「ただいまー」
自宅のドアを開けると中は真っ暗だった。
少し残業して会社を出たので今は19時頃だろう、朱美は出かけているのだろうか。
玄関の電気をつけるが朱美の外出用の靴が見当たらない、やはり外出中のようだ。
一応どこにいるか聞くためにスマホを取り出すと、一件のメッセージが来ていた。

──しばらく実家に帰ります、さようなら

「…………は?」
それは間違いなく朱美からのメッセージだった。
つい1時間前に送信されている。
度の過ぎた冗談のつもりか?
いや、そんなことをする性格ではない。
それでも一縷の望みをかけて電話をしてみるが、無機質な発信音が鳴り続けるだけだ。
結婚して三年目、子どもはいなくても普通の幸せな生活を送っていたはずだ。
朱美はどうしていなくなってしまったのだろうか。

リビングの電気をつけてみるが普段と変わった様子はない。
背広だけ脱いでソファに腰掛け、ふぅと溜息をつく。
「何で怒ってんだろうだなぁ…」
天井を見上げそう呟くが答えは帰ってこない……かに思われたが、
『オハヨーオハヨー』
背後から素っ頓狂な声が飛んできた。
そうだ、こいつの存在を忘れてた。
先週、朱美に飼いたいとせがまれて飼い始めたインコの"パピー"だ。
朱美が世話をすると言っていたが、置いて出て行ったのか。
朱美は元々動物好きだったが、動物が苦手な俺に遠慮して犬や猫を飼うのは遠慮していたようだ。
しかし、俺が仕事の間一人で家にいるのが寂しいと言われ、そう言われると無下に断れずインコを飼うことにしたのだった。
それなのに今は俺とインコ一羽で寂しく取り残されている。

「おいインコ、朱美はなんか言ってなかったか?」
落ち着かない心のやり場がなく、意味もなくそんな言葉を投げてみる。
我ながら哀れだ。
『アンアン イグ~イグゥ~』
ダミ声で変な声あげやがって。
最初の数日は面白半分で話しかけてみたりもしたが、会話が成り立たないことは分かっている。
『アンアン キモチヒイー』
さっきから変なことばっかり言いやがって、どこで覚えてきたんだ。
俺と朱美のセックスでも聞いてたのか?
『アァン タケシサンダメェ…』
「タケシ?」
人の名前だろうか? 少なくとも俺の名前ではない。
いや、そもそも……。
『アァッ イクイクイクゥ』
インコを飼い始めて一週間、俺と朱美はセックスしていない。
『ンアッ… ナカハダメ』
しかも朱美は俺とセックスするとき、こんなに声を出さないはずだ。
俺の知る朱美は、どちらかというとマグロだ。
『ダメェ ダンナニバレチャウゥ』
ダンナニバレチャウ…旦那にばれちゃう?
もしかして朱美は……

朱美は………この家で他の男と寝ていたのか。

「ウヴッ」
猛烈な嫌悪感が湧き上がり、それに呼応するようにまた胃の内容物がせり上がってくる。
それをぐっと飲みこみ、深く深呼吸をする。
何度かそれを繰り返すと少し冷静になり、今度は怒りが湧き上がってきた。
「あいつ、一人で家にいるのは寂しいとか何とか言ってたくせに、他の男と…」
言葉にするとまた嫌悪感が押し寄せる。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、それと一緒に嫌悪感を飲み込んだ。
ふぅ、と一息つきリビングに戻る。
『モットモット アンアンアン』
「うるせぇ!」
変わらず汚い喘ぎ声を垂れ流している鳥カゴに向かってペットボトルを投げつけそうになるが、ぐっとこらえる。
『アッアッアッアッ ンン~~』
そんな俺の気持ちも知らないで、こいつは喘ぐのをやめやしない。
せめて気を紛らわすためにテレビをつけるが、
『アァ イイ イイ イイヨ~』
声は耳に入り続ける。
頭がおかしくなりそうだ。

『オク ツイテ~~ アンアン』
10分経っても止まる気配がない。
確かにこのインコ飼った時から結構うるさいが、俺が部屋に入った時からずっと喋り続けている。
『ンンッ ンンッ』
もしかしたら、俺が帰ってくる前からずっとやってるのかこの鳥。
朱美が家にいる時には何も喋ってなかったのか?
『アァン ダンナノヨリ キモチイイ~』
あいつ、そんなAVみたいな言葉まで…馬鹿なんじゃねえのか?

…………………ん? AV?
『アァッ イクイクイク ンアアアアア~』
気にかかってはいたが、普段ほとんど喘がない朱美にしてはあまりにうるさすぎる。
『ラメェ ラメエエェ』
ましてや朱美は世間体を結構気にするし、間男を連れ込んで部屋の中でこんなはしたない声出すだろうか?
『…………………』
もしかして、この喘ぎ声は朱美の声真似じゃない…?
『ヘイガイズ! ウィーハバギフトフォーユー』
!!? この英語は…
『シュンコーチーターター メイニューニョーラーチーターチョウシー シャンシーラー』
それにこの中国語……PornH〇bで流れてくる謎の広告…。
「間違いない……俺が再生したエロ動画の音声だ!」
昨日、朱美が買い物に行っている間に一発抜いた。
何をオカズにしたかいちいち覚えていないが、確か寝取られ系だった気がする。
「な~~んだ、そういうことかよ。心配して損したわワハハハ」
さっきまで不倫を疑って嘔吐しそうになっていたのがバカみたいだ。
ソファから立ち上がって伸びをして誤解が晴れた爽快感を味わう。
が、しかし疑問が残る。
「じゃあ、何で朱美は実家に帰ったんだ?」
答えは一つだ。
同じことをインコが朱美の前で喋っていた。
とすると…
「朱美は俺が不倫したと思っている…?」

──ガチャ
玄関のドアが開いた音が聞こえた。
玄関の方に向かおうとすると、その前に朱美がリビングに入ってきた。
「お、おかえり」
朱美は俺に目も合わせず寝室に入っていく。
靴を履いたままだ。
すると、すぐ寝室を出てきてまた玄関の方へ向かおうとした。
手には彼女の財布が握られている。
財布を取りに戻ってきたようだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」
朱美の腕を掴むと、案の定振りほどこうとされる。
しかし何とか繋ぎとめて言葉を続ける。
「違うんだ、断じて不倫なんかしてない! 信じてくれ!」
朱美の顔を見ると目の周りは真っ赤に腫れている。
やはり先ほどの俺と同じ誤解をしているだろう。
「あれは俺の声じゃなくて──」
『アハァン キモチイイ イクイクゥ』
「うるせぇインコ!!!」
俺の声を遮るようにインコがまた喘ぎ出した。
冗談じゃない、勘弁してくれ。
「えっと、だから、俺の声じゃなくて」
『イイィ イイヨォ…』
「………俺の声じゃなくて、その、俺が見てたサイトの」
『モットモット アンアンアンン』
「サイトって言っても、えっと普通のじゃなくて、いわゆるアダルトサイトってやつで……」
『キモチィ…』
「エロ動画の音声なんだ!! すまない、許してくれ!」
『アァ トロケルゥ』
喘ぎ声に思考を邪魔されながらも何とか事実を伝える。
朱美はなおも下を向いたまま、抑揚のない声で答えた。
「何それ、意味わからない」
「本当なんだ、大体俺が家に他の女連れこむ時間なんてないだろ? なぁ信じてくれよ…」
『アァ オチンポ オイヒイ…』
「いい加減にしろよクソ鳥!!! こっちは真面目に話してんだよ!!!!」
「ポピーちゃんに酷いこと言わないでっ!」
パンッと頬を平手で叩かれる。
鈍い痛みが伝わってくる。
「大体、あなたのせいでポピーちゃんがこんな気持ち悪いことしか言わなくなったのよ!? 何考えてるの!?」
『スゴイ……オッキイィ』
朱美は涙を流しながら問い詰めてくる。
「ご、ごめん…それに関しては……イヤホンせずに動画を見てた俺が迂闊だった、本当にゴメン!」
『ワタシノモナメテェ…』
深く頭を下げるが、朱美は何も言ってくれない。
「申し訳ない! でも、不倫は絶対にしてない!」
そのまま膝をついて土下座する。
『アァ ナメルノウマイ……』
10秒ほどだろうか、床に頭をこすりつけているとやっと朱美が口を開いた。
「……じゃあ証拠見せてよ。そんな卑猥な動画見たくないけど」
「お、おう! ちょっと待って」
『ンンゥ イカサレチャウ』
顔を上げると、朱美は見たことないほど顔を歪めて泣いていた。
エロ動画を見せて一刻も早く安心させてあげよう。
共用のノートパソコンを持ってきて電源を入れる。
パソコンが起動する間も
『イイヨ イレテ』
『アアッ ゼンブハイッテルゥ』
などとやかましい鳴き声が響く。
パソコンが起動し、いつものようにGoogleChromeのシークレットウィンドウを開いたところであることに思い至る。
……昨日見たの、どの動画だっけ?
エロ動画との出会いは一期一会、履歴を残してない以上それは仕方ない。
こんな時に履歴対策をしていたことがアダになるとは。
GoogleChromeを開いたまま固まっていると、朱美が怪訝な声で尋ねてきた。
「ちょっと、なんで動画出せないの?」
「えっと、その…どの動画か思い出せなくて……」
『アアン アアン アアン』
「そんなことある訳ないでしょ? やっぱり嘘ついてるじゃん!!」
「本当なんだよ! よくある事なんだって!」
至高のオカズでもない限り動画のタイトルなんか思い出せるはずもない、適当に関連動画から漁っているだけなのだから。
しかし、そんなことを説明しても伝わらないだろう。
『アンアンアンアンアンアンアンアン』
「私、やっぱり実家に帰って頭冷やしたい。ポピーちゃんには悪いけどこんな家にいたら気が狂っちゃう」
「待って! 今思い出すから…」
『タケシサンノチンポ スゴクイイィ』
「ほら! 今インコが"たけしさん"って言ったの聞こえたでしょ! 俺のことじゃないんだって!」
「は? 適当なこと言わないで!」
「聞き逃さないでくれよぉ! あ!! あと"We have a gift for you"とか言ってたの聞いてない? あれ広告なんだよ!」
『アンアンアアン モウダメェ』
「知らないわよそんなの! もう黙ってよ、さっきから滅茶苦茶なことばっかり……」
「あと5分だけ待って!! 昨日と同じルートを辿れば…」
たしかPornH〇bのページで「asian threesome」で検索してそれから……
「じゃあ見つけたら連絡して。私もう行くから」
「ちょまっ……」
『アアン イクイクイク イッチャウヨ~』
「黙れやぁクソインコ!!! ぶち殺すぞ!!」
「……もういい、さよなら」
そのまま朱美は部屋を出て行った。
「もう少しまっ……グワッッ」
追いかけようとしたが、ノートパソコンの電源コードに足を引っかけて思い切り転んでしまった。
「痛ってぇ……」
肘と膝を強打し、すぐ立ち上がることもできない。
倒れたまま、重い玄関のドアが閉まる音と振動を感じた。
痛みと情けなさで涙が零れてきた。
『キモチ…ヨカッタ』


その後、1時間かけて俺は元凶のPornH〇b動画を見つけた。
数日後、家に戻ってきた朱美にその動画を見せようとしたら、権利者申し立てで動画が消されていた。
FANZAで該当の作品を探したが女優名も分からないため見つけられず、疑いが晴れることはなかった。
朱美には「あなたのこと気持ち悪いし、動物に暴言吐くような人とは一緒に暮らしたくない」と言われ、最終的に離婚することになった。
別れの日、朱美は自分の荷物を全て実家に送り、インコと共に家を出ていった。
未練を見せないように俺は作り笑顔で朱美を見送った。
「じゃあな朱美、色々申し訳なかった」
「うん、さようなら」
『アアン イクイクイク イッチャウヨ~』


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