対面のまま、彼女の家に誘われ…。
「こういうこと、したことある?」
「…いや、ないよ。初めて」
人生初のオフパコを、彼は経験せんとしていました。
彼女の眼鏡を外し、服を脱がします。
思ったより肉がついていましたが、
五反田ほどではありません。
こころなしか、乳首の色もキレイでした。
変な気を起こさぬよう、昨夜は3回も抜いたはずなのに、
すでに下半身は熱くなっています。
今度こそ、童貞をーー。
彼がズボンに手をかけた時、眼鏡をかけ直した彼女は言いました。
「…するなら、ちゃんと付き合ってね?」
彼の手は止まります。
この間、時間にして1秒。
正直なところ、付き合いたいと思うほど、彼女に愛着はありません。
ですが、
「…うん、付き合おう。好きだよ」
据え膳を我慢できる相手でもありませんでした。
そして、コンドームを着け、少しずつ挿入しーー
「あ、ごめん、ちょっと痛いかも…」
そこで前進は止まりました。
「_ごめん、久々だからかな、ちょっと痛くて…ゆっくりしてもらってもいい?」
結局、その後も彼女は痛がり、それより奥に挿れることは叶いませんでした。
持て余された勃起を撫でつつ、彼女は語ります。
高校3年生のころ、同級生と勢いで初体験を終えたこと。
高校卒業のタイミングで相手とは疎遠になってしまい、
それ以来そういった経験はなかったこと。
だから、今度はちゃんと恋人としたいこと。
動物園や旅行、一緒に行きたいところがたくさんあること。
今は矯正器具が付いているから無理だけれど、外れたら口でもできること。
楽しげに、未来に期待するように、彼女は明るく話し続けます。
しかし、彼の股間はすっかり萎みきっていました。
自分でもよくわからないまま、彼女に苛立っていました。
今思えば、ただ捨てたはずの初体験を、
軽く打ち明けられることが羨ましかったのかもしれません。
こいつと付き合ったら、経緯はどう友達に話せば良いのか、
オフパコで童貞卒業なんて笑われるじゃないか、
そんなことしか彼は考えていなかったのですから。
彼にとって、セックスは、
前を向くためではなく、振り返らなくて済むためにするものでした。
「…ねえ、手でしてくれない?」
「えー…わかった、いいよ。」
彼女の手のひらで射精したあと、
「やっぱりお互いいろいろ忙しいだろうし、
付き合うとかはもうちょっと慎重に考えたほうがいいかもね」と
漠然とした言い訳を残し、彼は家を去りました。
彼にとって初めての彼女は、付き合って10分で破局しました。
申し訳ないという思いより、
バラされたらどうしよう、そんな思いでTwitterを開くと、
彼女のフォローは外されていました。
彼はまだ、気持ちのままでは童貞のままでした。
時は過ぎ。2015年、彼は大学3年生になっていました。
友達から見ると彼は童貞のままでしたが、
5人の女性と夜を共にし、5回ほど童貞を捨てていました。
相手は、サークルの先輩だったり後輩だったり、
バイト先の同級生だったり、時には友達の友達だったり。
セックスフレンドというわけでもなく、たいていはたった1回きり。
童貞のふりをしたらヤれるからそうしていた?
それも、理由の1つではあったかもしれません。
ただ、彼は、誰と肌を重ねても、
自分が非童貞であるという自覚を持てないままでした。
秘密にするつもりはないのに、
その自分を受け入れられないから、口に出せない。
それは、女性相手だけではありませんでした。
「は~彼女欲しいわ~」
「わかる」
「クリスマスなのに、なんで男同士で過ごしてんだろうな俺ら」
「ホントになー」
本当は彼も告白したかったのです。
お前らと飲んでいる1時間前まで、俺は家でセックスをしてたよ、と。
昨夜、四ツ谷で声をかけてきた女の子と朝までセックス。
起きたら昼だったのでセックスしてから二度寝。
夕方、全裸でテレビを見て、暇だったからなんとなくセックス。
時間になったから服を着て、連絡先も交換しないまま家を出る。
でも、なぜか言えませんでした。
言ったら、彼らとの絆も壊れてしまう気がしたから。
自分は昔から何も変わっていないのに、
友達から「非童貞の側にいる」と思われてしまうのが怖かったから。
それから、経験人数が二桁を越えても、
彼は未だに童貞を捨てては拾っていました。
大学を卒業して、昔の同級生とも次第に疎遠になって。
彼は会社員になっていました。
仕事が忙しくなり、飲み歩くことも減り。
気づけば周りに「童貞」は減っていました。
ある夏、結婚して子どもがいる同級生と
彼は久々にお酒を飲みました。
ストレートで大学に行って、そのまま就職して、
大学時代の彼女さんと4年の交際の末結婚。
彼にとっての同級生は、
真面目が服を着て、憧れをふりまいて歩いているような、
一歩先の存在でした。
他愛もない世間話をし、去り際、会計をしようとした
彼のポケットから、一枚の名刺が落ちました。
「もつや東京」
おそらく、何も知らない人からすれば、
ただの居酒屋のポイントカードだったでしょう。
けれど、彼はそれがなんだか知っています。
バレにくいよう細工した、ソープランド「バイオレンス東京」の会員証です。
焦る友人を無視し、裏側をめくると、
「リナ」「レン」「あゆは」「あゆは」「あゆは」
指名した女性の名前が書いてありました。
5年ぶりに見た名前も、そこにはありました。
「ほい、落としたよ」
彼は当然、知らないふりをします。
秘密は秘密のままでいたいですから。
同級生の言いたくないことに触れるつもりもありません。
ところが、
「あ、これソープの会員証でさ。初見だとわかんないだろ?」
同級生はあっけらかんとバラしました。笑顔で続けます。
「今なら500円割引だからなー…お前いる?」
同級生が、あの順風満帆な同級生が、
ソープランドに頼っていた。水商売の女とセックスをしていた。
ただそれだけのことではあるのですが、
彼にとってはそれだけが大きかったのでした。
「…よかったらさ、今から一緒に行かない?」
捨てては拾った童貞は、割引価格で引き取られ、
二度の彼の下へは帰ってこなかったそうです。
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