Sparking Hero
ヒーローって何なんだろう。
人々に夢と希望を与える存在?実感が湧かない。ひどく遠くの存在に感じる。
膝に抱えたヘルメットを見やる。忌々しい黄色のヘルメット。
『諦めないで。知恵と勇気が私たちの最大の武器!』
それが『スパークイエロー』の決めゼリフ。私が演じるべき役割。脳裏に渦巻き、頭を悩ませる言葉。
勇気?そんなものが私のどこにあるというのだ。
「キミはこんなものは子供騙しだと思っているだろう?」
監督の言葉を思い出す。
「いえ、そんなことは……」
「隠さなくていい。キミがこういう番組に慣れてないのは分かってるからね。よくあることだ」
口ぶりは優しいが、監督の眉間には深いシワが刻まれていた。
「だが今のキミでは子供も騙せない。子供でも気づくよ。『あの人は手を抜いている』と」
「……すみません」
しかしその後も身の入った演技はできないままで、このままでは埒が明かないと休憩を与えられた。
「よく考えてくれ。ここではキミはヒーローなんだ。まずはそれを真剣に受け止めてくれ」
「大村さん、大丈夫?」
茶髪の男の人が声をかけてくる。『バーニングレッド』の石田さんだ。
劇中でリーダーを演じる石田さんは現場でもムードメーカーで、馴染めない私のことも気遣ってくれる。
「すみません、私が足を引っ張ってしまって」
「いや、他のみんなも同じだよ。みんな役との向き合い方で悩んでる。俺もね」
そう言ってはくれるが、石田さんも他の人たちも私より歳上で、しかも私より若い頃から役者業を始めている。実力も積んできた経験も段違いだ。
「私にイエロー役は無理かもしれません」
「どうして?」
「ヒーローという存在に入り込めないんです。たぶん勇気がないんだと思います」
「勇気?」
「私は逃げることで生きてきました。誰にも責められないように。目の前で悪事や弱い者いじめがなされていても目を背けてばかりでした。自分に火の粉がかからなければそれでいいと。誰かが傷ついても自分のせいじゃないならいいって。『立ち向かう』ってことをしないで生きてきたんです。だから、ヒーローの持つ『勇気』というものがどうしても遠くに感じて……」
「ふっ」
石田さんは優しげに笑った。
「そんなの誰だって同じだよ。本当に正義感や勇気がある人なんていない。だからこそ世の中が正義のヒーローを求めるんじゃないかな」
真っ直ぐな眼差しをこちらに向けてくる。
「俺だって心の奥底には臆病で卑怯な自分がいる。俺が役者になったのは、そういう自分を隠したいからだよ。役を演じてる間だけは強い自分でいられるから」
「えっ……本当ですか?」
「ホントだよ。それに彼らだってそう」
石田さんは私のヘルメットを指差す。
「ヒーローだって、最初から勇気が備わってるわけじゃない。逃げ出したい気持ちもあるに決まってる。それでも目の前の困難に対して、強がって、腹をくくって、勇気を振り絞って戦うんだ。だから価値があるんじゃないかな」
力強く言い放つ。多分それは私だけに向けての言葉ではなく、石田さん自身がヒーローという役柄に対して考え抜いてたどり着いた理念だったんだろう。
「勇気がある人だからヒーローを演じられるんじゃなくて、ヒーローという役どころが俺たちに勇気を与えてくれる……っていう風に考えてみたらどうかな」
そう言うと照れくさそうに笑いかけてくる。
「……ありがとうございます」
何故この人が『レッド』なのか分かった気がした。
ドスッ、ドスッ。
部屋の真ん中に吊り下げたサンドバッグにハイキックを叩き込む。
必殺の『ブリッツシュート』のアクションの練習……というよりは身体を動かして気分を変えたいだけかもしれない。
「おァい、うるせーぞ!何やってんだ」
その振動は隣人の部屋にも伝わってしまっていたらしく、窓の外から怒号が飛んでくる。
「すいませーん」
「つってな。出てこいよ。飲もうぜ」
ハスキーだけどよく通る声。私のような役者とはちょっと違う発声方法。
窓を開けてベランダに出ると、ボサボサの髪を明るく染めてピンクのメッシュを入れた、いかにもガラの悪そうな女性が顔を覗かせる。
私の隣人の美樹さんはバンドマンであり、ボーカリストだ。
「んで?何やってたんだよ」
「すいません。運動がてら、ハイキックの練習を」
「ああ。言ってたなァそういや」
「おかげさまでなんとかなりそうですよ」
美樹さんにはたびたび相談に乗ってもらっている。私が脚の上げ方で悩んでいた時には『ハイキック?股関節を鍛えんだよ股関節を。そんで軸足をしっかり立てて、半身になって、もう一方の脚で思い切り蹴り上げるんだ。そうした時に股関節の可動域が活きてくる』と助言してくれた。実際それでフォームが良くなり、監督からも『アクションの方はバッチリだね』と判を押されている。
「美樹さん、めちゃくちゃ体鍛えてますよね」
美樹さんは一見細く見えるが、身体を近くで見るとしっかりと筋肉がついているのがわかる。そして歩くときも座るときも異様に姿勢がいい。
「実用だからな」
「あぁ、ライブとかで体力使いますもんね」
「いや、そっちは割とどーとでもなるんだけどよ」
「えっ?」
「例えば刃物を持ってる人間と相対するとする」
「いやいやいや何の話ですか」
「相手が常習犯だったらな、負けるのもしょうがねーよ。向こうも修羅場くぐってるわけでな。だが今日初めて刃物を持ちましたって人間に負けるわけにはいかねーだろ」
「いや、負けますって」
「私は負けたくねんだよ。だから鍛えてるって話」
この人、たまに腕なんかを怪我してることがあるけど……深く考えないでおこう。
「美樹さんってなんかカッコいいですよね」
「ああ?」
刃物うんぬんは置いておくにしても、考えが自分の中でハッキリしていて迷うことのない生き様は私とは全く違っていて、羨ましく思う。
「自分の中に確かな正義を持ってて。逃げるとかとは無縁って感じで」
「いや、マジで強え奴からは逃げるよ、私は。だが一人じゃ何もできねー癖して群れて強えって勘違いしてる奴、殴り返せないってわかってる相手を選んで殴りに行くダセー奴、世の中そんな奴ばっかだろ。そういう害虫はぶっ潰さねーと気が済まねーんだ」
「そういうところがですよ」
「あの、すみません」
隣の席から声をかけられる。見れば小学生らしきおかっぱの女の子が、周りには聞こえないような小さな声で話しかけてきていた。
「どうかしたの?」
こちらも小声で返すと、その子は緊張した面持ちで見つめてきた。
「あの、お姉さんって俳優の大村雫さんですよね?」
「あ、うん。そうだよ」
普段は他人に絡まれるのは面倒に感じるのだが、大人しそうな可愛らしい子なのでとっさに素直に返答してしまう。
「もしかして今度の戦隊の撮影だったりしますか?」
「えっ、どうして分かったの?」
「えっとですね、このバスに乗ってるってことは遊園地に行くんですよね?」
「うん」
今乗っているのは駅から遊園地まで直通のシャトルバスなので全員目的地は同じだ。
「それで、その鞄の膨らみを見て、ヘルメットかなって思って。遊園地で撮影をやるのかなって思ったんです」
「すごいね。正解」
なんだか笑ってしまう。変わった子だ。一人で遊園地に向かっていることといい、こちらに気を使って小声で話しかけてくることといい、妙に大人びている。
「よく知ってたね、私が出るって」
「あっ、えっと……兄がああいう番組が好きで、よくチェックしてて」
「なるほどね」
「撮影、ガンバってください」
「うん、ありが……」
パン、パン!
礼を言おうとしたその瞬間、バスの前の方から手を叩く音が聞こえた。若い男が三人、通路を塞ぐように立っている。よく見ると全員フードを被り、顔の下側を隠している。
「はーい、みなさんいいですかー」
赤いフードの男が大声を上げる。手を叩いていたのもこの男のようだ。
「みなさん、席に座ったまま大人しくしていてくださいね」
あからさまに挙動が怪しい男たちを見て、バス内は騒然とした。
「さもねーと、こいつの切れ味を味わうことになりますからねー」
そう言って男が見せびらかすように突き出したのは、刀身むき出しのナイフだった。
息を呑んだ。ようやく事態を理解する。これはバスジャックだ。
「あ、これは遊園地のアトラクションとかじゃないんで。マジでヤリますからね」
「おい、ふざけるな! 一体何のつもりだ!」
そう言って一人の男性が立ち上がり、男たちに近づく。その瞬間、男が腕を振り下ろし、光るナイフが男性の腕に突き立てられた。
「痛あっ!?うぐっ、うわあああっ!?」
どよめきが悲鳴に変わる。
「カスが。マジでヤルって言ってんだろ。無駄な抵抗はやめて大人しくしてろよ」
「騒いでんじゃねえ!」
後ろの男の怒号で悲鳴がピタリと止まった。
「全員、持ってるもんを置いて両手を上げろ。外に連絡しようとしたやつはブッ殺すぞ。とっとと上げろ!」
乗客は全員押し黙り、言われた通りに両手を上げる。心臓がバクバクと鳴り響く。隣の女の子が、不安そうにこちらを見つめている。
「運転手さーん、止めないでね。止めたらもっとケガ人が出るからね」
赤フードがあちらを向いたが、今度は先程怒鳴った長身の男がナイフを構え、こちらをキョロキョロと見回している。
「それじゃ、今から俺の言うとおりに運転してね。遊園地には向かわずに、十五分ほどここ一帯をグルグルと回ってください。あんまり目立たないようにね。で、十五分したら、ある車がそこの大通りを通るのね。その車っていうのが、ある国の大使が乗ってる車なんだけどさ」
そういうことか。犯人たちの目的が見えてくる。
「そのタイミングで俺が指示を出すんで、大通りに突入して思い切り激突してください。もちろん、乗ってる人間を殺すつもりでね。運転手さんも死んじゃうかもしれないけど、まーその時は運が悪かったってことで」
顔は見えないが、赤フードの男がニタニタと笑うのがわかる。
『害虫』という言葉が頭をよぎる。
美樹さんの言葉を思い出す。美樹さんなら、こういう奴らにも真正面から向かっていってぶちのめせるんだろうか。
女の子の方を見る。不安に押しつぶされ、今にも泣き出しそうな顔をしている。
当たり前だ。いくら大人びていても、小学生の女の子だ。怖いに決まっている。
私だって怖い。逃げ出したい。
こういう時、真っ先に現実から目を背け、逃げ続けてきたんだ。
きっと乗客全員が同じ恐怖に包まれているだろう。
誰かが勇気を出さなければ。
『ヒーローだって、最初から勇気が備わってるわけじゃない』
目を閉じて、石田さんの言葉を思い出す。
『逃げ出したい気持ちもあるに決まってる。それでも目の前の困難に対して、強がって、腹をくくって、勇気を振り絞って戦うんだ』
「勇気を振り絞って、戦う……」
私は鞄からヘルメットを取り出した。
不安げな女の子の方を見てひとつ頷く。「大丈夫だよ」と強がってみせる。
そして取り出したヘルメットを見やる。忌々しい、黄色のヘルメット。だけど今は――
「おい、後ろの女。てめえ何モゾモゾやってやがる!」
こちらに気づいた長身の男がナイフを持って駆け寄ってくる。
『諦めないで。知恵と勇気が私達の最大の武器!』
軸足をしっかり立てて、半身の構えをとる。そして――
「動くんじゃねえ!」
思い切り蹴り上げる!!
「ぐぁああああ!!!??」
命中した。
男の手からナイフが落ち、体は後ろへと倒れ込む。
立ち上がり、ナイフを拾い上げようとした手を渾身の力で踏みつけた。
「いぎぃーっ!?」
「止まれ!何もするな!」
「クソッ、何だてめえは!ふざけたカッコしやがって」
確かに今の私は珍妙な格好をしていることだろう。
私は『スパークイエロー』のヘルメットを被って奴らの前に立った。
奴らに立ち向かうために。ヒーローとして腹をくくるために。
「チョーシに乗ってんじゃねえ! てめえ一人で何が――」
「運転手さん! 急停止を!」
座席の端をしっかりと握り、大声で叫ぶ。程なくしてブレーキ音とともに車内が大きく揺れた。
男たちがよろめく。そこに飛びかかって再びハイキックを叩き込み、倒れさせる。
「死ねえええええっ!!」
そこへ赤フードがナイフを突き出してきた。咄嗟に腕を出すとそこにナイフが思い切り突き刺さった。
「ぐぅっ……!」
激痛が走る。だが同時にナイフは相手の手を離れ、私の腕に残った。
ここで止まったら、さっきの二人が立ち上がってしまう。今やらなければ……!
「お姉さん、いっけぇーーーー!!!『ブリッツシュート』だぁーーーー!!!」
女の子が力の限り叫ぶ。
なんだ、やっぱりキミが好きなんじゃん。
脚に力を思い切り込める。軸足を立て、半身の構え。赤フードの顔面めがけ、私は思い切り脚を振り上げた。
「カット!」
そう言うと監督はパチパチと手を叩き、親指を立てた。
「いやー、バッチリOKだ。良くなったね、大村さん」
「ありがとうございます」
「言ったでしょ?大村さんはやれるって」
「本当だね」
石田さんが手のひらをこちらに向けてくる。私も手のひらを出し、音を立てて合わせた。
私が腕を怪我して入院騒ぎになった際、降板の目もあったが、石田さんが強い希望で残すように言ってくれたらしい。
「でも、不思議なんだよな。普段の感じは変わらないんだけど、そのヘルメットをかぶったときだけ別人のようになるんだよなぁ」
「あははは……」
「まあ、スイッチのオンオフが激しいっていうのは役者あるあるですよ。真剣にヒーローに成りきってる証拠でしょう」
「まあ、それもそうだね。とにかく良かった。じゃ、みんな今日は上がってくれ」
「お疲れさまでした!」「お疲れっしたー!」
ヘルメットが入った鞄を放り投げ、ベッドに腰掛ける。
まだ腕が痛い。頭がボンヤリする。事件の時の記憶も、『スパークイエロー』としての演技も、なんだか実感がない。
やはり自分がヒーローに相応しい人間だとは到底思えない。
実際、あの時と同じような事件に出くわしたとしても、ああうまくは行かないだろう。十回に一回のマグレがたまたま来ただけだ。
あの時の私は追い詰められていた。このままでは自分は何者にもなれないのだと焦っていた。そして、周りの言葉に衝き動かされた。
ヤケになった結果、勘違いで動いただけ。
私は多分勇気あるヒーローにも、美樹さんのような強い人間にもなれない。
「オーイ、帰ってんだろ。出てこいよ」
「はーい」
それでもいいんだろう。私は立ち上がり、美樹さんの待つベランダに向かった。
私のような人間にもできることがある。
できることをやればいいんだ。
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