慌ただしい足音が鳴り響き、扉が音を立てて開く。
もうそんな時間か。うるせえガキが帰ってきやがった。
こちらに走り寄ると、フェンスの向こうから覗き込んでくる。
眉を寄せてこちらの動向を凝視している。
そんな顔すんな。生きてるよ、ちゃんと。
遅れてやってきた母親が今度はオレの前の扉を開けてくれる。
束の間の自由ってやつだ。やりたいことも最早ないがな。
部屋ん中を飛び回るほど若くはねえし、部屋から出られないってのも知っちまってる。
オレは外の世界というやつを知らない。
いかなる時も外界を拒絶する壁と天井に囲まれて生きてきた。
昔は同族が沢山いる空間にいた。何の疑問もなく暮らしてたが、今にして思えばあれは巣じゃねえ。売り場だ。
売られるために生み出され、商品として育てられる。
それでも今よりはマシだろう。今のオレは独りだ。コイツらの棲家に連れてこられてから、同族には一度も会っていない。
奴らがオレに嫁さんをあてがう気がないと気づいた時は愕然としたね。もうすっかり枯れ果てちまって文句を言う気力もないが。
そんでやらされることと言ったら、毎日毎日うるせえガキの話し相手。
ただ聞いてるだけだ。何を言ってるかなんて伝わりゃしねえのに、飽きもせずに話しかけてくる。
お前の同族には話し相手はいねえのかよ。
お前、オレが死んだらどうするつもりだ?
自分の死期が近いことは自分が一番分かっている。
奴らとオレとじゃ生きるスピードが違う。残念だがオレが先に逝く定めらしい。
近頃は体を動かすのもダルくなってきたし、感覚も随分鈍った気がする。
つってもまあオレは長生きできた方だろうよ。天敵も災害も存在しない壁の中でヌクヌクと生きられたんだからな。
このまま閉ざされた部屋の中で終わるとしても、緩やかに死んでいけるのならそれは幸せなのかもしれねえ。
奴らに囲まれ、声をかけられながら息絶える自分の姿を想像する。
はっ、情けない最期だな。
扉が開き、ガキが入ってくる。
どうしたよ? この頃はいつになく静かじゃねえか。
話もそこそこに体に触れてくる。気遣うように見つめながら、全身を撫で回してくる。
以前はオレがくたびれていようがお構いなしにやかましく話し続けてたのに、最近は随分とお優しいことだ。
一体何を考えてるんだかな。まあこっちとしては楽でいいんだが。
そうこうしていると外から別の声が聞こえてくる。
コイツの親たちの声とは明らかに違う、騒がしい声。恐らくコイツと同じ年の頃のガキだろう。その声が外から呼びかけている。
その声に呼応して、ガキも大声で返事をする。そしてオレに一言声をかけると、慌ただしそうに部屋を出ていった。
なんだ、デケー声出せるんじゃねえか。
どうやらあのガキにも同族のダチができたらしい。
結構なことだ。これでようやくオレもお役御免ってわけだな。
ガキと入れ替わりに母親が戻ってくる。後片付けをしにきたらしい。
オレはすかさず、大げさに咳き込んでみせた。
もう体のあちこちにガタがきてて、咳が出るなんてのはしょっちゅうだ。
だからオレは知っている。オレが苦しそうに咳をしていると、こいつらは空気を通すために窓を開けてくれる。
目論見通り、母親は窓を開けた。オレをカゴの中に戻すよりも先に。
オレは羽と脚に力を込めた。
奴が網戸に手をかけるまでのその一瞬をついて窓の外へ飛び出した。
ははっ。
うまくいった。
飛んでいる。あの狭苦しい部屋の中じゃねえ。今、オレは空の中を飛んでるんだ。
遥か後方から叫び声が聞こえてくる。奴らの慌てる様子が目に浮かんでくる。
悪いな。まあ散々お前らの都合に付き合わされたんだ、死に方くらいは選ばせてくれや。湿っぽいのはキライなんでね。
羽ばたき方ってのはこれでいいのか? よくわからねえ。
ここがどこなのか、どこに向かえばいいのか。何もわからねえ。
わからんが気分は悪くねえ。オレは飛んでいる。吹き抜ける風の中、懸命に翼を振っている。
皮肉なもんだ。今ここに来てようやく生きてるって感じだ。
頭が揺れる。視界がぼやけてきた。
一心不乱に翼を振る。オレの体よ、もう少しだけ保ってくれ。もう少しの間、この喜びを味わわせてくれ。
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